神の母子
緊縛神ウェズネーラが放った鎖は、生き物のようにうねうねと蛇行し、半数は俺たちの逃げ場を塞ぎ、残り半数が目前へと迫る。
「<根源死殺>」
二つの魔法陣に腕をくぐらせ、両手を黒く染める。
向かってきた二本の鎖を軽く両断した。
瞬間――切断跡から無数の小さな鎖が現れ、俺の両腕に巻きついた。
「ほう」
ぐっと腕を引いてみるが、ウェズネーラの体からは鎖が伸びるばかりで、引き合うこともできない。
伸縮自在というわけか。
「もう、しつこいぞっ!」
初撃の鎖を回避したエレオノールたちだが、しかし、彼女たちが避けた方向へ再び鎖は追ってくる。速度はさほどでもないが、誘導は正確だ。
「<四属結界封>!」
エレオノールは地、水、火、風、四つの魔法陣を描き、結界と化して、緊縛神の鎖を阻む。
しかし、その結界自体にぐるぐると鎖が巻きつき始めた。
「わおっ、結界ごと縛る気だぞ」
「このっ!」
サーシャは<破滅の魔眼>にて、<四属結界封>に絡みつく緊縛神の鎖を睨みつける。
バラバラとそれは砕け散り、金属の破片が無数に飛び散る。
しかし、その破片からやはり、小さな鎖が出現し、再び彼女たちを守る結界を縛りつけた。
ギシギシと<四属結界封>が軋み、僅かにその結界の範囲を小さくする。
「氷の結晶」
ミーシャは<創造の魔眼>にて、小さな鎖を氷の結晶へ変えていく。
さすがの緊縛神の鎖も、別物に変えられてしまっては新たな鎖を出すことができず、周囲にはぱらぱらと結晶が舞い降りる。
「そんなのは無駄さっ! 僕の前で自由になんかなれっこないよっ……!」
緊縛神ウェズネーラが、増長した声を飛ばす。
それと同時、緊縛牢獄の鉄格子が飛んできて、ミーシャたちを取り囲み始めた。
ガシャン、ガシャンと上下左右に壁のように覆い被さる鉄格子は、不格好な牢屋を形成していく。
「閉じ込め……られました……!」
エンネスオーネを守るように背負いながら、ゼシアは周囲の牢屋に視線を配る。
鉄格子が積み重なる毎に、魔力が増していき、その牢屋から無数の赤い鎖が射出された。
ぐるぐると<四属結界封>に巻きついてくる赤い鎖を、ミーシャが<創造の魔眼>で見つめたが、しかし、それを創り変えることはできなかった。
「効かない……」
ミーシャが更に魔眼に魔力を込める。
白銀の輝きが彼女の瞳に集中していく。
「緊縛の赤鎖は魔力を縛る権能ですっ」
奥の檻から、生誕神ウェンゼルが声をあげた。
「生半可な魔法では、鎖に触れた途端に縛られ、その効力を発揮することができないでしょう」
「ミーシャ」
サーシャが手を伸ばすと、ミーシャがそれをつかむ。
二人はそれぞれ、半円の魔法陣を描いた。
<分離融合転生>にてアイシャとなれば、そこからの脱出もかなうだろう。
「よい」
俺が口にすると、二人は魔法行使を中断した。
「所詮は、ただ縛りつけるだけの魔法だ。そこでゆるりと見ているがよい」
「んー、だけど、<四属結界封>が潰されちゃったら、痛そうだぞ?」
エレオノールが人差し指を立てて言う。
「なに、それまでには終わらせる」
縛りつけられた両手から起源魔法<魔黒雷帝>を放つ。
漆黒の稲妻は、バチバチとけたたましい音を鳴らしながら鎖を辿り、緊縛神ウェズネーラを撃ち抜いた。
「……ぐっ……ががががっ……!!」
一瞬よろめいたが、ウェズネーラは踏みとどまってそれに耐える。
生誕神ウェンゼルが、沈痛な表情で下唇を噛む様子が目の端に映った。
「くはは。さあ、どうする? 俺を縛り続ける限りは、<魔黒雷帝>を避けることはできぬ」
生誕神ウェンゼルに、俺は視線を向ける。
「滅びる前に、彼女を解放してはどうだ?」
「……だめだ、だめだだめだ、そんなのだめだっ……! 僕は、緊縛の秩序……誰も、僕の前では自由になんかなれないんだ……僕のママは、ずっと僕のそばにいる……僕のママ、僕のママは…………」
<魔黒雷帝>で自らの反魔法をズタズタにされ、黒き電流を浴び続けながらも、ウェズネーラは高らかに叫ぶ。
「僕がここに、永遠に縛りつけるっ!! 僕の物だぁぁぁっっ!!!」
「マザコンだぞぉぉっ!!」
エレオノールが声を上げた瞬間だ。
緊縛牢獄の鉄格子が、今度は俺の周囲に積み重なる。
エレオノールたちへ向けたものよりも遙かに多く、不格好で巨大な檻を構築していく。
牢屋が完成すれば、檻の四隅から放たれた赤鎖が、<魔黒雷帝>を走らせている鎖に巻きついた。
直後、漆黒の稲妻は前に進まず、赤い鎖が巻きついた場所で不自然に止まった。
「鎖に触れてはいけませんっ。その子は、拘束と停滞を司る緊縛神。万物は秩序の鎖にて縛られ、停滞を余儀なくされますっ!」
ウェンゼルがそう言うと、緊縛神ウェズネーラが小生意気な笑みを見せる。
「ママの言う通りさ。僕に縛れないものなんかない」
「ふむ。では、これも縛ってみよ」
前方に魔法陣を一〇門描き、<獄炎殲滅砲>を射出する。
光の尾を引き、勢いよく放たれた漆黒の太陽に、緊縛神の檻から蛇行してきた赤い鎖が巻きつき、それを拘束した。
「ほらね。誰も僕の前では自由になれない。誰も僕からは逃れられない。結界でも、雷でも、炎だって、僕はなんでも縛りつけちゃうんだ。すごいだろう?」
「驚くには値せぬ」
「なんだよ、強がっちゃってさ。いいけど、もうお前たちは帰れないよ。僕たちと一生ここで過ごすんだ。そうしたら賑やかになって、ママも喜ぶよっ!」
ケタケタと緊縛神ウェズネーラが笑う。
「ウェズネーラ。わたくしは、そのようなことは望んでおりません。彼らを放してあげなさい」
窘めるようにウェンゼルが言うと、緊縛神が彼女を振り向く。
「どうしてさ? ママはここにいたいんだろう? ママは僕のママだって、僕に縛りつけていて欲しいって言ったじゃないか」
「可愛い子、冷静になってわたくしの言うことをよく聞いて。あなたにはもうそれができるはずです」
「勿論、聞いてるよ。僕は、良い子だからね。ちゃんとママが喜ぶようにしてあげるよ」
ケタケタケタと再び奴は笑った。
「ふむ。母親が愛しいようだな、ウェズネーラ」
「当然さ。僕ほど、ママを愛してる者はいないんだ。だから、ママがずっとそばにいられるように、こうやって縛りつけてあげてるんだよ」
黒き<根源死殺>の両手にて、鎖を引きちぎり、<破滅の魔眼>にてそれを滅ぼす。
「幼稚な愛だ。真に母を想うならば、そろそろ親離れしてやるがいい」
檻を挟み、その向こう側にいる緊縛神へと、俺は足を踏み出した。
「……幼稚っ? 僕のどこが幼稚だって言うのさっ!? だって、ママは僕と一緒にいたいんだよ? 僕に守ってもらいたいんだっ……!!」
その言葉を、俺は鼻で笑った。
「妄想も大概にせよ」
檻の四隅に長い鎖が一本ずつ現れ、それが魔法陣を構築した。
「なんだよっ、お前っ! 僕の前で、その態度はなんだっ!! 二度と舐めた口が利けないように、縛りつけてあげるよっ!」
緊縛神ウェズネーラが膨大な魔力を発すれば、赤、青、黄、緑の鎖がそれぞれ魔法陣から飛び出してきた。
「<緊縛檻鎖縄牢獄>ッ!!」
<破滅の魔眼>にてそれを睨もうとすれば、赤い鎖が巨大に膨れあがり、俺の視界を覆った。
次の瞬間、四本の鎖は、俺の体に巻きついていた。
「ほうら、もうお前は逃れられない。赤鎖は魔力を縛り、青鎖は体を縛り、黄鎖が五感を縛り、緑鎖が思考を縛る。<緊縛檻鎖縄牢獄>に縛られれば、魔法を使うことも、歩くことも、見ることも、まともに考えることすらできやしないんだっ!」
<緊縛檻鎖縄牢獄>の鎖が俺をきつく縛りつける。
五感が縛られ、見ることもできず、触った感触さえない。
脱出方法はある。
しかし、緑鎖にて思考が縛られているのか、あるとわかっている脱出方法のいくつかに、辿り着くことができなかった。
「君は今から、僕のお喋り人形だよ。この牢獄で、僕とママと、楽しくお喋りをしながら暮らすんだ。ああ、勿論、僕の声だけは聞こえるようにしておいてあげるよ。そうじゃなきゃ、話せないからね」
ケタケタケタッ、と引きつったような笑いが聞こえた。
「偉そうな口を利いて、ごめんなさいって謝るなら、もう少しだけ自由にしてあげてもいいけどねぇ」
「ふむ。なかなかどうして強力な力だが、一口に自由を縛るといっても大変だ。いかに縛る力があろうと、縛る思考を把握していなければ、それもかなわぬ」
「なんの話さ? 負け惜しみかな?」
「わからぬか?」
勝ち誇る緊縛神に、言葉を発す。
「縛りきれていないものがあると言っている」
口を開き、俺は腹の底から声を発した。
それを見て、奴はケタケタと笑った。
「なんだい、それは? 馬鹿みたいに口を開いてるだけで、なんの――がはぁっ……」
奴の体が激しく揺さぶられ、全身から血が噴出した。
「神族にしては耳が悪い。この音域の声が聞こえぬようだな」
――死ね――
と、常人には聞こえぬ言葉を、超音波の塊にて放ち、奴の体を激しく揺さぶる。
「わかってればこれぐらいっ!」
魔法障壁を展開し、奴は音の振動を防ぐ。
「ほら。縛ってない思考があるんじゃなくて、どうせ抜け出せないから縛らなかっただけなんだよ。悪あがきをしたぐふぉぉぉっ……!!」
魔法障壁を砕かれ、ウェズネーラは弾け飛んでいた。
「縛っていないものが、一つだけとは言っておらぬ」
床に手をつき、よろよろと身を起こそうとしながら、奴は驚愕の表情を俺へ向けた。
「……そ、んな……そんなはず……どうやって、僕を弾き飛ばすほどの力を……魔法じゃない……声でもない……こんなことができるはずがぼぉぉっ……!!」
再び弾き飛ばされ、ウェズネーラが床を転がる。
「わからぬか。では、一つヒントをやろう」
指を三本立て、緊縛神に見せつける。
「……なん……だよ…………?」
「三秒だ。三秒以内ならば、俺はそれを自由に体から出し入れすることができる」
「…………体から……? 三秒……?」
ウェズネーラは、はっとした後、そんな馬鹿なといった表情を浮かべた。
「気がついたか。俺の根源だ」
すぐさま立ち上がり、俺から距離を取るようにウェズネーラは駆け出した。
「……そんな……そんな秩序がっ……!? いくら三秒以内でも、体から自分の根源を出して、ましてや僕を殴りつけるなんて……!? そんなのどう考えても秩序に反して……ごほぉぉぉっ……!?」
一瞬にして俺の体から飛び出た根源の体当たりを食らい、ウェズネーラが再び弾け飛び、檻の近くへ戻ってきた。
奴はよろよろと身を起こし、俺を睨む。
「……ああ……ああ、そうかいっ……!! わかったよ、お前が只者じゃないってことはっ! なら、もう一度出してみなよ……! その根源を縛りつけて三秒経てば、お前だってただじゃすまないだろ……僕は緊縛神だ……縛れないものなんか――」
ウェズネーラが目を見開く。
俺を縛る<緊縛檻鎖縄牢獄>に亀裂が入ったのだ。
「な……」
「遊びは終わりだ」
赤、青、黄、緑、四つの鎖に縛られながらも、俺は悠然と足を踏み出した。
「……どう……して……歩けるはず……」
「体と魔力を縛ったぐらいで、俺の自由を縛れると思ったか?」
目の前にある鉄格子の檻を両手でつかむ。
魔力を込め、それをぐにゃりと曲げた。
「くっ……くそっ……!」
奴は一転して逃げの一手を打ち、背を向けて走り出す――その寸前で、奴の手首を俺がつかまえていた。
「……そ……んな……<緊縛檻鎖縄牢獄>はまだ……?」
「五感を縛ったからといって、お前を知覚できぬと思ったか?」
<滅紫の魔眼>にて緊縛の秩序に反し、<根源死殺>の手をもって、<緊縛檻鎖縄牢獄>の鎖を断ち切った。
「だったら、今度は――」
緊縛神の体中から、膨大な魔力が立ち上る。
「――絶対に身動きできないぐらいに、がんじがらめに縛ってやるよぉぉぉっっっ!!」
再び鎖の魔法陣から、赤、青、黄、緑の鎖が伸びてくる。
先程よりも数が多い。その無数の<緊縛檻鎖縄牢獄>の鎖は、俺を縛ろうとまっすぐ襲いかかる。
その中の一本――赤鎖だけを素手にてつかみ、それ以外の鎖を躱す。
「縛れないものはない、だったな? ならば、お前はその秩序に従わねばなるまい」
腕を振るっては、その魔力を縛る赤鎖を強引に操り、<緊縛檻鎖縄牢獄>の残りの鎖を縛ってやる。
そうして、赤、青、黄、緑がすべて一体となった鎖にて、逆にウェズネーラの体を拘束していく。
「なっ……!! まっ……待てっ……!?」
奴は自らが作りだした<緊縛檻鎖縄牢獄>の鎖にぐるぐると巻かれ、体を縛られていく。そうして、緊縛神ウェズネーラをあっという間にす巻きにしてやった。
「……ん……ぐ……あぁぁ……く、くそぉっ……離せ……離せぇぇっ……!!!」
ウェズネーラは魔力を振り絞るも、<緊縛檻鎖縄牢獄>の四色の鎖に拘束され、身動きを取ることができない。
赤鎖が魔力を縛り、青鎖が体を縛り、黄鎖が五感を縛り、緑鎖が思考を縛っているのだ。
そこから抜け出す術は、どうやら知らぬようだな。
芋虫のように転がる男を見下ろし、俺は言った。
「縛るのは手慣れていても、縛られるのは初めてだったか?」
緊縛神、魔王に緊縛される……!?