思い出を巡る方法
「あれ……?」
自室にて、サーシャが呟く。
蒼白く光っていた彼女の魔眼が、元の碧に戻った。
<思念通信>にて伝えられていた過去の映像が忽然と消え、俺を覗き込む少女の顔だけがそこにあった。
「……うーん、おかしいわ……もっと思い出せそうだったのに……」
サーシャが頭を捻り、うんうんと唸る。
しかし、それ以上は思い出せない様子だ。
「だけど、あれよね? アノスがあのとき、アベルニユーにしたのって、こういうことじゃない?」
<破滅の魔眼>を浮かべながら、サーシャは俺の魔眼を覗き込む。
視線を介し、俺の深奥まで、その滅びの魔力が届く。
根源にサーシャの<破滅の魔眼>が強く干渉し、溢れ出る力を自壊させていた。
無論、今のサーシャの力で俺の魔力を削りきれるわけもないが、幾分か弱められた分、制御が少々楽になった。
「俺とは違い、力が強大すぎるために制御が効かぬ、というわけではなさそうだったがな。神族が司る秩序には、元より己に制御できぬ領域がある」
「んー、どういうことだ?」
エレオノールが訊く。
ゆるりと身を起こしながら、俺は説明した。
「たとえば天父神は、秩序を生む秩序だ。自らの意志で番神程度ならば生むことができるだろうが、他の秩序を司る神を自由に生めるかというと、そうはいくまい。そんなことをすれば、容易く秩序が乱れるからな」
「アベルニユーは破壊の秩序を制御できなかった?」
ミーシャが尋ねる。
「そういうことだ。殆どの神族は、制御できぬ秩序を己の意志だと認識しているが、アベルニユーは違ったのかもしれぬ」
たった今、サーシャが見せたあの過去で、アベルニユーは泣いていた。
それは自らが破壊の秩序であることを憂えてのことか?
あれだけでは、まだ断言できぬが、彼女がサーシャだというのならば、おかしな話でもない。
「アノスは今の、覚えてないの?」
「アベルニユーとまともな話をした覚えはない。俺が失った記憶だろう」
ミリティアが奪い、辻褄を合わせる記憶を創造したのだろうが、さて、なにが目的だったのか?
やはり、ミリティアにあの記憶を奪う理由はなかったように思える。
少なくとも、今のところは。
「……続きが、知りたいわね……」
呟くサーシャの顔を、じっとミーシャが覗き込む。
「どうしたの、ミーシャ?」
不思議そうにサーシャは、ミーシャの顔を見返す。
「酔いが醒めた?」
「え? あ、うん……そういえば、ちょっと醒めてきたわ……なんか、家を出てからの記憶が怪しいんだけど、変なこと言ってなかったかしら?」
ミーシャは少し困ったように考え込む。
その後に言った。
「アベルニユーっぽい感じだった」
「うーん。じゃ、本当にお酒の力で記憶が戻ったの……? そんな馬鹿なことってあるかしら?」
サーシャは釈然としない様子である。
「でも、サーシャちゃん、実際に思い出したぞ」
エレオノールが言う。
「……お酒飲んだら、普通は忘れるじゃない……なんで、思い出すのよ……?」
サーシャはそんな自問をしている。
「酒の力だけではあるまい。お前は先程、<破滅の魔眼>にて、俺の根源から溢れ出そうとする滅びの力を自壊させた。その行為が、かつてのアベルニユーの想いを呼び覚ましたのではないか?」
サーシャが考え込む。
すると、エレオノールが指を一本ぴっと立てた。
「じゃ、あれだ。アベルニユーが大事にしてた思い出と、似たようなことを見たり、やったりすると、思い出すんじゃないかな?」
「想いを辿り、記憶を思い出すとミリティアも言っていたことだしな」
サーシャが頭を手で押さえる。
「うーん。じゃ、それはそれとして、この先どうすればいいのかしら? そもそも、その思い出がなにかわからないわけだし」
「つまり、これが一番手っ取り早い」
立ち上がり、俺は魔法陣を描く。
その中心に手を入れ、先程生成したぶどう酒の瓶を取り出す。
創造したグラスに、酒を注いだ。
「飲め」
「なんか、昼間からお酒ばかり飲んでるって、悪いことしてる気分だわ」
グラスを手にして、サーシャはこくこくとぶどう酒を飲み干した。
とろんとした表情で、彼女は言った。
「おかわり」
「あまり飲みすぎぬことだ」
グラスに酒を注いでやる。
「あら、ご挨拶ね。沢山飲めば、わたしのこともっと思い出すかもしれないわ」
ミーシャが不思議そうに首をかしげる。
「んー、あれ、誰目線だ?」
「サーシャとアベルニユーが半分?」
エレオノールとミーシャが疑問の表情を向け合っている。
すると、ゼシアが大きくを手を挙げて、得意満面に言った。
「サーシャベルー……です……!」
こくこくと再びぶどう酒を飲み干すと、サーシャは手を頭に当てた。
「あ……!」
「サーシャちゃん、思い出しそう?」
「……頭が痛くなってきたわ」
ふらふらの足取りで、サーシャはグラスを俺に差し出す。
「とりあえず、お酒を飲んで治すわ」
「サーシャベルーから、ただの酔っぱらいになっちゃったぞっ」
そううまくはいかぬものだな。
ひとまず、サーシャのグラスには魔王酒を注いでおく。
彼女は嬉しそうにそれを飲んだ。
「ねえ、外に行ってみてもいい?」
「ああ」
サーシャはふらふらの足取りで、部屋を出て、階段を下りる。
彼女の後についていき、俺たちは家を出た。
無軌道に歩き回るサーシャを見守りつつ、ミッドヘイズの街を歩いていく。
「んー、このままなにも考えずに歩いてても、偶然アベルニユーの思い出に辿り着く気は全然しないぞ」
エレオノールが言うと、ゼシアは両拳を握った。
「ゼシアは……思いつきました……!」
「お。なにを思いついたんだ?」
「偶然思い出に辿り着く魔法を使います」
「ゼシアはお利口さんだっ。アノス君の出番だぞっ」
冗談めかしてエレオノールが言う。
ミーシャが首をかしげ、俺の顔を見上げた。
「ある?」
「サーシャの記憶があればな」
記憶さえはっきりしていないのに、思い出に辿り着けるような、そんな都合の良い魔法は存在しない。
「……しかし、そうだな。直接的ではないが、近いことならばできるやもしれぬ」
なにもない往来でつまずき、倒れそうになったサーシャの手をつかみ、俺は言った。
「サーシャ。これから、レノに会いに行くがいいか?」
「大精霊レノ……?」
アベルニユーの想いが混ざっているのか、サーシャがきょとんとした顔になる。
しかし、すぐに嬉しそうに笑った。
「うんっ、いいわ。久しぶりね」
俺は<転移>の魔法陣を描く。
「あ、そっか。精霊だ。思い出の精霊みたいなものがいないか、レノちゃんに訊いてみるってことかな?」
思いついたようにエレオノールが言った。
「噂と伝承に左右される精霊の能力は不可思議だ。サーシャの思い出を辿るのに役立つ精霊がいるかもしれぬ」
たとえ、記憶を蘇らせる精霊がいたとしても、俺の記憶もサーシャの記憶も戻らぬだろう。
それで、戻せるものならば、<追憶>の魔法で戻せている。
だが、探し物が見つかりやすくなる、あるいは運が良くなる、といった精霊であれば、その力は発揮されるかもしれない。
「行くぞ」
全員で手をつなぎ、<転移>の魔法を使った。
視界が真っ白に染まり、やってきたのはミッドヘイズの外れにある土地だ。
自然の豊かな場所で、木々に溢れ、草花が生い茂った奥には、家ほどの大きさの大木があった。
大精霊レノが、ミッドヘイズに作った邸宅である。
レノ、シン、ミサの三人でそこに暮らしている。
時折、アハルトヘルンに戻っているようだが、今はここに彼女の魔力を感じる。
「誰かいる」
ミーシャが、大木の邸宅の方角を指さす。
そこにいたのは、一組の男女だった。
一人は白髪で薄い青の瞳を持った中性的な顔立ちの少年。
もう一人は、癖のある栗毛の少女。
誰あろう、レイとミサである。
二人はミサの自宅である、その大木の邸宅に視線を注いでいる。
「少し緊張するね」
「だ、大丈夫ですよー。今日はお父さんはお仕事があるって言ってましたから、お母さんしかいませんし」
レイの緊張を解すように、ミサは言った。
「それに、お母さんは、あたしの味方ですし。ちょっとお茶するだけですし。なにかあったら、あたしがなんとかしますから。レイさんは気楽に構えていて、全然大丈夫ですっ」
レイはふっと爽やかに微笑む。
「心強いよ」
そう口にした後、レイはミサと一緒に、大木の邸宅の中へ入っていった。
サーシャがずいと身を乗り出して、その様子を見た後、ばっとこちらを振り返った。
「ご挨拶だわっ!!」
鬼の居ぬ間にご挨拶……