表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
379/726

深奥から響く声


 食事の用意が調い、俺たちは大きな食卓を囲んでいた。


「ふふふー、今日は沢山、お客さんが来てくれて嬉しいわ。まだ作ってる料理もあるから、みんな、いっぱい食べてね」


 母さんは、軽い足取りで、冥王の後ろに歩いていく。


「イージェス君も遠慮しないで食べてね」


「……は。ありがたく」


 恐縮した面持ちでイージェスは頭を下げた。


「……アップルパイ……です……」


 ゼシアが両手にナイフとフォークを握り締め、アップルパイの皿にきらりと視線を光らせる。

 その表情は、あたかも獲物を狙う小動物の如し。


「あ、だめだぞ、ゼシア。デザートは一番最後、まずはご飯を食べないと。最初は、お野菜がいいかな? ほら、サラダがあるぞ?」


 エレオノールが大皿のサラダを指さし、ゼシアに興味を向けさせる。


 幼い表情が、悲しみに染まる。


「サラダは……草です……!」


「草は栄養があるんだぞ。美味しいぞぉー」


 ぶるぶると大きく首を横に振って、ゼシアは言った。


「……ゼシアは……勉強しました……」


「んー、偉いぞ。なにを勉強したのかな?」


「……アップルパイの生地は……小麦です……小麦から、こねこねこねて、ボォーボォー焼いて……パイになります……すごい……です……」


 さりげなく、アップルパイを食べたいとの主張であった。


「うんうん。すごいよね。偉いぞ。ちゃんと勉強してるんだ。じゃ、ご褒美にサラダをたーくさんあげちゃうぞ」


 エレオノールがゼシアを褒めつつも、サラダの大皿を彼女の前に寄せる。


 目の前に突きつけられた山盛りの草に視線を注ぎ、ゼシアが絶望的な表情を浮かべる。

 戦場では勇猛に戦う彼女も、サラダを前にしてはその気さえ起きないようだ。


「……小麦は……植物です……」


 めげずにゼシアは次なる主張を繰り出した。


「植物は、野菜です……!」


 名案を思いついたか、キラキラと彼女は瞳を輝かせている。


「……リンゴは……果物です。野菜と果物は……サラダ……です……!」


 彼女は目に力を入れて、エレオノールに訴えた。


「アップルパイは……サラダです……!」


「そっかそっか。ゼシアは、サラダが好きなんだ?」


「大好き……ですっ!」


 ナイフとフォークを握り締め、力一杯ゼシアはうなずく。


「じゃ、はい、沢山とってあげるぞ」


 星のように瞳を輝かせるゼシアの前で、エレオノールはにこにこと笑いながら、野菜サラダを大量に盛っていく。


 みるみるうちにゼシアの瞳は輝きを失い、どんよりと濁ってしまった。


「ほーら、ゼシアの大好きなサラダだぞ」


「……ゼシアの大好物が……草に……なりました……」


 渋々といった調子で、ゼシアはサラダを食べ始めた。

 「偉いぞ」とエレオノールが褒めているが、ゼシアは恨めしそうな視線で彼女を見返す。


「平和なことよ」


 イージェスが焼きたてのパンを千切り、口に放り込む。


 ライ麦で作ったパンだ。少々堅めの仕上がりだが、その分しっかりとした歯ごたえがあり、噛めば噛むほど旨味が出る。


 豊かな土壌、大地の味を感じさせる、母さんお手製のパンである。


 冥王はコーヒーの入ったコップを手にし、眉根を寄せながら、それを飲んだ。


「お。なんだ、イージェス? お前もしかして、コーヒーはだめか?」


 ベーコンをナイフで切り分けながら、父さんが言う。


「いえ、師よ。そのようなことは」


「そうかぁ? そのわりには、しかめっ面で飲んでるように見えるけどな」


 父さんがベーコンを食べると、冥王は一気にコーヒーを胃に流し込む。

 味わう間もなく、飲んでしまえと言わんばかりだ。


「くはは。まさか冥王と呼ばれたお前に、好き嫌いがあろうとはな」


 俺がそう笑い飛ばすと、イージェスはその隻眼でこちらを睨んできた。


「好き嫌いとは大げさなことよ。ただ苦いだけのこと。そなたこそ、相も変わらず、キノコグラタンに夢中とは、二千年前から進歩がない」


 蕩けるようなキノコグラタンをスプーンですくい、ゆるりと口へ運んだ後、その甘美なる味を舌のすべてを使い、十分に堪能する。


 すっとスプーンをテーブルに置き、俺は堂々と答えた。


「ときが経とうと、変わらぬものもある」


「悠長なことよ。そなたが好物を隠そうともせぬため、ミッドヘイズ領の山々からキノコが消え去ったのを忘れたか」


 二千年前の話である。

 俺の好物を知った一部の魔族たちが、乱獲したのだ。


 ある者は貢ぎ物にするため、ある者は同じものを食べ、験を担ぐため、またある者は魔王の強さの秘密がそこにあると踏み、研究のためにキノコを採った。


「好いたものさえ滅ぼすのが、そなたの宿命よ。ゆめゆめ忘れるな」


「滅ぼす? 俺がキノコを? 宿命だと?」


 くくく、と腹の底から笑いがこみ上げる。


「戯けたことを申すその口、封じてやらねばならぬようだな」


 俺はキノコグラタンを大皿から小皿にとりわけ、魔力で飛ばす。

 それはふわりとイージェスの手元に収まった。


「食らうがいい」


 イージェスは不可解な表情でこちらを見た。


 だが、すぐにキノコグラタンの香りに引き寄せられるように、スプーンを手にし、それをそっと口元へと運ぶ。


「食べ物で釣ろうとしても、詮無きことよ――」


 シャリ、とポルチーニ茸が奴の口で踊った。


「こ、れ、は……!?」


 静かに隻眼を閉じ、奴は味覚に全神経を集中しながら、グラタンを堪能する。

 シャリ、シャリ、とキノコが魅惑のダンスを踊っている。


「……この独得のシコシコした食感、溢れる旨味、すっきりとして、それでいていつまでも残る、この後味は――」


 イージェスが驚愕の表情をしながら、その隻眼を開いた。


「――まさか。滅びたはずの、ミッドヘイズ産のポルチーニ……か」


「乱獲したからといって、俺のキノコが滅びると思ったか」

 

 イージェスが瞳を光らせる。


「種を撒いていたか。自らの子孫のみならず、キノコの種を」


 二千年前、キノコが滅びかけたミッドヘイズ領の山から僅かな種菌を採取し、それを撒いた。

 森林や山岳地帯など、キノコが育ちやすいところに。


 食物というのは不思議なもので、魔法で作ったり、急成長させたとしても、含まれる栄養は十分ではなく、なにより一級品の物に比べると味が悪い。


 ゆえに自然に繁殖するのを待ったのだ。


「魔族ですらそうそう立ち入らぬ奥地に、<四界牆壁ベノ・イエヴン>で壁を作った。千年も経てば、人々はキノコがミッドヘイズの名産品であることを忘れる。その場は、キノコの楽園となろう」


 そうして、再び数を増し、たわわに実ったキノコが、今ではこのミッドヘイズ領の至るところに溢れているのだ。


「……あの大戦の最中、人々の平和のみならず、キノコの平和すらも守っていたとは……相も変わらず、恐ろしい男よ」


 冥王がキノコグラタンを口に運ぶ。


 慈しむように味わうその顔を見れば、同好の士だということがすぐにわかる。

 好きだったのだろう、キノコが。


 だからこそ、俺に苦言を呈したのだ。


 二度と食べられないはずだった、好物を、その平和の味を、奴はぐっと噛みしめた。


「その舌に旨味を刻め。俺が魔王、アノス・ヴォルディゴードだ」


「なんか格好いいこと言ってるけど、美味しいキノコを保護してただけだぞっ」


 人差し指を立て、エレオノールがそう突っ込んでくる。

 いつもなら、サーシャがなにか言っているところなのだが、彼女はあいにくまだ酔っぱらっていた。


「うー、食べても食べても、減らないわ」


「それは、みんなの分」


 サーシャは、大皿いっぱいに入ったマッシュポテトを、ひたすら口にかき込んでいた。


「どうして、みんなの分を、わたしが食べてるのっ?」


「わたしが聞きたい」


 ミーシャが淡々と言う。


「残飯処理なのっ!?」


 サーシャはあまり聞いていないようだ。


「うー……みんなの分だとしても多い気がするわ……」


「朝食と昼食だからな」


「どういうことなの?」


 顔に疑問を貼りつけ、サーシャが俺に訊いてくる。


「寝坊し、朝食を食べ損ねたのでな。昼食ついでに、朝食も食べることにしたわけだ」


「その理屈おかしくないっ!?」


 ふむ。酔いが醒めてきたか?


「じゃ、わたし、お城になっている間、なにも食べてないから、二千年分食べなきゃいけないわっ!」


 気のせいだな。


「ね、ミーシャ。そうでしょ?」


 ミーシャは、ぱちぱちと瞬きをする。

 うなずけば、サーシャが二千年分食べ出しそうとでも思ったか、若干困ったような顔をしている。


「……サーシャは、ダイエットした……」


「あ、そっか。だから、お城から、こんなに小さくなれたんだわ。食べるとまたお城にリバウンドしちゃうわね……」


 理屈はよくわからぬが、サーシャは納得したようだ。


「イージェス君。これ飲んでみてくれる?」


 母さんが、コップに赤いジュースを入れて持ってきた。


「これは……?」


「トマトとレモンを搾って、ハーブを混ぜて、ジュースにしてみたの。サラダを沢山食べてたから、これなら、お口に合うかなって思って」


 冥王の口にコーヒーが合わぬため、作ってきたのだろう。


 イージェスは、無言で手にしたコップをじっと見つめている。

 いや、見ているというより、混ぜられたハーブから漂う香りを嗅いでいるのか?


 しかし、楽しんでいるといった風ではない。

 少々、不思議な反応だった。


「トマトジュース、嫌いだった?」


「……いえ……」


 イージェスは、コップを傾け、特製トマトジュースを飲む。


 僅かに、彼はその隻眼を見開き、コップを置いた。


「………………奥方様…………」


「なあに?」


「あ……いえ……」


 取り繕うようにイージェスは言った。


「その、このハーブは、数種類を混ぜて……?」


「そう、そうなのよっ、わかる? お庭で育ててね。ぜんぶで、一〇種類使ってるの。中には野草みたいなのもあるけど、あ、でも、野草って言ってもね。こうやってジュースやハーブティーにできるようなものもあるのよ」


 母さんは嬉しそうに語る。


「味は、どうかな?」


 イージェスはうなずき、そして言った。


「とても、美味しい……」


「よかったー。苦手なものがあったら、遠慮なく言ってね」


 そう口にして、また母さんは調理場の方へ戻っていく。

 その後ろ姿を、イージェスは懐かしそうに、視線で追いかけた。

 

 そういうことも――


「…………」


「アノス?」


 ミーシャが俺に問いかける。


 なんだ?


 耳鳴りがする。


 ザーザーとノイズ交じりの不吉な音が、頭蓋に響く。


『世界は優しいと――』


 違う。

 声が聞こえてくるのは、この身の深奥。


 根源の、その深淵からだ。


『世界は優しいと――思っているのか?』

 

 まるで聞き覚えのない、ノイズ交じりの声は、強い魔力を感じさせる。


『暴虐の魔王、アノス・ヴォルディゴード』


 どくん、と心臓が波打ち、一際激しい耳鳴りがした。


『適合せぬ、世界の異物よ』


 何者かも知れぬそいつは、静かに俺に語りかける。


『いずれ、選ぶときが来るだろう。この世界の歯車と化すか、それとも異物として取り除かれるか――』


 ザーザーと頭の中にノイズが溢れる。


『――せいぜい、考えておくことだ』



謎の声――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
溢れんばかりの平和に胸が詰まる…。 と思ったら最後不穏…。
ゼシアの草、冥王の好き嫌い、サーシャの酔っぱらい漫才。こんなにも平穏なのに、アノスの中に響く悪意の声。 やはりグラハムを根源内に取り込んだ影響が出てる…?
[一言] あのジュース…アーツェノン時代にも作ってたのかな?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ