破壊の空に降る雪
「一番艦、全砲門<獄炎殲滅砲>発射準備完了!」
<破滅の太陽>へ迫りながら、四隻の飛空城艦アゼッタから<思念通信>が飛び交う。
「二番艦、同じく<獄炎殲滅砲>発射準備完了」
「三番艦、全砲門発射準備完了です!」
それは、かつて創術家ファリス・ノインが用いた戦術――
破壊の空に<獄炎殲滅砲>を撃ち放ち、炎の道を作る。そこを飛び抜けようというのだろう。
飛空城艦アゼッタは上昇する毎に損壊していくが、まだ破損箇所は一割未満、飛行に支障はない。
「……このまま、行ければ……」
日蝕を睨みながら、ルーシェが呟く。
『恐い、恐い。あまり恐ろしいことを口にするなよ、風の担い手。そうすんなり行くのならば、あちらの手の平の上で転がされているも同然だ』
愉快そうにエールドメードが言う。
『ときに、伝説の勇者。オマエの目算では、あの日蝕を確実に止めるには、どこまで近づけばいい?』
その問いに、レイは即答した。
「近づくだけじゃ、少し足りないかな。全魔力をこの二つの剣に込める。あれを切ることだけに、集中させて欲しい」
『カカカ、後出しで無茶な条件を口にするではないか。つまりだ。空さえ飛べないオマエを、なんとか剣の間合いまで連れていけということだな?』
「そうだね」
<飛行>を使う分の魔力さえ剣に込めて、日蝕を切ることに全精力を傾けるというのだろう。
当然、<破滅の太陽>から身を守る反魔法や魔法障壁を使うこともできぬ。
黒陽をまともに浴びれば、いかに七つの根源を持つレイとて、一瞬にして滅び去る。
『カカカ、玉砕、玉砕、玉砕だ。勇者らしく捨て身の一撃に勝負をかけようというわけだな。面白い。一か八か、伸るか反るか、乾坤一擲の大勝負と行こうではないかっ!』
「下方から、接近する魔力源を確認! 術式構造は結界です!」
後方の三番艦から報告が上がった。
『そら来た、人間どものお遊戯だ。さてさて、数秒でも持つのなら、道の足しにしてやってもいいのだが?』
聖なる光を放ちながら、水の砲弾が地上から上がってきた。
それは飛空城艦アゼッタを追い越し、<破滅の太陽>を目指す。一発だけではない。砲弾の数は一〇と八。それらはすべて聖水だ。
汎用性の高いその砲弾にて標的を囲み、広範囲に結界を構築するのが、長距離結界魔法、<聖刻十八星>である。
星のような煌めきを発する結界は、内側にいる者の魔力を減衰させ、封じ込める。
<聖刻十八星>は、<破滅の太陽>が支配する空域に突っ込んでいく。ある程度までは進んだが、しかし、決して目標に到達することはない。
破壊の空の秩序により、上昇を妨げられているのだ。
やがて、勢いが衰えた一八の砲弾はその場で魔法陣を構築し、結界を発動した。
しかし、それも束の間、聖水は一瞬にして蒸発した。
『カッカッカ、結界のくせに溶けるとは。まさに蝋の翼ではないか! 一秒も持たないのでは、通り道にすらなりはしない』
「これで私たちがアレを堕とせば、<聖刻十八星>が功を奏したと喧伝するわけか。相も変わらず、ガイラディーテは余計な知恵ばかりが回るものだ」
ルーシェが苦々しそうに言う。
『そう捨てたものでもないぞ、風の担い手。見たまえ』
<聖刻十八星>が蒸発し、その水蒸気が漂う空域を、飛空城艦アゼッタは通過していく。
アゼッタの上に立っているレイは、水蒸気の中に影を見つけた。
手に取ってみれば、それはシルクハットだ。熾死王のものである。
見れば、その他にも九つのシルクハットが、破壊の空に舞っていた。
『天父神の秩序に従い、熾死王エールドメードが命ずる。産まれたまえ、一〇の秩序、理を守護せし番神よ』
シルクハットから紙吹雪とリボンが舞う。
そこから生まれたのは、翼を持つ人馬の淑女。
空の番神レーズ・ナ・イール。
巨大な盾を背中に背負う屈強な大男。
守護の番神ゼオ・ラ・オプト
いずれも五体、合計一〇体の番神だった。
『カッカッカ、蝋の翼とて、溶けるまでは太陽に迫れる』
空の番神レーズ・ナ・イールの背に、守護の番神ゼオ・ラ・オプトが騎乗する。
守護の番神が、その巨大な盾にて前方に結界を張り巡らせつつ、空の番神レーズ・ナ・イールは破壊の空を突き進む。
『後ろにつきたまえ』
エールドメードの指示により飛空城艦アゼッタは、四隻とも番神たちを盾にするように位置取り、更に上昇した。
「下方から再び<聖刻十八星>です!」
最後尾についている三番艦の報告の後、すぐさま水の砲弾が破壊の空に放たれる。
瞬く間に<聖刻十八星>が蒸発し、シルクハットが宙を舞う。
直後、今度は番神を生む前にシルクハットが矢に射抜かれ、あっという間に灰に変わった。
『そうら、お出ましだ』
目の前に立ちはだかったのは、影の天使たち。
破壊の番神エグズ・ド・ラファンである。
破壊神がいないのなら、番神もいない。
そう思わせ、手札を隠していたのだろう。
『撃ち続けたまえ』
ガイラディーテからは、次々と<聖刻十八星>が発射される。
そうして、シルクハットを宙に舞わせ、影の天使たちにあえて射抜かせた。
熾死王も二度同じ手が通じると思ってはいまい。
影の天使たちが射抜いているのは、番神を生むことのできぬただのシルクハットだ。
すべてのシルクハットに、番神を生む魔力を込めておくの熾死王とて不可能だ。
しかし、奴らがそれを狙わざるを得ない状況を作り出し、攻撃を分散させているのである。
『前方へ照準。まもなくこちらの盾が滅びるぞ』
影の天使たちは黒き光――黒陽を鏃にして、矢を番える。
一斉に放たれた黒陽の矢は、次々と守護の番神の盾を破壊していき、空の番神レーズ・ナ・イールの翼を撃ち抜く。
番神としての力は五分だが、あちらには<破滅の太陽>の恩恵があり、なにより、数で優っていた。
雨あられの如く降り注ぐ黒陽の矢を浴び続け、飛空城艦アゼッタの前にあった盾は滅び去った。
『撃ちたまえ』
「「「<獄炎殲滅砲>一斉掃射!!」」」
ニギット、デビドラ、ルーシェの指示で、飛空城艦アゼッタの砲塔という砲塔から漆黒の太陽が出現する。
それは彗星の如く光の尾を引き、轟音を上げながら撃ち放たれた。
合計二〇〇を超える漆黒の太陽は、次々と爆発を引き起こし、<破滅の太陽>までの炎の道を作り出す。
「我らは壁だ! この身朽ち果てようとも決して怯むな!」
ニギットは叫ぶ。
彼の駆る一番艦は、影の天使たちの矢の直撃を受け続け、みるみる破壊されていく。
だが、避けるわけにはいかない。
彼らがそこをどけば、聖剣と魔剣に魔力を注ぎ込んでいるレイが、無防備に曝されてしまう。
「突き上げろっ!!」
デビドラ、ルーシェの駆る二番艦、三番艦は上昇に全魔力を注ぎ込み、レイとミサの四番艦を下から思いきり押し上げる。
レイに向かって、黒陽を纏いながら回り込んできた何体もの破壊の番神を、ニギットの一番艦が体当たりで弾き飛ばす。
すぐさま、取りつかれ、一番艦は炎に包まれていく。
「行けっ……!!」
炎の道に、レイの乗る四番艦が突っ込んだ。
飛空城艦の屋根に立つ彼を守るように、ミサの<四界牆壁>が構築される。
「来るぞっ! 黒陽の射程に入るっ!」
ルーシェが叫んだ。
瞬間、飛空城艦アゼッタの損壊がますます加速し、ガラガラと音を立てて崩れ始める。
<飛行>を強化している動力部の魔法陣も破壊され、速度が落ちた。
<破滅の太陽>に近づけば近づくほど、あらゆる物は溢れ出る破滅の光に灼かれ、燃え滅びる。
しかも、二千年前とは違い、今<破滅の太陽>は闇の日輪を輝かせ、完全顕現しているのだ。
「この黒陽に灼かれた者は再生できんっ! 下がれっ、私たちが影を作る」
レイの盾になろうとルーシェ率いる三番艦は舵を切り、死力を振り絞るように加速していく。
されど、その進行を<四界牆壁>が妨げた。
「なにをしているっ、ミサッ!」
「まだ足を失うわけにはいきませんわ。わたくしにお任せ下さいな」
「馬鹿を言うなっ。あの黒陽の中を無傷で突っ切ることのできる魔法は、新たな創造を行い続ける<創造芸術建築>のみだ。アノス様とて、真似はできんっ! 私たちが盾になる。お前はカノンを守れっ!」
黒陽に灼かれると修理できぬのなら、その場で飛空城艦を新しく作り直せばよい。
創術家のファリスが編み出した対策だが、<創造芸術建築>は創造魔法に突出しているのはもとより、新しいものを生み出す芸術の才が必要だ。
「偽の魔王であるこの身には、それぐらいしかできないとおっしゃいますの?」
ミサは微笑する。
「確かにわたくしの力は、暴虐の魔王の噂と伝承によるもの。得手とする魔法も同じ。端的に言って、アノス様よりも劣ったことしかできませんわ」
静かにミサは言った。
「わたくしの半身だけでは」
レイの乗る四番艦を操縦するミサは、飛空城艦の玉座にて二つの魔法陣を描いていく。
「もう半身のわたくしは、母なる大精霊レノの血を引いておりますの。同じくお母様には劣るかもしれませんが、精霊の力を魔法として使いこなすことができますわ」
魔法陣の一つは<創造建築>、そしてもう一つは精霊魔法だった。
ミサはその二つの魔法陣を融合させ、まったく新たな術式をこの場で開発した。
「創霊魔法<摩訶落書建築>」
四番艦を中心に、巨大な球体魔法陣が広がり、二番艦、三番艦を包み込む。
次の瞬間、三隻の外壁に落書きが描かれた。
それはディルヘイドでよく見られる民家の絵である。
すると、みるみる内に飛空城艦が形を変える。
落書きの絵と殆ど同じ姿に、三隻の船は新たに創造されたのだ。
生まれ変わったアゼッタは、速力を取り戻し、ぐんと加速した。
民家の姿をしているにもかかわらず、これまでの飛空城艦同様の飛行能力を持っている。
「これは……?」
不可解そうなルーシェの声が漏れる。
「落書き精霊ペンタクスは、家の外壁に落書きをいたしますの。お題を出せば、その絵を飽きるまで描き続けますわ。それも、必ず新しい落書きを。そういう噂がありますの」
落書き精霊ペンタクスの噂と伝承を借りる精霊魔法<摩訶落書>。
単独では、ただ落書きをするだけのその魔法に<創造建築>を組み合わせることで、落書きに創造の力を加えたのだ。
黒陽によって破壊されていく飛空城艦アゼッタは、しかし<摩訶落書建築>によって様々な建築物に変わり、滅び去ることはない。
あらゆる属性の魔法を使いこなし、戦場でさえ新たな魔法を開発したと言われる暴虐の魔王の噂と伝承……それに母なる大精霊レノの血を引く娘としての力を組み合わせた――
魔族としては単純に俺に劣る力。
母なる精霊としては、レノに及ばぬ精霊魔法。
だが、その二つを組み合わせることで、俺にもレノにもできぬ、ミサならではの創霊魔法を生み出したのだ。
この<摩訶落書建築>ならば、<創造芸術建築>にも劣るまい。
破壊の空により損壊する速度よりもずっと速く、次々と新たな落書きに変化する飛空城艦は、黒陽を切り裂くように<破滅の太陽>へと押し迫る。
『カカカカ、いよいよ正念場だ。二番艦、三番艦は可能な限り<破滅の太陽>へ接近。<飛行>にて四番艦を撃ち出したまえ』
「「了解!」」
二番艦、三番艦は飛行に殆どの魔力を注ぎ込み、四番艦を押し上げる両翼となっている。
いかに、<摩訶落書建築>にて新たな創造を続けているとはいえ、近づきすぎれば、修復するより先に全壊するだろう。
そのぎりぎりを見極め、最後は四番艦のみを<破滅の太陽>へ向かって上昇させようというのだ。
ガイラディーテからは<聖刻十八星>の援護射撃が届いているが、その間隔はどんどん長くなっている。
番神たちが<聖刻十八星>は囮であることを見抜き始めたのだ。
熾死王が番神を生めるシルクハットを見極め、それだけを落としている。
ガイラディーテに置いてきたシルクハットの数には限りもあるだろう。
エールドメードは現在、ディルヘイドの辺境で戦闘中だ。そこを離れるわけにもいくまい。
勇者学院にも聖水と魔力が枯渇する心配がある。
ただの囮とはいえ、<聖刻十八星>への警戒の必要がなくなれば、破壊の番神どもは飛空城艦に集中砲火を仕掛けてくる。
状況から見て、チャンスは一度、狙いは皆既日蝕の瞬間。
そのときでなければ、<破滅の太陽>は確実に別の空域へ転移するだろう。
「……太陽が欠けますわ……」
霊神人剣の一撃にて、一瞬止めた日蝕が再び進み始めた。
地上が撃たれる危機だが、同時に絶好のチャンスでもある。
その破滅の力が行使される瞬間、地上が撃たれるより先に闇の太陽を堕とす。
レイが双剣を握り締め、禍々しく天を彩る日蝕を見据える。
そこへ――
ひらり、ひらり、と舞い降りてきたのは一片の雪の花。
雪月花だ。
白銀の光とともに、それらが無数に舞い降りて、空は銀世界と化した。
破壊の空、だけではない……!?