日蝕
「アノスくーん、あとサーシャちゃーんっ! これ見えるかな? なんだか、ものすっごく大変そうなことになってるぞっ!」
エレオノールが<魔王軍>の魔法線を通じて俺たちに呼びかける。
サーシャにも状況がわかるように、魔法陣の映像を送っておいた。
『……嘘……』
すぐ<思念通信>にて、サーシャの声が聞こえてくる。
『さて、エンネスオーネの魔眼を通している上、神の扉の向こう側では判然とせぬが、贋物の可能性は?』
そう問うと、息を飲む音がこぼれた。
『……残念だけど、間違いないわ。あれはわたしの、破壊神アベルニユーの権能、<破滅の太陽>サージエルドナーヴェよ……』
地上の空に<破滅の太陽>を浮かべる。
デルゾゲードを奪った者の仕業だろうが、その目的は明白だ。
元よりあれに、破壊する以外の秩序など備わっていない。
俺たちが見つめる中、次第にその太陽の影が濃くなっていき、空を禍々しく彩り始める。
『……完全顕現するわ……』
サーシャが言った直後だった。
巨大な球状の影が反転し、そこに闇色の日輪が姿を現す。
だが、すぐにその滅びの光が放たれることはなく、日輪の一部、右側が僅かに欠けた。
『<創造の月>』
<思念通信>にて、ミーシャが言った。
『月が太陽と重なった』
『ほう。つまり、<破滅の太陽>と<創造の月>が日蝕を起こしているということか?』
『たぶん』
『……それって、なにが起きるの?』
サーシャが問う。
『今持っている記憶にない……。だけど、アーティエルトノアの皆既月蝕は、世界を新しく創り直すためのもの……』
ミーシャの言わんとすることはよくわかる。
創造神と破壊神、その二つの権能を重ね合わせたとき、アーティエルトノアの力が解き放たれる。
それはサージエルドナーヴェにおいても同じことだろう。
『ふむ。では、サージエルドナーヴェの皆既日蝕は、その真逆の力といったところか』
『そんなの……』
サーシャが不安そうな声をこぼす。
<破滅の太陽>は、破壊の秩序。この世界を創った創造神の逆さの力だ。その最たる権能が、この世界を完全に終わらせるものであったとしても不思議はあるまい。
『どうやらこれが、デルゾゲードとエーベラストアンゼッタを奪った者の狙いらしいな』
しかし、地上を焼くにしても過ぎた力だ。
魔族や人間を滅ぼすだけならば、従来の<破滅の太陽>で十分だろう。
ならば、これは俺を追い詰めるための手段か?
それとも、神族たちの口にしていた、これまで俺が押さえ込んできた破壊の秩序が、世界を滅ぼすほどに蓄積されているということか?
『軍神ペルペドロは地上に戦火をもたらすと言ったが、なかなかどうして、思った以上に大それたことをしてくれる』
「ガイラディーテの空ってことは、目標はアゼシオンなのかなっ?」
エレオノールが焦ったように言う。
彼女の故郷だ。そうそう冷静ではいられまい。
「地上に……戻りますか……?」
ゼシアが心配そうに言った。
『<創造の月>と<破滅の太陽>はあそこにあるようだが、それを御するデルゾゲードとエーベラストアンゼッタまで、地上に戻ったとは限らぬ』
『地上には隠せないから』
ミーシャが言う。
あれだけの魔力を持った城だ。
地上においておけば、否が応でも見つけられるだろう。
そんなマヌケな真似は恐らくするまい。
『月と太陽を落としたとて、破壊神と創造神を押さえなければ、何度でも同じことが起きるだろう。慌てて地上へ赴けば、これを企んだ者の思うつぼだ』
そいつは神界の門を閉ざし、神々の蒼穹への道を断つだろう。
ますます<破滅の太陽>に手を出せなくなる。
「でも、サージエルドナーヴェの皆既日蝕が起きちゃったら、アゼシオンは焼かれちゃうぞっ?」
『それまでに決着をつけるのが一番だな』
アゼシオンだけが標的とも思えぬ。
あの空からでも、ディルヘイドを撃つことはできるだろう。
あるいは、照準などお構いなしに、<極獄界滅灰燼魔砲>さながら、なにもかもを終わらせる力やもしれぬ。
神族がそこまで世界を傷つけるとは思えぬが、淘汰神は神さえ殺している。秩序を守らぬ神が相手だとすれば、なにをしでかすかわかったものではない。
『俺は戻るわけにはいかぬ。だが、地上にいる配下に事態を伝えておいた方がいいだろう。神の軍勢には警戒しているだろうが、<破滅の太陽>の皆既日蝕は理解が及ばぬはずだ』
「じゃ、今度は神界の門を探せばいいのかな? この神の扉は、神族しか通れないみたいだし」
エレオノールがピッと人差し指を立てる。
ここから、地上へ<思念通信>が届かぬ以上、誰かが戻るしか手立てはない。
だが――
『神界の門はあちらの制御下にある。ここへ来たとき同様、地上へ戻った瞬間に閉め出されては、再び分断されよう。まずは地上との連絡路を築く。そうしなければ、アゼシオンやディルヘイドを守りきれる保証はない』
このサージエルドナーヴェの日蝕さえ布石で、次の手がないとも限らぬ。
「……んー、じゃ、どうすればいいんだ?」
『そこにある神の扉を使え』
『でも、神の扉は一方通行だし、神族以外は通れないんじゃなかったかしら?』
サーシャがそう疑問を浮かべる。
『そうだ。だからこそ、あちらも俺に利用されることを考えていない。エンネスオーネには地上の様子が見えているのだろう?』
俺の問いに、頭の翼をピンと立てて、エンネスオーネが答えた。
「うんっ。見えるよ。でも、ぜんぶじゃないの」
『魔法秩序であるエンネスオーネは、神族と似た存在だ。奴らはエンネスオーネを想定していなかったため、神の扉は彼女を完全に阻むことができぬのだろう』
「んー、じゃ、一方通行はどうするんだ? こっちから向こうに行けても、戻って来られなかったら連絡できないぞ。<思念通信>も返ってこないんじゃないかな?」
エレオノールが言う。
『お前を経由すればよい。お前たち母子をつなぐ魔法線は、魔法秩序とそれを用いて発動する魔法術式を結ぶもの。つまり、秩序のつながりだ。神の扉をくぐろうとも、機能するだろう』
「えーと、へその緒をつないだまま、エンネちゃんだけ地上へ降ろせばいいってことかな?」
『そういうことだ。地上にいるエンネスオーネと、神界にいるお前は魔法線を通して<思念通信>で交信できる。地上と神界を結ぶ連絡路となるわけだ』
理解したように、エレオノールはうんうんとうなずいている。
「エンネ……一人で、大丈夫ですか……?」
心配そうにゼシアが言う。
「あっちは、神の軍勢が……います……」
「大丈夫だよっ。戦わなくても、連絡できればいいんだから。それにねっ、アゼシオンは、ゼシアお姉ちゃんやエレオノールの故郷でしょ。それにそれに、ミリティアや、魔王アノスの……みんなの故郷も守らなきゃ。エンネスオーネは平和のために生まれたんだから」
すると、ゼシアはエンネスオーネの両手をぎゅっと握る。
「ゼシアの……応援パワーを……送ります……えいっえいっ、おーえん……ですっ……!」
「ありがとう。エンネスオーネは無敵だよ」
嬉しそうに、エンネスオーネは笑う。
「じゃ、とりあえず、この扉に神族が手出しできないようにするぞ」
エレオノールが手を上げると、後ろに控えていた<疑似紀律人形>が動き出し、神の扉を囲む。
「<四属結界封>」
<疑似紀律人形>たちは、それぞれ四方に、水、火、土、風の大きな魔法陣を構築し、神の扉を結界で覆った。
「行ってくる」
「無理はしないんだぞ」
こくりとうなずき、エンネスオーネは四枚の翼を広げる。
飛び上がり、彼女は神の扉に入っていった。
その先は、次元が不安定な異界となっており、バチバチと魔力の粒子が荒れ狂っている。
神族に似ているとはいえ、エンネスオーネは正確には神族ではない。想定外の異物が侵入してきたことにより、神の扉の秩序に異変が生じ、魔力が暴れ出したのだ。
エンネスオーネが苦痛に表情を歪める。彼女のへそからつながった魔法線が、荒れ狂う魔力場に削られ、みるみる細くなっていく。
「……けっこう……しんどいぞ……」
エレオノールは片手をそっと下腹部に当てる。
そうして、<疑似紀律人形>に入れてある一〇万の疑似根源を<聖域>にて魔力に変換し、エンネスオーネにつながる魔法線を補強した。
激しく暴れる魔力場にも、どうにか耐えることができそうだ。
しかし、これだけの魔力を行使すれば、エレオノールの根源は疲弊する。連絡路を築けても、長くはもつまい。
「……見えてきたよ……アゼシオン、かな……?」
エンネスオーネの視界に魔眼を移せば、荒れ狂う魔力場の隙間に、ところどころ地上の風景が映っていた。
「呼びかけてみて、エンネちゃん。<魔王軍>が使える人と魔法線がつなげれば、ボクの声も届くはず」
エレオノールが言う。
地上と神界の隔たりは思った以上に大きい。エンネスオーネを経由しても、エレオノールの声を直接地上へ飛ばすことは難しいようだ。
エンネスオーネに呼びかけてもらうしかない。
『誰か』
エンネスオーネが無差別に<思念通信>を飛ばす。
『暴虐の魔王を知っている誰か。魔王アノスを知っている誰か。お願い。応えて。地上に危機が迫っているの』
魔力場を通り過ぎ、視界が開けた。
エンネスオーネの体が衝撃を覚え、がくんと揺れた。
神の扉を抜け、彼女は大地に倒れていた。
すぐに聞こえてきたのは、剣戟の音だ。
それから、爆音が渦巻いている。
素早くエンネスオーネが顔を上げれば、辺りは戦場だ。
人間の兵士と神の軍勢が戦っていた。
無論、この時代の人間の兵が神に太刀打できるはずもなく、彼らは後退を余儀なくされている。
エンネスオーネが到着したのは、神の軍勢側の陣地だった。
ザッと足音が響く。
彼女が背後を振り向けば、剣兵神が神剣を振り上げていた。
「あ……!」
容赦なく、神剣を振り下ろされた。
咄嗟のことでエンネスオーネは動くことができない。
首を斬り裂こうという剣が、しかし寸前で空を切った。
遠くから走ってきた人影が、エンネスオーネを抱き抱え、庇ったのだ。
剣兵神が一歩詰め寄り、その少女を睨む。
「「「なんちゃってベブズドォォォォッ!!」」」
「……ゴホォ……」
後ろから、剣兵神は七つの穴を穿たれる。
粘つく黒き光を纏った棒が、神を容易く貫いたのだ。
「どうしたの、エレン、こんな遠くまで飛んできてっ」
「本隊と離れすぎたら、やられちゃうよっ」
「それにエミリア先生が撤退だって言ってたよ。今の戦力じゃ全然歯が立たないって。早く逃げなきゃっ」
その場に現れたのは、漆黒のローブを纏った魔王学院の少女たち。
アノス・ファンユニオンこと、魔王聖歌隊のメンバーだった。
「ちょっと待って。今、この子、アノス様って言った気がしたのっ!」
エンネスオーネを抱き抱えながら、エレンが真面目な顔で言った。
聖歌隊だけあって耳が良い……