生まれない秩序
芽宮神都フォースロナルリーフの上空――
その空の海のスレスレをコウノトリの群れが飛んでいた。
すべての卵を孵したことにより、雛から成鳥になったコウノトリたちは、そのクチバシを開き、堕胎神の秩序、その象徴である赤い糸を食べていく。
降り注ぐ赤い糸の雨はみるみる消え、傷痕のようにつけられていたその水溜まりも、コウノトリの胃の中へ消えた。
「もう一回っ。今度は沢山撃つぞっ。<聖域熾光砲>ッ!」
エレオノールが声を発すると、コウノトリに宿っている彼女の疑似根源に魔法陣が描かれ、光の砲弾が四方八方へ放たれる。
残った堕胎の番神たちも、逃げ場なく発射される<聖域熾光砲>の前に一網打尽にされ、亡きがらすら残さず消滅した。
同時にエレオノールが使った<総魔完全治癒>の魔法にて、ゼシアの傷が癒やされていく。
『……あ……』
敵が一掃されると、不思議なことが起こった。
一〇〇二二羽のコウノトリから、一斉に輝く糸がエンネスオーネに伸びていたのだ。
彼女は丸い光の殻に包まれ、糸に吊り下げられるように浮かび上がった。
『来い、エンネスオーネとともに』
『了解だぞっ!』
ゼシアとエレオノールは<飛行>にて浮かび上がり、エンネスオーネの隣を飛ぶ。
「……エンネ……生まれますか……?」
『わからないけど……たぶん……もう少しで……エンネスオーネは、エンネスオーネのことがわかりそうな気がするの……』
三人は勢いよく上空を飛ぶ。
その姿が、フォースロナルリーフの宮殿にいる俺からも肉眼で確認できた。
「ふむ。惜しかったな、堕胎神。もう少しお前が弱ければ、先に滅ぶこともできただろうに」
足元に視線を移す。
俺に踏み付けられた巨大な双頭の蛇が、まさに滅びる寸前といった有様で、割れた地面にめり込んでいた。
「アノスくーん」
エレオノールの声が響くとともに、彼女たちはゆっくりと俺がいる場所へ降下してくる。
「やっぱり、今回もボクたち魔王軍の大勝利だぞっ!」
「ゼシアの……お手柄……です!」
えっへんとゼシアは下降しながら、胸を張る。
「うんうん、偉い偉いっ。さすが、ボクの娘は可愛くて強いぞっ」
エレオノールが褒めると、ゼシアはまた得意気な表情を浮かべた。
「あとはエンネちゃんが、生まれるのを待てばいいのかな?」
鳥たちに吊り下げられ、輝く光の殻に包まれたエンネスオーネは、頭の翼をパタパタとはためかせた。
「コレは……どうしますか……?」
ゼシアが、地中に埋まったアンデルクをじっと睨む。
「あー、そうだ。滅ぼしちゃいけないけど、どうするんだ?」
「堕胎神は堕胎の秩序だ。その力と権能は、生まれる前の命にこそ強く働く。俺に反応したのも、この神域、芽宮神都フォースロナルリーフが言わば子宮の役割を成していたからだろう」
ゆえに、奴は俺に、ここへ来たのが運の尽きだと口にした。
芽宮神都にいる者は、生まれる前の命として認識されるということだ。
「……わかり……ました……!」
ゼシアは得意気にうなずき、言った。
「んー? ゼシアは今のでわかったんだ? どういうことだ?」
「難しいことが……わかりました……!」
くすくす、とエレオノールは脱力した顔で笑う。
「つまりだ。エンネスオーネを生んでしまえば、最早、堕胎は叶わぬ。彼女が生まれれば、芽宮神都の制御もできよう。アンデルクは堕胎する対象を失い、その秩序は薄れ、生誕に傾く」
「あー、そっかそっか。エンネちゃんを堕胎するために出てきたんだから、滅ぼさなくても、それでウェンゼルに戻るんだっ」
納得したようにエレオノールは声を上げた。
「…………じゃ……」
小さく、声が漏れる。
ギョロリ、と双頭の蛇の目が俺を睨んだ。
「なにか言ったか、アンデルク?」
「……無駄じゃ、と言うた……」
「ほう」
「ありんせん……エンネスオーネが生まれることは決してのう……心ない人形、魔力のない器、体を持たない魂魄……すべてを揃え、雛を孵そうとも……根源の総量は決まっておる……」
目の端でエンネスオーネを映す。
光の殻に包まれた以降は、特に変化は見られない。
「……芽宮神都は世界の縮図じゃ。ゆえに、エンネスオーネが生まれることはありんせん……のう、エンネスオーネ? そろそろ思い出したかえ……?」
まるで呪いをかけるように、アンデルクは不気味な声を発す。
「決して生まれることのない、自らの秩序を」
大きな瞳を向けられ、エンネスオーネが殻の中でびくっと身構えた。
ゼシアがエンハーレを抜いて、バゴンッとその瞳を叩く。
「……ぎゃっ……!」
「エンネ……いじめるのは……だめです……!」
ムッとした表情で、ゼシアは双頭の蛇の前に立ちはだかった。
『……魔王アノス……』
エンネスオーネが、自らの体を抱き、頭の翼を縮こませる。
「どうかしたか?」
『芽宮神都の命の上限は、一〇〇二二個』
自らの秩序を思い出したように、エンネスオーネが言う。
『エンネスオーネは一〇〇二三番目に生まれる命。誰かの命を奪わなければエンネスオーネが生まれる枠はない。だけど、誰かの命を奪えば、エンネスオーネの順番は回ってこない』
「ふむ。コウノトリを一〇〇二二羽生むことが、エンネスオーネを生む条件だが、芽宮神都の許容量は一〇〇二二しかないということか」
『……うん……』
悲しげに、幼い少女はうなずく。
『エンネスオーネは決して生まれることはない、一〇〇二三番目の命。それが、課せられた秩序』
「……ひゃっ……ひゃひゃひゃ…………!」
アンデルクが勝ち誇ったように笑う。
「……そら、見たことか。不適合者、確かにこの戦いはそちの勝ちじゃ。しかし、エンネスオーネを生まぬ限り、妾が生誕神に裏返ることはない……」
力のない声だった。
けれども、その深淵には、薄暗い狂気が秘められている。
「わかるかえ? 妾の滅びは止められはせん……妾が滅びりゃあ、背表背裏の神である姉上もやがては滅びる。そうなりゃ、エンネスオーネは生まれかけの秩序すら保てず、滅びて消ゆる」
ひゃっひゃっひゃ、と再び奴は笑う。
自らの滅びを、まるで恐れておらぬように。
「堕胎じゃ、堕胎。秩序からは逃れられはせん。そちも、妾の手からはこぼれ落ちたが、いずれはこの大きな世界の理に、飲み込まれ、消えゆく。遅いか、早いかの違いじゃ」
「あっ……!」
エレオノールが驚いたように、その魔眼を堕胎神へ向ける。
双頭の蛇を形作っている赤い糸が、みるみるほつれ、消えていくのだ。
「き、消えちゃうぞっ!」
彼女が<蘇生>をかけるも、しかし、魔法は一瞬で堕胎された。
滅びゆくアンデルクだが、それゆえ、彼女が有する堕胎の秩序だけはいっそう強くなっている。
「……だめだぞっ。このまま滅びちゃったら、ウェンゼルもエンネちゃんも、助からないっ!?」
「……アノス……! エンネ……助けてくださいっ……!」
エレオノールとゼシアが、すがるように俺を見る。
「無駄じゃ、無駄じゃ。考えれても、わからんかえ? もう手遅れじゃ。のう、不適合者や。そちは滅ぼすことには長けておろう。秩序さえも滅ぼす、世界の異物じゃ。しかし、そちは世界を滅ぼすのみで、救うことは決してできんえ。秩序も命も、ただ滅ぼすのみよ」
蛇の口元が、ニヤリと笑う。
笑ったそばから、糸がほつれ、崩れ始めた。
「……ああ、口惜しいのう。この先が見れんとは、誠に業腹じゃ……」
一言声を発する毎に、双頭の蛇の体が、みるみるただの赤い糸に変わっていく。
「そちと姉上が、絶望に打ちひしがれる顔が見たかったわ」
「ふむ。見せてやろうか?」
一瞬の沈黙。アンデルクは疑問を浮かべた。
「………なに………………?」
ほつれた糸をわしづかみにし、それを一本の真紅の鎖にくくりつける。
ウェズネーラから借りた緊縛神の鎖だ。
「絶望に打ちひしがれるお前の顔をな」
緊縛神の鎖にて、ほつれていく赤い糸を絡め取り、その場にぐるぐると巻きつけた。
「ひゃっひゃっひゃ、無駄じゃ無駄じゃ。時間稼ぎにしか、なりはせん」
「エンネスオーネは、ミリティアが創造しようとした優しい秩序だ。お前たち神族の妨害で、それがなんなのか彼女自身すら忘れることになったようだが、しかし、ようやくわかった」
光の殻に包まれたエンネスオーネの深淵を、俺は覗く。
「なぜ、エンネスオーネはエレオノールとゼシアにだけ夢を見せられたのか? なぜ、<根源母胎>の疑似根源に、魔力のない器や心ない人形が反応するのか? なぜ、芽宮神都のコウノトリの数は、<根源母胎>が生み出せる根源クローンの数と同じなのか?」
目の前に魔法陣を描き、そこからアンデルクを睨む。
「エンネスオーネを生むために、ミリティアが俺に必要なものを残したのだと考えたが、本質は少し違う。エンネスオーネは生まれかけの秩序だ。天父神ノウスガリアが生み出し、ミリティアが創り変えた、ある魔法秩序――」
「……それって……?」
魔法線を通して魔力を送れば、エレオノールの周囲に魔法文字が漂う。
「きゃっ……」
聖水が溢れて、球体をなし、彼女はそこに浮かび上がった。
「<根源母胎>の魔法を働かせるための魔法秩序、それがエンネスオーネの正体だ」
あのとき、ミリティアは天父神から、奴が生み出した新たな魔法秩序を奪った。
そうして、創り変えたのがエンネスオーネ。
魔法秩序であるエンネスオーネはこの場所へ。エンネスオーネの秩序が生まれかけたことにより、<根源母胎>の魔法術式は働くようになり、人型魔法である彼女は勇者学院に誕生した。
「エンネスオーネを生むために必要なものは、心ない人形、魔力のない器、体を持たない魂魄。そして、エンネスオーネ自身が、このうちの一つ、体を持たない魂魄だ」
屋根のない屋敷で、心ない人形がいる部屋から外へ出るとき、エンネスオーネは転んだ。しかし、彼女がまだ部屋の中にいるにもかかわらず、心ない人形は復元を始めた。
彼女が心である証拠。体を持たない魂魄である証明だ。
「一〇〇二三番目の命が生まれないのは、そもそも生むための疑似根源が、この芽宮神都に生まれないからだ。エンネスオーネと組になる、魔力のない器と心ない人形がな」
コウノトリが一〇〇二二羽揃えば、生まれるはずの魔力のない器と心ない人形。それが芽宮神都の命の許容量を超えているため、生まれることができない。
「だが、芽宮神都とまったく同じ秩序で動く魔法がここにある」
術式を構築していき、<根源母胎>の魔法を制御する。
コウノトリから伸びた光の線が、エンネスオーネから外れ、エレオノールを覆う聖水球に集った。
「…………望まれん魔法や、堕胎せん……!」
アンデルクがそう口にするも、<根源母胎>の魔法は止まらない。
「無駄だ。この芽宮神都の中では、その魔法秩序にて働く魔法をそうそう消すことはできまい。そうでなければ、お前はとうにエンネスオーネを滅ぼしている」
やがて、コウノトリから発せられた光の線は、エレオノールの胎内に集まる。
彼女の腹部から、まっすぐ魔法線が伸びた。
それはエンネスオーネのへそから伸びる魔法線とそっくりで、二つは手を結ぶように、静かに繋がった。
<根源母胎>の魔法にて、疑似根源――すなわち魔力のない器と心ない人形を作りだし、二つをへその緒を通じて送り込む。
「彼女がなぜゼシアの妹なのか? そして、なぜ俺を父親だと言ったのか? なかなかどうして、面白い謎かけだったな」
エンネスオーネを覆う光の殻が、目映く輝き始め、彼女の姿が覆い隠される。
「これが答えだ」
「……こんな、ことが……ありんせん……。魔法秩序にて働く魔法が、その魔法秩序を超える力を発揮するなど……」
「くはは。なにを言っている、アンデルク。忘れたか?」
今にも生まれようとするエンネスオーネを見て、赤い双頭の蛇の表情が青ざめる。
あたかもそれは、絶望に打ちひしがれるように。
「秩序を覆すのが――」
「魔王様の魔法だぞっ」
俺の台詞を盗るように、エレオノールが得意気に言った。
かくて、エンネスオーネは生誕す――
【発売4日前カウントダウン寸劇】
サーシャ 「そういえば、あと4日で、<魔王学院の不適合者>二巻が発売ね。楽しみだわ」
アノス 「ほう。前回はあまり気乗りしていないように見えたが、
今回は待ち遠しそうだな」
サーシャ 「ふふっ、そうかしら?」
ミーシャ 「上機嫌」
サーシャ (だって、もうわたしが醜態を曝すシーンは終わったもの。
一度一番下まで落ちてしまえば、もう楽なものよ。
だって、これから先は良いサーシャしかいないわっ!)
アノス 「くはは。ちょうど朗報だぞ、サーシャ。
前回の一巻がなかなかどうして評判がよくてな。
この自伝を漫画化することになった」
サーシャ 「馬鹿なのっ!!」
アノス 「皆まで言うな。可愛く描けというのだろう?
良い絵描きを見つけてな。その点に抜かりはないぞ」
サーシャ 「そういうことじゃないんだけどっ!」
アノス 「というと?」
サーシャ 「だから、ええと、とにかくっ、それ、いつ発表するわけっ?」
アノス 「さて。エールドメードに任せていたが、確か、そう――二日前だ」
サーシャ 「発表済みじゃないっ!」
アノス 「なにか問題か?」
サーシャ 「問題大ありよっ! ちょっと行ってくるからっ!」
ミーシャ 「……がんばって……」
サーシャ 「仲間っ、仲間を探さなきゃ、あっ……エミリア先生っ!」
エミリア 「…………」
サーシャ 「大変だわっ! アノスの自伝が漫画化するって、
このままじゃ、わたしたちの醜態を克明に描かれて、
子々孫々まで語り継がれる恐れがあるわっ!」
エミリア 「……か、これ……」
サーシャ 「エミリア先生? それって、もしかして、<魔王学院の不適合者>二巻?」
エミリア 「なんですか、これっ。
わたしが皇族派すぎて調子に乗りすぎてませんっ!?
脚色入ってますよねっ?」
サーシャ 「…………あーっと……そのまんまかしら…………?」
エミリア 「わたしの授業のおこぼれに与っているだけの物乞いとか、
わたしが言ったんですか? 生徒に? わたしが?
外道じゃありませんっ!?」
サーシャ 「……えっと、外道、だったわ。わりと、昔の先生は……」
エミリア 「いっそあの魔剣に刺されて、虫になれたらよかったのにっ!?」
サーシャ 「あっ、先生? どこ行くのっ?
ちょっと待って」
エミリア 「しばらく雲隠れしますっ! サーシャさんも一緒に行きましょう。
飛びますよっ、つかまっててください」
サーシャ 「えっ、ちょっ、ちょっと待って。わたしは漫画をなんかとしなきゃ、
待ってえぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
【書籍情報】
活動報告に詳細をあげましたが、
『魔王学院の不適合者』2巻、店舗特典のお知らせです。
※特典は、なくなり次第終了となります。
◆アニメイト様
SS『踏みにじられた誇りと彼女のはじまり』
ファンユニオン設立前、エレンが見たアノスの姿を書きました。
◆ゲーマーズ様
SS『純白の思い』
彼女がなぜ今も白服を纏い続けているか、
その理由がわかるエピソードです。
◆とらのあな様
SS『二千年前の花火大会 空行け暗黒打ち上げ花火』
ディルヘイドでの花火大会が中止になってしまい、
落ち込むミーシャとサーシャ。アノスが二千年前の花火を
作ってくれることになったのだが――!?
少し長めのSSです。
◆メロンブックス様
SS『遅れてきた誕生日』
自分だけ誕生日プレゼントもらってない、と
すねるサーシャとアノスのエピソードです。
◆WonderGOO様
ポストカードです。