魔王軍 対 神の軍勢
ネフィウス高原にずらりと並ぶ神の軍勢。
その先頭に立っているのは、赤銅色の全身鎧を身に纏った神族、軍神ペルペドロ。
金の輝きが混ざった赤いマントを風になびかせ、フルフェイスの兜からこちらへ視線を向けている。
「神の扉を力尽くでこじ開けるとは……」
小さく呟いた軍神の言葉が、魔力を伴い、離れた場にいる俺まで届く。
「貴様は世界の異物。紛うことなき不適合者だ、アノス・ヴォルディゴード。その傲慢な心が、我々をこの地へ誘い、そして世界を戦火に巻き込むのだ」
世界の異物か。
俺の深奥へ話しかけてきた者も、そんなことを言っていたな。
「世界を戦火に巻き込む、か。大層なことを口にしたものだが、お前たちは所詮アベルニユーの代わりだろう? あの空に浮かんでいた<破滅の太陽>の末路、知らぬわけではあるまい」
「我々は、個であった破壊神とは異なる。戦火をもたらす軍勢なり」
軍神ペルペドロが、すっと片手を上げる。
「剣兵神ガルムグンド」
ザッと一糸乱れぬ隊列で、剣を持った兵隊が前進した。
蒼白き鎧は、剣のようなフォルムであり、右手には透き通るような神剣を携えている。
「槍兵神シュネルデ」
右翼にいた兵隊が前進する。
蒼白き鎧は、槍を彷彿させ、輝く神槍を手にしている。
「弓兵神アミシュウス」
馬に跨った兵たちが、前進する。
蒼白き鎧は、弓の如き意匠で、巨大な神弓を持っている。
「術兵神ドルゾォーク」
最後尾にいた兵たちが、前進する。
蒼白き鎧は、それ自体が魔法陣の形をなし、両手に神杖を握っている。
「我が軍は、秩序そのもの。何人たりとも、その進軍を止めることは能わず」
「ふむ。破壊神を守護していた番神どもとは、わけが違うとでも言いたいのか?」
「是である」
簡潔に軍神ペルペドロは述べた。
「全軍、前進。敵は僅か八人。踏み潰せ」
ペルペドロが声を発すると、雄叫びのような声が上がり、神の軍勢が歩く速度で進軍を始めた。
全員の歩調は完璧なまでに揃っており、一歩ごとに地響きがした。
ネフィウス高原が、神の力を有す軍勢の前進で揺れているのだ。
「……さっきまで、あたし、どうやってあの扉を閉じようかって考えてたんですけど……」
「ボクもアノス君が、神の扉だからといって開くと思ったか、とかなんとか言うのに期待してたぞ……」
ミサとエレオノールが、呆れたような言葉を漏らす。
「膿は出し切った方がよい」
「そう言われるとそうなんですけど、心の準備ができてなく、ですね……」
不安そうに軍勢を見つめるミサに、俺は言った。
「たかだか二〇〇〇の兵、一人二五○倒せばそれで済む」
「んー、ボクの力で二五○も倒せるかなぁ? あんまり攻撃向きじゃないんだぞ」
エレオノールが緊張感のない声で、疑問を浮かべた。
「あたしも、どうなんでしょうね? 真体なら、それぐらいいけるかもしれませんけど……」
ミサが不安そうに言う。
真体を現した途端、真逆のことを口にしそうなものだがな。
「大丈夫だよ」
そう口にして、彼女の隣でレイは微笑む。
目映い光とともに、彼の手に、霊神人剣が姿を現した。
「いざとなったら、僕が君の分まで倒すからね」
「じゃ、ボクの分の二〇〇もあげるぞ」
悪戯っぽくエレオノールが人差し指を立てる。
「ゼシアの二五〇もあげますっ!」
二人の軽口に、レイが苦笑いを浮かべる。
「では、そちらは私が引き受けましょう」
神の軍勢が構築していくその陣形に、油断なく視線を配りながら、シンが言う。
「しかし――」
数歩前に出ながら、シンは背中越しに彼へ告げる。
「たった七五〇体の神も倒せない男に、娘を渡す親がいるかどうか。あくまで一般論ですが」
まるでご挨拶の続きかのように、彼は冷たい声で言う。
今ならレノはいない、と、その背中が語っていた。
「じゃ、一〇〇〇体倒そうかな」
受けて立つと言わんばかりにレイは応じ、前へ出る。
「それはどうでしょう?」
シンは静かに言い、隣に並んだレイを、横目で睨む。
「あなたの分が一〇〇〇体も残っているとは限りませんので」
先に一〇〇一体倒してしまうと言いたげだった。
「やってみなきゃ、わからないよ」
一瞬交わったレイとシンの視線が火花を散らす。
「ふむ。面白そうな余興だ。ならば、勝負の合図をくれてやろう」
言って、俺は虚空に手をかざす。
バチバチ、とそこに紫電が走れば、それが球体魔法陣を構築する。
右手を突っ込み、ぐっと握り締める。
手の平の中で凝縮されていく紫電は、膨大な破壊の力を宿し、高原に光を撒き散らした。
右手を天に掲げ、こぼれ落ちる紫電にて、一〇の魔法陣を描く。
そこから稲妻が走り、魔法陣と魔法陣がつながったかと思えば、俺の目の前には、一つの巨大な魔法陣が構築されていた。
「<灰燼紫滅雷火電界>」
連なった魔法陣が、高原をゆるりと進軍してくる神の軍勢へ向かい、勢いよく放たれた。
紫の稲妻がみるみる広がり、散開していく神々を覆いつくす。
魔法陣の内側は堅固な結界を成す。
最早、逃れることは不可能。
奴らにできるのは、その圧倒的な破壊の紫電を耐え抜くのみ。
高原一帯が紫に染まり、大気が割れんばかりの雷鳴が轟いた。
荒ぶる紫電は猛威を振るい、昼よりなおも明るい光が辺りを照らす。
終末を彷彿させる不気味な音と共に、滅びの雷により、神の軍勢は焼かれた。
光が収まり、鮮明になった視界に映ったのは、夥しい量の灰燼である。
「えーと……」
エレオノールがきょとんとしながら、声を漏らす。
「合図って、普通に全滅じゃないですかー……」
驚きを通り越して呆れたようにミサが言う。
その刹那――
彼女の目の前に、なにかが飛来した。
「え……?」
巨大な鏃が、ミサの鼻先に突きつけられていた。
だが、寸前のところで当たってはいない。
その神弓の矢を、シンが左手でつかみ、防いだのだ。
「魔法が石にされた」
ミーシャが言った。
次の瞬間、灰が舞い上がる。
その中から、神の軍勢が現れた。
「全軍進め。魔王軍を分断し、各個撃破する」
軍神ペルペドロが命令を発する。
奴らは四部隊に別れ、こちらを包囲するような陣形を取り始めた。
「ふむ。神の軍勢を名乗るだけのことはある。<灰燼紫滅雷火電界>さえ、八割は石に変えたか」
あの灰燼の殆どは、元は石に変わった紫電だ。
滅びたのは凡そ二〇〇ほどか。
確かに、これだけの兵が街中へでもやってきたものなら、被害は甚大なものとなろう。
「シンは右翼、レイは左翼へ向かえ。各個撃破がお望みならば、存分に狙わせてやる」
「御意」
「了解」
シンとレイは、地面を蹴り、こちらへ進んでくる兵たちへ向かう。
彼らならば、一瞬で間合いを詰めることもできるだろうが、それは向こうとて同じこと。
ゆっくりと間合いに詰めながらも、陣形を変え、こちらを牽制している。
深淵を覗けば、軍勢が描く陣形から強い魔力を放たれている。
なにかある、と見て間違いないだろう。
奴らの動きに合わせ、レイとシンも緩やかに駆けつつ、あちらの陣を切り崩す隙を探っている。
「ミーシャ、サーシャ、ミサ、エレオノール、ゼシアはこの場にて、シンとレイを援護せよ。分断されるな」
ミサが手を頭上にやれば、そこから暗黒が溢れ出し、彼女の身を包み込む。
彼女を覆った暗黒に、次いで無数の雷が走った。
稲妻が闇を払うようにして、彼女の真体をあらわにする。
檳榔子黒のドレスと、背には六枚の精霊の羽。
深海の如き髪を優雅にかき上げ、ミサは言った。
「アノス様はどうなさいますの?」
「決まっている」
迂回せず、まっすぐ向かってくる二陣を見据える。
約八〇〇名の兵たちへ向け、魔法陣を一〇〇門描く。
瞬間、中央の兵から漆黒の太陽と神弓の矢が、無数に飛来した。
「やらせないぞっ!」
エレオノールが<四属結界封>にて、その場に盾を構築する。
「<複製魔法鏡>……!」
ゼシアは<四属結界封>を挟むように、外側に、大きな魔法の鏡を二枚展開した。
「合わせ……鏡……です……」
<複製魔法鏡>に映った魔法は複製される。
合わせ鏡により、無数に増えていく<四属結界封>はその場に堅固な結界を構築した。
「神の軍勢如きが、わたしの魔王さまに手を出してるんじゃないわ」
サーシャが<破滅の魔眼>で一睨みし、襲いかかる神弓の矢と<獄炎殲滅砲>を自壊させていく。
威力の弱ったその攻撃は、エレオノールとゼシアの<四属結界封>にあえなく封殺された。
「返礼だ」
一〇〇の砲門から<獄炎殲滅砲>を乱れ撃つ。
神の軍勢に降り注いだ漆黒の太陽は、しかし、術兵神ドルゾォークが構築した結界に侵入した瞬間、すべてが石の塊に変わる。
剣兵神ガルムグンドが神剣を振るい、その石は細切れに刻まれた。
「これなら、どうですの?」
ミサが、<魔黒雷帝>を放つ。
しかし、その黒雷も、術兵神たちの結界によって阻まれ、瞬く間に岩に変わる。
すぐさま、石は切断され、バラバラと地面に落下する。
「間合いの遠い魔法砲撃を、石に変えられる術式のようですわね。ですけど――」
ふわりとミサが微笑する。
次の瞬間、最前列の兵が、黒き炎に包まれ、宙を舞っていた。
「至近距離の魔法は、防げませんわ」
「<焦死焼滅燦火焚炎>」
ミサが黒雷にて隙を作った間に、俺は一足飛びに中央の陣へ接近し、剣兵神ガルムグンドを弾き飛ばしていた。
石にされた<獄炎殲滅砲>とは別に、<波身蓋然顕現>にて放っておいた<獄炎殲滅砲>を魔法陣とし、俺の右手に輝く黒炎が纏う。
「どけ」
地面を蹴り、俺の体はさながら閃光と化す。
神の兵が密集する中央の陣を、駆け引きなしにぶち抜いた。
何十体もの剣兵神ガルムグンド、槍兵神シュネルデが悉く弾き飛ばされ、折れた神剣や神槍が宙を舞う。
<灰燼紫滅雷火電界>を石に変え凌いだとはいえ、その滅びの紫電を僅かでも浴びたなら、無傷では済まぬ。
疲弊した神の兵を軽く薙ぎ倒し、その中心にいる赤銅の全身鎧を纏った軍神へ肉薄した。
「大将が一騎駆けとは、愚策」
俺が繰り出した<焦死焼滅燦火焚炎>の指先を、軍神ペルペドロはその赤銅の手にて、真っ向から受け止める。
ゴオオオオオオオォォォッと輝く黒炎が荒れ狂うも、渦を巻いた神の反魔法にてそれが押さえ込まれた。
「多数をもって、小数を制す。これぞ、兵法というもの。いかなる力も、正しき秩序には抗えぬのだ」
「古い秩序だ、書き直しておけ」
そのまま軍神をぐっと押しやり、奴の体ごと周囲の軍勢を蹴散らしていく。
地面に足を踏ん張り、渾身の力を込め、ペルペドロは俺の突撃を止めようとしている。
足が止まれば、その瞬間にも軍勢たちが一斉に神の刃を突き立てるだろう。
だが、止められぬ。
「ぬぅぅぅ……!!」
奴の神眼と、俺の魔眼が交錯し、激しく火花を散らした。
「魔王をもって、多数を蹂躙する。俺が兵法だ、軍神」
軍勢、薙ぎ倒す、魔王の進撃――