レグリア家のおもてなし
二人が入っていった大木の邸宅を一瞥し、俺は言った。
「出直した方が良さそうだな。レイたちの邪魔をするわけにもいくまい」
隣でミーシャがこくりとうなずく。
「うんうん、ボクもそれがいいと思うぞ。どんな話をするのかは気になるけど……」
「……ゼシアも邪魔……しません……我慢の子……です……!」
ゼシアがそうアピールすると、ミーシャはよしよしと彼女の頭を撫でる。
ご満悦とばかりにゼシアは笑みを覗かせた。
「サーシャ。レノに会うのは後回しだ。まずはお前が行きたいところへ向かうとしよう」
「わかったわ!」
そう口にすると、サーシャはまっすぐ大木の邸宅へと向かっていく。
「サーシャちゃんっ、そっちはだめだぞっ!?」
「……ズルい……ですっ!」
エレオノールとゼシアが声を上げる。
サーシャの横に並び、俺は手をつかんだ。
「レノに会うのは後だと言っただろうに」
「だって、レイとミサが心配だもの。ちゃんとご挨拶できるか、見守ってあげなきゃ」
サーシャはずんずんと大木の邸宅を目指して足を動かすが、俺に手をつかまれているため、一向に前には進まない。
「遠いわ……」
遠いわけではない。
「挨拶の相手が、仇敵というわけでもあるまい」
「うー……なによー。アノスは、心配にならないの?」
「なにが心配だというのだ?」
「だって、レイがレノに受け入れてもらえなかったら、二人の恋は終わってしまうわ。そんなの悲しすぎるもの。恋は報われなきゃ、わたしは嫌だもんっ」
ふむ。判断のつかぬことを言う。
果たしてこれは、二千年前の想いなのか、サーシャが酔っぱらっているだけなのか?
両方ということも考えられるがな。
「まあ、しかし、レイがレノに受け入れてもらえない、というのはありえぬ」
「うー……魔王さまの薄情者ぉ……」
瞳に魔法陣を浮かべ、サーシャが俺をじとっと睨む。
物騒なその魔眼を、同じ魔眼できっちり相殺した。
「仕方のない。お前の好きにせよ」
「うんっ。好きにするわ」
手を放してやれば、勢いよく、けれどもふらふらの足取りでサーシャが大木の家に近づいていく。
おもむろにドアをノックしようとして、しかし、彼女はピタリと停止した。
なにやら考えているようだ。
「ねえ、ミーシャ。普通に入ったら、邪魔よね?」
振り返り、背後にいたミーシャに彼女は問う。
「ん」
「中、見えないかしら?」
大木の中へ、俺は魔眼を向けてみた。
だが、霧に包まれた視界に変わり、なにも見えぬ。
精霊の力か。
「ふむ。さすがは大精霊レノの住処だ。俺の魔眼でも、中は見通せぬ」
「うーん、じゃ、どっかに隙間でもないかしら?」
大木に沿って、サーシャはぐるりと円を描くように歩き出す。
ざっと見たところ、窓はいくつかあったが、そこから覗けば瞬く間に勘づかれるだろう。
<幻影擬態>と<秘匿魔力>でも使うか?
「お困り?」
ふと聞き覚えのある声が聞こえた。
目の前に霧が漂い、それが小さな妖精の形を象っていく。
「覗き見?」
「したい?」
「ご挨拶ご挨拶」
「興味津々」
現れたのは悪戯好きの妖精、ティティである。
彼女たちは楽しそうにサーシャの周囲を飛び回っている。
「覗き見したいわっ」
堂々とサーシャは言った。
クスクス、クスクス、とティティたちは笑う。
「おいで」
「おいでおいで」
「覗き見できるよ」
「得意分野ー」
ティティたちは空を飛び、大木の邸宅の上部を目指す。
それを追いかけ、生い茂った木の葉と枝をすり抜けるようにしながら、俺たちも<飛行>で飛んでいく。
「穴空け開始ー」
「悪巧み、悪巧み」
「どどどどど」
「ごごごごご」
ティティたちは楽しそうな声をあげながら、釘を大木に刺し、小さな棒でカンカンと打ちつけている。
その様子を眺めながら、サーシャが尋ねた。
「そんなことしても、釘が木に刺さるだけじゃないの?」
クスクス、と妖精たちは笑う。
「ところがどっこい」
「釘を、木に刺す」
「するとすると」
「じゃーん」
釘で円形に縁取られた木の一部に水が表れた。
「なにこれ?」
「水溜まり窓ー」
「水に顔をつけると、中が覗けるよー」
「見てみて」
「こんな感じー」
ティティたちが、木にできた水面に顔をつける。
サーシャはそれを真似して、水の中に顔を入れた。
彼女が足をジタバタさせたかと思うと、ぽちゃんとその水溜まり窓とやらに体ごと落ちていった。
「ゼシアも……やりますっ……!」
瞳をキラキラと輝かせて、ゼシアは木の水面に顔をつける。
サーシャと同じく、その体は水の中に落ちていった。
「ふむ。行ってみるか」
「ん」
俺とミーシャ、エレオノールは順番に木の水面に顔をつけて、水の中に落ちた。
どういう原理になっているのかよくわからぬが、中は広い。
サーシャが水底に張りついているのが見えた。
『あ、レイ君とミサちゃんだぞ』
エレオノールが俺に<思念通信>を飛ばす。
水底にはガラス張りのように透明な膜があり、そこから家の中の様子を覗くことができるようだ。
『向こうからは見えない?』
ミーシャがティティに尋ねる。
「大丈夫ー」
「たぶんー」
「恐らく?」
「隠れるのは得意」
ティティたちがそう答える。
まあ、レイがこちらに気がついた素振りはない。
何事もなければ大丈夫だろう。
俺はサーシャの隣に移動し、水底から、邸宅へ視線を向ける。
大木の内部を家にしたといった内装である。
多くの草花が木の壁から生え、綺麗に飾りつけられていた。
繭のようなベッドや、正確に時を刻む火時計、水晶の棚など、ディルヘイドでは見慣れないものが置いてある。
大きな木の机と、切り株の椅子があり、そこにレイとミサが腰かけていた。
「ええと……す、すぐ来るって言ってたんですけど、遅いですね……」
先程からミサは、別室の方へ何度も顔を向けている。
足を揺らしたり、手を何度も組み替えたりと、そわそわしていた。
「落ちつかないかい?」
レイが問うと「あ……」とミサは声を発し、俯いた。
「す、すみません……。さっきあれだけ大きいこと言って、いざとなったら、あたしの方が緊張してますね……」
あはは、と力なく笑うミサを見て、サーシャがぐっと拳を握る。
『がんばって、ミサ。わたしがついてるわ』
なにやら感情移入しているようだった。
『危なくなったら、わたしが<破滅の魔眼>でどうにかするわ』
滅ぼしてどうする?
「おかげで僕の方は、すっかり緊張が解けたけどね」
「……え?」
不思議そうに、ミサは彼の顔を見た。
「ミサがあんまり可愛いところを見せるからね」
くすっとレイは涼しげな笑みを漏らす。
「そっ……」
ミサは顔を真っ赤にして、再び俯いた。
「……ど、どうしてくれるんですか……こんな顔、お母さんに見せられません……」
「いつもの僕たちを見てもらおうよ」
机にあったミサの手に、レイはそっと手を重ねる。
「取り繕わなくても、大丈夫だよ」
「あ……えと……その……」
ゆっくりと顔を上げ、ミサの視線がレイの瞳に吸い込まれていく。
「はい」
僅かに緊張が解けたか、ミサは笑った。
「不思議ですね。レイさんに言われると、なんでも大丈夫な気がしてきます」
「僕も、君と二人なら、怖いものはなにもないよ」
「あはは……ちょっと……恥ずかしいですけど……嬉しいです……」
顔を赤らめながら言い、ミサは彼の手を両手で握った。
『そうよ、そう。うまくミサの緊張を解したわ。ちょっと気障だけど、今日ばかりは許してあげるわよ、レイ』
上から目線でサーシャが感想を漏らす。
「好きだよ」
ストレートなレイの言葉に、なにを言うこともできず、ミサははにかみ、ただこくりとうなずいた。
「はいはい、そこの人っ。私の可愛い娘を、あんまり誑かすんじゃないんだよっ」
ばっともの凄い勢いでミサはレイから手を話す。
視線を向ければ、すぐそこに、ドレスを纏った少女がいた。
髪は湖のように蒼く、瞳は琥珀の輝きを発している。
ミサの実の母親にして、シンの妻、大精霊レノであった。
『来たわね……いきなりの先制攻撃だわ……。耐えて、レイ……』
サーシャの頭の中では、ご挨拶という名の戦いが繰り広げられているようだった。
「ち、ち、違うんですよ。これは、あの、違うんですっ。あたしが、緊張してたから、それをなんとかしようとしてくれただけで、レイさんは別に、そのっ……」
立ち上がり、ミサはレノへ必死に弁解しようとしている。
「そんなに慌てないの。ただの冗談なんだから」
「あ……は、はい……ですよね、そうですよね……あはは」
気まずそうにミサは笑う。
『信じちゃだめよ、ミサ。冗談と見せかけて、追撃を仕掛けてくるかもしれないわっ……レイの盾になれるのは、あなただけなのよっ』
サーシャは手に汗を握り、そう言った。
「やあ」
立ち上がったレイに、レノは笑いかける。
「久しぶり。ちっとも遊びに来ないんだから、カノンって昔から用がないと来ないよね。そういう人だよね」
「魔王再臨の式典のときに会ったけどね」
「言い訳しない。バタバタしてたから、ろくに話せなかったよ」
レイが苦笑すれば、レノは穏やかに微笑んだ。
その間で、ミサが不思議そうに、二人の顔を交互に見ていた。
「え? あれ? お母さんとレイさんって、会ったことがあるんですか?」
「だって、二千年前、精霊と人間は、ともに魔王軍と戦ったんだよ。アハルトヘルンの精霊たちに協力を頼みに来たのが、人間の代表、勇者カノン。そのとき、話したのが私だよ」
「アノスを相手に、共闘したこともあるよ」
レイが言う。
「あのときは、もうだめかと思ったよ」
ミサは唖然とした表情で、レノを見つめている。
「あれ? 人間と精霊が協力してたのは君も知ってるから、てっきりわかってると思ってたんだけど……」
「……確かに、よく考えれば、そうなんですけど……じゃ、じゃあ、緊張するって言ってたのは……?」
困ったように笑い、レイは母なる大精霊に視線をやった。
「昔の知り合いに、娘さんと交際してるってはっきり伝えるのは、やっぱりね」
「せっかく、可愛いミサと再会できたのに、もうとられちゃっててがっかりだよ。しかも、カノンに。勇者の手が早いなんて知らなかったなぁ」
じとーとレノは、レイを睨む。
彼は気まずそうに、苦笑するしかなかった。
「あははっ。でも、変な人よりはカノンでよかったよ。シンみたいな人だったら、苦労するだろうし、その点、カノンは大丈夫だから」
「もう、なんですか、それ……。緊張して損しましたよ」
へなへなとミサは脱力した。
レノとレイが、温かい視線を彼女に向けた。
とても穏やかな空気が、大精霊の邸宅を包み込む。
そんな平和な一幕を、水溜まり窓から目撃した少女が言った。
『なによ、これ……』
サーシャは拳を水底に叩きつけ、<思念通信>で叫んだ。
『出来レースだわっ……!! こんな舗装された道を行くようなご挨拶ってあるっ!?』
応援して損したと言わんばかりに、彼女は不平を訴えている。
「ほら、座ろうよ、二人とも。お茶淹れよっか。あ、知ってた、カノン? ミサが誰かを連れてくるなんて初めてなんだよ。お友達を連れてきたらって言っても、なかなか連れてこないの。最初は誰かさんを連れてきたかったのかな?」
「な、なにを言ってるんですか、お母さんっ。そ、そんなこと別に言わなくてもいいじゃないですかーっ」
「ほら、ミサの可愛いところをアピールしておこうと思って」
娘をからかうようにレノは微笑む。
ミサは恥ずかしそうに小さくなっていた。
「積もる話もあるよね。ほら、座ってよ」
レイは笑顔でうなずき、ミサに座るように促す。
二人がまた切り株の椅子に座ろうとしたそのときだった――
「たまには、私がお茶を淹れましょう。レノ、あなたもどうぞお掛けください」
和やかな空気を打ち破るが如く、冷たい声とともに、一人の男が姿を現す。
ミサの父、レノの夫にして、かつて勇者カノンと死闘を演じた魔王の右腕、シン・レグリアその人だった。
「あれ? シン、今日はお仕事があるって言ってなかった?」
「ええ。魔王に弓引く者の情報を得ましたが、しかし、少々胸騒ぎ――いえ、三秒で事を済ませてきました」
レイの方向を見つめると、彼は冷たい表情を崩さず言った。
「娘が連れてきた初めての客人。家長として、誠心誠意、おもてなしをしなければいけませんね」
鋭きおもてなしが、レイを襲う――