芽宮神都
宙に浮く白い石畳の上を、幼いエンネスオーネが走っていく。
そのすぐ後ろをゼシアが追いかけ、それをエレオノールが追う。少し離れて、俺とミーシャたちが追走していた。
やがて、石畳の先が、純白の光に包まれているのが見えてきた。
魔眼を凝らしてみても、光の奥になにがあるのか、知ることはできぬ。
エンネスオーネがその光の中に飛び込んでいき、迷わずゼシアが後を追った。
俺たちの目の前に、その純白の光が迫ってくる。
「ちょっと、これ、大丈夫なんでしょうねっ? 帰れなくなったりしないっ?」
慌てたようにサーシャが言った。
「くはは。そう心配するな。たとえ、幾億の次元を越え、神界の遙か深層に行き着こうとも、帰れなくなったりはせぬ」
「逆に心配なんだけどっ!?」
いつもの調子で、サーシャが激しく突っ込んできた。
すっかり酔いは醒めたようだな。
「ゼシアがもう行っちゃったし、行くしかないぞっ」
エレオノールがそう言って、ゼシアの後を追う。
そのまま俺たちも石畳を駆け抜け、純白の光の中に飛び込んだ。
絵の具で塗り替えられるかの如く、景色がさっと変わっていき、視界に現れたのは街だった。
馴染みのない建物が建ち並び、遠くには大きな宮殿が見える。
「んー? なんか変わった街だぞ。あそこの建物とか、屋根がないし」
エレオノールの視線の先には、大きな洋館があった。
豪奢な作りだが、しかし、屋根がない。
「ほんとだわ。あっちお店は、入り口がないわよね……?」
サーシャが不思議そうに、往来に軒を連ねるに店舗を指さす。
小物屋、書物屋、武器屋、宿屋などの看板が出ているが、その中に扉のない店があった。
辺りに人の気配はない。
無論、ここに神族以外がいるわけもないので、当然と言えば当然だ。
「太陽」
ミーシャが頭上を見上げ、手で光を遮りながら言った。
「……なにあれ……?」
「すごいぞ」
サーシャとエレオノールが声を上げ、天を見つめる。
そこは、広大な海だ。
波打つ水面が、空のように広がっており、その奥には確かに太陽らしき影が見える。
「空が海とは、また変わった場所だな」
「……あの神界の門が、この異界につながってたってことよね……?」
サーシャが、確認するように言葉をこぼす。
『ようこそ、ゼシア、エレオノール。それから、魔王アノス』
エンネスオーネがこちらを振り向き、歓迎するように言った。
少女の頭の小さな翼がファサッと動く。
『ここは、芽宮神都フォースロナルリーフ』
幼い声で、彼女は告げる。
『神々の蒼穹へ続く神域の一つなの』
「ふむ。神界の門と神々の蒼穹には、狭間があると聞いているが、この都がそうか?」
『うん。この神都の深層にもう一つの神界の門があるの。そこが神々の蒼穹につながってるよ?』
芽宮神都フォースロナルリーフといったか。
神界の門をくぐったすぐ先にあるのなら、知っていそうなものだが、聞き覚えはない。
忘れたのか。それとも、俺が転生した後にできたものか?
「エンネスオーネ……!」
ゼシアが嬉しそうに、その名を呼んだ。
すると、心なしか、その小さな女の子も嬉しそうに微笑んだ。
「……エンネスオーネは……ゼシア、呼びましたか……?」
『うん。エンネスオーネはゼシアの夢の中で、ゼシアを呼んだよ』
「……やっぱり、呼びました……!」
弾けるような笑顔を見せ、ゼシアはエンネスオーネに近づく。
そうして、彼女の両手を取り、上下にぶんぶんと振った。
『呼んだのは、ゼシアとエレオノール。それから、魔王アノス。ここに、この神都にみんなを連れてきてほしかったの』
エンネスオーネはそう説明した。
「……ゼシアは……連れてきました……偉い子……です……!」
ゼシアは自慢するように胸を張る。
「……エンネスオーネは……ゼシアの妹ですかっ……!?」
柔らかく、エンネスオーネは微笑んだ。
『うん』
「……ゼシアが……お姉さんです……!!」
エンネスオーネの両手を握りながら、瞳をキラキラと輝かせ、ゼシアは俺たちを振り向いた。
「んー、ちょっと聞いてもいーい? ボクは君のことを産んだ覚えがないんだけど、どういうことなのかな?」
人差し指を立てながら、エレオノールは顔に疑問を浮かべている。
「あ、ついでに、あの神界の門の裏にあったアベルニユーの落書きのことも教えてくれるかしら?」
サーシャがそう質問する。
『ごめんね。どっちも、まだ答えられないよ』
心苦しそうにエンネスオーネは言った。
「……えーと、どういうことだ?」
「さっき、知ってるって、言ったわよね……?」
エレオノールが不思議そうに言い、サーシャが疑惑の視線を飛ばした。
『……ごめんなさい……』
脅えたように、エンネスオーネは俯く。
すると、ゼシアが彼女を守るように両手を広げた。
「……いじめは……だめ……です……!」
「あー、ゼシア……。いじめてるわけじゃないんだぞ……?」
エレオノールがとりなそうと近づくも、ゼシアはエンネスオーネを渡さないと言わんばかりに、翼のついた頭をぎゅっと抱き抱える。
「……だめ……です……!」
困ったように、エレオノールが苦笑する。
「安心せよ、ゼシア。お前の妹に手を出すはずがあるまい」
「……約束……ですか……?」
「ああ」
すると、ゼシアはほっとしたように笑う。
「お前からエンネスオーネに、事情を訊いてくれるか? 姉にならば、彼女も話しやすいだろう」
ゼシアは得意満面でうなずき、エンネスオーネの顔を覗き込む。
「エンネスオーネ……ゼシアに……教えてくれますか……?」
すると、彼女はこくりとうなずいた。
『エンネスオーネは、まだ生まれてないの』
「……生まれていないのに……エンネスオーネは……ここにいますか……?」
不思議そうにゼシアが尋ねる。
静かにエンネスオーネは首を振った。
頭の翼が、ぴくぴくと動く。
『わからないの。わかったり、わからなかったりするの。エンネスオーネは不安定。まだ生まれていない。これから生まれる、新しい秩序だから』
その言葉に、ミーシャはぱちぱちと瞬きをする。
「じゃ、エンネスオーネちゃんは、神族なんだ?」
エレオノールが尋ねると、彼女はうなずいた。
『エンネスオーネは、まだ神になる前の存在なの。根源胎児、生まれていない、根源の赤ちゃん。それが、今のエンネスオーネ』
「あー、そうなんだ。だから、根源がそんなに小っちゃいんだ?」
彼女は魔眼を凝らし、エンネスオーネの深淵を覗く。
「小さい?」
ミーシャが尋ねる。
「うん、小っちゃいぞ」
エレオノールは、根源を直接見ることができる。
魔力を見ることに関してはミーシャほどの力はないが、通常は魔力から類推するしかない根源のサイズを直接計れるのだろう。
『エンネスオーネは、ゼシアやエレオノールの味方。この世界が優しくなるように、創造神ミリティアが願いを込めて創造した秩序なの』
エンネスオーネは心苦しそうに言った。
『だけど、まだ完全じゃない。思い出せないの。エンネスオーネは、世界のために作られたけど、自分がどんな秩序なのか、覚えていない』
「お前が根源胎児だからか?」
『そう。創造神は本来、秩序を創る神じゃないから。エンネスオーネは、他の神に誕生を奪われたんだよ』
「んー、誕生を奪われたってなんだ?」
エレオノールが問う。
『……生まれるために必要なものを、奪われたの……』
エンネスオーネはそう答えた。
『この街のどこかにあるはずだけど、エンネスオーネの力じゃ探しだせない。だから、ゼシアに夢を見せて、ここに呼んだの』
「ふむ。夢を見せたのが、ゼシアだったのはなぜだ?」
『エンネスオーネの力が届くのは、ゼシアとエレオノールしかいなかったから』
すると、ゼシアが嬉しそうに言った。
「……妹だから……です……」
『うん』
エンネスオーネも笑顔で言った。
「あー、じゃ、もしかしてあれかな? ボクに夢を見せても、全然信用してもらえないだろうと思って、ゼシアに見せたんだ?」
気まずそうに、エンネスオーネは俯いた。
『……ごめんなさい……』
「……いじめは……だめです……」
エンネスオーネを守るように、ゼシアはエレオノールを睨む。
「えーと、い、いじめてないぞ。ボクはそんなに鬼じゃないぞー?」
「……嘘……です……! ゼシアにいつも、草を……食べさせます……!」
ゼシアの言葉には、積年の恨みが込められていた。
「そ、それはほら、野菜を食べないと大きくなれないからっ。ねっ」
とりなそうとするエレオノールに、じとーとゼシアが疑惑の視線を向けている。
三人が微笑ましいやりとりをしている隙に、サーシャから<思念通信>が送られてきた。
『……悪い神族には見えないけど、簡単に信じていいのかしら? ここって一応、神族のテリトリーでしょ。もう少しで神界なわけだし……』
『ミリティアが世界のために創ったというのが本当なら、捨ておくことはできぬがな。他の神族に秩序の誕生を邪魔されているというのも、ありそうな話だ』
そう<思念通信>で応じる。
『でも、他の神族が、アノスを罠にはめようとして、そうしてるのかも? アヴォス・ディルヘヴィアのときみたいに、また魔王を滅ぼす秩序とかを、生もうとしてるってことだって考えられるじゃない?」
『まあ、俺の敵を、俺自らに生ませようという可能性はゼロではないがな。エンネスオーネとミリティアに、つながりがないわけでもない』
『つながり? そんなのあった?』
『酔ったサーシャが、エレオノールとゼシアをデルゾゲードで待ってた』
ミーシャが話に入ってきた。
『え? うーん……そういえば、そんなことも……あったような……』
サーシャが頭を捻る。
酔っていたから、記憶が乏しいのだろう。
『ゼシアは夢でエンネスオーネを見て、エレオノールとともに、あの場へやってきた。お前があのとき、アベルニユーの想いから、なにかしらの記憶を思い出していたのなら、それはミリティアから伝えられたことかもしれぬ』
『……それは、ありそうだけど……じゃ、どうしようかしら?』
すると、俺たちを見つめ、エンネスオーネは不安そうに言った。
『……やっぱり、信じては、もらえない……?』
ゼシアがぶるぶるともの凄い勢いで首を左右に振った。
「……信じ……ます……エンネは、ゼシアの妹です……!」
ゼシアはエンネスオーネの両手を取り、ぎゅっと握る。
「……ママが、エンネを生むように……ゼシアはがんばります……!」
「えーっと、ゼシア? あんまり安請け合いしちゃだめなんだぞ? ボクだって、できることとできないことがあるんだぞ?」
「だめ……ですか……?」
悲しげな表情でゼシアは訴える。
「……だめっていうか、ほら、神族をボクが生むっていうのも、全然よくわからないぞ?」
「妹が……欲しいです……生んで……ほしいです……」
「そう言われても、ボクの判断じゃ決められないし……? というか、生めるのかもわからないし……?」
エレオノールが困ったように俺を見る。
「まあ、とりあえず生んでから考えればいいだろう」
「わーおっ! なんか、それ、だめな親の発言っぽいぞっ、アノス君」
エレオノールがびっくりしたように声を上げた。
ゼシアは嬉しそうな表情で、エンネスオーネをぎゅっと抱きしめる。
「やり……ました……! おねだりが……得意です……お姉さんですから……!」
などと、彼女は口走っている。
「しかし、エンネスオーネ、お前が世界を優しくするための秩序だというのなら、是非とも生まれてもらいたいものだが、その奪われたものの記憶はあるのか?」
『心ない人形』
真剣な表情で、エンネスオーネは言う。
『魔力のない器』
とても、大事なことを伝えるように。
『体を持たない魂魄』
一旦言葉を切り、また彼女は続けた。
『この三つを揃えれば、エンネスオーネは不完全な状態で生まれるの』
「ほう。また妙な話だな。完全な状態で生まれるには?」
ゆっくりと彼女は首を左右に振った。
『エンネスオーネは、不完全な状態でしか生まれないの。それが、摂理で、それが、秩序だから』
「……ふむ」
ミリティアが、世界を優しくするために、創造した秩序。
それが生まれていたとしても、秩序は不完全だったということか。
裏を返せば、この世界を優しく創り変えようとしても、不完全なものにしかならぬということだ。
どういうことか、気になるところだな。
「まあよい。エンネスオーネ、その三つを探すのになにか手がかりはあるか?」
『……色々、難しくて……エンネスオーネはうまく説明できないの……だけど、ウェンゼルなら、うまく説明できると思うよ。先にウェンゼルを助けにいかなきゃ』
言って、エンネスオーネは唐突に走り出す。
『ついてきて』
「待つ……です……! 急に走ったら……危ないです……!」
ゼシアがすぐに、彼女を追いかけ、その手をつかむ。
エンネスオーネは振り向き、笑った。
二人は手をつなぎ、人のいない芽宮神都フォースロナルリーフを駆けていく――
幼女姉妹が街を行く――