破壊神の落書き
壁に<時間操作>をかけ、更に時間を遡らせたが、相合い傘魔法陣以外の刻字はないようだった。
「んー、なんでアベルニユーはこんな落書きしたんだ?」
疑問を顔に浮かべながら、エレオノールが、サーシャに訊く。
「わたしに訊かれても知らないわよ……覚えてないんだもの……」
「サーシャベルーの……出番……ですっ……!」
得意満面でゼシアが言う。
「……なによ、それ?」
「これのことだ」
魔法陣からぶどう酒を取りだし、<創造建築>で作ったグラスを魔力で宙に浮かべる。そこに酒を注いでやった。
「結局、またお酒の力を借りるわけね……」
サーシャはグラスを手にして、勢いよくぶどう酒を飲み干した。
瞬間――
「――敵よっ!」
ばっと振り返り、サーシャは虚空に<破滅の魔眼>を向けた。
「ぎゃんっ、ぎゃばばばばばばばばばばっ!」
ちょうどその場を通りかかったジェル状の体を持った犬が、反魔法を張り巡らしながらも、きゃんきゃんと悲鳴を上げ、床を転がった。
「しぶといわね」
追い打ちをかけるべく、サーシャは瞳に魔力を込める。
「よせ、サーシャ。それは敵にもならぬ」
「うー……だって、こいつ、アノスに喧嘩売ってきたのよ?」
舌っ足らずの口調で、サーシャが言う。
「よく見よ。最早、ただの犬だ」
俺に言われた通り、サーシャはジェル体の犬をじっと凝視する。
「く、くぅーん、くぅーん」
と甘えた鳴き声で、その犬はサーシャにすり寄っていき――
「気持ち悪いわ!」
「ぎゃんっ、ぎゃんっ、ぎゃばばばばばばばばばばばばっ……!!」
<破滅の魔眼>をもろに食らい、ジェル犬はじたばたと床にのたうち回る。
元が元だけあって、なかなか頑丈だな。
「えーと、あれは、緋碑王ギリシリスなのかな?」
「……です、ね。ここにいるってことは……?」
エレオノールとミサが顔を見合わせたそのとき、「カッカッカッ!」と愉快そうな笑い声が聞こえてきた。
コン、コン、と杖をつく音が響き、そこへシルクハットを被った教師が姿を現す。
「散歩だ、散歩、犬の散歩ではないかっ! 先の戦いで世にも珍しい犬を手に入れたのでな。リードがどこまで有効なのか、校内で検証していたのだ」
上機嫌にやってきたのは熾死王エールドメードである。
魔眼を通して見れば、彼が手にした杖から魔力のリードが伸び、ジェル犬、ギリシリスにつながっている。
「やはり、犬を飼うなら、完全に隷属させるよりも、躾けた方が面白いと思わないかね?」
ダンッと杖をつけば、ジェル犬ギリシリスがお座りをする。
なかなかどうして、言葉通り、躾けているようだな。
「……わーお……いきなりレベルの高いこと訊かれたぞ……!」
「……あはは……エールドメード先生ですから……」
エレオノールとミサがそんな風にスルーを決め込むと、ゼシアが物怖じせず手を挙げた。
ビシィッとエールドメードは彼女を杖でさす。
「聞こうではないか」
「ゼシアは……猫派です……!」
隣でミーシャが同意を示すようにうなずいていた。
カッカッカ、と笑いながら、エールドメードが杖を軽く引けば、ギリシリス犬は、魔力の糸に引っぱられるように彼のもとへ従順に駆けていく。
「できなくもないぞ、猫に」
ニヤリ、とエールドメードが唇を歪ませ、杖でギリシリス犬を指す。
「……嫌……です……!」
力一杯、ゼシアは否定した。
「確かに確かに。猫というには可愛げがないな、コイツは」
言いながら、エールドメードはこちらへ歩いてくる。
「そうそう、ちょうどいい。秩序の軍勢と神の扉だったか。またまた面白そうなことが起きたではないか。いやいや、さすがは魔王というべきか。休む間もなく、次から次へと愉快なものを引き寄せてくれる」
俺の前で立ち止まり、トン、奴は杖をつく。
「一応、オマエの耳に入れた方が良さそうなことがあるが、聞くかね? 多忙ならば、オレが処理しておくが?」
「話せ」
愉快そうに唇を吊り上げ、熾死王は説明を始める。
「メルヘイスより、ディルヘイド各地の魔皇に神の扉の件は通達された。また、地底世界の三大国に伝えたところ、ジオルダル教団、アガハ竜騎士団が早速、調査を始めるとのことだ。ガデイシオラには、たまたま魔王の妹がいたようで、覇軍の禁兵たちとともに神の扉を探しに国を出発したそうだ」
優秀な者たちばかりだ。魔眼の力も申し分ない。
どこかに神の扉が構築されかけているのならば、じきに見つかるだろう。
「となれば、問題は勿論、かつての仇敵、アゼシオンだ。魔導王の一件も含め、少々ごたついているようだぞ、あの国は。あるかどうかも定かではない神の扉探しに、貴重な人材を割くことは難しい、などと言ってきたそうでな。中隊規模の兵を調査に向かわせることはできるようだが、いやいや」
トラブルを楽しむようにエールドメードはくつくつと喉を鳴らす。
「お世辞にも魔眼が良いとは言えぬ、と?」
杖で俺を指し、熾死王は大きくうなずいた。
「その通りだ」
ネフィウス高原にできていた五キロほどの神の扉でさえ、普通の者には見ることができぬ。
魔眼の悪いものをいくら動員しても、成果は上がるまい。
「エミリアはどうした?」
「カカカ、困ったことに、あの女も勇議会の重要な審議の真っ最中だそうでな。戦争や災害時における各国の軍、勇者学院の役割や指揮系統について、話し合っている。それを捨ておいても構わないのなら、すぐに動くと言っていたようだが?」
目に見える脅威がなくば動かぬ、か。
中にはまともな考えの者もいるだろうが、勇議会の判断は多数決で決まる。
国の運営に関わる重要な審議を滞らせてまで神の扉を探す必要はない、と判断した者の方が多かったというわけだ。
エミリアが抜ければ、残りの者たちが戦争や災害時の対応について決める。
その多くは、神の扉を探す労力を割く必要がない、と判断した者たちだ。
「気味の悪い冗談のようではないか」
俺の心を見透かしたように、エールドメードはそう言った。
外敵のことを考える余裕がないほど、ごたついているか。
これまでの国の在り方を変えるのだ。ある程度組織が固まってくるまでは仕方あるまい。
「僕が行ってくるよ」
レイが言う。
それが一番妥当か。
勇者カノンが直接赴いたとあれば、力を貸してくれる者もいよう。
「ミサもつれていけ。こちらは記憶を探るだけだからな」
レイがうなずく。
「じゃ、行ってきますね。真体でなら、アゼシオン中をくまなく探しても、そんなに時間はかからないと思います」
「いちいち俺たちが出張っていってはキリがない。見込みのある者に、探し方を教えておけ」
「そうするよ」
微笑みながら、レイは言い、ミサと手をつなぐ。
<転移>の魔法陣を描き、二人は転移していった。
「さて、サーシャ。その落書きを見て、なにか思い出さぬか?」
「……うーん……」
サーシャは相合い傘魔法陣が刻まれた壁をじっと見つめる。
うーん、と彼女は再び唸り、首を捻った。
「……………………沢山、書いた気がするわ……沢山……お城になるんならって……それで……」
はっと気がついたように、サーシャは壁を指さす。
「ね。これ、地図じゃないかしら?」
サーシャが示した部分には、なにも描かれていない。
魔眼で透視するも、増築部分があるわけでもなさそうだ。
「なにも書いてないぞ?」
と、エレオノールが壁に魔眼を向ける。
「そんなことないわ。よく見てごらんなさい。ほら、そこよ」
「んー、どれだ?」
エレオノールが壁に顔を近づける。
そのとき、ガガガガガガガッとものすごい勢いで壁が削られ始めた。
サーシャの瞳に<破滅の魔眼>が浮かび、壁を抉っているのだ。
その破壊跡は、次第に地図を描いていく。
「おわかりいただけたかしら?」
「おわかりとかじゃなくて、サーシャちゃん、今、自分で描いてるぞっ! 今っ! 魔眼見てみてっ」
「自分の魔眼は見られないわ。変なこと言うのね」
「ボクがおかしいみたいだぞっ!」
エレオノールの苦言もものともせず、サーシャは壁に地図を描き上げた。
「……ダンジョンの?」
ミーシャが言う。
「そのようだな」
くるり、とサーシャは反転し、こちらを向いた。
「アベルニユーが描いたこの地図について、推理してみるわ」
大真面目な顔でサーシャは言うと、ゼシアはキラキラと瞳を輝かせた。
「名探偵サーシャベルー……です……!」
ゼシアに褒められ、サーシャはご満悦の様子だ。
「二千年前、そう呼ばれたことも、あったかもしれないわね」
「絶対なかったと思うぞ……?」
エレオノールがぼそっと言った。
「静かにしていてくれるかしら、エレオノール。たった今、わたしにはこの事件のすべてがわかったわ」
キランッとサーシャは魔眼を光らせる。
「犯人は、わたしよっ!」
「意味がわからないぞっ!」
「この地図通りに魔王城のダンジョンを再構築すれば、二千年前にわたしが書いた悪戯書きが見つけられるようになるの。後で魔王さまが見つけたときに、びっくりさせようと思って、わたしは犯行に及んだんだわ」
サーシャはダンジョンの入り口へ視線を向ける。
「こうやって、ダンジョンを再構築すれば」
厳かにサーシャは両手を広げ、ゆっくりと上げていく。
そして――
「…………」
だが、なにも起こらない。
「……こうやって、ダンジョンを再構築すれば……」
言い直し、サーシャは再び両手を広げる。
しかし、ダンジョンはうんともすんとも言わぬ。
「うー……アノス、このダンジョン、わたしのくせに全然言うこと聞かないわ……わたしなのにっ、わたしなのにっ……」
キッ、キッ、と目の前のダンジョンをサーシャは睨む。
だが、勿論、なにも起こらぬ。
「当然だ。今や俺の物だからな」
トン、と足踏みをして、軽く床を鳴らす。
ドゴゴゴゴゴゴゴゴッと激しい音が響き、魔王城が揺れ始めた。
サーシャが描いた地図の通りに、ダンジョンを再構築しているのだ。
一分ほどが経過し、揺れは収まった。
「行くか。その落書きを見れば、また記憶を思い出すやもしれぬ」
足を踏み出せば、ザー、と耳鳴りがした。
根源の深奥から、不気味な声が響く。
『知らば――』
ノイズとともに、そいつは言った。
『――知らば、後悔することになるだろう』
「ふむ。またお前か」
『救えはしない。救えは。ここで引き返すことが、最良の道。知らぬことこそ、彼女に与えられた唯一無二の幸せなのだ』
「彼女というのは、アベルニユーのことか?」
わかってはいたが、やはり、俺の質問にそいつは答えない。
『奪いたくば、進め。だが、ゆめゆめ忘れるでないぞ』
ザーと雑音を響かせながら、そいつは言った。
『この先で、彼女は、再び現実を知ることになる』
ザッ、ザザッ、ザーと頭に響くノイズが、まるで俺を嘲るように聞こえた。
『世界は決して、笑ってなどいないのだから』
謎の声、果たしてその正体は――?