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創造神の思い出


 俺が宮殿から去ったすぐ後のことだった。


「……えーと、それじゃ、どうしようかしら?」


 檻の中にいるウェンゼルに視線を向け、サーシャが言う。

 その様子を俺はミーシャの魔眼を通して見ていた。


「とりあえず、この緊縛神をどうにかしなきゃだめよね? 縛ったままじゃ、堕胎神が戻ってきたときに怪しまれるし……」


 鎖に巻かれ、床に転がっている緊縛神ウェズネーラにサーシャは視線を落とす。


「どこかに隠す?」


 ミーシャが尋ねる。


「それしかないわよね……? でも、姿が見えなくても、怪しまれるかしら?」


「堕胎神アンデルクが今日、戻ってくることはないでしょう。もう少し、このままにしておいていただけますか?」


 そう口にしながら、生誕神ウェンゼルは、檻の隙間から手を伸ばす。

 指先から魔力が発せられると、ふわりと緊縛神が浮き上がり、鉄格子の前に引き寄せられた。


 彼女は、ウェズネーラの頭を優しく撫でる。

 五感を縛られているため、殆ど感触はないはずが、ウェズネーラは僅かに安堵の表情を覗かせる。


 サーシャがミーシャに視線を向けると、彼女はこくりとうなずいた。


「わかったわ。もうちょっとだけね」


「ごめんなさい。この子は、本当はとても優しい良い子なんです。信じてはもらえないかもしれませんが……」


「信じる」


 ミーシャが淡々とした口調で言った。

 感情の動きに乏しい彼女だが、その瞳の奥には確かに優しい色が見える。


 ふんわりとウェンゼルは頬を緩ませた。


「ミーシャ、と言いましたか。そういうところは、ミリティアのようですね」


 ぱちぱちとミーシャは瞬きをする。


「似てる?」


「ええ。とてもよく。創造神の秩序は伴っていないようですが、アベルニユーが思い出した記憶の通り、あなたはミリティアなのかもしれませんね」


 サーシャとミーシャは顔を見合わせた。


「変な感じ」


「わたしも、破壊神だってわかったときは、そんな気持ちだったわ」


 二人はまたウェンゼルの方を向く。


「どんな人だった?」


 ミーシャの問いを受け、過去に思いを馳せるようにウェンゼルは遠い目をした。


「口数の少ない、優しい神でした。彼女はよく、神界から地上を見ていました」


「神界って、ここから更に遠いところよね? 神界の門をくぐったら、次元も違うんだし。神族ってそんなところから、地上を見られるの?」


 不思議そうにサーシャが尋ねる。


「ミリティアは創造神。この世界を創りし秩序なのです。地上も蒼穹も地底も、彼女の庭のようなもの。創造神ミリティアが望みさえすれば、その神眼は、世界にあまねく行き渡るでしょう」


「それでミーシャは、魔眼がいいのかしら?」


 ふと気がついたように、サーシャは言った。

 ミーシャは小首をかしげる。


「そんなには見えない」


 うーん、と頭に手を当て、サーシャは考え込む。


「……たぶん、わたしと同じで、どこかに秩序を置いてきたってことよね? ウェンゼルにも創造神の魔力が感じとれないし、<創造の月>も、ミーシャは使えないし……」


 ぱちぱちとミーシャは二回瞬きをした。


「わたしがミリティアなら」


 すべてではないにせよ、破壊神の記憶を取り戻したサーシャと違い、ミーシャはなにも思い出してはいない。実感が湧かぬのは当然と言えよう。


「そうよね……まだ確定できたわけじゃないし……」


 サーシャはひとしきり考えた後、はっとしたように顔を上げた。


「あ、ごめんなさい。えっと……なんだったかしら……?」


 気まずそうにサーシャが言う。

 ウェンゼルは穏やかに微笑み、また口を開いた。


「ミリティアは、よく見える神眼を持っていました。ですが、それゆえに、彼女は世界が残酷であることを誰よりも知ることになってしまいます。地上を見つめながら、心を押し殺したような表情で、神々の蒼穹に佇んでいた姿を思い出します」


 そんな彼女を、ウェンゼルは見守っていたのだろう。

 彼女の言葉の端々から、ミリティアへの愛情が伝わってくるような気がした。


「長い間、彼女は世界を見守り続けてきました。創造の秩序である彼女の役目は、この世界を創ったことで殆どが終わっており、彼女には見ることぐらいしかできなかったのです。わたくしは、一度、尋ねたことがあります。どうして、そんなに世界を見続けているのかと」


「なんて答えた?」


 ミーシャが問う。


「優しくない世界を創ってしまった、とミリティアは言いました」


 その言葉に感じ入るものがあったか、ミーシャが俯き、じっと考え込む。


「わたくしたち神は、この世界の秩序は、流れゆく川のようなもの。その水を途中で分水することはできても、本流が変わることはなく、ましてそれは堰き止められるほど穏やかな流れでもありません」


 悲しげな瞳をしながら、ウェンゼルは言った。


「それでも、彼女は……ミリティアは、願ったのです。優しい世界が生まれるようにと。そうして、創造されたこの世界では、人間や魔族が、また他の種族が互いに争い、傷つけ合いました。同じ人間同士、魔族同士ですら、諍いの種が消えるときはありません。世界は常に戦火に曝され、血と叫び声が耐えることのない地獄のような場所でした」


 僅かに震えるミーシャの手を、サーシャがそっと握る。


「目を逸らさないことが、彼女にできた唯一の贖罪だったのでしょう。誰かの悲しみを共有することだけが、地獄を生み出してしまった自らへの罰だったのです」


「ミリティアがそう言った……?」


 ミーシャの問いかけに、ウェンゼルは首を左右に振った。


「そうは口にしませんでした。けれども、わたくしは確信を持って断言できます。彼女は、とても、優しい神でした」


 言わぬだろうな、ミリティアは。


 そんなことを口にする資格さえないと彼女は自らを責め続けたのだろう。

 何千年、何万年、何億年か知らぬ。


 創世のときよりずっと、彼女は言い訳をせず、世界をただ見続けてきたのだ。


「冷たく残酷な世界を見続けたミリティアは、けれども、ある日、朧気な希望を見つけました」


 じっとウェンゼルの瞳を覗き、ミーシャは口を開く。


「アノス……?」


 はっきりと生誕神はうなずいた。


「ええ、そうです。神を打ち破るほどの力を持った暴虐の魔王。秩序を覆す理不尽の権化、魔王アノス。神々にとって天敵といってもいい彼は、しかし、ミリティアにとっては、微かな、ほんの一筋の光だったのです」


 当時のことを思い出すように、ウェンゼルは言う。


「恨まれていると思っていた、とミリティアはわたくしに話してくれたことがあります。実際、魔王アノスは、創造神を許せずにいたでしょう。彼にしてみれば、わたくしたちは命を弄ぶような存在でしかなかったのですから。彼女も弁解することはなかったでしょう。神々を滅ぼし、魔王が新たな世界を創るのなら、それが一番良いと思っていたのかもしれません」


 ミリティアの考えそうなことではある。


「だから、ミリティアは地上など見ていなかったように振る舞い、ただ創造神の秩序として、魔王の前に降りました」


「……アノスは滅ぼさなかった……」


 ミーシャの言葉を、ウェンゼルが首肯する。


「語り明かした、とミリティアは言いました。いつものように無表情で、淡々と、だけど、とても嬉しそうに。ほんの微かな光が、暗闇にいた彼女を確かに照らしたのでしょう。やがて、魔王はミリティアに平和への協力を申し出ました」


「それが、世界を四つに分ける壁?」


「はい。人間、魔族、精霊、そして神さえも魔王が作った壁で隔てられました。そうして、長い、長い、争いの連鎖が、このとき、ようやく止まりました。世界が誕生して幾星霜の夜を経て、今初めて、本当に初めて、信じられないほどの平和が地上に訪れたのです」


 熱のこもった口調でウェンゼルが言う。

 彼女にとっても、それは待ち望んだ出来事だったのだろう。


 一方で、それを耳にしたサーシャは、あっと驚いたように口を開けていた。


「……ちょっと、待って。じゃ、なに? ほんの二千年前まで、ずーっっっと人間や魔族は争い続けてきたっていうの?」


「一つの種族が滅び、生命の数が減って、争いが小康状態に陥ったことはあります。けれども、潜在的な火だねが絶える日は訪れなかったのです。わたくしたちからしてみれば、今、この世界は、不自然なほどの奇跡の中にあります」


 呆然とサーシャが言葉を漏らす。


「……すごいと思ってたけど……すごいとは思ってたけどね……世界が始まって以来の平和だったなんて、なによそれ……? 形容する言葉も見つからないわ……」


「アノスらしい」


 ミーシャの言葉に、サーシャは呆れたような笑みを返す。


「それだわ……」


「恐らくではありますが、ミリティアはこの平和がまだ完全なものではないと考えたのでしょう。ですから、エンネスオーネを創造したのだと思います」


 ミーシャはぱちぱちと瞬きをして、ウェンゼルに尋ねた。


「秩序の整合?」


「ええ。平和をもたらすために、魔王アノスは破壊神の秩序を奪い去った。先程言ったように世界は不自然な奇跡の真っ直中にあります。ともすれば、今にも崩れそうな危ういバランスの上に、この平和は成り立っています。ですから、あともう一歩、真の平和をつかむためには、この世界の秩序を整えなければなりません」


 ウェンゼルは、ミーシャをじっと見つめ、優しく微笑みかけた。


「ミリティアは、誰かに世界を任せ、自分だけ遠巻きに見ているような真似は決してしないでしょう。あともう一歩。もしも、あなたがミリティアなら、きっと記憶をなくした今も、それをつかむために戦っているのでしょうね」


 じっとミーシャは考え込む。

 だが、わからないといったように首をかしげた。


 その様子を、ウェンゼルは温かい表情で見守っていた。

 しかし、ふいに深刻そうな視線を二人へ向け、彼女は口を開く。


「あなたたち二人には、説明しておかなければなりませんね」


「……待って……」


 ウェンゼルの言葉を途中で遮り、サーシャが言う。


「思い出しそう……」


 彼女の瞳が、創星のように蒼い光を放ち始めていた。

 今の話がきっかけになったか、破壊神アベルニユーの記憶が蘇ろうとしているのだ。


「……アノス……」


 魔法線を通して俺を呼び、サーシャは<思念通信リークス>にて、過去の記憶を送り込んできた――



ミリティアの戦いが、彼女の記憶に蘇る――

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