月と太陽と姉妹
火露の光がひらひらと舞いながら、空から落ちてくる。
それらは三角錐の神殿に取りつけられた三角形の門へ吸い込まれていく。
その奥で、僅かに<破滅の太陽>と<創造の月>が重なりを深め、日蝕が進んでいるのが見えた。
地上の状況と、この光景を照らし合わせれば、なにがどうなっているのか、想像は容易い。
「見たことがない門」
「あの魔法文字も、見たことないわ」
ミーシャとサーシャが言う。
巨大な門の枠には、無数の魔法文字が描かれているが、見覚えがない。
ミリティアの記憶を持っているミーシャが知らぬのなら、神族の扱う文字とも違うのだろう。
しかし、地上のものでもない。
「デルゾゲードとエーベラストアンゼッタがあるのはわかるけど、どうして<破滅の太陽>と<創造の月>まであそこにあるのかしら……?」
辺りを警戒しながら、慎重に俺たちはその三角錐の神殿へ飛んでいく。
「だって、あれは今、地上の空に浮かんでいるはずでしょ?」
「あの中」
ミーシャが三角形の門を指さす。
「空間の秩序がおかしい」
「ふむ。確かにな。あの内部では、空間の位置が定まらぬように見える。あの門の力だろうが、<破滅の太陽>と<創造の月>は二つの座標を与えられているといったところか」
「……あそこにある<破滅の太陽>が、同時に地上の空にも存在するってこと?」
サーシャが考えを言葉にする。
「だろうな。簡単に言えば、<破滅の太陽>自体が神々の蒼穹と地上をつなぐ神界の門と化している。ゆえに、同時に二箇所に存在できる」
破壊神と創造神の力ならば、ここから直接地上の空に<破滅の太陽>と<創造の月>を浮かべることはできたはずだ。
なぜこんな回りくどい真似をした?
火露の力を直接注ぎ込むための措置か。
いや、あるいは……?
「<破滅の太陽>と<創造の月>を、移動させるためか?」
ぱちぱち、とミーシャが二度瞬きをする。
「地上から<終滅の日蝕>を防ぐのを回避する?」
「ああ。日蝕前に破壊の空を越えれば、<破滅の太陽>は堕とせる。だが、あの門の力があれば、地上のどの位置にでも<破滅の太陽>を移せるだろう」
その魔法術式にて、ただ違う座標を与えてやればよい。
死を賭して、<破滅の太陽>と<創造の月>に迫ったかと思えば、まんまと逃げられるというわけだ。
「<森羅万掌>」
多重魔法陣を描き、通した両腕を蒼白く染める。
俺は門の向こう側に手を伸ばした。
右手が僅かに焼け、左手が微かに凍りつく。
構わず、俺は渾身の力を込めた。
「――ふむ。動かせぬか」
どれだけ距離があろうと<森羅万掌>ならば届くが、城も太陽も月も、ぴくりとも動かぬ。
門の魔法術式が、内部にあるものの座標を制御し、あの場に固定しているのだろう。
力尽くでは動くまい。
「中に入って、デルゾゲードとエーベラストアンゼッタを奪い返すしかないわよね……? そうしたら、<破滅の太陽>も<創造の月>も止められるはずだわ」
俺に先んじて、サーシャは三角錐の神殿に降り立ち、門の向こうを覗く。
隣に着地したミーシャが言った。
「どうやって?」
デルゾゲードとエーベラストアンゼッタの制御が利かぬ理由がわからねば、奪い返すのも一筋縄でいきそうもないな。
魔王城デルゾゲードは俺の支配下にある固定魔法陣。
にもかかわらず、この距離にあってさえ思うようにならぬ。
「下がっていろ、ミーシャ、サーシャ」
「ちょっ……それっ……!?」
サーシャとミーシャが慌てて飛び退いた。
上空に浮かぶ俺は、その右手にて凝縮した紫電をぐっと握り締めていた。
それを三角形の門へ向け、こぼれ落ちる紫電にて、一〇の魔法陣を描く。
無数の紫電が走り、魔法陣と魔法陣をつなげては、眼前に一つの巨大な魔法陣を成す。
「<灰燼紫滅雷火電界>」
放たれた紫電の魔法陣は、三角錐の神殿ごと門を包み込む。
圧倒的な破壊の紫電が駆け抜け、耳を劈くが如く雷鳴が轟いた。
世界が激しく震撼し、この場を紫一色に染めていく。
ひたすらに破壊の音が響き渡り、やがて、光が収まる――
「ほう」
「……嘘……でしょ……?」
<灰燼紫滅雷火電界>の直撃を受けておきながら、三角錐の神殿は原形を保っていた。
だが、驚くべきはその門だろう。
三角錐の神殿は焼け焦げ、紫電に貫かれ、二割ほどが破壊されている。
しかし、門は多少焦げついてはいるもののほぼ無傷だ。
もう二発ほどで神殿は破壊できても、この門はびくともしまい。
「奇妙な門だな。こんな頑丈なものをなんの目的で作った?」
見たところ、相当古い。
俺に備えて作っておいたわけでもあるまい。
これを壊せば、城は動かせるだろうし、少なくとも地上からは<破滅の太陽>と<創造の月>を消せるのだがな。
万雷剣でも持ってくればよかったか。
<極獄界滅灰燼魔砲>では神界ごと滅びてしまう。壊すのは諦めた方が賢明か。
すると、ガゴンッ、と音が鳴った。
「扉がっ……?」
サーシャが声を上げる。
ゆっくりと扉が閉まり始めたのだ。
位置の秩序を制御しているのは、神殿ではなく門。
扉が閉まった後に、神殿を破壊しても恐らくそこにデルゾゲードや<破滅の太陽>はないだろう。
「アノス」
「わかっている」
蒼白き<森羅万掌>の両腕で、閉ざされていく門をぐっとつかみ、メキメキと強引にこじ開ける。
門が閉じる力はなかなかどうして強力だが、押さえられぬほどではない。
「<淘汰暴風雷雪雨>」
上空から、暴嵐が吹き荒ぶ。
雷雨、風雪を纏った淘汰の嵐が、俺の体を飲み込み、ズタズタに引き裂いていく。
「ハッハーッ!」
増長した笑い声とともにホロの男、ヴェイドが上空から降りてくる。
神族ではない彼もまた神界の深淵の底へ来ることができるのだろう。
「両手が塞がった隙を見計らって、一撃だぜ。どうだ、オレの作戦は。スゲェだろ!」
「作戦というにはお粗末だがな」
暴嵐が過ぎ去り、視界が晴れる。
この身は傷ついたが、しかし、俺は<森羅万掌>で扉を支えたままだ。
「ヒューッ。やるじゃん。<淘汰暴風雷雪雨>を浴びても、手を放さないなんて、スッゲェな」
「樹理四神はどうした?」
奴は得意気に笑い、親指で首をかっきるような仕草をした。
「淘汰してやったぜ。オレに逆らったんだから当然だよな」
視界の隅で、ミーシャが険しい表情を浮かべる。
樹理四神を滅ぼした、か。
ウェンゼルにつながっていた魔法線はあの戦いの最中に切れているが、しかし、エレオノールのいるオーロラの神殿は健在だ。
樹理四神が滅んだならば、彼らの神界、ダ・ク・カダーテは一瞬で滅びても良さそうなものだが、その気配はない。
やはり、俺の睨んだ通りか?
「オジサン、その手を放せよ。足もないだろ。オレとやろうってんだ。次は死ぬぜ?」
「お前には無理だ、飼い犬」
そう返してやれば、ヴェイドは生意気な魔眼で睨んでくる。
奴の体から膨大な魔力が放出された。
「死ぬのはあなただわ。お馬鹿さん」
サーシャの<破滅の魔眼>が、ヴェイドの纏った反魔法を粉々に砕く。
その瞬間、ミーシャの<創造の魔眼>が光った。
上空には彼女が作り出した擬似魔王城デルゾゲードが浮かんでいる。
「氷の結晶」
反魔法を封殺されたヴェイドは、手の先から体へ向かい、順々に氷の結晶へと創り変えられていく。
ミーシャとサーシャは更に魔眼の力を強めるため、神殿から飛び上がり、ヴェイドに接近していく。
右腕の肘まで失った奴は、しかし、小生意気な笑みを見せた。
「ウッゼェな! 効くわけねえだろっ!」
氷に変わりゆく腕から、暴嵐が吹き荒ぶ。
「淘汰すんぞ、雑魚が」
<淘汰暴風雷雪雨>が二人を襲い、その反魔法を引き裂いては、体を切り裂く。
「……アノス……わたしたちをっ…………!」
吹き飛ばされながら、サーシャが叫ぶ。
二人は三角錐の神殿に勢いよく叩きつけられ、外壁を破壊した。
「どこを見ている?」
一瞬の間に、目前まで迫った俺を視界に入れ、ヴェイドが目を丸くする。
放っておいた<獄炎殲滅砲>を魔法陣として使い、足に<焦死焼滅燦火焚炎>を纏った。
「効かねえ……なぁっ……!」
輝く黒炎の蹴りを、ヴェイドは左手でがしっと受け止めた。手の平は焦げついてはいるが、なかなかどうして、灰に変えるまではいかぬか。
奴は右手を<総魔完全治癒>にて瞬時に再生する。
直後――そこに膨大な魔力が集った。
「見せてやんよ、適合者ヴェイド様の実力をな。ビビるぜ、こいつは」
伸ばされた右腕を中心に、嵐が渦を巻く。
それを切り裂くようにして現れたのは、異形の爪。
分厚く硬質化した腕と膨れあがった手。
その先には、まるで剣のように鋭く伸びた、五本の爪があった。
「<淘汰魔爪>」
ギラリと輝いたその爪が、俺の左胸めがけ閃光の如く煌めいた。
俺は咄嗟に左腕を動かし、<四界牆壁>、<焦死焼滅燦火焚炎>、<魔黒雷帝>を重ねがけする。
真正面から<淘汰魔爪>は受け止めず、硬質化した腕の部分をつかみ、それをやりすごした。
「ビビッたろ? これで地上を救う手段はないぜ?」
ヴェイドは笑う。
<淘汰魔爪>の防御に左手を使ったため、門を支えきれず、扉は閉ざされた。
もう<終滅の日蝕>を止める手段はないと言いたいのだろう。
「手を放せば、もう手がないと思ったか?」
<根源死殺>の右手をヴェイドの心臓に向かって突き出せば、奴はそれを避けるように後退する。
「<獄炎殲滅砲>」
魔法陣を描き、漆黒の太陽を乱れ撃つ。
次々とそれは着弾し、ヴェイドの反魔法を削っていく。
「ちっ……!」
ヴェイドの体を中心に嵐が渦巻き、<獄炎殲滅砲>を弾き飛ばした。
奴は俺を警戒しながらも、一瞬背後に視線を向けた。
途端にその表情が歪む。
ミーシャとサーシャが姿を消しているのに気がついたのだろう。
「オジサン……あの二人を、どこへやったんだ……?」
「考えればわかるだろうに。無論、あの門の中だ」
そう口にすれば、すぐにヴェイドは身を翻す。
「開けっ!」
門が再び開けば、その奥にサーシャとミーシャの姿が見えた。
彼女たちは、デルゾゲードとエーベラストアンゼッタにそれぞれ指先を触れている。
「アノスッ……! わたしに……!」
「許す。返そう、お前の神体を」
二人は自らと城を包み込むように、巨大な魔法陣を描いた。
「「<魔法具融合>」」
二つの城と、二人の姉妹が光に包まれる。
それらの輪郭が揺らぎ、ミーシャとサーシャが、水に溶けるように城と一体化していった。
かつて七魔皇老アイヴィス・ネクロンが、<時神の大鎌>と融合した魔法だ。
転生したとはいえ、元々は自分と同じ存在。
そのつながりは完全に切れてはおらず、融合すれば元の力を取り戻せるだろう。
つまり、あそこに浮かぶ、<破滅の太陽>と<創造の月>を制御できる。
「させるかよっ! 下手な真似するなら――」
まっすぐヴェイドは門へ向かって飛ぼうとして、背後から俺の右手に体を貫かれた。
「二度もよそ見をするな。誰の前にいると思っている?」
「――ぐっ、がっ……!! この……淘汰すっ、ぐはぁ……!」
更に体の奥深くへ指先を抉り込ませてやれば、奴は血を吐き出した。
「お前の言う淘汰とは、弱肉強食なのだろうが、古い思想だな。この平和な時代は、適者生存が望ましい」
「……ごっ……こ、の……」
「すなわち――」
<根源死殺>に<焦死焼滅燦火焚炎>を重ねがけし、ヴェイドを体の内側から焼いていく。
「この世界で真っ先に淘汰されるのは、俺に適応できぬ愚か者だ」
暴虐なる適者生存――