雛の巣立ちを信じて
アンデルクの足止めを行いながらも、魔法線を通し、エレオノールの魔眼に視界を移した。
彼女は<四属結界封>をエンネスオーネに張り巡らせ、堕胎神の秩序による影響を、極力軽減させている。
「……段々、やばそうになってきたぞ……」
エレオノールが上空を見上げる。
黒い怪鳥がエンネスオーネが探すように飛び回り、不気味な鳴き声を上げていた。
気がつかれるのは時間の問題だろう。
宮殿に覗く巨大な双頭の蛇からは、赤い糸がほつれては撒き散らされ、芽宮神都の至るところに張りついていく。
傷痕のようなその糸が増える毎に、エンネスオーネは苦しげに表情を歪めた。
『エレオノール。双頭の蛇は俺が押さえている。お前はエンネスオーネを生んで、ここへ連れてこい』
<思念通信>にて、彼女にそう命じた。
『エンネちゃんを生むのって、心ない人形とかをぜんぶ揃えて、コウノトリにすればいいんだよねっ?』
『ああ』
『できると思うけど、お屋敷も、墓地も、お店も沢山あるから、すっごく時間かかっちゃうぞっ……!』
すると、ゼシアが<思念通信>にて言った。
『エンネ……消えそうです……! 間に合い……ますかっ……?』
不安そうな面持ちで、ゼシアはエンネスオーネの顔を覗く。
彼女はぱたぱたと頭の翼を動かし、大丈夫だというように力なく微笑んだ。
『それに、あの鳥さんたちに見つかるのは時間の問題だぞっ。魔力を消そうにも、<四属結界封>を消したら、エンネちゃんが危ないし――』
エレオノールが咄嗟に振り向く。
甲高い声とともに、堕胎の番神ヴェネ・ゼ・ラヴェールが黒いクチバシを向け、矢のように突っ込んできた。
狙いはエレオノールでも、ゼシアでもなく、エンネスオーネの周囲を覆う<四属結界封>だ。
「こーらっ、だめだぞっ!!」
エレオノールの指先から放たれた<聖域熾光砲>がヴェネ・ゼ・ラヴェールを撃ち抜く。
「「「ギィィヤァァァァ……!!」」」
断末魔の叫びを上げ、バタバタと怪鳥どもは地面へ落ちる。
しかし、その体にアンデルクの赤い糸が絡みついた。
見るも不気味な禍々しい魔力が立ち上る。
「<聖域熾光砲>」
エレオノールの指先から光の砲弾が連射される。
次々とそれは堕胎の番神に着弾したが、しかし、ヴェネ・ゼ・ラヴェールは大きく翼を広げ、悠々と飛び上がった。
その全身には堕胎神の赤い糸が巻かれており、魔力が格段に向上している。
エレオノールの<聖域熾光砲>でも、一撃で仕留めきれぬほどに。
「……んー、困ったぞ。全力で撃てば倒せると思うけど……」
エレオノールの魔力は、疑似根源により心を生み出し、<聖域>によって増幅している。
そして今、殆どの力をエンネスオーネの護りに費やしているのだ。
攻撃に転ずれば、エンネスオーネの堕胎が進む。
「「「ギィィィヤァァァァァッ!!!」」」
「もうっ、まだ考え中だからねっ。おいたをする子は、おしおきだぞっ!!」
<聖域熾光砲>にて、エレオノールは飛びかかってくる赤い怪鳥を撃ち抜いていく。
しかし、それに耐えた番神どもは、そのままエンネスオーネに張り巡らされた<四属結界封>に突撃した。
ドゴッ、ボゴォッと結界に僅かながら穴が空く。
<四属結界封>に体ごと突っ込んだ堕胎の番神は、その力に体を削られていく。
しかし、お構いなしに怪鳥どもは次々と捨て身で突っ込んできた。
まるでアンデルクの狂気が乗り移ったかのように。
エンネスオーネさえ堕胎すればそれで良いと言わんばかりに、堕胎の番神たちは甲高い鳴き声を上げながら、結界に穴を穿つ。
「……エンネに手を出したら……めっ……です……!」
ゼシアは光の聖剣エンハーレを抜き、<複製魔法鏡>にて、それを無数に増やす。
膨大な魔力を放ちながら、長く延びたその光の剣にて、彼女は怪鳥を次々と串刺しにしていく。
「……焼き鳥の……刑……です!」
「ゼシア、生で食べたらお腹壊すんだぞっ!」
エンハーレに串刺しにされ、身動きがとれなくなった怪鳥へ、エレオノールは<聖域熾光砲>を放つ。
赤い糸が巻きついたその隙間を、光の砲弾は通り抜け、堕胎の番神を直接撃ち抜く。
目映い光にじゅうぅっと焼かれ、ヴェネ・ゼ・ラヴェールがぐったりと息絶える。
「一旦、逃げるぞっ。早くしないとまた次が来るから」
「……エンネ……動けますか?」
ゼシアが彼女に手を伸ばす。
『……うん……大丈夫なの……』
エンネスオーネはしっかりゼシアの手をつかみ、一緒に走り出した。
『それで、どうすればいいんだっ? アノス君のことだから、簡単に切り抜けられる方法を考えているんじゃないかなっ?』
エレオノールが走りながら、<思念通信>にて言った。
『エンネスオーネを囮に使う』
『わーおっ、思ったよりも鬼畜な案だぞっ』
驚いたように彼女は声を上げた。
『この芽宮神都に存在する心ない人形、魔力のない器、体を持たない魂魄を一つずつ揃えていたのでは日が暮れる。その前にアンデルクは滅び、エンネスオーネは堕胎されるだろう』
『エンネちゃんを囮にしたら、どうにかできるのっ?』
『エレオノール。お前が同時に生み出せる疑似根源は三〇〇六六。魔力、心、形骸それぞれの疑似根源を、扉のない店、屋根のない屋敷、墓標のない墓地へ、それぞれ送り込む』
『あー、わかったぞ。ぜんぶ一気に外に出しちゃって、合体させるんだっ!』
『そうだ。堕胎の番神をエンネスオーネが遠くへ引きつけていれば、それを邪魔されることもあるまい』
「あ、だけど、ちょっと待って」
そう口にして、エレオノールは不安そうにゼシアを見つめる。
『エンネちゃんは、ゼシア一人で守るってこと……? それは、ちょっと心配だぞ……』
「大丈夫……です……」
大きな建物の前で、ゼシアは立ち止まった。
「ゼシアは……一人で、守れます……エンネ……生んであげます……」
ぎゅっとエンネスオーネの手を握り、彼女は言う。
「ゼシアも……魔王の配下ですから……!」
「でも……」
『くはは。心配するのがお前の仕事だ。いつまでも目に止まるところにおいておけば、一人でおつかいも満足にできぬ』
数瞬考えた後に、エレオノールはこくりとうなずく。
そうして、彼女は膝を折り、ゼシアをぎゅっと抱きしめた。
「街外れに行くんだぞ。できるだけ遠くに、できるだけ鳥さんを引きつけて。成功したら、毎日ゼシアの好きなアップルパイを作ってあげるぞ」
「……成功……確実です……!!」
高らかに聖剣エンハーレを掲げ、ゼシアは宣言した。
「アップルパイの……騎士……ゼシアです」
彼女は勇ましくポーズを決めている。
「エンネちゃんも、がんばって」
『……うん……』
エレオノールがエンネを抱きしめる。
嬉しそうに、彼女の頭の翼がひょこひょこと動く。
彼女が二人から離れると、俺は言った。
『疑似根源なしの<聖域>を使え。<四属結界封>を、<複製魔法鏡>にて強化するとよい』
エレオノールは<聖域>を一旦解除する。
そうして、ゼシアが向けるエンネスオーネへの愛情を使い、<聖域>を展開、<四属結界封>を張り直す。
「<複製魔法鏡>」
ゼシアは魔法陣を描く。
エンネスオーネの周囲に合わせ鏡の<複製魔法鏡>が現れ、その魔法結界を幾重にも重ね、強化した。
「いい、ゼシア? ボクは近くにいないから、この<四属結界封>が突破されたら、張り直せないんだぞ」
人差し指を立て、釘を刺すようにエレオノールは言う。
ゼシアはこくりとうなずいた。
「行って……きます……!」
エンネスオーネと手をつなぎ、ゼシアは走り出す。
「がんばるんだぞっ!」
エレオノールの激励に応えるようにゼシアは、光の聖剣を頭上に掲げる。
そうして、上空に堕胎の番神を見つけると、彼女は掲げたエンハーレをそのまま伸ばし、敵を串刺しにする。
「ゼシアは……ここです……! みんな、焼き鳥の刑……です!」
ゼシアは光の聖剣を派手に光らせる。
すぐさま、他の番神どもがそれに気がつき、彼女のもとへ集まり始める。
それらを引きつけながら、ゼシアはエレオノールの言いつけ通り、街の外れへと向かっていった。
上空を見れば、ゼシアを追いかけるように、黒い雲が移動している。
いや、雲ではなく、それは鳥だ。
ヴェネ・ゼ・ラヴェールの大群が、ゼシアの行き先を先回りしようとしていた。
エレオノールはその暗雲を心配そうに見つめた後、振り切るように頭を振って、近くにあった建物の中へと入った。
「行くよ、アノス君」
静かに、彼女は呟く。
次の瞬間、エレオノールの周囲に魔法文字が漂い始め、そこから、聖水が溢れ出す。
彼女の体が、聖水球の中にふっと浮かび上がった。
「……<根源母胎>……」
優しい詠唱が、室内に響く。
<根源母胎>の魔法にて、生み出すことのできる根源クローンは、今の時点では、一〇〇二二人。本来はその倍ほどの許容量があるが、すでに彼女は一万人のゼシアを生んでいる。
疑似根源は、言わば不完全な根源クローン。たとえば魔力だけの疑似根源なら、それに要する力は三分の一。心も形骸も同様だ。
ゆえに、今、彼女が作り出せる疑似根源は三〇〇六六。
淡い光の球が聖水球から次々と溢れ出していき、それは室内に漂い始める。
やがて、無数の疑似根源がその建物の中を覆いつくしていた。
しばらくエレオノールは、そのままの状態で待機した。
堕胎の番神たちが、ゼシアを追ってこの街から姿を消すまで、疑似根源を放つわけにはいかない。
みるみる黒き怪鳥どもは移動し、街中から姿を消していく。
それは同時に、ゼシアとエンネスオーネが大量の番神たちに追われているといった証明だった。
エレオノールは心配そうな表情で、ただ娘を信じて耐えた。
『よい。放て』
合図を出す。
エレオノールが手を上げれば、溢れかえった魔力で、窓と扉が開けられた。
そこから、淡く光る疑似根源が抜け出ていき、芽宮神都をふわふわと飛んでいく。
屋根のない屋敷、扉のない店、墓標のない墓地を目指して――
疑似根源の移動速度は遅くもないが速くもない。
こうしている間もゼシアがどんどん追い詰められているだろうが、一瞬で目的地に到着させるというわけにもいかなかった。
「……思ったより、沢山あるぞ……?」
疑似根源の半分が、屋根のない屋敷や扉のない店に辿り着いた。
しかし、それでもまだ、街の半分を調べたにすぎぬ。
あるいは、エレオノールが生み出せる疑似根源の上限三〇〇六六よりも、心ない人形や魔力のない器の数の方が多いのかもしれぬ。
もしそうなら、すべてを揃えるのは予測よりずっと時間がかかるだろう。
その分、ゼシアが危険に曝されてしまう。
街全体に疑似根源が広がっていくにつれて、エレオノールは焦燥に駆られる。
街の七割にまで行き届けば、七割の疑似根源が必要だった。
足りるか、足りないか。まさにぎりぎりのところだろう。
ある一角にだけ、扉のない店が大量に並んでいるようなことがあれば、かなり厳しい。
祈るような時間が過ぎていき、やがて、街の隅々にまでその光の球が行き渡った。
「……これで、ぜんぶ、かな……?」
『そのようだ』
エレオノールはほっと胸を撫で下ろす。
「よかったぁ……本当にぎりぎりだったぞ……。ボクが産み出せる疑似根源の数とぴったり同じなんて、大ラッキーだっ」
心ない人形、魔力のない器、体を持たない魂魄。
その総数が三〇〇六六だった。
三つを一つにし、生まれるコウノトリの数は一〇〇二二。
かなりの数だ。
疑似根源を操作し、最短距離で三つを一箇所に集めていっても、すべての卵を孵すにはまだ多少の時間がかかる。
「ゼシア、もう少しがんばるんだぞ。今、エンネちゃんを生んであげるから」
番神の大群に追われるゼシアとエンネスオーネの運命は――!?