神々の蒼穹
視界が、ぐにゃぐにゃに歪んでいた。
あらゆる像をなすものが、捻れ、曲がり、裏返っている。
この場は神界の門をくぐった先、次元が激しく乱れているのだ。
ミーシャ、サーシャの手を強く握り、俺は嵐の海のように荒れ狂う狭間を、突っ切っていく。
光が見えた。鮮やかに輝く空である。
青よりもなお青いその蒼穹へと、俺たちはまっすぐ飛んだ。
「ふむ。この世界を生きる者に、はじまりの日を伝えれば、『秩序を阻む者』に滅ぼされてしまう、か」
つい今しがた、ミーシャが語ったこの世界の成り立ちについて考える。
「わからぬな。世界が限界を迎えると、創造神は滅びと引き換えに、新たな創造神を創りだし、その者が世界を新しく創り直す。それを知ったところで、なにがどうなるわけでもあるまい」
「その『秩序を阻む者』には、なにか意味があるってことかしら?」
サーシャが頭を捻りながら言った。
「それも解せぬ。『秩序を阻む者』というのは、俺やグラハム、つまり、神族が不適合者と呼ぶ者のことだろう?」
「たぶん」
ミーシャが答えた。
「別段、はじまりの日を知ったからといって、なにをする気にもならぬがな。グラハムとて、世界の成り立ちを知ったところで、どうしようもあるまい」
「でも、滅ぼされるって言ったんだから、なにか理由があるはずよね?」
サーシャは、ミーシャの方を見ながら言った。
「ん」
「はじまりの日があり、この世界が存在する。幾度となく滅びへと辿り、世界が創り直されてきた事実が、この世界を生きる俺たちになんらかの影響を及ぼしているというわけか」
なにがどう影響するのやら、まだ見当もつかぬがな。
いったいなぜ、創造神は、その言葉を代々伝えてきたのか?
「しかし、母との約束だったのだろう。言ってしまってよかったのか?」
ミーシャの方を振り返ると、彼女はこくりとうなずいた。
「わたしたち創造の神々は、ずっと繰り返してきた。滅びゆく世界を創り直し、願い込めて、我が子に人々の命を託してきた。だけど、結末はいつも同じ」
ミーシャはじっと俺の目を見つめて言った。
「変えないと。なにかを変えないと、なにも変わらない」
危険を恐れていては、叶わぬ願いもある。
はじまりの日のことを伝えた結果、危機が訪れるとしても、俺とならばそれを乗り越えることができると判断したのだろう。
「きっと、許してくれる」
俺がうなずいてやると、ミーシャは微かに微笑んだ。
「……でも、考えれば考えるほど、おかしな話よね」
口元に手をやりながら、サーシャが呟く。
「破壊と創造の整合を保てば、生命は循環するはずでしょ。普通に考えて、破壊と創造の秩序が同等なら、死んだ人、滅びた人と同じ数だけ、新しい命が生まれるはずじゃない」
そう前置きして、サーシャが疑問を呈する。
「なのに、いつか世界が滅びるんだとしたら、本来生まれるはずの命は、どこへ消えたの?」
「わからない」
ミーシャが言う。
「先代の創造神エレネシアが口にした通り、この世界が本当はもう終わっているからかもしれない」
「どれだけ秩序を整えても、ぜんぶ見かけだけで、本質は違うってこと?」
こくりとミーシャがうなずく。
「それで、お前はこの世界になろうとしたわけだ」
「……ん……」
確かに、世界の寿命が尽きているのなら、新たな命をこの世界にもたらせば、息を吹き返すのが道理だ。
「世界を見守り続けても、魔力総量が減り続ける原因はわからなかった。世界の瑕疵はどこにもない。もしかしたら、この世界に生きるわたしたちには見えないものなのかもしれない」
「見えないなら、世界の仕組みをすべて創り変えてしまえばいい、か」
「最善だと思った」
淡々とミーシャが言う。
自らが新たな世界の根源となり、神の秩序のない新たな仕組みを築き上げる。
すべてを完全に新しく創り直せば、なにが原因で滅びるのかわからずとも、それを免れることができるだろう。
「ふむ。念のため訊いておくが、今、エンネスオーネは不完全な魔法秩序か?」
ミーシャはうなずく。
「なるほどな」
俺が納得すると、サーシャはまるでわからないといった顔になった。
「……えーと、どういうことか、教えてもらっていいかしら?」
「エンネスオーネは、本来、神様のいない世界の魔法秩序。だけど、神様のいる今の世界では、エンネスオーネは本来の秩序を発揮できない」
ミーシャがそう説明する。
「……エンネスオーネの本来の秩序って……神の秩序に囚われない命を生むことだっけ?」
こくりとミーシャはうなずいた。
「エンネスオーネの秩序で生まれる根源は完全に輪廻して、世界の魔力総量を減らさない」
「えーと、それはわかったんだけど……なにがなるほどなの?」
ますます疑問の表情で、サーシャが尋ねる。
俺は言った。
「この世界には瑕疵があると仮定する。ミリティアや、歴代の創造神が見つけられなかった秩序の傷がな。それがエンネスオーネに影響を与え、彼女を不完全な秩序たらしめている」
「あ……!」
ようやく気がついたといったようにサーシャが声を上げる。
「じゃ、エンネスオーネが完全な秩序になれば、世界の瑕疵が取り除けたかがわかるってこと?」
「ああ。よもや世界の瑕疵が、自ら名乗るわけでもあるまいしな。エンネスオーネがいれば、それを突き止めるのにも一役買ってくれるだろう」
エンネスオーネは、生誕神と堕胎神の秩序に背いていた。
それは彼女が、この世界の生命のサイクルに反した秩序をもたらす存在だからだ。
世界の瑕疵が存在するのなら、エンネスオーネとそれは強く反発しあうに違いない。
ならば、彼女が、ミリティア以前の創造神が持たざる鍵となるやもしれぬ。
「ちゃんとついてきてるのかしら?」
サーシャが後ろを振り返る。
神界の門をくぐったタイミングが違うため、エンネスオーネたちの姿は見えぬ。
そのとき、一陣の風が吹いた。
「見て」
ミーシャが目の前を指さす。
鮮やかな蒼穹に星のように散りばめられているのは、黄金の火山や白色の湖、いばらの大地、車輪のような街など、色とりどりの様々な風景だ。
「ここが神々の蒼穹。見えている風景は、どれも神域」
エンネスオーネの芽宮神都や、ナフタの限局世界と同じものだ。
確かに、どれもこれも、凄まじい魔力を発している。
神界だけあって、その力を最大まで発揮できるのだろうな。
「こんなに沢山あって、どこにエーベラストアンゼッタとデルゾゲードを持っていかれたのか、わかるの?」
「ふむ。普段なら手に取るようにわかるのだが……」
デルゾゲードの魔力を感じぬ。
あれだけの力が、綺麗に消されている。
俺の城だ。召喚のための魔法的なつながりもある。神族とはいえ、並の者には、この魔眼から隠し通すことなどできるはずもない。
「エーベラストアンゼッタの位置もわからない」
ミーシャが言う。
創造神ミリティアにとっては半身のようなものだ。
記憶を思い出した彼女が、見失う方が不自然だろう。
「じゃ、どうすればいいのかしら……? 虱潰しに探すっていっても、神域はこの数でしょ? それに敵地の真っ直中だし……」
「なに、確かに二つの城ともまるで見えぬが、見えぬことこそ最大の手がかりだ」
サーシャがこちらを振り向いた。
「デルゾゲードとエーベラストアンゼッタは、少なくとも創造神と同じか、それ以上の力を持った神が隠している。それも、並大抵のことでは見つからぬ場所にな」
「……創造神と同じか、それ以上の神っているの?」
「樹理四神」
ミーシャが言った。
「って、確か生誕神と、裏返った堕胎神もそうよね? 確かに不意をつかれてやられたけど、そこまでだったかしら……?」
「樹理四神の座す場所は、蒼穹の深淵。自らの神域でこそ、彼らはその本領を発揮することができる」
神域を離れたため、堕胎神は本来の力とはほど遠かったということか。
「そいつらの神域はどこだ?」
「あそこ」
鮮やかな青の空と、周囲に浮かぶいくつもの神域。
よくよく見れば、それらは球を形成している。
そして、その中心に、一際大きな四つの神域が連なっていた。
ミーシャがその中の一つに指をさす。
海中にそびえ立つ大樹の神域。
「生誕神ウェンゼルの神域、大樹母海」
次にミーシャは、空から滝が降り注ぐ、深き森林を指さす。
「深化神ディルフレッドの神域、深層森羅」
続いて、指さされたのは、火の粉舞う白い砂漠。
「終焉神アナヘムの神域、枯焉砂漠」
最後に、枝と葉が折り重なり、何層もの樹冠を形成する丸い空を指さした。
「転変神ギェテナロスの神域、樹冠天球」
四つの神域へ向かいながら、彼女は言った。
「樹理四神すべての神域をさして、樹理廻庭園ダ・ク・カダーテという」
樹理四神のうち、どの神かが城を奪った可能性は高い。
しかし、断定はできぬ。
「神々の蒼穹のことを、最もよく知っている神は誰だ?」
「わたし」
ミーシャが言う。
「だけど、記憶の大半はエーベラストアンゼッタにある」
七億年分の記憶だ。
さすがに、魔族の体にそれを一瞬で移すのは無理があったのだろう。
ということは――
「ミーシャ。俺からアベルニユーの記憶を消したのは、お前の願いを邪魔すると思ったからか?」
ぱちぱちとミーシャは瞬きをした。
「……そうだと思う……」
「それも覚えてないの?」
こくりとミーシャがうなずく。
ふむ。ミリティアの記憶を奪ったとも考えられるか。
エーベラストアンゼッタを連れ去った神は、ミーシャにすべて思い出させたくはなかったのかもしれぬ。
「まあいい。お前の次に、この蒼穹やダ・ク・カダーテのことを知る神は誰だ?」
「創造神よりも視野は狭く、だけど深く深淵を覗くのが、深化神ディルフレッド。彼は賢神とも呼ばれ、様々な見識を持っている」
ミーシャはそう答えた。
「深化神か。では、向かう先は深層森羅だ」
蒼穹に浮かぶ神域の一つ、滝が降り注ぐ森へと俺たちは降下していく。
次第に目の前にあらわになってきたのは、青い木々である。
鮮やかな青色の葉が風に吹かれ、空から俯瞰してようやくわかるほど大きな大きな渦を巻いている。
見れば、森の道は螺旋を形成し、そこを辿るように木の葉が風に流されているのだ。
「ディルフレッドの居場所はわかるか?」
ミーシャが首を左右に振った。
「森のどこか」
「ふむ。なら、適当な場所に下りるか」
まっすぐ飛んでいき、深層森羅に降り立った俺は、軽く大地を踏み鳴らす。
奇妙な神域だ。森の奥へ視線を向ければ、空間が歪んでいるのがわかった。
「さて、では探すか。話のわかる神ならばよいがな」
ミーシャが口を開こうとした、そのとき――
「立ち去っていただきたい」
低い声が響いた。
ザッザッと草の根を踏む音が聞こえ、枝葉をかき分けながら、男がそこに姿を現した。
草花で編まれた服と、木の葉のマント、それから木の冠を身につけている。
一見して、森の賢者といった様相だ。
発せられている魔力から察するに、神族に違いない。
「……ディルフレッド……」
ミーシャが言うと、男は一瞬、彼女に視線を移した。
彼が深化神ディルフレッドなのだろう。
すぐにその男は、俺の近くへと歩み出る。
そうして、そのまま膝を折り、地べたで平伏した。
「伏して頼もう、不適合者アノス・ヴォルディゴード。ここから立ち去ってくれ」
開幕土下座とは、賢神、賢神……。……。