魔王の弟子
枯焉砂漠。
<飛行>にて浮かせた闇の棺に腰かけ、俺は砂の階段を降下していた。
辺りの外壁が、時折蜃気楼のように朧気に歪むのは、ここがホロの井戸だからだ。
今俺が座っている<永劫死殺闇棺>にアナヘムを納めた後、エレオノールと<思念通信>を行いながら、この井戸へ入った。
アナヘムから隠れるためか、ホロの子供たちは姿を消しており、ディルフレッドに<思念通信>を飛ばしたが、どういうわけか応答せぬ。
道案内がいない中、少々複雑に入り組んだ井戸の奥を目指し、俺は進んでいた。
やがて階段が終わり、目の前に白い砂地が見えてくる。
燃えていた。
外の砂漠同様、純白の炎が砂から立ち上り、淡い火の粉が無数に舞う。
その火の粉は、引き寄せられるかのように、一点に集っていた。
砂地の中央にある紺碧のオアシスへ。
水面に触れた火の粉は消える。
樹冠天球へ向かうはずの火露の火が、ここで水に変わっているということか?
きゃっきゃ、と楽しげな声が聞こえた。
オアシスの周囲にはホロの子供たちが水をかけ合って遊んでいる。
一人ぽつんと離れた位置に、深化神ディルフレッドが立ちつくしていた。
彼は<深奥の神眼>にて、紺碧のオアシスをじっと覗いている。
「なにかわかったか?」
後ろから声をかけたが、ディルフレッドはぴくりとも反応しない。
「だめだぜ。その深化神のオジサン、少し考えるって言ったっきり、全然返事をしなくなっちゃったんだ」
ボロ布を纏ったホロの少年、ヴェイドが声をかけてきた。
ふむ。思索にふけっているといったところか。
ディルフレッドの体はぴくりとも動いていないが、<深奥の神眼>には凄まじい魔力が集まっている。
思考に没頭するあまり、他のことが耳に入らぬのだろう。
「ここがホロが生まれる場所か?」
「ざっばぁぁーんっ!」
と、ヴェイドは飛び上がった。
「って、そのオアシスから、浮き上がってくるんだぞ。カッケェだろ?」
自慢げな顔で、彼は言う。
火露の火が消え、そしてホロが生まれるオアシスの深淵を、ディルフレッドは覗いている。答えが出るまで、待った方がよさそうだな。
「ところで、不適合者のオジサン。これ、なんだ?」
ヴェイドは俺が乗る棺に近づき、マジマジと見る。
「不適合者というのはどこで知った?」
「深化神のオジサンが言ってたぞ。それで、これなんなんだ?」
コンコン、とヴェイドは棺を叩いた。
「アナヘムの棺だ」
「うっぎゃあぁぁぁぁぁっ!!」
慌てふためき、ヴェイドは高速で後ずさった。
「つ、つ……連れてきたのかよっ!? オレたちホロをっ、ど、ど、どうするつもりだっ?」
「脅えずともよい。死んでいるぞ」
「へ?」
間の抜けた顔をした後、ヴェイドは恐る恐るといった風にまた近づいてくる。
「アナヘムを、殺したのか? 不適合者のオジサンが?」
「造作もない」
「だって、あいつ、滅ぼしても蘇るんだぜ? 滅ぼしたことねえけど?」
きょとんとした顔で、ヴェイドは俺を見る。
「ゆえに、この棺の中で終わりなく死に続けているのだ。死が終わらねば、滅びもない。奴の領域である終焉までは辿り着かぬというわけだ」
「マジかよ……全然意味わかんねえけど、すっげえオジサンだな、不適合者って。ちょ~カッケェっ!!」
安心したのか、ヴェイドは勢いよくこちらへ走ってきて、闇の棺をゴンゴンと叩く。
「散々脅えさせやがってっ! やーい、この死に損ないのアナヘムッ! ホロを舐めんなよっ!」
ふむ。子供らしいことだな。
しかし、アナヘムはホロの存在を知らぬと言っていたな。
「お前たちは、アナヘムに会ったことはあるか?」
「ねえよっ、そんなのっ。だって、あいつ、枯焉砂漠で生きてる奴を見つけたら、すぐに殺そうとするだろ? 会ってたら、死んじまうって」
終焉神のあの性格ならば、不思議な話でもないな。
「どうやって逃げのびていた? アナヘムを相手にしては身を隠すことすら、容易ではあるまい」
「へっへーっ! この井戸の奥まで逃げ込めば、アナヘムにはホロの集落がただの蜃気楼にしか見えなくなるんだ。ホロの知恵だぜ。スッゲェだろっ!」
ホロの知恵か。
しかし、いったい、それは誰が与えたものか?
会ったことがないにもかかわらず、アナヘムのことを知っているのもそうだ。
偶然に生まれたとはとても思えぬ。
「では、終焉神はホロの子供たちの存在に気がついていたか?」
「たぶん、知らないと思うぜっ。ちょっとおかしいって思ったことはあるかもしれないけど、オレの予想じゃ、あいつは馬鹿なんだ」
その物言いに、俺は思わず笑みをこぼす。
「それは当たっているな」
だとすれば、アナヘムがここへ向かってきたのは、枯焉砂漠に入ってきたディルフレッドを追い出そうとしたといったところか?
「なあ、不適合者のオジサン」
ゴンゴンと俺の注意を引くように、ヴェイドは棺を叩く。
「オレを弟子にしてくれよっ!」
「ほう?」
俺がヴェイドに視線を向けると、彼は続けて言った。
「この棺の作り方、教えてくれないかっ? アナヘムをぶっ飛ばせるようになったら、外も自由に歩けるし、色んなところにいけるだろ? オレは外の世界に出たいんだっ」
「外に出てどうする?」
「だって、外はスッゲェんだろ? 色んなものがあって、楽しいことが沢山あって、オレはそれを見たいんだっ。枯焉砂漠にはなんにもないからさ」
子供らしく大きな身振り手振りで、ホロの少年は俺に訴える。
「外ってどんななんだ? 不適合者のオジサンは旅をしてるんだろ? じゃ、色んなものを見てきたんだよな? 教えてくれよっ!」
矢継ぎ早にヴェイドは質問を重ねる。
「ふむ。まあ、外といっても様々だ。お前たちが生まれたのは、樹理廻庭園ダ・ク・カダーテの一つ、枯焉砂漠。樹理廻庭園には更に三つの神域があり、その外には数多無数の神域がある。そこは神々の蒼穹と呼ばれる、神族たちの国。神界の門をくぐれば、俺が生まれた魔族の国や、人間の国がある」
魔力の粒子で立体的な地図を作り、神々の蒼穹と地上を見せてやる。
「この集落はここだ」
すると、ヴェイドはキラキラと瞳を輝かせ、地図にかぶりついた。
「スッゲェッ! 世界ってこんなにでかいのかっ! スッゲェッ!」
嬉々として地図を見つめた後、ヴェイドはばっと振り返る。
「なあ、不適合者のオッサン。弟子にしてくれよ。それで、オレも外の世界に連れていってくれっ!」
「では、一つ教えてやろう」
俺はゆっくりと魔法陣を描く。
魔力の粒子が集い、そこに闇の棺、<永劫死殺闇棺>が現れた。
「真似してみせよ。俺の弟子になりたいのならな」
すると、ヴェイドは見よう見まねで魔力を操った。
なかなか筋が良い。呼吸をするように魔力の制御ができていた。
俺が作ったものとまったく同じ魔法陣が描かれていき、魔力の粒子が集い始める。
そうして、そこに<永劫死殺闇棺>が現れていた。
「ほう」
「どうだっ!? できただろっ! 長老だからな、オレはっ! すごいんだぞっ!」
ただの人間ではないと思っていたが、一度見せただけで<永劫死殺闇棺>を完全に模倣するとはな。
ますます不可解だな。
誰が、なんのために、ホロを生んだ?
彼らがダ・ク・カダーテにいることで、なにが起きる?
「なあっ! なんとか言ってくれよ、不適合者のオジサンッ! だめなのか?」
「なに、大した才能だと感心していた」
すると、ヴェイドは得意気な顔になった。
「じゃ、弟子にしてくれるよな?」
「考えておくが、少々、野暮用があってな。お前を弟子にするとしても、それが終わった後だ」
「いつ終わるんだっ? 一時間後かっ?」
浮かんだ<永劫死殺闇棺>の上に飛び乗り、ヴェイドは言う。
「くはは。そう急くな。まずはディルフレッドが思考の深淵から戻ってこぬことにはな」
すると、生真面目な声が飛んできた。
「アナヘムを打倒したか、不適合者」
視線をやれば、ディルフレッドが首だけをこちらへ向けていた。
「終焉の神に、終わりなき死を強制するとは。神であるこの身が、恐怖を既知のものにするかのようだ」
「真顔で言われても、怖気づいたようには見えぬぞ、ディルフレッド」
闇の棺を飛ばして、俺は深化神に近づいていく。
「それで? 深淵は見えたのか?」
ディルフレッドは再びオアシスを向いた。
「この水が、火が消えた後に残った火露を集合させ、命に変換している。ホロの子供たちは少しずつ増殖を続けているようだ。この枯焉砂漠にて、循環すべき火露が盗まれているのは明白だ」
「誰の仕業だ?」
「枯焉砂漠に構築されたものならば、第一に疑惑の対象となるのは終焉神アナヘムに他ならない」
「なるほど」
俺は<飛行>にて浮かび上がり、闇の棺から下りる。
「下がっていろ、ヴェイド」
「わっ、わっ」
直立していく<永劫死殺闇棺>から、慌ててヴェイドが飛び降りた。
棺を立て、砂地に突き刺す。
「死に続ける終焉神は、走馬燈のように<羈束首輪夢現>の悪夢を見ている。その夢をこちらへつなげ、直接話すとしよう」
<永劫死殺闇棺>に魔力を送れば、小窓が開く。
あらわになったアナヘムの顔が、次の瞬間目を開いた。
「……つまらん悪夢だ……」
アナヘムが、ヴェイドやホロの子供たちを見て口走った。
「枯焉砂漠に、このアナヘムの与り知らぬ命が存在するわけもなし」
「あいにくとこれは現実だぞ、終焉神。少々お前に聞きたいことがあってな。一時的に夢に現実を再現している」
俺の言葉に、アナヘムが眉根を寄せる。
「アナヘム。枯焉砂漠の主である貴君が、秩序に逆らい、ホロの子たちを生誕させた。この状況はそう推考される事柄だ」
深淵を覗き込むような神眼を向け、深化神ディルフレッドが言う。
「なぜ樹理四神でありながら、秩序を乱したか?」
「このアナヘムに濡れ衣を着せるか、痴れ者め」
ガタガタと<永劫死殺闇棺>が音を立てて振動した。
「枯焉砂漠の命など、ここから這い出て、残らず屠ってくれるわ」
ギシギシと闇の棺が悲鳴を上げるように軋んでいる。
今この瞬間も死に続けているというに、さすがは終焉の神といったところか。
「さて。どこまで本当か確かめるとするか」
バタンッと棺の小窓を閉め、アナヘムを黙らせる。
そうして、<羈束首輪夢現>を制御し、新たな夢を見せた。
「……ふむ。なるほど。奴が望む夢の続きを見せてやったが、棺から出た後、ホロの子供とこの井戸を滅ぼしているな」
ディルフレッドは両手を組み、思索にふける。
「この神域を司るのはアナヘムだが、あの猪突猛進な男がここまでの芝居をし、俺たちを謀っているというのも少々腑に落ちぬ」
「然り。貴君の意見には、一考の価値がある」
「ホロの子供たちがこの井戸の奥へ身を隠せば、アナヘムに悟られぬことができた。つまり、この場には終焉神の神眼が及ばぬ仕掛けがある」
「然り」
ディルフレッドが首肯する。
「転変は終焉を凌駕する。転変神ギェテナロスならば、可能な事柄だ」
馬鹿のため、容疑者から外れたアナヘム……。