適合者
「ふむ。では、その適合者とやらに問おう」
ヴェイドは表情を崩さず、俺の視線を真っ向から受け止めている。
隠しごとがバレたからといって、変貌するような素振りも見せぬ。
出会ったときと同じく、子供のように無邪気な態度だ。
「お前の目的はなんだ?」
「決まってるだろ。淘汰だぜ、不適合者のオジサン」
小生意気な口調で、ヴェイドは言う。
「世界に適合しないものは淘汰されんだ。オレたちホロは、不適当なものが淘汰されていった後、最後に残る選ばれし子供たちなんだ」
堂々と自慢するように、奴は胸を張り、拳を握った。
「外の世界には、沢山、劣等種がいるんだろ? だから、オレは早く外へ行きたいんだ」
「行ってどうする?」
「そりゃもちろん、弱っちい人間を淘汰して、地底の陰険な竜人を淘汰して、最後にオジサンの仲間の魔族を淘汰するんだ。そんでもって、オレは世界の頂点に君臨するんだぜ。スッゲェだろ」
残酷なほど無邪気に、ヴェイドは言った。
淘汰するという言葉の意味が、わかっていないかのように。
「面白いことを言う。それで? その戯言を誰から吹き込まれた?」
「それぐらい、生まれたときから知ってるぜ。オレは、この世界の適合者として生まれたんだかんなっ!」
子供らしく楽しげに、ヴェイドは大きく両腕を広げた。
「オジサンが言った通り、火露を奪ったのはオレだ。神を殺したのもオレだ」
「……なんのために?」
ミーシャが悲しげに問う。
ヴェイドはへへっと笑った。
「創造神ミリティア、だったよな、オマエ?」
ミーシャの瞬きを肯定と受け取ったか、ヴェイドは得意気に話を続けた。
「教えてやろうか? 生命は循環しないって言うけどな、そんなのは当たり前だぜ。だって、生命は淘汰されるんだ。火露の流量が減ったのも、神が滅ぼされたのも、そうなんだ。適合された一握り者だけが生き残る。神だろうとなんだろうとな。それが世界ってもんだぜ」
「それは間違い」
短くミーシャは告げた。
「じゃ、なんでオレが生まれたんだ? 不適合者のオジサンさんが、必死こいてくだらない平和を守って、滅ぶべき命が滅ばなかったからだろ? おかげで秩序が乱れ、神界にオレが生まれたんだ。軟弱な奴らは、さっさと淘汰しろってな」
「ふむ。それでデルゾゲードとエーベラストアンゼッタを奪ったのか?」
「ああ、そうだぜ。サージエルドナーヴェの<終滅の日蝕>で、人々は淘汰されんだ。生き残った奴だけは、オレの下僕にしてやってもいいぜ」
<終滅の日蝕>、か。
今、地上で進んでいるサージエルドナーヴェの皆既日蝕のことだろう。
「ふざけないで」
ぴしゃり、とサーシャが鋭い声を発した。
「さっさとデルゾゲードを返しなさい。痛い目を見る前にね」
「やってみろよ、ババア。でも、いいのか? オレを滅ぼしたら、一生デルゾゲードの在処はわかんねえぞ? 地上は全滅だぜ?」
一瞬、サーシャが怯む。
その瞬間、ヴェイドは魔法陣を描いた。
「ビビッてやんの。淘汰すっぞ」
風が渦を巻く。
「<淘汰暴風雷雪雨>」
暴風が纏うは雷雨と雪。
まさに嵐の如き魔法波が、淘汰せんとばかりにサーシャに襲いかかる。
「このっ……!」
<破滅の魔眼>でそれを凝視するも、しかし、<淘汰暴風雷雪雨>は消えない。
ミーシャが<創造建築>にて氷の盾を作るも、それさえも容易く貫通した。
ミーシャとサーシャは飛び退いて、その淘汰の暴嵐から身をかわす。
けたたましい音を響かせながら、この井戸の内壁が抉り取られた。
いったいどこまで削り取ったか、空けられた穴は延々と終わりがなく続いている。
「動くな、小僧」
低い声が響く。
ヴェイドの首に突きつけられているのは枯焉刀グゼラミだ。
終焉神アナヘムが、<永劫死殺闇棺>から脱出し、そこに立っていた。
「失礼。火急の事態につき、終焉神を解放した」
深化神ディルフレッドが言う。
彼は手に、螺旋を描く杖――深化考杖ボストゥムを手にしている。それを使い、<永劫死殺闇棺>を破ったのだ。
鉄壁を誇る闇の棺をこうも容易く破壊するとは、並の力ではない。
いや、力というよりも、神眼か。その<深奥の神眼>にて、<永劫死殺闇棺>の深淵を覗き、急所を見抜いたといったところだろう。
「キミさ。淘汰だかなんだか好き勝手に言ってるけどねー。適合者なんて、ボクたちは聞いたことがないのさ」
転変神笛イディードロエンドから、曲が奏でられる。
ギェテナロスも生誕神の木の根から解放されており、ヴェイドに敵意を向けていた。
「なんであれ、火露を奪う者は秩序に背く存在。神々の敵以外の何者でもありません」
生誕命盾アヴロヘリアンを携え、ウェンゼルもホロの少年に対峙した。
「オマエたち、バッカだよな」
自身を取り囲む四名の神を見て、ヴェイドは笑った。
彼の目の前に魔法陣が描かれる。
「オマエたち秩序は、適合者を生むための存在にすぎないんだぜ?」
瞬間、アナヘムの背後に闇の棺が現れる。
俺が教えた、<永劫死殺闇棺>だ。
「愚か者めが。不適合者でさえ搦め手を使ったのだ。このアナヘムに真正面から、こんな魔法が通じ――」
蓋が閉まる前ならば、<永劫死殺闇棺>を破るのは比較的容易だ。
一度閉じ込められたことで、それを見抜いた終焉神アナヘムは、その膂力と魔力にて闇の棺を粉砕をしようとした。
だが、できなかった。彼はその力を封じられたように動きを止め、瞬く間に<永劫死殺闇棺>に飲み込まれた。
「……な…………!?」
棺の蓋が閉ざされ、再びアナヘムは永劫の死の呪いを受ける。
「へへー。ってことは、さっき教えてもらった魔法だけど、もうオレの方が上手になっちゃったのか。オレって、スッゲェ!」
ヴェイドは得意満面で言う。
警戒するようにディルフレッド、ギェテナロス、ウェンゼルが身構えた。
「こういうの、青は藍より出でて藍より青しって言うんだっけ?」
小生意気な顔が、俺を振り向く。
「な、不適合者のオジサンは世界一強いんだろ? 世界一強いオジサンの魔法を、生まれたばかりのオレがもう超えちゃったってことは、オレが成長したら、どんだけスッゲェのかって話じゃんな?」
ヴェイドがすっと手を上げれば、そこに火の粉がまとわりつく。
火露の火だ。
「ま、でもなー、オレはまだ子供だからなー。不適合者のオジサンでも、成長する前の適合者にはぎり勝てっだろうし、こりゃピンチだぜ」
どこからともなく、火露の風が吹いてきて、彼を優しく包み込んだ。
その風に、火露の葉が舞っており、葉には火露の雫が乗っている。
火、雫、風、葉。
すべての火露が、ヴェイドの体に吸収されていく。
頭上からパラパラと砂が落ちてきたかと思えば、突如、天井が崩れ、崩落した。
いや、天井だけではない。
足場も、壁も、なにもかもが崩れ始めている。
「な、なにっ、急に?」
サーシャが辺りに魔眼を向ける。
「……枯焉砂漠が、崩壊してる……」
ミーシャが呟く。
「……火露を奪われて、神域を維持できない……」
ヘッヘー、とヴェイドの笑い声が響いた。
「枯焉砂漠だけじゃないぜ。樹冠天球も、大樹母海も、深層森羅もだ。必要な分の火露がようやく集まったんだ」
火の粉と風と木の葉と雫、それらに覆い隠されたヴェイドの姿が、次第にあらわになり始めた。
長い赤髪。高い上背。がっしりとした体躯。
王を彷彿させる豪奢な装束を身につけ、二〇歳相当にまで成長したヴェイドがそこにいた。
「ジャッジャーンッ! ピンチ脱出! 残念だったな、オジサン。成長しちゃったぜ! これでオジサンの唯一の勝ち目は、なくなっちまったな」
大きくなった体を確かめるようにヴェイドは指を動かし、腕を回し、それから、ウェンゼルたちを見た。
「もうオマエたち、樹理四神は用済みだぜぇ。このダ・ク・カダーテと一緒に、淘汰してやんよ」
刹那、ヴェイドに向かって小さな棘が飛来した。
「おっと」
奴はそれを二本の指先で難なくつかむ。
ディルフレッドの深淵草棘だ。
「貴君を滅ぼせば、樹理廻庭園の秩序は回復する」
深化神が言う。
「簡単な話さー。火露が奪われたんなら、取り戻せばいい」
転変神がそう続く。
「なに言ってんだ、オマエら。樹理四神の中で一番強いのはアナヘムだろ?」
人を食ったような表情でヴェイドは言う。
それに対して、生誕神ウェンゼルは穏やかに返答した。
「単体では、そうかもしれませんね」
転変神、生誕神、深化神の体から神々しい魔力が噴出する。
それを迎え撃つが如く、ヴェイドは悠然と構え、嵐の如き魔力を発した。
「来な。樹理四神と不適合者とその配下、全員まとめて淘汰してやるぜ。この適合者のヴェイド様がな」
サーシャが<破滅の魔眼>を、ミーシャが<創造の魔眼>を浮かべる。
全員の魔力が勢いよく立ち上り、井戸を満たす。
まさに一触即発であった。
「ふむ。盛り上がっているところ悪いが」
俺の言葉に、その場の魔力が一瞬揺れた。
全員がこちらに意識を傾けたのだ。
「使いっ走りを倒したところで、ダ・ク・カダーテの崩壊は免れまい。そいつの目的はただの時間稼ぎだ」
ディルフレッドたちが、俺に視線を向ける。
「誰が使いっ走りだって、オジサン?」
「使いっ走りでなければ、飼い犬か? 適合者だの不適合者だの言うが、黒幕はその枠組みを作った奴だろうに」
俺の言葉に、ヴェイドは小生意気な顔を向けるばかりだ。
「お前は火露を奪い始めた。俺がこの神々の蒼穹を訪れた頃にな。なぜもっと早く奪わなかった?」
「なぜもなにも、オレは生まれてなかったんだぜ?」
「違うな。お前は急遽、作られたのだ。俺の目を欺くためにな」
その場の空気が、思考に染まる。
素早く口を開いたのはディルフレッドだった。
「なにかを隠蔽するのが目的か?」
「ああ、そうだ。木を隠すなら森、人を隠すなら街、ではお前が隠そうとしたのはなんだ、ヴェイド?」
瞬きを二度した後、ミーシャがはっとしたように呟いた。
「消えた火露」
「そう。火露は最初から奪われていたのだ。破壊と創造の秩序は等しい。整合はとれているにもかかわらず、世界ではいつも必ず破壊の方が大きい。このダ・ク・カダーテでは、樹理四神に気がつかれることなく、少しずつ火露が盗まれていた」
恐らく、樹理四神にはそれを見抜くことができぬ。
創造神ミリティアも破壊神アベルニユーも、神族はその秩序ゆえに、気がつくことができないのだ。
「俺がダ・ク・カダーテに来れば、否が応でも気がつくだろう。それを避けるため、突然、火露を奪い始めたというわけだ」
ゆるりと指先を天へ向け、俺は言った。
「お前が隠しているのは他でもない、この世界が滅びへ向かう元凶だ」
見え始めた、世界の瑕疵――




