扮する神
「さて、ディルフレッド。たった今、<遠隔透視>にて、見せてやった通りだ」
深層森羅。
空から瀑布が連なる深き森にて、俺は長考を続ける深化神に言った。
「神を殺す神、淘汰神ロムエヌとやらが、この樹理廻庭園ダ・ク・カダーテに紛れこんでいる。正体は知らぬが、そいつが開花神ラウゼルの神域に立ち入り、他の神々を滅ぼしたのは疑いようがあるまい?」
ディルフレッドがこちらを向く。
しかし、その神眼は、未だ自らの思考の奥底を覗いているかのようだった。
「それとも、その神族たちを滅ぼしたのも、俺の混沌の仕業か?」
そう問いかけてやれば、答えは明白とばかりにディルフレッドは口を開く。
「否。貴君の混沌は、世界の秩序に影響を与えるのみ。神族に直接危害を加える類のものではない」
「ならば、俺か、俺の配下が直接手を下したか?」
「否。私は貴君たちが、芽宮神都から神々の蒼穹まで来る様を確認している。樹冠天球の神を滅ぼす時間は皆無だ」
ニヤリと俺は笑った。
「つまりだ。少なくともこのダ・ク・カダーテに、神族を滅ぼし、秩序を乱そうとする者が存在する。俺たち以外にな」
ディルフレッドは思案するように両手を組む。
「そいつが、火露を奪っている可能性は?」
「……否定できない……」
右手の指で左手の甲を叩きながら、深化神は思考に沈む。
「しかし、淘汰神の存在が、貴君の有する混沌を否定するわけではない。火露は盗まれたか、もしくは貴君の根源が原因だ」
そう考えるのが道理だ。
淘汰神は単純に神を殺すだけの存在で、火露とは無関係かもしれぬ。
「では、一つ提案だ。火露が何者に奪われているのか、それを俺が探ってやろう。見つけたならば、デルゾゲードとエーベラストアンゼッタを探すのに力を貸せ」
深化神が口にしたことがすべて事実なら、奴にとっては火露の流量が減っていることこそ、なによりの懸念事項だ。
それを解決するためならば、デルゾゲードとエーベラストアンゼッタを探し出すのに協力するぐらいは、些末なことだろう。
二つの城を奪い、隠したのが奴でなければ、な。
「見つからなければ、いかがなさるつもりか?」
「俺に見つけられぬ、ということは、そんなものは存在しないということだ。つまりは、お前の仮説が正しい。要求通り、ここから立ち去ってやろう」
俺は<契約>の魔法陣を描き、その旨を示した。
ディルフレッドは魔法陣に神眼を向け、思索にふける。
とはいえ、俺を穏便に立ち去らせる方法が他にあるわけでもあるまい。
「猶予は一日だ。それ以上ときをかければ、このダ・ク・カダーテにすら、なにが起きるか予測が困難となる」
「交渉成立だな」
<契約>の詳細条件を記載すると、ディルフレッドは調印した。
「俺は樹理廻庭園のことはよく知らぬ。まず淘汰神ロムエヌを探したいが、なにか心当たりはあるか?」
「貴君の力を借りられるならば、枯焉砂漠を探索したい」
「ほう。そこにいる神が、怪しいというわけか?」
ディルフレッドはうなずく。
「アナヘムだ」
すると、サーシャが首をかしげる。
「アナヘムって、エレオノールたちを襲ってきた終焉神でしょ? あいつ、火露を盗んだのがエンネスオーネの仕業だって思い込んでたみたいだけど、でも、あなたと同じでこの樹理廻庭園の秩序を守ろうとしてるんじゃないの?」
「然り。されど、火露を操り、干渉できる神は、樹理四神をおいて他に存在しない。仮に火露が盗まれたと推考するならば、私を含めた四名の神のうち、どの者かが犯人だ。もっとも不審なのが終焉神アナヘムとなる」
理路整然とした口調でディルフレッドは答えた。
自分さえ疑惑の対象としているのは、賢神らしいことだな。
「ふむ。自分の犯行ではないと振る舞うためにエンネスオーネを襲った、か」
疑いをかけられる前に、先に疑いをかける。
あり得る話ではあるがな。
「どうして不審?」
ミーシャが問う。
「しばらく前から、私は枯焉砂漠にて異変を察知していた。この神眼には、彼の神域になにか異物が紛れこんだように見えるのだ。しかし、それを突き止めようにも、アナヘムは一切の協力に応じない。自らの神域に口を出すな、と言明するばかりだ」
「アナヘムはそういう性格」
「然り。平素ならば、それで済む。互いの神域に干渉はしない。だが、ダ・ク・カダーテの火露が減少し、淘汰神という神の存在が浮上した今、探索し、その深淵を覗く必要がある」
終焉神が、淘汰神だというのなら、話は早いがな。
果たして、そう単純なものかどうか。
少なくともアナヘムの行動は、疑ってくれと言わんばかりだ。
「その異物を突き止めなかったのはなぜだ? 干渉せずとも、見るぐらい構わぬだろう。アナヘムが邪魔しようと、力尽くで探るという手もあった」
「それができれば思索は不要だ。私はアナヘムには決して及ばない。この深層森羅で戦ったとて、勝算があるとは断言できないのだ」
ふむ。この男が、それほど弱いとは思えぬがな。
「生誕神ウェンゼルは大樹母海で、アナヘムを圧倒していたようだが?」
「然り。根源は輪廻する。すなわち、生誕し、深化していき、終焉を迎え、転変に至る。深化の果てに、終焉が位置する限り、私の秩序はアナヘムの秩序に及ばぬが摂理」
なるほどな。
「樹理四神には相性があるというわけか」
「然り。言い替えるならば、深化は生誕に優り、終焉は深化を克し、転変は終焉を凌駕し、生誕は転変を超える。それが、ダ・ク・カダーテの秩序にして、この世界に不動として存在する理だ」
根源が深化する。
すなわち、深淵に潜り、その魔力が成長していくことをさす。
深化が極まった先に待っているのが、終焉というわけか。
確かに、魔力がより強くなるのは根源が滅びに近づいたときだ。
その力は、滅びそのものには敵わぬ、というのも納得はいく。
灯滅せんとして光を増し、その光を持ちて灯滅を克す。
しかし、その果てに、とうとう滅びを克服できぬ瞬間がやってくる。
「深淵を覗く深化神ディルフレッドの神眼が、唯一届かぬ場所と相手か。俺を除けば、アナヘムが一番怪しいというのもうなずける」
アナヘムが淘汰神ではなかったとしても、枯焉砂漠に異変が起きているというのは気になるところだ。
そこを探っておいて損はあるまい。
「ミーシャ、サーシャ。お前たちは、大樹母海へ行き、エレオノールたちと合流せよ。行き違いで、アナヘムがそちらへ向かうやもしれぬ」
俺が視線を向ければ、思惑を見抜いたようにミーシャはこくりとうなずいた。
「わかったわ」
サーシャがそう返事をする。
「では、行くか。枯焉砂漠はどちらだ?」
ディルフレッドが森の中をさす。
「火露の葉は舞い、螺旋の森の深淵へ誘われる。そこが深層森羅の終端にして、枯焉砂漠の始点なのだ」
木の葉は不規則に舞いながら、森の奥深くへと誘われている。
恐らくは、螺旋の中心に。
「来るがいい。この森は己の目で見て歩かねば、深淵に到達しない」
ディルフレッドが歩き出す。
俺はその隣に並んだ。
「気をつけて」
背中からミーシャの声が聞こえた。
軽く手を上げ、それに応じる。
「お前たちも、油断はするな。ダ・ク・カダーテは広い。堕胎神のときのように、すぐ助けには行けぬぞ」
「わ、わかってるわ。今度は大丈夫よ」
罰が悪そうなサーシャの声が背中に響いた。
深層森羅の木々を眺めながら、俺とディルフレッドはしばらく歩を進ませた。
いくつもの異界とつながった奇妙な森だ。一見して奥でつながっているように見える別れ道は、片方が別の場所へ続いている。正解の道を選ばなければ先へ進めぬが、次の瞬間には正解の道と誤った道が入れ替わった。
刻一刻と深淵へ近づく正しい道順が変わっているのだ。
「深化とは、別れ道の連続だ。正しき回答は、その都度変わる。正しく、深く潜ったはずが、気がつけば浅瀬にいることもある」
「ふむ。それが、この深層森羅の秩序か」
「然り。螺旋の如く渦巻く森の深層へ、迷いなく辿り着けるのは、この深化神ディルフレッドのみ」
深化神が腕を伸ばし、俺に止まるよう促した。
魔眼を凝らせば、目の前の道が急に異界へつながった。恐らくその先は、森の違う場所へ通じているのだろう。
周囲のどこを見回しても、正しい道はない。
「ときには、足踏みをすることが、なによりも最短の道であることもある」
しばらくして、異界が消える。
再び深化神は歩き始めた。
歩き、立ち止まり、ときに後退する。
そうして、ディルフレッドは正しい道を選び続け、その螺旋の森の中心にまでやってきた。
そこにあったのは、薄くどこまでも続く水溜まりだ。それが鏡のように、上空に漂う真っ白い雲を映している。
いや、雲に似ているが、よくよく見れば別物だ。
水鏡に映し出されているのは、白い砂丘だった。
ひらひらと火露の葉が風に吹かれて、その水鏡に映る。すると、鏡の中の木の葉が燃え始めた。
それに連動するように、こちら側の木の葉がふっと消えた。
水鏡の砂丘にて、火露の葉は燃え尽き、火の粉となって、いずこかへ飛んでいく。
「枯焉砂漠の始点に接続している。準備はいかがか?」
「いつでもよい」
そう口にすると、ディルフレッドは浮かび上がり、その水鏡に己の体を映した。
先程の火露の葉同様、鏡の中のディルフレッドが炎に包まれ、こちら側の彼の姿が消えた。
水鏡の中、砂丘に立っていた彼が、俺の方を向いた。
「害はない」
そう声が聞こえてきた。
なんとも不思議な場所だと思いつつ、<飛行>にて体を浮かす。
同時に、ミーシャたちに<思念通信>を送った。
『これから、枯焉砂漠に入る。わかっているだろうな?』
『ディルフレッドがいない間に、深層森羅を探れって言うんでしょ?』
サーシャの声が返ってきた。
『奴がこの森のどこかにデルゾゲードとエーベラストアンゼッタを隠したのかもしれぬ。火露の流量が減っているのも自作自演で、淘汰神がディルフレッドという可能性もあろう』
『でも、この神域って、深化神のものでしょ? わたしたちが動き回ったら、すぐに気がつかれないかしら?』
『深化神の神眼は深く覗けるけれど、広くはない。森を離れれば、わたしたちの姿は見えない』
サーシャの疑問に、ミーシャが答えた。
俺は森の水鏡に体を映す。
鏡の向こうの俺が炎に包まれるのを見ながら、二人に言った。
『すでに深化神は、深層森羅の外だ。存分に探せ』
神域を探り始める魔王一行。
枯焉砂漠でアノスを待ち受けるものは――?