父さんの弟子
<転移>を使い、俺たちは再び家に戻ってきた。
「――違うっ! そうじゃないっ! こうだっ!」
工房から聞こえてきたのは、父さんの声だ。
いつになく真剣な口調である。
「あ、おかえり、アノスちゃん。もうすぐご飯できるからね」
キッチンの方から、母さんが顔を出す。
「いいか、小手先の技術じゃないぞっ。鍛冶は心だっ! 魂だっ! 刃を研ぐ前に、まずは心を研ぎ澄ますんだっ!」
熱のこもった父さんの声が、ドアの奥から大きく響く。
サーシャたちが何事かとその方向へちらりと視線を向けた。
「お弟子さんがいらしたのよ。初日だから、お父さん、はりきっちゃってるみたい」
嬉しそうに母さんが言う。
そういえば、そのようなことを言っていたか。
「ところで、これからお昼ご飯なんだけど、エレオノールちゃんとゼシアちゃんも一緒に食べてく?」
「あー、ボクたちはあんまりお腹空いてないかな」
エレオノールがそう遠慮した瞬間だった。
「ゼシアは……腹ぺこです……!」
魔法陣を描き、その中に手を突っ込んでは、ゼシアはマイスプーンとマイフォークを取り出した。
恥ずかしそうにエレオノールが笑う。
「ええと……ぜ、ゼシアの分だけでも、もらえると嬉しいかな……」
「今日は沢山作り過ぎちゃったから、よかったら、エレオノールちゃんも食べるの手伝ってね」
「あー……うん。じゃ、ご馳走になるぞ」
恐縮したように、エレオノールは言った。
「ふふっ、ありがと。もうちょっと待ってね。すぐできるから」
母さんはキッチンへ戻っていった。
「――よしっ! そうだ、そうっ! 段々コツがつかめてきたみたいだなっ! その調子だっ!」
気合いの入った父さんの声が、一際大きく響く。
サーシャたちは、工房のドアを振り向いた。
「……ちょっと気になるぞ」
エレオノールが興味半分、不安半分といった表情を浮かべている。
ミーシャがこくこくとうなずいていた。
「ちょっと覗いてみよっか?」
「……邪魔はよくない」
「だから、覗くだけ。邪魔にならないようにするぞ。アノス君のお父さんに、どんなお弟子さんがついたのか、ミーシャちゃんも気になるでしょ?」
ミーシャはじっと考え、こくりとうなずく。
「ゼシアも……気になります……!」
「じゃ、こっそりだぞ、こっそり」
そろりとエレオノールたちは、工房のドアへ近づいていく。
「じゃ、次はそれをそのままキープだ。これが基礎だが、良い形を保つには毎日の訓練が必要になるんだ」
父さんの声が響く中、エレオノールは鍵穴に目を近づける。
安物のため、室内が覗ける仕様だ。
「……見え……ますか……?」
「んー、見えるけど、さすがによくわからないぞ……」
すると、彼女たちの背後でサーシャが優雅に微笑した。
「わたしの出番のようね」
「サーシャちゃん、どうにかできるの?」
サーシャは自信たっぷりにうなずき、エレオノールのもとへ歩いていく。
「代わってくれるかしら?」
エレオノールと入れ代わりで、サーシャはドアの前に立つ。
「行くわよ、<破滅の魔眼>っ!」
「こっ、壊しちゃだめだぞっ!」
サーシャはたおやかな所作で指先を目の辺りへ持ってくる。
「わたしを誰だと思っているのかしら? 破壊の秩序を司る神、アベルニユーよ。なにをどう壊すか、わたしの瞬き一つで決まるわ」
サーシャの瞳に魔法陣が浮かぶ。
「中がはっきり見えるように鍵穴を少し広げればいいんでしょう?」
「そうだけど、そんなに酔っぱらってて、魔眼の制御できるのかな?」
サーシャは不敵な笑みを覗かせ、キッと目の前を睨む。
「破壊神の力、見せてあげるわ」
ドッガァァァンッと工房のドアが跡形もなく自壊した。
「えぇぇぇぇぇっ!? なにしてるのかなっ、サーシャちゃんっ!?」
「吹っ飛んだ……」
エレオノールとミーシャが呆然と今は亡きドアの痕跡を見つめる。
ふう、とサーシャが満足そうに息を吐いた。
「これぐらい鍵穴を広げれば、見やすいかしら?」
「サーシャちゃん、馬鹿だぞっ!」
見通しのよくなったドアからは、工房の中がよく見える。
ぽかんとした表情で、父さんが何事かとこちらを振り向いていた。
慌ててエレオノールが頭を下げる。
「ご、ごめんなさいっ。お弟子さんに教えてるところをこっそり見ようと思ったんだけど、失敗しちゃっ――」
顔を上げた彼女が、目の前にいる父さんの弟子を見て、目を丸くした。
大きな眼帯をつけた隻眼の魔族が、鍛冶用の大槌を肩にかつぎ、椅子に足をやっては、いつも父さんがやるような気取ったポーズをとっていた。
「なんだなんだ、見たかったんなら、言ってくれりゃいくらでも見せてやったのに。むしろ、いつだって見せつけたいぐらいだからな」
キランと歯を見せて笑い、父さんはご満悦といった様子で、弟子の前で気取った風に跪く。
そうして、その魔族を紹介するように手で指し示した。
「これから、うちで弟子として働くことになった、イージェス・コードだ。父さんの一番弟子だな」
弟子ができたことに、父さんは有頂天といった様子である。
「弟子? あなたが?」
サーシャがずいと前へ出て、イージェスを指さした。
「なにを企んでいるのかしら、冥王イージェスッ? わたしの魔眼が破滅の内は、アノスの家で勝手な真似は許さないわよっ」
「サーシャは酔ってる」
すかさず、ミーシャがフォローを入れた。
「企むもなにも、ただの成り行きよ。たまたま、師事することになっただけのこと」
イージェスが、相変わらずの口調で言う。
「信じられないわっ。たまたま師事することになったって、どういうことよ?」
サーシャが追及する。
すると、父さんが静かに頭を振った。
「サーシャちゃん。男一匹、長く生きてりゃ、他人には言えねえ過去の一つや二つあるもんよ」
父さんが、悟りきった職人のような口調で言った。
「俺ぐらいになりゃ、一つや二つじゃ利かねえ。いやさ、一〇や二〇でも利かないぐらいさ」
恥の多い人生である。
「うー……なによ……女にだってあるわよ」
そういう問題ではない。
「イージェス。そのまま、姿勢をキープな」
「承知」
イージェスがしっかり決めポーズを保っているのを確認した後、父さんは俺たちと一緒に工房の隅へ移動する。
ひそひそ話でもするように、父さんは尋ねる。
「で、あいつは、どうしたんだ? アノスたちとなにかあったのか?」
「なにかあったどころじゃないわっ! 大変よ、大変っ!」
サーシャが深刻そうな表情で訴える。
「大変ってのは、どう大変なんだ?」
「あのね……イージェスっていかにも堅物そうで、目的のためには手段を選ばないような顔してるけどね、そんな生やさしいものじゃないわ」
「……な……そうなのか?」
うなずき、忠告するようにサーシャは言った。
「あいつ、実は、良い人なのよ……」
「……なんだってっ!?」
父さんは、驚きの声を漏らす。
サーシャの雰囲気に飲まれているのだろう。
「やはり、そうだったか……」
イージェスの方向をちらりと見つめ、父さんが言う。
「しかし、それなら問題ないようにも思えるが……」
父さんは深刻そうに考えているが、考えるまでもなく、まるで問題はない。
「いいえ、絶対騙されるわ。悪いことすると見せかけて、なにか良いことする気よ……。今度はどんな善行を企んでるのかしら……」
警戒心を剥き出しにして、サーシャが言う。
「いつでもお礼を言う準備をしておかないと、でないと、うっかり言い忘れるわ」
「そいつは、確かに気をつけないとな……」
雰囲気だ。
酔っぱらいサーシャと父さんは、最早、雰囲気だけで話している。
「罪悪感すごいわよ」
「サーシャはすごく酔ってる」
ミーシャが言い、エレオノールがぴっと人差し指を立てる。
「ところで、なんでイージェスがお弟子さんになったんだ?」
「ん? ああ、まあ、なんつーかな」
父さんは頭を軽くかく。
「加入してる鍛治師ギルドで、たまに駆け出しの鍛冶職人たちを相手に、講義やら訓練やらをすることがあるんだけどな」
父さんが真面目に講義している姿は思い浮かばぬ。
一度、見てみたいものだな。
「そこにイージェスが来てたんだ」
「んー、なんでだ?」
不思議そうにエレオノールは頭を捻った。
ミーシャが俺の方を向く。
「そういうことだ」
答えると、彼女はうなずいた。
すると、エレオノールから<思念通信>が飛んでくる。
『こら、ミーシャちゃんだけわかっても、ボクたちは全然わかんないぞ』
『……贔屓……です……』
ゼシアが不服を訴える。
『父さんが、俺の実の父、セリス・ヴォルディゴードだったとイージェスに伝えた。それで様子を見に行ったのだろう』
そう<思念通信>を返しておいた。
「まあ、駆け出しの鍛治師はまだまともに仕事もできないから、自分のところの工房で教えてもらう以外にも、そうやって色んなところで勉強するらしくてさ。アゼシオンとはちょっと違うみたいだ」
エレオノールの疑問を勘違いし、父さんはそう説明した。
「でもって、講義が終わった後も、イージェスは最後まで残っててな。訊いてきたわけよ、鍛治師の仕事はどうですかって」
かつての師が、この平和な世でどんな風に生きているのか、イージェスは知りたかったのだろう。
「なもんで、楽しいことばかりじゃないけど、良い仕事ができたときはお前、そりゃもう格別だぞって答えたんだ」
父さんの笑顔が頭に浮かぶようだ。
「『お前もがんばれ』って肩を叩いたら、俯いて、震えててさ。イージェスの顔を見て、はっとしたよ」
先程、サーシャと話していたときとは違う。
真に迫った深刻な口調で、父さんは語った。
「なんでそんな大事なことを、今まで忘れてたのかって思った。間違いない。間違いなく、イージェスは――」
真剣な顔で、父さんは力強く言った。
「――無職……!!」
エレオノールは口を開けて、ぼんやりと父さんの顔を眺めている。
「講義に来るのは駆け出しだけじゃなくて、失職している鍛治師もいるってのを忘れててさ。イージェスはほら、隻眼だろ。たぶん、初めて働いた工房でミスっちまったんだろうな。それでクビになったんだと思う。新入りの上に、片目がなくなったら、そりゃ厳しいってのはそうだからさ」
相変わらず、父さんの勘違いは斜め上だ。
「気がつかなかったからさ。『目のこと、悪いな』って言ったら、そこでイージェスが涙を堪えるような顔になって、確信したんだ」
記憶がない、というのはイージェスも知っていたというにな。
そのときの彼の心境は察するに余りある。
「そもそも、新入りの目を怪我させるなんて、教えた鍛治師が悪いんだからさ。それで、クビっていうのはあんまりだろ。っていっても、俺みたいな弱小の鍛冶屋がなに言ったって、ギルドが動いてくれるわけもない」
義憤に駆られたように父さんは言う。
もしかすれば、心のどこかでイージェスに思うところがあったのかもしれぬ。
「なもんでな、お前が一人前になるまでちゃんと面倒見てやるから、俺の弟子にならないかって言って強引に連れてきたんだ。ははっ、父さん、ちょっと格好つけちゃったかな」
褒めてくれと言わんばかりに、父さんがキリッとした表情を向けた。
ひとまずそれは、全員からスルーされた。
「まあ、そんなわけで、ああしてな。まずはこうイージェスが隻眼をハンデに思わないように、鍛冶は技術だけじゃなくて、魂を研ぎ澄ます作業だっていう心構えから教えてるんだ」
父さんが振り向く。
イージェスは、先程父さんに教えられた通り、大槌を肩にかつぐ、気取ったポーズをつけていた。
俺と目が合うと、彼は少々罰が悪そうに言葉をこぼす。
「……先に言った通り、ただの成り行きよ……」
四邪王族とまで呼ばれた男が、よもや鍛治師とはな。
父さんが勘違いしたとはいえ、イージェスに断れるわけもなかっただろう。
いかなる巡り合わせか、二千年のときを越え、再び弟子は師のもとへ戻った。
「お。イージェス。ポーズがなってないぞ。教えたのはそうじゃないだろ?」
「……そんなはずは。言いつけ通り、1ミリたりとも動いては……」
父さんはすべてを見透かしたように笑い、イージェスの胸の辺りを指さす。
「ここが揺れ動いてる。俺は世界一の鍛治師だっていう心がな」
「……こ、心…………!?」
今度の修行は、亡霊になるよりも、少々骨が折れるかもしれぬがな。
亡霊から鍛治師へ。冥王の修行は、前途多難……。