地上へ迫る影
エレオノールは聖水球の中の神々に視線を向ける。
「とりあえず、動き出す前にぜんぶ滅ぼしちゃおっか」
ゼシアとエンネスオーネが大きくうなずいた。
「了解……です……」
「エンネスオーネもがんばるよっ!」
神の軍勢が地上へ降りれば、厄介なことになるやもしれぬ。
俺の配下たちが相手ならばいざ知らず、戦う術を持たぬ人々が襲われては被害は甚大なものとなる。
今、ここで滅ぼしておくのが得策だ。
「我ら神の軍勢を滅ぼすことは叶わず」
オーロラの神殿に、低い声が木霊する。
エレオノールが振り向き、一つの聖水球に魔眼を向けた。
中に入っているのは、赤銅色の全身鎧を纏った神である。
フルフェイスの兜から、光った視線が彼女たちを射抜く。
地上で滅びたはずの軍神ペルペドロだ。
「戦火は摂理。地上を焼き尽くすまで、我らは無限に産み落とされる。滅べども全滅はなく、ゆえに無敗を常とする」
ペルペドロの周囲の聖水球から、水が勢いよく溢れ出す。
オーロラの床に足をついた軍神は、手をかざす。そこに光が集い始めた。
「天父神が生み損なった、失敗作の貴様らとは似て非なる存在なり」
エレオノールははっとして、周囲を見つめた。
火露の力を注ぎ込まれ、聖水球にて生まれ落ちる神の軍勢。種類はいくつかあれど、奴らはほぼ同じ個体だ。
より正確に言えば、ひどく似通った別物である。
「……そっか。君たち神の軍勢は、ゼシアと同じ、根源クローンなんだ……」
悲しげに、エレオノールは言う。
「是である。かつて貴様が維持し損なった秩序を、我々が担うのだ。魔族を滅ぼし、人間を滅ぼし、竜人を滅ぼして、世界に戦火の花を咲かせよう」
赤銅の輝きを放つ神剣が、軍神ペルペドロに手に握られる。
「さあ目覚めよ、無敗の軍勢。開けよ、神の扉。進軍のときは来たり!」
ゆっくりとペルペドロは神剣を振り下ろす。
赤銅の光が、オーロラの神殿全体に魔法陣を描き、そして、次々と聖水球が割れ始めた。
一万を超える神の軍勢がみるみる目覚めていき、神殿奥の神の扉がゆっくりと開かれていく。その先は、地上のいずこかへつながっているのだろう。
「させないぞっ!」
エレオノールが<聖域熾光砲>を神の軍勢へ向けて発射する。
しかし、光の砲弾が奴らの結界に侵入した途端、悉く石へと変わった。術兵神ドルゾォークの魔法である。
「<複製魔法鏡>……ですっ……!」
ゼシアが駈け、<複製魔法鏡>にてエンハーレを無数に増やす。
合計一〇〇〇本の刃にて、彼女は神の軍勢に斬りかかった。
一気に蹴散らしたかに思えたが、しかし、倒せたのは一体のみだ。
彼女たちはすでに、万の兵に包囲されている。
そして、その兵たちがとった陣形が、赤銅色に輝く魔法陣を構築していた。
<攻囲秩序法陣>。
軍神ペルペドロの秩序であるその陣形魔法陣は、兵法をより強化する。
多数をもって、少数を制す。
その秩序の前には、個の力は限りなく限定的となる。
「所詮、半端な人間である紀律人形とは違い、我々は秩序そのもの。上位存在である神の軍勢に、人形と壊れた魔法秩序如きが敵う道理はない。これこそ、戦の秩序なり」
ザッと軍靴の音を鳴らし、剣兵神ガルムグンド、槍兵神シュネルデが前へ出た。
ゼシアが大きく後退し、エレオノールと背中を合わせる。
彼女たちは完全に包囲されていた。
「慈悲を期待するな。貴様たち失敗作と違い、神である我々に心はない。ただ忠実に秩序を実行するのみ」
軍神ペルペドロは命令を発す。
「放て」
弓兵神アミシュウスが巨大な神弓から矢を放つ。
エレオノールが構築した<四属結界封>に、それは突き刺さり、次々と穴を穿つ。<攻囲秩序法陣>の影響下では、その結界も十分な力を発揮できず、あっという間に突破された。
容赦なく、武器を構えた兵たちが前進する。
ゼシアが光の聖剣にて、剣兵神を弾き飛ばすと、後ろから槍兵神が槍を突き出した。
「ゼシアッ!!」
エレオノールが身を盾にして、六本の槍に腹部を貫かれる。
赤い血がどくどくと流れ落ちていく。
槍兵神たちは、一糸乱れぬ動きで、槍を立てる。
エレオノールは体を串刺しにされたまま担ぎ上げられた。
「次は貴様だ。できそこないの紀律人形」
剣兵神の小隊がその神剣にて斬りかかり、エンハーレを封じた隙に、槍兵神がゼシアの体めがけ、神槍を突き出した。
甲高い音が鳴り響く。
その槍は、目映い光に受け止められていた。
「ゼシアは、ボクの自慢の子だぞ。勝手にできそこない扱いしたら、許さないから」
エレオノールの周囲に魔法文字が漂い、聖水が溢れ出している。
槍を受け止めたのは、<根源母胎>で作った疑似根源の魔法障壁。
多数が力を持つ<攻囲秩序法陣>。
神の軍勢は根源クローン、その兵は一人と数えられる。
ならば、疑似根源は三分の一として計算されるはずとエレオノールは考えた。
その予想は的中した。
「いくよっ、エンネちゃんっ!」
「うんっ」
翼を広げ、エンネスオーネは飛んでいた。
エレオノールは疑似根源にて神槍を封じ、体から抜く。
そうして、彼女の下腹部とエンネスオーネのへそから魔法線が互いに伸び、静かに結ばれた。
「集中砲火。放て」
ペルペドロの号令とともに、術兵神ドルゾォークから<獄炎殲滅砲>が一斉に放たれ、弓兵神アミシュウスが神の矢を放つ。
漆黒の太陽と光の矢は、エレオノールとエンネスオーネめがけ、怒濤の如く押し寄せた。
同時に剣兵神と槍兵神が、ゼシアに襲いかかる。
「<根源母胎>、<四属結界封>」
疑似根源の魔法障壁と<四属結界封>を同時に張り巡らし、エレオノールは、自身とゼシア、エンネスオーネを守護する。
そして、全身から光り輝く魔力を放った。
「<根源降誕母胎>」
エレオノールの声を合図にエンネスオーネが手を広げれば、そこに魔法陣が描かれ、中心から一〇〇二二羽のコウノトリが神殿の天井へ飛び上がった。
エレオノールからエンネスオーネへ魔法線を通して魔力が送られる。エンネスオーネの体が輝き、背中の翼がぐんと伸びる。それは背丈の一〇倍ほどにまで達した。
彼女が一〇〇二三羽目のコウノトリ。
この世界の秩序では、存在しないはずの魔王の魔法。
すなわち、<根源母胎>で生める疑似根源の上限が解放された証明だ。
「いっくぞぉぉっ――!」
エレオノールが魔力を送れば、エンネスオーネが背中の翼をはためかせる。
ひらひらと舞い落ちるコウノトリの羽は、淡く光を放つ疑似根源。
その心を<聖域>にて魔力に変換し、エレオノールは再びエンネスオーネに魔力を送る。
送られた魔力は、疑似根源の羽に変わり、心を生み出す。
繰り返し、繰り返し、エレオノールの魔力が際限なく膨れあがる。
「<聖体錬成>」
エレオノールの周囲に漂う魔法文字が、翼を広げるように室内全体を覆っていく。
そこから、聖水が溢れ出し、球状に象られた。
千の聖水球だ。
かつてゼシアを生んだ魔法の一つ、根源クローンの体を構築するためのものである。
その中へ次々とコウノトリの羽が舞い降り、入っていく。
すると、聖水球は人型を象り始めた。
ゼシアによく似た、彼女より少し髪の長い少女たちだ。
左右の髪がアシンメトリーになっている。
「これが、ボクたちのとっておき、<疑似紀律人形>だぞっ。今、考えたんだけどっ!」
生まれたのは、聖水の魔法人形、一〇〇〇体の<疑似紀律人形>。
一つの聖水球に対し、疑似根源一〇〇を使い、簡単な命令に従う命なき人形を作ったのである。
一〇万の疑似根源を<聖域>にて魔力に変換し、初めてできたことだが、秩序を超えた力を引き出すエレオノールの体には、大きな負担がかかっているだろう。
長時間の戦闘には耐えられまい。
「全軍進め。神の兵法は不敗なり」
軍神ペルペドロの命令で、神の軍勢は一斉になだれ込んできた。
術兵神の魔法砲撃により、爆炎が舞い、視界が乱れる。
「こっちも突撃だぞ。蹴散らしちゃえ、<疑似紀律人形>ッ!!」
完璧に秩序だった陣形を敷く神の軍勢に対し、エレオノールの<疑似紀律人形>は、無秩序にそれぞれ攻撃を仕掛け、一気に混戦状態に陥った。
聖水の剣が神剣を払いのけ、いとも容易く神を斬り裂く。
<疑似紀律人形>に命はないが、一〇〇の疑似根源を持つ。それは、根源三三個分に匹敵する。
神の軍勢は魔法人形の無秩序な突撃に、次々と斬り伏せられ、防戦一方だった。
「……馬鹿な……! 上位の存在である我々が……偽物の紀律人形如きに……!」
「アノス君の代わりに、新しい兵法を教えてあげよっか?」
<疑似紀律人形>を突撃させながら、エレオノールは人差し指をピッと立てる。
「悪い子より、良い子が勝つんだぞっ」
「……つまり……ゼシアとエンネは……無敗の勇者です……!」
<疑似紀律人形>に混ざって、ゼシアも一緒に突撃する。
「ジーナたち……レーナたち……お姉さんに続く……です……!」
多数が少数を制す秩序を持った軍神ペルペドロには、まさに<疑似紀律人形>は天敵である。
彼女たちは一〇〇〇体で、神の軍勢の三倍以上の戦力を持つのだから。
「迎え撃てっ! 人形一体を三三名と計上し、包囲せよ。我々は神の軍勢、不敗の兵法を見せるときっ!」
一糸乱れぬ統率で、完璧なまでの陣形を敷き、<疑似紀律人形>に極力多数で挑む神の軍勢。
しかし、一体につき常に三四名以上で攻撃するのは、さすがに難しい。
無秩序に攻撃をしかける<疑似紀律人形>にバッタバッタと薙ぎ倒され、神の兵たちは瞬く間に沈黙していった。
一〇分が経過し、ほぼ大勢が決した頃――
「エレオノール。神の軍勢の数が減ってる。どこかに隠れてるかも?」
「……ペルペドロが……いません……」
エンネスオーネとゼシアが言う。
兵の半数近くを蹴散らし、魔法砲撃による爆炎も収まると、前線で神の軍勢を指揮していたはずのペルペドロが、姿を消していた。
「陽動である」
神殿の奥から、声が響いた。
「すでに我々は地上への進軍を開始した」
再び姿を現したペルペドロは、神の扉の前に立っていた。
神の軍勢たちは、<疑似紀律人形>に敵わぬと見るや、その注意を引きつけながら、別動隊が神の扉をくぐり抜けていたのだ。
「……どうりで、ちょっと簡単だと思ったぞ……」
<疑似紀律人形>たちが残った軍勢たちを斬り裂いた。
崩れ落ちる神々の兵。
この場で動ける神は、最早、軍神ペルペドロしか残されていない。
「神の扉は、神族しか通れぬ。貴様たちが、地上へ危機を伝える手段はない」
「軍神のくせに、逃げるなんて格好悪いぞ」
「神の軍勢に撤退はない。進軍なり! 貴様は戦に負けたのだ」
エレオノールが<聖域熾光砲>を放つも、それより早くペルペドロは神の扉に入っていく。
「いかに抗おうと、秩序の前には無駄なこと。貴様たちは、帰る場所を失うのだ」
そう言い残し、軍神の姿が消える。
エレオノールたちは、すぐに神殿の奥にあった巨大な神の扉へ駆けよった。
「……真っ白で……見えません……」
「……んー、ペルペドロが言ってたけど、神族じゃないとだめってことかな……困ったぞ……」
ゼシアとエレオノールが言う。
すると、エンネスオーネが前に出て、頭の翼をひょこひょこと動かした。
「エンネスオーネは、見えるよ?」
「ほんとに、エンネちゃんっ? なにが見える? あいつらが、どこへ行ったかわかるかな?」
魔眼を凝らすようにしながら、エンネスオーネは神の扉の奥を覗く。
「魔法線に送るの」
「……ゼシアも……見たいです……」
エレオノールはエンネスオーネから送られてくる視界を、そのまま魔法陣に映像として映し、ゼシアに見せる。
地上の光景だ。夜なのか、辺りは暗い。
映っている風景はアゼシオンのものだ。ガイラディーテの街並みが見える。
街の人々が驚いたように空を見上げていた。
次第に、昼と夜が反転するかのように世界が明るさを取り戻していく。
「これって、もしかして……!?」
エレオノールがはっとしたように息を飲む。
「エンネちゃん、空は見える……?」
魔法陣に空が映った。
禍々しくそこを彩るのは、太陽の影。
黒き粒子を放つそれは破壊神アベルニユーの権能、<破滅の太陽>サージエルドナーヴェであった。
魔王不在の地上に、<破滅の太陽>が昇る――