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夢と記憶に浮かぶ城


 デルゾゲードの地下ダンジョン。

 壁に掛けられた魔法松明が仄かな明かりを放つその通路を、俺たちは進んでいた。


 先頭はサーシャだ。彼女は相も変わらず、ふらふらとした足取りで、あっちへ行っては引き返し、こっちへ来ては踵を返し、無軌道に歩き回っている。


「この辺りだと思ったんだけど……」


 舌っ足らずな口調で、もう何度目になるかわからぬ言葉を呟き、サーシャは迷いなく迷いながら、ダンジョンをひた進む。


「あ。あったわ!」


 なにを見つけたか、サーシャはまっすぐ走っていく。


「サーシャ」


 ミーシャが案ずるように声をかけたその瞬間、バゴンッと彼女は突き当たりの壁に衝突した。


「うー……壁のくせに通せんぼしようって言うの……?」


 サーシャは壁に存在意義を問うている。

 涙目で目の前を睨むサーシャの顔を、エレオノールが覗き込んだ。


「ところで、サーシャちゃん、なにを見つけたのかな?」


「なに……?」


 なぜか不思議そうにサーシャが訊き返す。


「『あったわ』って言ってたぞ?」


 サーシャは頭を押さえる。


「……わたしは、破壊神だわ……」


「うん、知ってるぞ」


「破壊神は、破壊の秩序に従うもの」


「つまり?」


「……頭を打って、記憶が破壊されたわ……」


「……わーお……」


 エレオノールが困ったように苦笑する。


「見つけ……ました……!」


 ゼシアがぴょんぴょんと飛び跳ねる。

 皆が視線を向けると、胸を張って壁の一角を指した。


 そこには、小さく文字が刻まれていた。



 ――魔族に生まれ変わったら、きっとあなたに会いに行くわ。


 ――この魔眼を見ればきっと、気がついてくれるはず。


 ――たとえ記憶はなかったとしても、わたしはあなたに辿り着く。


 ――わたしがあげたその魔眼で、優しく睨み返してほしい。


 ――この気持ちを、必ずまた思い出すから。



「ラブレターかな?」


 エレオノールが悪戯っぽく言うと、サーシャは顔を真っ赤にしながら、犬歯を覗かせた。


「ちっ、違うんだもんっ、違うんだもんっ! そんなんじゃないんだからっ!」


「でも、ほら、アベルニユーは魔王様に恋をしてたんだし、ラブレターでもおかしくないぞ?」


 ますますサーシャは顔を朱に染め、唐突に走り出す。


「違うんだもぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ――あうっ……!」


 バゴンッと彼女はまた壁にぶつかった。


「……さ、サーシャちゃん、大丈夫?」


「ただの落書きなんだもん……深い意味はないんだもん……気の迷いなんだもん……見ちゃだめなんだもん……」


 壁に顔を押し当てながら、サーシャはそんな風に呟いている。


「そんなこと言われても、サーシャちゃんがここにつれてきたんだし……」


「うー……エレオノールがいじめるわ……破壊神いじめだわ、破壊神いじめ……わたしが色々滅ぼしたの恨んでるんでしょ? そうなんでしょ?」


「あー、わかった、わかったぞ。適当に悪戯書きしたくなるときもあるよね。うんうん、あるある」


 軽い調子で言い、エレオノールはサーシャを宥めている。


「でも、見られたくなかったのに、アベルニユーは、なんでこんな落書き残したのかなぁ……?」


 不思議そうに壁に刻まれた文字を見つめながら、エレオノールが首を捻る。


「羞恥心がなかった?」


 ミーシャが言った。


「だろうな。神族は感情に乏しい。破壊神には心が芽生えたが、しかし、魔族や人間ほどではあるまい。加えて、恋に恋をしていたゆえに、羞恥とは無縁だった、ということかもしれぬな」


 俺がそう口にすれば、恨めしそうにサーシャがこちらを睨む。


「そう気にするな、サーシャ。前世は前世だ。破壊神の過去に囚われることなく、お前は今を生きればよい」


「いっ、生きてるもんっ!」


「ならば、それでよい」


 すると、サーシャはびしっと俺を指さした。


「魔王さまは不感症だわっ!」


 一瞬、地下ダンジョンが静寂に包まれた。


「ほう。俺がな。不感症か。なるほど」


「……な、なによー? そんな風に脅したってだめなんだもんっ。不感症は不感症なんだもんっ!」


「なに、責めはせぬ。俺とて、自分が真っ当な感性を持っているとは思っていない。そうでなければ、どれだけ信念を貫こうと、暴虐の魔王と呼ばれることはなかっただろう」


「うー……」


 サーシャは俺をじっと睨む。


「違うんだもんっ! そんなんじゃないんだもんっ! 魔王さまは不感症だけど、良い不感症なんだもんっ!」


「んー……?」


 意味がわからないといった風にエレオノールが首を捻る。


「……良い不感症は……どういう意味ですか……?」


 ゼシアが両目に疑問を貼りつけていた。


「ミーシャ」


 視線を向けると、ミーシャはじっと考え、それから言った。


「アノスは無垢」


 思わず、俺は目を丸くする。


「く。くくく、くはははははっ。笑わせるな、ミーシャ。俺が無垢ならば、世界には清らかなものしかないぞ」


「わたしはそう思う」


 まっすぐな瞳で、ミーシャは言う。


「サーシャも」


「良い不感症が、無垢という意味だと?」


 ちらりとサーシャに視線を向ければ、彼女は上目遣いで睨み返してくる。


「アノスが無垢だから、少し歯がゆく思っただけ」


「ふむ。ものは言いようだな。まあ、お前の想いを否定するわけではないが、少し誇張がすぎるのではないか?」


「適切」


 迷いなく即答され、虚を突かれた気分になった。

 彼女が無垢ゆえに、俺の心にあるそれを見ることができるのかもしれぬな。


 しかし、まあ、無垢か。

 なかなかどうして、傑作だ。


「こそばゆいが、ミーシャがそう言うのなら、ありがたく受け取っておこう」


 そう伝えると、こくりとうなずき、彼女は微笑んだ。


「うー……なによ? ずるいわ、ミーシャばっかり。わたしの不感症は、受け取ってくれないの」


「サーシャちゃん、なにあげようとしてるんだっ!?」


 エレオノールが驚いた風に声をあげた。


「くはは。構わぬ。いいぞ、サーシャ。くれるというのならば、ありがたくもらおう」


 ぱっとサーシャは表情を輝かせ、俺を指さした。


「良い不感症だわっ!」


 くるりと前を向き、彼女は再び歩き出す。


「先、行くわよ。もっと色々書いた気がす――あうっ……」


 バゴンッとサーシャは再び壁にぶつかる。


「さっきから、サーシャちゃん、なにしてるんだっ!?」


「……激突ごっこ……です……!」


 エレオノールとゼシアが言う。


「もしや、サーシャ、この先へ行きたいのか?」


「先?」


 ミーシャが首をかしげる。


「いつぞやも見せただろう。こういうことだ」


 足を踏み出して、俺は体ごと壁に突っ込んだ。

 そのまま踏み込めば、ズゴンッと音を立てて、壁が破壊される。


「えーと、アノス君? それ、なにしてるのかな?」


「隠し通路だ」


「全然意味わからないぞっ!」


 そう言いながらも、ズゴゴゴゴゴッと俺が突き破っていく後ろをエレオノールはついてくる。

 すぐに壁を抜け、別の通路につながった。


「見て」


 ミーシャが指さす。

 通路の壁には様々な落書きが刻まれている。



 ――生まれ変わったら、なにをしようかしら?


 ――やっぱり、お酒よね。

   神族は酔えないから、沢山酔っぱらうわ。


 ――朝寝坊を沢山して、ベッドで惰眠を満喫するの。


 ――それから、友達を沢山作るわ。

   魔族だから、強ければきっとみんな仲よくしてくれるわよね。


 ――魔王さまは平和に慣れていないだろうし、

   しょうがないから助けてあげるわ。


 ――そういえば、これ、魔王さまは

   ちゃんと見つけてくれるかしら?


 ――せっかく落書きしても、見られなかったら空しいわ。



「なんか、とりとめもないことが沢山書いてあるぞ」


 通路を進み、壁に刻まれた文字を目に映しながら、エレオノールが言う。


「アノスも、初めて見る?」


 ミーシャの問いに、俺はうなずく。


「地下ダンジョンをこの形に成形したときのみ、刻まれた文字が一つとなり、読めるようになる仕組みのようだ。他の形のときは、ただの傷でしかなかっただろう」


 魔力の仕掛けがあるわけでもないから、魔眼で見てもそうそう気がつかぬ。

 サーシャの言った通り、ただの悪戯書きだ。


「なにか思い出したか、サーシャ?」


「……うーん……思い出す……思い出せそうな気も……?」


 ぶつぶつと呟きながら、壁に刻まれた沢山の悪戯書きに目まぐるしく視線を移し、サーシャは、その先を歩いていく。


「あ――」


 再び、通路の突き当たりに到着した。


「行き止まりだぞ」


 横の壁には、これまで同様悪戯書きが刻まれている。


 

 ――ねえ、魔王さま。


 ――最後に一つ、言っておくことがあるわ。


 ――ありがとう。


 ――生まれ変わって、どんな結末を迎えるとしても、

   これだけは言えるわ。


 ――わたしは、



「ん?」


 エレオノールが、壁に視線を巡らせる。

 しかし、どこにもその文字の続きはない。


 悪戯書きは途切れていた。


「続きがないぞ?」


 顎に指先を当てて、エレオノールは疑問を浮かべる。


「また隠し通路かな?」


「……隠し通路じゃ……ありません……!」


 瞳をキラキラと輝かせて、ゼシアは言った。


「ゼシアは……知っています……!」


「んー? なんでゼシアが知ってるんだ?」


「夢で……見ました! ゼシアの妹の……夢です……!」


 期待に胸を弾ませるように、彼女は両手をぐっと握る。


「あー、そうなんだ。ゼシアの夢だとどうなるんだ?」


 遊びにつき合うといった調子で、エレオノールが優しく尋ねる。

 すると、ゼシアが頭上を指さした。


「続きは……空にあります……! お城が空を飛んで……そこで、ゼシアは、妹に会います……!」


「そっかそっか。でも、このお城はデルゾゲードだから、ゼシアが見た夢とはちょっと違うかもしれないぞ」


「いや」


 俺の言葉に、エレオノールが振り向く。


「ゼシアが夢で会ったというその妹は、実在するのかもしれぬ」


「え?」


 俺はその場に魔法陣を描く。


 黒い粒子がダンジョン内を立ち上り、所狭しと魔法文字が描かれていく。

 立体魔法陣としてのデルゾゲードが姿を現そうとしているのだ。


「飛べ」


 ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、と重たい音を響かせ、デルゾゲードが激しく揺れる。

 

 <転移ガトム>の魔法が発動するかのように、目の前が一瞬真っ白に染まったかと思えば、次の瞬間、行き止まりだった壁の向こうが、空に変わっていた。


「空……です……!」


 楽しそうにゼシアが言う。


「転移した?」


「ああ。ミッドヘイズには代替の魔王城を残し、デルゾゲードを空へ飛ばした。本来これがあるべき場所にな」


 指先を伸ばし、デルゾゲードに魔力を送れば、ぐんと上空へ向かい、城が加速していく。


 二千年前の魔族とて、生身の体ではそうそう至れぬ場所。かつて飛空城艦ゼリドヘヴヌスにてようやく到達したその遙か空の彼方へ、魔王城は一直線に向かっていく。


 雲を突き破り、青空を抜け、視界がやがて黒く染まった。


「ここは、黒穹こっきゅうと呼ばれている」

 

 ミーシャたちは、目の前の光景に息を飲む。

 さんざめく星々が、きらきらと輝いている。


 その黒い空を、更に進む。

 やがて、速度が緩まると、視線の先にデルゾゲードと同じ材質で出来た建築物が見えた。


「あれ、なんだ?」


「デルゾゲードの下部だ。あの場には、神々の蒼穹に通じる神界の門があってな。二千年前、<四界牆壁ベノ・イエヴン>でそれを塞ぐために、デルゾゲードの深層部をこの空に残しておいた」


 そうすれば、<四界牆壁ベノ・イエヴン>はより長く保たれ、壁が消えた後も神族に対する牽制になる。


 ミーシャが俺を振り向く。


「落書きの続きが?」


「あそこにあるのだろう」


 ゆっくりとデルゾゲードは降下し始め、黒穹に浮かぶ巨大な建造物に、俺たちのいる地下ダンジョン部分をドッキングしていく。


 目の前に壁がいくつもよぎり、そして魔王城の降下が止まる。

 黒き粒子が消え去れば、そこに通路の先が現れていた。


「ふむ。これだ」


 俺は壁を指さす。



 ――笑っているわ。


 ――たとえ、世界が笑ってなんかいないとしても、

   わたしは、確かに、笑っていた。

 

 ――それだけは、覚えていてね。



「……魔王さま……」


 その落書きを見て、サーシャがぽつりと呟く。


「……アノス……」


 アベルニユーとサーシャ、二つの想いと記憶が混ざるかのように、彼女は蒼白き瞳で、じっと壁を見つめた。


「あの日に、きっと書いたんだわ」


 <思念通信リークス>を使い、過去の映像を俺たちに送りながらも、彼女は言った。


「あなたが約束をくれた、あのときに」



再び蘇る破壊神の記憶――

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