エピローグ ~魔王の聖杯~
芽宮神都の空に、抱き合う姉妹が浮かんでいる。
その頭上で波を立てる割れた海が、次第に元の形へ戻ろうとしていた。
「サーシャ」
優しく、サーシャの肩をミーシャが叩く。
けれども、彼女はその手を放そうとせず、きつく妹を抱きしめた。
「大丈夫だから」
そうミーシャが言うも、サーシャは頭を振って彼女に抱きつき、その肩に顔を埋めたままだ。
手を放せば、またミーシャがどこかへ行ってしまうと言わんばかりに。
困ったように、ミーシャは俺を見た。
「くはは。自分で撒いた種だ。自分でどうにかするしかあるまい」
「……困った……」
自らにすがりつくサーシャの頭を、ミーシャは優しく撫でる。
「時間があまりない」
彼女が口にすると、サーシャが顔を上げた。
「秩序から切り離された神族は、長く生きられない。魔族で言えば、<分離融合転生>で二人に別れたのと似たようなもの」
涙を拭ったサーシャの魔眼には、強い意志が見てとれる。
「わたしとミーシャが二人でいる限り、破壊神と創造神のつながりは断てないって言ってたわよね?」
ミーシャはうなずく。
「サーシャとわたしが一つの根源、一つの意識になれば、完全に魔族としての転生が完了する。だけど、今は、ほんの少しだけ神族のまま」
すなわち、このままでは二人は滅ぶということである。
「どうすればいいの?」
その問いに、ミーシャは答えられない。
自らがこの世界になることで、サーシャを救おうと思っていた彼女は、それ以外の方法を持ち合わせてはいないのだろう。
「ふむ。破壊神と創造神の秩序を取り戻せば、滅ぶ心配はなくなるだろうが」
それは再び、世界に破壊の秩序が蘇るということだ。
死ななかったものが死ぬようになり、滅びなかったものが滅ぶようになる。
二千年前とは違い、魔族も人間も、その魔力と魔法を退化させた。
今の時代に破壊神アベルニユーを復活させれば、多くの滅びの元凶となろう。
「秩序のない世界に、創り変えられるなら」
ミーシャが言う。
「<源創の月蝕>で」
「……でも、それはミーシャが滅ぶときにしか使えないんでしょ?」
サーシャの問いに、こくりと彼女はうなずく。
「創造神が滅びを迎えるときにしか使えない。滅びを克服したとしても、無から世界を生み出すことはできない。滅びに近づき、最も強く輝くわたしの根源を捧げることが、世界を創り直す条件」
俺に視線を向け、ミーシャは言った。
「きっと、他に方法がある」
「なにも丸々創り直す必要はあるまい。使えるものはそのまま残し、都合の悪い部分だけを創り変えれば、労力は最小限に済む」
創世するだけの権能を使わずとも、ミーシャとサーシャが生き残り、この世界をより良くすることはできるはずだ。
「世界の深淵を覗けば、それもかなう」
魔力の総量が減っていく世界。
破壊神が消えてなお、輪廻する命が少しずつ消えていく。
どこかに、この世界の滅びの元凶があるのではないか。
それが見つかりさえすれば、二人を助け、世界をあるべき形へ導くこともできよう。
「わたしはこの世界を見続けてきた。世界の秩序は複雑に絡み合い、正しく動いている。一つの秩序が崩れれば――」
ミーシャが一瞬はっとした顔になる。
「どうしたの?」
サーシャがそう問うた頃には、俺も異変に気がついていた。
「……止まって……」
ミーシャが視線を送るその方向に、神代の学府エーベラストアンゼッタがあった。
その巨大な城は、白銀の光を撒き散らしながら、まっすぐ上昇していく。
進行方向にあったのは、魔王城デルゾゲードだ。
「ふむ。こちらも制御が効かぬな」
魔王城を動かそうと魔力を込めるが、思うようにならぬ。
俺の制御に抵抗できるのはアベルニユーぐらいのはずだが、その意識は今、目の前にいるサーシャの中だ。
「氷の世界」
ミーシャが二度瞬きをする。
<源創の神眼>が、エーベラストアンゼッタとデルゾゲードの間に、小さなガラス玉を作った。
それは二つの城を隔てる壁。
小さくとも途方もない距離を持った世界だ。
だが、突如、彼女が作り出したガラス玉がふっと消えた。
彼女に降り注いでいた白銀の月明かりがなくなり、その瞳の<創造の月>が消え去った。
「……おかしい……誰が……?」
ミーシャは魔族に転生している。
創造神の力と記憶は、エーベラストアンゼッタに残されたものだった。
その供給が、何者かによって断たれたのだ。
だが、敵の気配などどこにもない。
「……だめ……ぶつかるわ……!」
耳を劈く轟音を響かせ、エーベラストアンゼッタとデルゾゲードが衝突する。
ぶつかったところで、創造神と破壊神を元に作られた城がどうなるわけではないが、突き上げられるように、その二つは空の海へ沈んでいく。
ザザッ、ザーッと頭に不快なノイズが走った。
『……言った……はずだ……』
サーシャとミーシャが俺を振り向く。
これまでよりも一段と大きく、俺の根源から不気味な声がこぼれ落ちていた。
『……ここに来なければ、彼女は知ることもなかったのだ。知らぬ内に、創造神は滅び、世界を創り変え、エンネスオーネの魔法秩序が新たな命の源泉となっただろう……』
「あれはお前の仕業か?」
空の海に飲み込まれていく二つの城を睨む。
「いつまでも隠れておらず、そろそろ名乗ったらどうだ?」
『七億の年を重ね、願い続けた彼女の希望は、今この瞬間潰えたのだ。最後の希望を逃し、創造と破壊の姉妹神は、後悔を胸に滅びゆく』
相変わらず、俺の言葉には取り合わず、そいつは言った。
『世界は優しくもなく、笑ってなどいない』
空の海が渦を巻く。
その中心に光が見え、みるみるエーベラストアンゼッタとデルゾゲードが吸い込まれていった。
「神界の門だわ」
サーシャが言うと、ミーシャが続いた。
「閉ざされる」
空の渦潮の中心、その深淵を覗けば、確かに厳かな門があった。
ゆっくりとそれは閉ざされ、消えようとしている。
あの先は神々の蒼穹、すなわち神の本拠地である神界だ。
門が閉められれば、そう容易くは戻って来られまい。
「<森羅万掌>」
蒼白き両の手にて、神界の門をぐっとつかむ。
だが、次の瞬間、つかんだ門がボロボロと崩れ始めた。
内側から壊されているのだ。
このままでは神界へ続く道が完全に断たれる。
地上から離れるのはある意味賭けだが、エーベラストアンゼッタとデルゾゲードはミーシャとサーシャの半身だ。彼女たちが生き延びるには、あれを手放すわけにはいかぬ。
「追うぞ」
<飛行>でぐんと上空へ飛び上がる。
サーシャとミーシャもすぐ俺の後を追ってきた。
「ボクたちも行くぞっ!」
「……ミーシャとサーシャを……助け……ます……!」
エレオノール、ゼシア、エンネスオーネ、ウェンゼルが、俺たちの後ろに続いた。
ウェズネーラは少々遠い。間に合うまい。
俺は空の渦潮に突っ込み、滅びゆく神界の門を見据える。
その奥では、次元が揺らめき、激しく波を打っていた。
門が半壊していることで、神界とここをつなぐ魔法術式が乱れている。
行けるは行けるだろうが、穏やかには済むまい。
「手を取れ。放せば、各々違う場所へ飛ばされよう」
ミーシャとサーシャが俺の手を取る。
後方では、エレオノールたちが手を取り合っていた。
全員固まっていた方が無難だが、その余裕もなさそうだ。あちらは間に合うかぎりぎりといったところか。
「エレオノール、上手く神々の蒼穹に入れたならば、ウェンゼルと話し合い、慎重に行動せよ。無理なら、地上へ引き返し、シンに伝えるがいい」
「了解だぞっ!」
渦潮を通り抜け、目の前が真っ白に染まる。
神界の門の中へ入ったのだ。
魔力が乱気流のように荒れ狂う中、小さな二つの手を握り締め、俺たちはその先へ進む。
「なんで、デルゾゲードやエーベラストアンゼッタが言うことを聞かなくなったの……?」
サーシャがそう疑問を浮かべる。
「……わからない……」
ミーシャは、視線を険しくし、目の前を見つめていた。
「あの声」
憂いに満ちた顔で、ミーシャは呟く。
「……後悔することになるって……」
知れば後悔する。
ここを訪れれば、彼女は再び現実を知ることになると、根源に響く声は言っていた。
僅かに、ミーシャの手が震えている。
不安なのだろう。
それはサーシャも同じか。
焦燥を押し隠すように、彼女は強く俺の手を握っている。
「ふむ。懐かしいものだな」
そう言ってやれば、二人の表情が疑問に染まる。
「お前たちは二人では生きられない。二人で生きようとすれば、世界の平和が崩れ去る。なんとまあ、あつらえたように同じ状況だ。ミーシャとサーシャ、お前たちの命に加え、世界の平和が加わったにすぎぬ。さて、いったい、どれをどう救うのが正しいか」
まっすぐ前へ飛びながら、俺は二人に視線を送った。
「覚えているか、俺の答えを」
ミーシャの手の震えが止まる。
サーシャはふふっと笑った。
二人は同時に言った。
「「三つとも救う」」
くはは、と俺は笑った。
「願うな、祈るな、ただ我が後ろを歩いてこい」
目の前に光が見えた。
まもなく、狭間を抜け、神々の蒼穹に辿り着く。
まだ終わってはいなかった。それだけのことだ。
なにも変わりはしない。
あのときの言葉に偽りはないと示すが如く、俺は繰り返す。
「お前たちの前に立ち塞がるありとあらゆる理不尽を、この俺がこれから滅ぼし尽くす」
大きな戦いが、魔王を待ち受ける――
ということで、第九章は終わりです。
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書籍版、二巻がちゃんと売れるのかドキドキしておりまして……しっかり最後まで出せるように、皆様のお力をお借りできましたら、幸いなのです。お、お慈悲を……(笑)
また次章の予定ですが、少々お時間をいただきまして、二週間ちょっと、7月いっぱいお休みしようと思います。誠に申し訳ございません。
8月1日からまた隔日で更新していきますので、よろしくお願いします。
それでは、また皆様に読んで頂ける日を楽しみにしております。
面白いと思ってもらえるように、がんばって、プロット作ってきますねっ。