終滅の光
飛空城艦アゼッタが急激に減速した。
舞い散る雪月花がまとわりつき、アゼッタの外壁に描かれる建築物が、凍りついたように描き換えられた。
<摩訶落書建築>が正常に働かず、アゼッタは書き換えられた絵に従い、みるみる凍りついていく。
空を飛べない姿へと創り変えられていくのだ。
「……創造の空、ということですの……」
険しい表情で、ミサが空域へ魔眼を向ける。
<破滅の太陽>と重なり合った<創造の月>が、この一帯を支配している。
その権能は、<摩訶落書建築>を妨げ、自らの創造を強制しているのだ。
破壊の空であるがゆえに、創造し続けるしか墜落を防ぐ手段はなく、しかし創造の空であるがゆえに、創造を妨げられる。
まさに、盤石の護りであった。
「る、ルーシェ隊長、このままではっ……!」
「デビドラ様、もうもちませんっ。二番艦は、落ちますっ!!」
二番艦と三番艦から、兵たちの報告が響き渡る。
即座に、エールドメードは言った。
『四番艦を撃ち出し、離脱したまえ』
「し、しかし、今撃ち出せば……!」
四番艦の進行方向には、破壊の番神たちが黒陽を纏って待ち構えている。
『カッカッカ、手札はすべて切ったのだ。後は潔く勇者と魔王の伝承に賭けたまえ。それとも、おりてチップを支払い、次の機会でも待つか?』
ぎりっと奥歯を噛みしめ、ルーシェとデビドラは言った。
「集団魔法展開。全魔力を振り絞れ」
「魔法行使の対象を四番艦へ。タイミングを見極めろ」
影の天使たちが弓を構える。
黒陽の矢が一斉に放たれたが、それを避ける余裕はもう彼らになかった。
「撃ち出せぇぇっ!!」
<飛行>の球体魔法陣が、レイの乗る飛空城艦アゼッタを覆い、凍りついたその船を、砲弾の如く無理矢理撃ち出した。
空域を離脱するように落ちていく二番艦、三番艦の代わりとばかりに、レイを乗せた四番艦は破壊と創造の空を突き進み、降り注ぐ矢に逆行する。
次々と黒陽の矢が被弾し、ガタガタと音を立てながら飛空城艦アゼッタは崩壊していく。
日蝕との距離が縮まったため、最早、<摩訶落書建築>は完全に機能せず、アゼッタは破壊の秩序により空中分解した。
崩れ落ちる屋根にて、それでもレイは飛ばず、二本の剣に魔力を込め続けている。
破壊された飛空城艦の中から、影が飛んだ。
「乗ってくださいな」
バラバラに崩れ去ったアゼッタから飛び出したミサは、纏った外套を脱いで広げる。
その上にレイが乗り、彼女は降り注ぐ矢の雨を<四界牆壁>で阻みつつ、すり抜けていく。
破壊の番神たちは、自らに火をつけるように、黒陽にて神体を燃やす。
そのまま玉砕覚悟でミサに突っ込んできた。
矢と違い、どれだけかわそうと追ってくるだろう。
だめ押しとばかりに雪月花が舞い降りて、その冷気にてミサとレイの活動を制限する。
平地ならばいざ知らず、この破壊と創造の空では、番神全員を置き去りにして<破滅の太陽>に迫るほどの速度は出せぬ。
アゼッタを失った今、いかにミサとて、戦闘と飛行を継続できる時間は限られているだろう。
「いらっしゃいな、ギガデス」
ミサが魔法陣を描けば、その背後に、小槌を持った小人の妖精が現れる。
風と雷の精霊ギガデアスに酷似したそいつに漆黒の雷が落雷する。
その力を吸収するかのように、ギガデスはみるみる巨大化し、邪悪な王のような姿に変化した。
「<霊魔雷帝風黒>」
ミサはたおやかに指先を伸ばす。
それと同時に、黒き雷帝ギガデスは巨大な大槌を振り下ろした。
暗黒の風が破壊の番神たちを冷たく包み込み、黒き稲妻が落雷した。
精霊魔法<霊風雷矢>と起源魔法<魔黒雷帝>を組み合わせた霊源魔法<霊魔雷帝風黒>によって、影の天使たちは灰燼と化す。
しかし、その一撃から逃れた番神が、全身を黒陽に燃やしながら、なおも突っ込んできた。
「ガリョン」
九つ首の水竜がミサの背後に現れ、漆黒に染まっては唸り声を上げる。
彼女の両腕に漆黒の水竜が宿ると、向かってきた番神をその指先にて串刺しにした。
「<霊殺根源死雨>」
番神の体内から九つ首の水竜が食い破るように現れ、黒陽を消火するとともに、その根源を滅ぼした。
間髪入れず、ミサは<霊魔雷帝風黒>を撃ち放つ。
漆黒の風雷が破壊と創造の空を激しい光とともに切り裂いていく。
全力の<飛行>で舞い上がったミサは、外套に乗せたレイとともに、みるみる<破滅の太陽>へと押し迫った。
辺りが一段と暗くなった。
サージエルドナーヴェの皆既日蝕だ。
魔眼を疑うほどの凄まじい魔力が、覆い隠された<破滅の太陽>に集中していた。
あれならば、地上を一〇度滅ぼしてなおお釣りが来るだろう。
「――ミサッ!」
レイが叫び、彼女は魔力を込めた指先を伸ばす。
「この瞬間を――待っていましたわっ!」
レイに<飛行>の魔法陣を描き、<霊魔雷帝風黒>とともに撃ち出す――その間際、彼女が身に纏っていた<四界牆壁>が忽然と霧散した。
「……ぇ………………?」
彼女の胸に、小さな棘のようなものが刺さっていた。
「……これ、は………………?」
急速に彼女の魔力が霧散していく。
根源の要を貫かれたとでもいうように――
「……レ、イ…………」
ぐらり、とミサの体が落下する。
<破滅の太陽>から自然と溢れ出る黒陽が、レイの体を灼いた。
燃える外套に包まれ、彼の体もまた落ちていく。
声が響いた。
『世界の秩序を奪いし、簒奪者』
ノイズが混ざった、不気味な声が。
『自ら口にした通り、汝には世界の手札が見えていなかった』
破壊と創造の空に、それは大きく響き渡る。
『魔族の船は落ちた。偽の魔王も、秩序から奪った番神も』
飛空城艦アゼッタ一番艦、二番艦、三番艦ともにほぼ大破しており、破壊の空の下をかろうじて浮遊するのみ。
再び太陽に迫る力は残されておらず、地上への帰還がやっとだろう。
宙を舞っていた熾死王のシルクハットが一〇個、番神の矢に貫かれ、灰と化した。
『簒奪者。汝の手札に翼はない。今、ここに希望は潰えたのだ。<終滅の日蝕>に灼かれ、地上諸共消え去るがいい』
ザザッザーッと嘲笑うかのような雑音が木霊する。
目の前には、なにも見えない。
<終滅の日蝕>。それが世界を完全に闇に閉ざしていた。
『……カカカ……確かに確かに。敗北、敗北……完膚無きまでの敗北だ。だが、負けるからこそ、面白いのではないかね、ギャンブルというものは』
エールドメードが言う。
『なあ、エクエス』
『さらばだ、愚かな魔族よ』
静寂がその空を覆った。
禍々しい日蝕が、増大していく魔力とともに、黒檀の光を凝縮していく。
黒く、赤い、目映い輝きだ。
『終滅のときは来たり――』
サージエルドナーヴェの皆既日蝕から、終滅の光が地上へ向かい照射される。
その直前で、凝縮していた黒檀の輝きが、黒き刺突に貫かれた。
『…………!?』
僅かな光とともに、映し出されたのは勇者の姿。
カカカ、と声が響いた。
『――カッカッカ、カカカカ、カーカッカッカッカッ!!』
響き渡ったのは、痛快極まりないといったエールドメードの笑声だった。
『<全能なる煌輝>ともあろう者が、オレの手札に、まだ翼が残っていることに気がつかなかったか――?』
世界が暗闇に包まれた間に、<破滅の太陽>に到達していたレイが、魔を凝縮した一意剣シグシェスタの一撃にて、終滅の光に僅かな穴を空けていた。
熾死王は言う。
『そう――蝋の翼が!』
囮のシルクハットを運んでいた<聖刻十八星>。
取るに足らぬとエクエスが放置したそれこそが、レイを<破滅の太陽>へ到達させた最後のカードだ。
<聖刻十八星>は聖水の砲弾。
聖水は汎用性の高い魔法具であり、人間には極めて効果の高い魔力源となる。
魔族の体のレイには毒も同然だが、元勇者である彼はその使い方をよく熟知している。
かつてエミリアがそうしたように、使うこと自体は可能だ。
破壊の空で蒸発した<聖刻十八星>、すなわち水蒸気となった聖水を、城の外にいたレイは集めていたのだ。
自分の魔力を使わず、空を飛ぶために。
聖水の魔力を引き出し、落ちかけたレイは<飛行>にて反転した。
<終滅の日蝕>が起こり、<破滅の太陽>が転移できないであろうその瞬間、シグシェスタにて放たれる前の終滅の光に穴を穿った。
熾死王は、手札が曝された状況を逆に利用したのである。
まだなにかあるやもしれぬと思われれば隙は生じぬが、エクエスはこちらの手札を知っていた。ゆえに油断し、警戒を怠った。
<聖刻十八星>は蝋の翼だということを印象づけ、役に立たぬとエクエスに思い込ませていた。目ではなく、その意識から手札を隠したのだ。
「霊神人剣、秘奥が弐――」
<破滅の太陽>に反魔法を張らずに突っ込んだレイは黒陽と終滅の光に包まれ、瞬く間に根源を減らしていく。
かろうじて、体が原形を保っているのは、霊神人剣の加護があるゆえにだろう。
そうして、根源が残り一つになった瞬間、シグシェスタで穿った光の穴に、今度はエヴァンスマナを突き刺した。
「――<断空絶刺>っっっ!!!」
レイの体は霊神人剣エヴァンスマナごと神々しい光に包まれ、一振りの剣の如く刺突を放った。
<破滅の太陽>の表面に荒れ狂う、凄まじいまでの黒陽に穴を穿ち、霊神人剣の刃がそこに突き刺さる。
暗黒の火の粉が無数に散り、光が四方八方に拡散する。
空が揺れ、地上が震撼していた。
果たして、霊神人剣は、<終滅の日蝕>を――その宿命を貫いたか。
ゆっくりと欠けた太陽が元に戻っていく。
<創造の月>と<破滅の太陽>が引き離されているのだ。
『すべては秩序の歯車が回るが如し』
不気味な声が響いた。
<破滅の太陽>が半分ほどまで欠けた状態に戻った。
しかし、その表面には黒檀の光が集い始める。
まるで皆既日蝕でなくとも、地上は撃てると言わんばかりに――
霊神人剣を<破滅の太陽>に押し込みながら、レイが<思念通信>に絶叫した。
「――空域を離脱しろぉっっっ!!!!」
『遅い――』
ぐっと握り締めた霊神人剣に、レイは最後の力を注ぎ込む。
「……頼む、霊神人剣……!! 残り半分も――!!」
その想いに呼応するように、純白の光が鋭く太陽を貫いていく。
渾身の力で、レイは聖剣を突き出した。
「――と、ま、れえええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!!」
終滅の光が鮮やかに瞬く。
『<笑わない世界の終わり>』
世界の行く末は――!?




