神話の剣戟
決着はついた。
ミサもファンユニオンの者たちも、これ以上は戦うことができないだろう。
余興は仕舞いだ。俺がレイの方へ視線を向けると――
「……<魔氷魔炎相克波>か。斬れるかな?」
――そんな風に、呟いた。
「俺に勝ったら、試す機会をやるぞ」
挑発するように言ってやると、レイは涼しげな笑みを返してきた。
「ところで、ミサに渡した剣は回収しなくていいのか?」
「あそこまで戻るには時間がかかるからね。イニーティオがなくても別の剣はちゃんと持ってる」
レイは腰に提げた剣を示す。
見たところ、なんの魔力も感じない。ただの鉄の剣だろう。
「俺の相手をするのに、その貧相な剣でか? 取ってくるまで待っていても構わないが?」
「それは嬉しいけど、本当かな?」
「なにがだ?」
レイは鞘から剣を抜き放つ。
「早くやりたくて仕方がないって顔に見えるけど?」
ふむ。やれやれ、参った。なんとも俺のツボをついてくる男だ。
「僕はこれで構わないよ」
どうやら本気のようだな。虚勢をはるわけでもなく、裏があるようにも思えぬ。
つくづく面白い男だ。
「なら、返礼だ。俺も剣だけで相手をしてやろう」
地面に落ちている手頃な木の枝を拾う。
それを見て、レイは言った。
「いくらアノス君でも、普通の剣にした方がいいと思うけど」
「でなければ、この木の枝ごと俺を一刀両断にでもするか?」
否定も肯定もせず、レイはただ微笑んだ。
「自信があるなら、試してみるんだな」
一歩、俺は無警戒にレイの間合いに踏み込む。
瞬間、彼の手元が消え、鉄の剣が閃光のように走った。
「……ふっ……!」
「甘い」
力任せに俺は木の枝を振り下ろす。
レイの剣と衝突し、そして一方的に薙ぎ払った。
ドゴォォンッと激しい音が響き、吹き飛んだレイはゴロゴロと地面を転がる。
「どうした? 木の枝程度、簡単に斬れると思ったか?」
倒れたレイにそう声をかける。
俺の魔力で補強した木の枝は、鉄以上の強度を持つ。
「……うん……。さすがだね」
呟き、何事もなかったかのようにレイが立ち上がる。
「自分より劣った武器を持っている相手に一本取られたのは初めてだよ」
「そのわりには嬉しそうだな」
「そうかな? 怖くて仕方がないけどね」
「嘘をつけ。口元が緩んでいるぞ」
くすっとレイが笑う。
そして、今度は彼が俺の間合いに踏み込んできた。
極限まで無駄を削ぎ落とした歩法は、その速度もさることながら、予備動作がまるでない。
あたかも魔法を使ったかの如く、レイは俺の目前に突如現れた。
「ふっ!!」
一閃、ただ光が走ったかのようにしか見えなかった。
「ふむ。申し分のない一撃だ」
技術を尽くしたレイの一撃に対し、俺は膂力を尽くして迎え撃つ。
剣と木の枝が衝突し、そして、またしてもレイの体が弾け飛んだ。
「今のが限界か?」
倒れたレイに声をかけると、彼はまた簡単に起き上がった。
「参ったな。限界を超えたと思ったんだけど」
その声に焦りはない。あるのはただ純粋な楽しさだけだ。
レイの気持ちが、なんとなくわかるような気がした。
「もう一回、いいかな?」
レイは剣をすっと構える。
まるで手足を扱うかの如く、自然な所作だ。
「何度でも挑め」
すー、とレイは息を吸い、呼吸を止めた。
ぐっと足に力が入ったかと思うと、剣閃どころか、体ごと閃光と化す。
俺の魔眼にもかろうじて映るほどの速度で踏み込み、レイは刃を加速させる。
「ふむ、桁違いの速さだな」
一段階レベルを上げては、力任せに振るった木の枝で、レイの剣を打ち払う。
ギシィィィッと、剣と木の枝が衝突し、その力が拮抗する。
先程までは一方的に弾き飛ばされていたレイが、俺の攻撃を受けとめていた。
「見事だ」
更に倍の力を入れ、剣ごとレイを弾き飛ばした。
しかし、今度は地面に倒れることなく、彼は手をついて受け身をとった。
「すごいな。今のはうまくいったと思ったんだけどね」
一合目よりも二合目、二合目よりも今の方が、より力を込めて木の枝を振るっている。
にもかかわらず、レイは段々俺の攻撃に対応できるようになっているようだ。
実力を隠していたわけではない。俺を相手に鉄の剣だ、そんな余裕はないだろう。
先程、限界を超えたという言葉も嘘とは思えぬ。
つまり、レイはこの僅かな合間、俺と打ち合う毎に、恐るべき速度で成長しているのだ。
「……でも、もう少しで思い出せそうな気がするんだよね……」
「なにをだ?」
「剣の扱い方を、ね」
再びレイが踏み込んでくる。だが、先程までと違い、速さはない。はっきりと目に映っているのだが、しかし、妙な殺気を感じる。
「ふっ……!」
「遅い」
緩やかなレイの剣を薙ぎ払うかの如く、木の枝をぶつける。
バチィィィッとけたたましい音が鳴り響き、その剣は俺の力を受けとめ、そして、後方へ受け流した。
まともに当たれば城を吹き飛ばすほどの俺の一撃を、レイはその技量でもって、力の流れに逆らわず、逸らしているのだ。
やれやれ、驚いたな。こんなにも早く対応したか。
「大した奴だ、お前は」
さすがに衝撃すべてを受けとめきれず、バランスを崩したレイに二撃目を叩き込む。
「褒美をくれてやる」
「……はっ……!!」
バシィィィッという衝突音が鳴り、再びレイは俺の攻撃を受け流した。
しかも、今度は体勢を崩さずに。
彼は爽やかに微笑んだ。
「くすっ。次は、その木の枝を斬れるかな?」
「面白い。ならば、その剣、へし折ってやろう」
ドゴオォォォォッと凡そ剣戟に似つかわしくない爆音を立てながら、俺とレイは鉄の剣と木の枝で斬り結ぶ。徐々に力を吊り上げていくも、レイはその恐るべし成長速度で、一度、刃を交える毎に限界を超える。
凄まじき剣の冴え、末恐ろしいほどの天賦の才だ。レイの成長が追いつかないレベルで力を込めれば、決着は一瞬だったかもしれないが、俺はこの男がどこまで強くなるのか見てみたくなった。
「さっさと来るがいい、俺の領域まで。途中で音を上げるなよ」
「そんなに期待されても困るんだけどね」
十、二十と斬り結ぶ内に、次第に俺たちの剣戟は神話の時代のそれに近づいていく。
刃を交えれば、大地が震え、衝撃を受け流せば、木々が吹き飛ぶ。
そこはさながら台風の中心で、俺たちの周囲にある物という物が、悉く剣圧で薙ぎ倒されていく。
「きゃ、きゃああああああぁぁぁぁぁっ!!」
「なにこれ、なにこれ、天変地異だよぉっ!!」
「ちょ、ちょっと、アノス、いったい、なにしてるのよっ!? 山が吹き飛んだわ!」
「川が枯れた」
「じ、地震が収まりませんよーっ……!」
<思念通信>から聞こえる悲鳴と阿鼻叫喚に、俺はさらりと返答した。
「なに、少し激しくチャンバラをしているだけだ」
「ごめんね。もう少し我慢してくれる?」
再び一合、レイと俺は剣を交える。
剣圧と剣圧による衝撃波が周囲の草木を根こそぎ吹き飛ばし、そこら一帯を更地に変えた。
だが、魔樹の森は土壌に魔力が満ちている。どれだけ暴れてやっても一晩もあれば元通りになるだろう。つまり、思いきり力を振るえるということだ。
「楽しそうだね、アノス君は」
「楽しいとも。これほど思う存分力を叩きつけられるのは久方ぶりだ。たまには運動ぐらいしなくては、欲求不満になって仕方がない」
また一合、木の枝と鉄の剣で斬り結ぶ。
衝突した剣圧が渦を巻き、上空の雲すべてを吹き飛ばす竜巻と化した。
「そういうお前こそ、満更ではないように見えるぞ」
「初めてだからね。こんなにも長い間、剣を交わせるのは」
これだけの天賦の才を持っているのなら、たとえ格上の相手だろうと、数合も打ち合えば、あっという間に追いつき、そして、置き去りにしてしまったことだろう。
「剣が好きなようだな」
「それだけが取り柄だからね」
その才ゆえに、レイはこれまで好敵手に恵まれなかったのだろう。誰も彼もが取るに足らぬ存在というのは、これほどつまらぬことはない。
「お前の気持ちはよくわかるぞ」
「僕にもアノス君の気持ちがなんとなくわかる気がするかな」
ふむ、なんだろうな、この感覚は。
これほど全力で剣を交えているというのに、どこか胸の奧が熱い。
初めてだ。
命を奪い合うことのない、この時代ゆえのことか。
「だけど、そろそろお仕舞いかな」
見事な技量で俺の木の枝を完全に受け流し、同時に剣の切っ先が俺の喉に向く。
「ふっ!!」
これまで一度も見せなかった渾身の突きが放たれた。それを打ち払おうとした途端、突きの軌道がくるりと変化し、木の枝の半分を貫く。
押しても引いても切断は免れないだろう。
「……ここだ……!」
更に剣の軌道が変化し、レイは木の枝を斬り落としにかかる。タイミングを見極め、俺は剣の腹を、切れかけの木の枝で突き上げた。
バキィンッと折れた剣の切っ先が弾け飛び、同時に、木の枝の半分がごろりと地面に落ちる。
硬直したレイの頭に、俺は短くなった木の枝を突きつけていた。
「ふむ。宣言通りか。まさか、本当に俺の武器を切断してのけるとは思わなかった」
「……だけど、僕の負けだよ。木の枝で剣を折られただけじゃなく、きっちりとどめまで刺されたからね」
降参といったようにレイは折れた剣を地面に落とし、両手を上げた。
「変なことを言ってもいいかな?」
「聞こう」
「剣を交わしながら、ずっと感じてた。どうしてだろうね。どう考えても初めて会うのに、君とは初めて会った気がまるでしない」
「ならば、二千年前に会っていたのかもしれないな。お前に似た男を、俺はよく知っている」
レイが興味深そうな視線を向けてくる。
「レイ。俺が暴虐の魔王だと言ったら、信じるか?」
「わからないけど、そうであったとしても不思議はないかな。君のその力なら」
転生した者の前世がなんであったか、俺にも完全には断言できない。
だが、レイのことはよく知っているような気がした。
「ところで、負けたから、アノス君の班には入れないのかな?」
まあ、わざわざ転生したのだ。
昔のことに囚われる必要もないだろう。
「アノスだ」
「ん?」
「俺と対等に剣を交わせる男に、君付けされるのもこそばゆい」
最初にレイがそうしたように、俺は彼に右手を差しだし、握手を求めた。
「じゃ、アノス」
俺の手をとり、レイはかたく握手を交わす。
「次は勝つよ」
「こちらこそ、次は剣すら折らせるつもりはないぞ」
そう口にすると、彼は爽やかに微笑む。
つられて、俺もニヤリと笑う。
すがすがしい気分の俺たちとは裏腹に、魔樹の森は巨大な竜巻に蹂躙されたかの如く、見るも無惨な有様に成り果てていた。
格好つけてますが、木の枝です……。