ゼシアの夢
四つの視線が交錯する。
俺とミーシャ、エレオノールとゼシアは互いに顔を向け合った。
疑問の暗雲が立ちこめる中、目映い光がさすかの如く、一人の酔っぱらいが意気揚々と声を上げる。
「思い出したわ、エレオノールよっ!」
ビシッと、サーシャは、エレオノールの顔を指さす。
なにかわかったと言わんばかりだ。
「んー、なんの話だ?」
事情を知らないエレオノールが、不思議そうにサーシャの方を振り向いた。
「昔ね、むかーしむかーしね。誰かを呼んだのよ。誰を呼んだのか思い出せなかったけど、きっとエレオノールを呼んだんだわっ」
エレオノールを呼んだ、か。
二千年前、アベルニユーが本当に彼女を呼んだのか、それとも、昔会った誰かにエレオノールが似ているのか?
はたまた、たまたまここを訪れたのがエレオノールだったために、そう思っただけなのか?
もう少々、事態をサーシャの酔いに任せてみるとしよう。
この調子で思わぬことを思い出すやもしれぬ。
「サーシャちゃんが?」
「わたしじゃないわっ」
若干舌っ足らずな口調でサーシャはきっぱり否定した。
「じゃ、誰が呼んだのかな?」
「誰かが呼んだわっ!」
ふむ。早速、暗礁に乗り上げたか。
「だけど、安心して、エレオノール。あなたがある質問に答えてさえくれれば、それがはっきりするわ」
エレオノールはのんびりとした表情を浮かべる。
なぜか、ゼシアが期待に満ちた眼差しで、両拳をぐっと握った。
「んー? なにに答えればいいんだ?」
サーシャはふっと微笑する。
「誰が、なんのために、あなたをここへ呼んだのか、それを話してもらうわ」
「わーおっ! いきなり無茶ぶりされたぞっ」
ただの酔っぱらいかもしれぬ。
「できないとは言わせないわよ」
「そんなこと言われても、できな――」
「えいっ!」
サーシャがエレオノールの口を両手で塞いで、喋らせないようにしている。
「おわかりいただけたかしら?」
優雅な所作で、サーシャはたおやかに笑う。
できないと言わせなかったことにご満悦の様子だ。
「あー……サーシャちゃん、もしかして酔ってるのかな?」
「サーシャちゃん? なにを言っているのかしら? わたしは城よっ! この城そのものだわっ!」
力説するサーシャに、エレオノールはただただ圧倒されている。
「……う、うん……だいぶ酔ってるぞ……」
「そんなことより、エレオノール、あなたがここへ呼ばれた理由を話しなさい」
「んー、呼ばれたわけじゃないんだけど、なんて説明すればいいかな……?」
すると、ゼシアが勢いよく手を挙げた。
「……ママの子供に……会いに来ました……!」
「子供?」
ミーシャが不思議そうに呟く。
「……ゼシアが……お姉ちゃん……です……!」
ミーシャとサーシャが、エレオノールをじっと見た。
「ちっ、違うぞっ。誤解だぞっ。全然、ミーシャちゃんとサーシャちゃんが考えてるようなことじゃないんだぞっ」
「誰の子よっ!?」
サーシャが、エレオノールに詰め寄っていた。
「さ、サーシャちゃん、落ちついて。ボクの話をきいてほしいぞ」
「いいわ。でも、その前にわたしの質問に正直に答えてもらうわ」
「……な、なにかな?」
サーシャの気迫に、エレオノールはたじろいでいる。
「エレオノールって、子供の作り方、知ってるのかしら?」
「ど、どの作り方のことかな?」
「どの作り方っ!?」
サーシャがけしからんことだとばかりに大声を上げた。
「ち、違うぞっ。そうじゃなくて、色々あるから」
「色々っ!?」
サーシャが過敏に反応を示す。
アベルニユーの想いは微塵もなくなってきたようにも思えるが、もう少し様子を見るべきか。
「黒っ、黒っ! 真っ黒だわっ!」
今にも<破滅の魔眼>を浮かべそうな瞳で、サーシャはエレオノールをじっと睨んだ。
「最後の質問よ、エレオノール」
「……わーお……なんだか知らないけど、ものすごい疑惑の目だぞ」
「……容疑者……です……!」
エレオノールがサーシャから目を逸らそうとすると、両の頬をがっとつかまれ、固定された。
「誰の子よ? 返答次第によっては、<破滅の太陽>サージエルドナーヴェが、再びディルヘイドを照らすことになるわ」
ふむ。アベルニユーの想いがこもってそうな台詞だな。
やはり、もう少々泳がせておこう。
「よ、よくわからないけど、物騒なこと言っていることだけはわかるぞ。落ちつこう、サーシャちゃん」
「落ちつくのは、あなたよ、エレオノール。もしかしたら、わたしが、あなたを始末するためにここへ呼んだのかしら?」
エレオノールが困ったように、俺に視線を送ってくる。
「アノス君、そろそろ助けてほしいぞ?」
「アノスっ!? やっぱり、アノスの子っ!?」
「あー、違うぞっ! そういう意味じゃなくて、ゼシアが言っているのは、相手がいる子じゃなくてっ」
「相手がわからないのっ!? 馬鹿なのっ!?」
「そっ、そんなこと言ってないぞっ」
誤解するサーシャに、エレオノールは必死で弁解する。
「ミーシャちゃん、サーシャちゃんどうにかできないのかなっ?」
ミーシャはじっと考える。
「今のサーシャは――」
淡々と彼女は言う。
「アノスのお母さんと互角」
「わーおっ、諦めろってことだっ!」
敵戦力の巨大さを思い知ったエレオノールに、間髪入れず、サーシャは人差し指を突きつける。
「ふしだらっ、ふしだらだわっ! アノスがいるのに、どこの馬の骨かわからない男の子供を作ってくるなんてっ! それでも、魔王の側室なのっ!?」
「ど、どこの馬の骨かわからない男の子供なんて作ってないし、そもそもボクは側室じゃないしっ。サーシャちゃんは、ボクをアノス君とくっつけたいのか、引き離したいのか、全然わからないぞっ!」
そもそもの話で言えば、魔王に側室など必要ない。
子孫が欲しければ、一人で創ればいいのだからな。
破壊神アベルニユーもそんなことはわかっていたと思うが、ということはただの酔っぱらいか?
「側室じゃなくても、エレオノールは魔王の配下なんだから、アノスのものでしょっ! でも、アノスの心は手に入らないわっ! だって、魔王さまだものっ!」
「なんかひどいこと言ってる人がいるぞっ」
サーシャは犬歯を剥き出しにして、エレオノールを睨んでいる。
ひとまず、こんなところか。
「まあ、少し落ちつけ、サーシャ」
サーシャの頭を軽く押さえつければ、彼女は「うー……なによ……? わたしが間違ってるって言うの……?」と怨みがましい言葉を漏らす。
軽く聞き流し、エレオノールに尋ねた。
「子供に会いに来たというのは?」
彼女はほっと胸を撫で下ろし、俺に答えた。
「……子供って言っても、ゼシアが見た夢の話だぞ。ね」
ゼシアが大きく、うなずいた。
「ゼシアは、よく夢を……見ます……ゼシアの妹の夢です……!」
「夢の中で、その子供がお前たちをここへ呼んだのか?」
楽しげにゼシアはうなずいた。
「ゼシアを……呼びました……! ゼシアの妹は、早く産まれたい……です……!」
奇妙な話だ。
「まだ産まれていない子供が、呼んだと?」
「ゼシアは迎えに……行きます……! 迎えに行くと……産まれます!」
彼女は得意気な表情で、瞳をキラキラと輝かせる。
「ゼシアは……お姉さん……です……!」
エレオノールが小さく手招きをするので、俺は顔を寄せた。
彼女は小声で言う。
「そういうわけで、ゼシアにつき合ってるんだぞ」
なるほどな。
「アノス君たちは、サーシャちゃん、酔っぱらわせてなにしてるんだ?」
「最後の創星で、サーシャが破壊神アベルニユーだということがわかってな」
「わおっ。じゃ、サーシャちゃん、本当にお城になっちゃったんだっ!」
エレオノールがサーシャと、窓の外から見えるデルゾゲード魔王城を見比べている。
「おわかりいただけたかしら? わたしの中に、土足で踏み込まないでちょうだい」
優雅な笑みを浮かべるサーシャ。
「んー、真面目に想像するとすっごくシュールだぞ」
エレオノールは唇に人差し指を当て、なにやら想像を巡らせている。
「今一つ、ミリティアが俺の記憶を奪った理由がわからぬ。サーシャを酔わせれば、アベルニユーだったときの想いを思い出すようでな。こうして野に放ってみたというわけだ」
「なによー……それじゃ、わたしがケダモノみたいじゃないっ……」
頭を押さえられながら、サーシャが不服を訴える。
「ここにいたのはどうして?」
エレオノールが訊く。
「サーシャが、ここに誰かが来ると言い出したのでな」
「あー……それで来たのが、ボクたちなんだ」
すると、ゼシアが瞳をキラキラと輝かせた。
「ゼシアの妹と……関係ありますか……?」
「さて。アベルニユーの想いか、酔っぱらいの戯れ言か、判断がつかぬのが問題だ」
しかし、ゼシアがよく見る夢か。
「ふむ。関わりがある可能性もゼロではないか」
「……<根源母胎>の魔法……」
隣でミーシャが呟く。
彼女は俺を見上げ、訊いた。
「それに関係してる?」
エレオノールが、驚いた表情を浮かべた。
「二千年前、人の王であったジェルガの根源は、魔族を滅ぼす意志ある魔法、<魔族断罪>と、そして<根源母胎>に分かれた。その魔法化に関わっていた神族が、天父神ノウスガリアだ」
<根源母胎>は、奴らにとって、失敗作だった。
憎悪と憎しみに囚われることなく、<魔族断罪>へ抵抗を続けた。
しかし、なぜ失敗した?
神族であり、秩序を司る奴らが、理由なくしくじるとも思えぬ。
「あるいは、ミリティアが、<根源母胎>に干渉していたのかもしれぬな」
「んー、ミリティアのおかげで、ボクはボクでいられたってこと?」
「簡単に言えばそうだ」
ミーシャはぱちぱちと瞬きをし、小首をかしげた。
「ミリティアが<根源母胎>に、なにかを残した?」
「でも、あれだぞ。ボクが産まれたのはアノス君が転生した後だし、その頃はもうアベルニユーは魔王城になってるでしょ」
俺はうなずく。
「ミリティアはともかく、どうしてそのことをアベルニユーのサーシャちゃんが知ってるんだ?」
「魔王城デルゾゲードに、ミリティアが伝えておいたのかもしれぬ」
そう考えるならば、サーシャと破壊神アベルニユーのつながりは、完全には途絶えていないということか。
「まあ、断定はできないがな。他に理由があるかもしれぬし、酔っぱらいの戯れ言かもしれぬ」
「んー、難しくなってきたぞ」
そう言いながらも、エレオノールはあまり深く考えていない様子だ。
「時間があるなら、ともに来い。お前たちも、俺が失った残りの記憶を探す手がかりになるやもしれぬ」
「うんっ、大丈夫だぞっ。ねっ、ゼシア」
ゼシアは元気よくぴょんっと跳ねる。
「ゼシアの妹は……呼びました……きっと、手伝うと……産まれてきます……!」
「うんうん、産まれてくるかもしれないぞ」
意気込むゼシアを、エレオノールは温かく見守っている。
「どこに行く?」
ミーシャが問う。
「まずは――」
そろそろ、いい時間か。
仕方あるまい。
「一度、家に帰る。母さんが料理を終える頃だ」
人数を増やして帰るアノス……料理は、足りるのか……!?