火露の行方
「んー?」
大樹母海。
海にそびえ立つ巨大な樹の穴にて、ふとエレオノールは顔を上げた。
立ち上がり、彼女は上空に目を懲らす。
「なんか、空が暗くなってきてなあい?」
転変神ギェテナロスの権能により樹冠天球に夜が訪れたからか、隣接する大樹母海の空が薄暗くなっていた。
『エレオノール』
俺の<思念通信>に、彼女は耳を傾ける仕草をした。
『つい今しがた、転変神ギェテナロスが発した言葉によれば、大樹母海にて火露が盗まれているとのことだ』
エレオノールは不思議そうに首をかしげ、人差し指を立てた。
「でも、ここはウェンゼルの神域だぞ? 生誕神はミーシャちゃんの昔からの友達なんじゃなかった?」
『さて、事情があるのやもしれぬ。ウェンゼルが大樹母海を長らく留守にしていたこともある。いかに彼女の神域とて、不在の間ならば、他の神族がそこで権能を使うことも不可能ではあるまい』
「あー、そっかそっか。ウェンゼルがいない間に、誰かが悪いことをしたんだ」
「……悪戯は……いけません……!」
ゼシアが立ち上がり、<思念通信>に入ってくる。
『なにもなければ、それでよい。だが、探らぬわけにはいくまい』
「了解だぞ」
「どこを探せばいいの?」
エンネスオーネが頭の翼をひょこひょこと動かす。
『ギェテナロスは風がおかしいと口にした。まずは空を探れ。水に変わる前の火露の風に、ヒントがあるやもしれぬ』
「わかり……ました……!」
ゼシアは元気よく返事をして、エンネスオーネと手をつなぐ。それを頭上に何度か突き上げるようにして言った。
「えいっえいっ……おさがし……ですっ……!」
ぴょんっと二人は大樹の穴から飛び出して、<飛行>にて上昇していく。
「こらっ、あんまり勝手に先行っちゃだめだぞ。またターバンの神様みたいな、すっごいのが出てきたら、大変だし」
「今度は……返り討ち……です……! ゼシアたちの本気を……見せます……!」
勢い勇んでゼシアが言うと、エレオノールは困ったように苦笑する。
「えーと、普通に本気だったぞ……。ほら、ゼシアはまだ成長期だし、ボクは元々、戦闘向きじゃないから。エンネちゃんも」
「でも、エレオノール。エンネスオーネは思ったよ?」
ピッと頭の翼を伸ばしながら、彼女は言う。
「<根源降誕>の魔法をもっとうまく使えば、ゼシアお姉ちゃんとエレオノールの力になるはずだって」
「んー……どういうことだ? <根源降誕>は、新しい命を生む魔法じゃなあい?」
エレオノールが不思議そうに尋ねる。
「うん。秩序に囚われない新しい命を生むの。このダ・ク・カダーテが示すように、火露の流量は決まっていて、世界の命の上限は決まっている。だから、<根源母胎>で生める疑似根源の上限も決まっている」
ゼシアが難しい顔をしながら、こくこくとうなずいている。
「だけど、<根源降誕>はそれに囚われない。世界の命の上限を、無視できるはずなんだよ?」
「あー、そっかそっか。それじゃ、<根源母胎>でもっと沢山――」
エレオノールはそこで言葉を切り、再び疑問が生じたように、視線だけを上にやった。
「……んー? それって、なにかおかしくなあい?」
<根源母胎>の魔法で疑似根源を作り出し、心を魔力に変換する。生まれた魔力でまた<根源母胎>を使い、疑似根源を作る。
それを繰り返して、エレオノールは<聖域>にて集められる魔力を最大まで高めているが、生産できる疑似根源には上限があった。
だが、もしも、その上限が取り外せるのだとしたら――
「<聖域>と<根源母胎>で魔力を無限に生めちゃわないかな……?」
「たぶん、そのはずだと思うのっ。だって、エンネスオーネは魔王の魔法秩序だからっ」
すると、なぜかゼシアが得意気に胸を張った。
「魔王の魔力は、暴虐のぼです。暴虐のぼは、無限のぼです」
「ゼシアー、無限にぼはないぞっ」
軽く突っ込み、エレオノールは指先をピッと立てる。
「でも、それなら、アノス君に任せないで、あのターバンをぶっ飛ばしてやればよかったぞ」
『ふむ。あまり不用意には使わぬことだ』
俺の言葉に、エレオノールが首を捻った。
「どうしてだ?」
『力が強大になればなるほど、制御は困難となる。無限の魔力を生めたとして、そんなものに耐えられる器はない。俺の力をお前が制御すると考えてみろ』
「……あー……滅びるぞ……」
『手が届く範囲にしておけ。せいぜい疑似根源一〇万が限度といったところか。命がけで守りたいものがあれば、別だがな』
「くすくすっ、命なんて懸けないぞ。ボクには魔王様がついてるしっ」
エレオノールたちの前に大きな雲が迫る。
それを突き破り、彼女たちは大樹母海の遙か上空にまで到達した。
「んー? どこか怪しいところはあるかな?」
三人はじっとその空に魔眼を凝らす。
「あそこっ」
エンネスオーネが更に上空へ上り、指をさす。
「光って見えるよ」
そこは大樹母海の空と樹冠天球の空が交わる場所。
樹冠天球に夜が訪れたことで、境界である空の一部に微かな輝きが見えていた。
「……オーロラ……です……!」
ゼシアが言う。
「風がオーロラに変わってるのかな……?」
エレオノールがそのオーロラに魔眼を凝らす。
しかし、さすがにその距離ではわからなかった。
「行ってみよう」
三人は微かに輝くオーロラを目印に飛んでいく。
そこに近づけば近づくほど、<飛行>が不安定になり、今にも落下しそうになる。
樹冠天球が近づいているためだろう。
もう少しでオーロラに手が届くが、それ以上は上がれなかった。
「……近づけ……ません……」
「どうしよっか? 下の木からなーがいハシゴを伸ばすとかどーだ?」
遙か海面を振り返ったエレオノールの黒髪がふわりと浮き上がる。
「あ……!」
と、エンネスオーネが声を上げる。
「風が来てるのっ」
「……音もしないのに……どこからだ……?」
彼女は風の強い場所を探し、辺りを飛び回った。すると、ふいにその長い髪がバサバサと持ち上がる。
強い上昇気流だ。
「わーお、すっごいぞっ」
「エンネスオーネにつかまって」
エレオノールとゼシアは、言われた通りエンネスオーネの手を取った。
少女の背中の翼が大きく広がる。
それは、上昇する風を受け止め、一気に飛んだ。
<飛行>の使えない空域を超えて、みるみる光が近づいてくる。
次の瞬間、ぱっと目の前の景色が変わった。
先程までは微かな輝きにすぎなかったが、中に入った途端、その光彩が鮮明になっていた。
そこは、まるでオーロラで作られた神殿の内部である。
「足がつくよ」
エンネスオーネが、オーロラの床をとことこと歩く。
ゼシアがぴょんぴょんと跳ねるが、足場はびくともしなかった。
「えいえいおさがし……成功です……!」
ゼシアとエンネスオーネは両手をつなぎ、二人で飛び跳ねるように踊っている。
「こら、気が早いぞ。まだなにがあるかわからないんだし」
言いながら、エレオノールは先頭に立って、前へ進む。
曲がり角を抜けると、すぐに開けた場所に辿り着いた。
部屋というには大きすぎる広大なオーロラの空間。
そこにあったものを見て、エレオノールは思わず、あっと声を上げた。
「……これ……!?」
空間には所狭しとばかりに、聖水球が無数に浮かんでいた。
中に入っているのは、剣兵神ガルムグンド。槍兵神シュネルデ。弓兵神アミシュウス。術兵神ドルゾォーク。
「……神の軍勢だぞっ……!」
軍神ペルペドロが率いた神の兵士だ。
注意深く、エレオノールは神殿と聖水球の深淵を覗く。
すると、その場に火露の風が流れてきて、聖水球に入っていくのがわかった。
火露を糧にし、中で次々と生まれているその神々の兵は、ざっと見て、すでに一万はくだらぬ。なおも、増え続けているようだ。
「お姉ちゃん、エレオノール、あれっ!」
エンネスオーネが、神殿の奥にあった巨大な扉を指さす。
「神の扉なの」
神々の蒼穹から地上へ降りるための一方通行の扉。
それが兵を生産する魔法とともにここにあるならば、考えられることは一つ。
火露を奪っている何者かが、ここで地上を侵略する準備を進めているのだ。
大樹母海に隠されていた神の兵を生む神殿。いったい誰が――?




