重ねた魔眼
食事を終え、母さんはいそいそと後片付けを始め、父さんとイージェスは鍛冶の訓練のため、工房へ戻っていった。
先程、一瞬響いた声は、もう聞こえぬ。
耳鳴りも止んだ。
恐らくは<思念通信>の応用なのだろうが、どこから飛ばされた声なのか、俺の魔眼でもまるで捉えられなかった。
俺の根源に、直接響いた。そんな気さえする。
どくん、どくん、と心臓が脈を打つ。
根源から溢れ出す、魔力に激しく揺さぶられるように。
「んー、じゃ、これから、どうしよっか?」
エレオノールが言った。
「サーシャちゃんの酔いに任せて、アベルニユーだったときの記憶を思い出してもらうのかな?」
彼女は人差し指を立て、俺に問いかける。
「今のところ、それが一番確実そうだ。もう少し酒量を増やしてみるか?」
サーシャを見ると、彼女は「なによー」と言いながら、少し恥ずかしげに視線を逸らす。
酒を創るため、俺はその場に魔法陣を描く。
「待って」
と、ミーシャが声を上げた。
全員が不思議そうに彼女を見る。
じー、とミーシャは俺に魔眼を向けてきた。
「いつもと魔力が違う」
「んー?」
エレオノールが魔眼を凝らして、俺の深淵を覗く。
「……ほんとだぞ。というか、アノス君、またちょっと強くなってないかな?」
「なに、グラハムの根源を取り込んだ副産物にすぎぬ。虚無を滅しようと、俺の根源が秘めた力を発揮しているといったところか」
「わーお、まーだ秘めてたんだっ」
おどけた口調でエレオノールは言う。
しかし、すぐに彼女は疑問を浮かべた。
「あー……っと……でも、それがどうかしたのかな、ミーシャちゃん?」
「強くなるのは、よくない」
淡々とミーシャは言う。
「んー? どうしてだ? 強くなったら、悪い奴を簡単にぶっ飛ばせちゃうぞっ」
「ゼシアも……強くなりたいです……!」
手をピッと上げて、ゼシアが大きく主張する。
「アノスの魔力の深淵は、たぶん、この世界が許容できる限界を超えているから」
唖然とした表情で、エレオノールが俺の顔を見る。
「強くなればなるほど、力を抑えなきゃいけなくなるだけ」
淡々とミーシャは言う。
「溢れ出す魔力で、世界が壊れないように」
ふむ。大したものだ。
ずいぶんとミーシャの魔眼は成長した。
出会ったときからその素質は常人ならざるものだったが、そのときと比べても見違えるほど、万物の深淵を覗くことができるようになった。
「強くなりすぎて、力を抑えきれていない」
俺の心を覗くようにして、彼女は訊いた。
「違う?」
その問いに俺はうなずく。
「予想より多く、魔力が増してな。少々、制御に苦労しているところだが、なに、直に慣れる」
「地底のときは、根源がぐちゃぐちゃだった」
<極獄界滅灰燼魔砲>を克服し、おかげで俺の根源は乱れに乱れた。
滅びを克服し、根源が新たな形に落ちつくまでには少々時間が必要だ。
地底では、あまり猶予がなかった。
「今回は、とうに落ちついているぞ」
こくりとミーシャはうなずく。
「根源は綺麗な形」
静かに彼女は言った。
「なのに、あのときよりも、不安定」
ほう。そこまで見えているとはな。
「急に背丈が伸びたようなものだからな。これまで届かぬ場所に手が届き、うっかり壊してしまうこともあろう」
魔力を魔力で抑え、拮抗させる。
力の総量が変化すれば、その整合を保つのも、一苦労だ。
今はまだ完全には抑えきれず、溢れ出そうとする魔力を、俺自身の根源にて受け止めるしかない。
結果、少々、傷を負う羽目になる。
このところ、耳鳴りが続いているのもそのためだ。
しかし――あの声については、心当たりはないがな。
「強くなりすぎるというのも、なかなかどうして、困りものだ」
「また手伝う」
「以前は確かに助かったが、今回はまた状況が違うぞ」
ミーシャはうなずく。
「前は歪んだ根源の形を整えた」
迷いなく彼女は言った。
「今度は、魔力が抑えられるように補助する」
「俺の力を抑えると?」
「ん」
即答し、ミーシャは視線を逸らさず、じっと俺の深淵を覗いている。
引くつもりはないようだな。
「信じられない?」
その問いに、俺はふっと笑った。
「任せよう」
ミーシャは嬉しそうな表情を浮かべると、エレオノールを見た。
「手伝って」
「もちろんだぞっ」
「ゼシアも……手伝い……ますっ……!」
ぐっと両拳を握り、彼女は意気込みを見せた。
「アノスの部屋に」
そう口にして、ミーシャが歩き出す。
二階へ上がり、俺の部屋に移動した。
「座って」
ミーシャがベッドを指さす。
歩いていき、俺はそこに腰かけた。
とことことミーシャが歩いてきて、ベッドの上でちょこんと正座をする。
俺の頭に手を触れ、<飛行>で体をふわりと浮かせながら、ゆっくりと仰向けに倒していく。
そのまま俺の頭は、ミーシャの膝の上に収まった。
「アノスの深いところ」
柔らかい声で、彼女は言う。
「見せて」
根源の反魔法を解除していき、その場に曝す。
「んー?」
エレオノールがぴょんっとベッドに飛び乗り、俺の体に顔を近づける。
その魔眼に魔力が集中し、光を放っていた。
「すっごい魔力なのはわかるけど、なにがどうなってるのか全然わからないぞ」
エレオノールの魔眼では、たとえ反魔法を解除しようと、俺の根源の深淵まではまだ覗けぬのだろう。
「自然に溢れ出そうとしている魔力を、アノスが操っている魔力が堰き止めている」
ミーシャがそう説明した。
無論、口で言うほど、単純なことではない。
外に出ようとする魔力もあれば、内側で循環している魔力や、奥に秘められている魔力など、大きく分類しただけでも、一〇〇を超える力の流れがあり、それらは絶えず入り乱れ、変化しているのだ。
「……ボクには全然わからないけど、大丈夫なのかな?」
ミーシャはうなずく。
「アノスの根源のできるだけそばに、疑似根源を作って」
「了解だぞっ。アノス君、ちょっと濡れるけど、ごめんね」
エレオノールの周囲に魔法文字が漂い、そこから聖水が溢れ出す。
俺やミーシャを巻き込まないよう、その水はいつものように球体を象らず、彼女の体に沿うように展開された。
「触っちゃうぞ」
そっと俺の胸にエレオノールの手が触れる。
できるだけ、根源近くで<根源母胎>の魔法を使うためだ。
「なんなら、貫いても構わぬぞ」
「そっ、そんなことできないぞっ。反魔法もないし、ここからでもできるから」
魔法陣が描かれ、俺の体の内側に、疑似根源が出現する。
しかし、瞬く間にそれは、力を減衰させ始めた。
「できるだけ強く。アノスの根源のそばだと、すぐに滅ぶ」
「……わかったぞ…………」
<聖域>の光が、エレオノールに集う。
ゼシアが元気よく挙手をした。
「……ゼシアは……なにをしますかっ……?」
「応援してあげて」
ゼシアはうなずき、言った。
「……がんばれっ……です……! がんばれっ……です……!」
ゼシアの応援で、<聖域>の光が僅かに輝きを増す。
「……効きましたかっ!?」
嬉しそうな表情でゼシアが問う。
「うんうん、その調子だぞ」
ゼシアが得意満面の顔で大きく手を振って、応援を始めた。
「……がんばれっ……ですっ……! がんばれっ……ですっ……!」
「んー、これが限界だぞ。たぶん、もって三日ぐらいかな」
「大丈夫」
ミーシャは<創造の魔眼>を浮かべ、俺の内側を覗き込む。
そうして、その魔眼の力にて、エレオノールが作りだした疑似根源を創り変えていく。
「アノスの魔力は膨大すぎて、細かい制御は手順が複雑」
たとえ一万分の一以下の単位で力を制御できたとて、元が強すぎれば、微細な魔力制御にはならぬ。
単純化して述べるならば、一〇の力が根源から溢れ出そうとするとき、俺は一〇の力をそのままでは作り出せぬ。
一万一〇と一万を相殺させ、残った一〇の力にてそれを抑えるのだ。
ミーシャの言う通り、手順が少々複雑だ。
それが一つ二つならばいいが、膨大な数となってくれば、いくつかは甘んじて根源で受け止めた方がリスクが小さい。
小さな力が漏れ出ること自体に害はないのだが、そこが突破口となり、より大きな力が溢れ出す危険性もある。
「細かい魔力制御を請け負う補助根源を創った」
ミーシャが視線で俺の深淵を撫でるようにして、補助根源を俺の根源に近づけていく。
それは文字通り、弱い力を相殺すべく働く俺の魔力を補助している。
小さな魔力を足したり引いたり、あるいは漏れ出る力の防波堤となる。
先程エレオノールが言った通り、補助根源自体が、俺の根源による滅びの力に曝され、やがては消滅することになるがな。
それまでに、この力を制御できるようになればいいだけの話だ。
「どう?」
「ふむ。なかなか楽になった。大したものだ」
「よかった」
ミーシャが嬉しそうに笑う。
「もう少し、補助根源を調整する」
「うー……ミーシャ……わたしは、できることないのっ……?」
蚊帳の外だったサーシャが、一人ぽつんとベッドから離れたところに立ち、不服そうな顔をこちらへ向けている。
ミーシャは困ったように、首をかしげた。
「応援?」
「どうせ破壊神だもんっ。壊すことしかできないんだもんっ」
駄々っ子のようにサーシャは言う。
「わたしは、ただアノスより弱いだけだから、アノスの役には――」
言いかけて、サーシャは口を閉ざした。
「サーシャ?」
ミーシャが問うが、彼女は無言だ。
まるで、なにかを思い出そうとしているかのように。
「……アノス……」
ゆっくりとサーシャがこちらへ歩いてきて、俺の顔に、その顔を寄せる。
ゆらり、とその金の髪が垂れ、鼻先をくすぐった。
彼女の瞳には<破滅の魔眼>が浮かんでいる。
「できるかも。たぶん……わたしにも」
その滅びの魔眼に見つめられ、俺の瞳に勝手に魔法陣が浮かび上がる。
それは<破滅の魔眼>だった。
「ふむ。なにをした、サーシャ?」
「アノスの<破滅の魔眼>を通して、アノスの根源の中で暴れている力を自壊させるわ」
サーシャの<破滅の魔眼>がじっと俺の根源を、その深淵を覗き込む。
彼女が口にした通り、魔力が淀み、荒れ狂っていた力が、自ずと破壊されていき、滞っていた流れがスムーズになった。
「……思い出したかもしれない……うぅん、思い出したわ……」
熱に浮かされたようにサーシャは言う。
「少しだけ」
「過去をか?」
うなずき、彼女は瞬きして、<思念通信>の魔法陣を描いた。
「見て。わたしの頭の中を。アベルニユーの想いが、ここにあるわ」
彼女の魔眼が、蒼白く光っていた。
それはまるで創星エリアルのように。
<思念通信>を通し、俺の頭に、過去の映像が蘇る――
破壊神の過去が、その魔眼に映る。