想い辿るは盃の水
ミーシャが目を丸くする。
大抵のことでは動じぬ彼女が、珍しく本気で驚いているようだ。
「エリアルの夢で見た?」
ミーシャが問うと、サーシャはうなずいた。
「アノスと創造神ミリティアが話してたわ。破壊神アベルニユーは、破壊の秩序であることを嫌って、転生を願ったって。アノスはミリティアに理滅剣を向けた後、アベルニユーの願い通り、破壊神の意識をデルゾゲードから切り離した」
不思議そうにミーシャは首をかしげた。
「ミリティアに理滅剣?」
「うーん、なんでかわからないけど、そうしてたもの。創造神の秩序になにかしたってことなのかしら?」
サーシャが考え込むような表情で言う。
「とにかく、破壊神アベルニユーは破壊の秩序から切り離されたの。<破滅の魔眼>があるから、それをつながりにアノスの子孫に転生させられるって」
「ふむ。まあ、不可能とは言えぬな」
昔の俺が言ったのならば、その術を見つけていたのだろう。
「また再会できるように、ミリティアが転生後のアベルニユーに名前をつけてたわ。『サーシャ』って」
<破滅の魔眼>を持つ俺の子孫で、名はサーシャか。
「確かに、お前以外にはいまい」
「サーシャが破壊神……」
呟き、ミーシャはサーシャの顔を見つめる。
「破壊神は良い子?」
「……ふむ。存外、それが答えなのかもしれぬな」
「答えって?」
サーシャが問う。
「天父神ノウスガリアが、<破滅の太陽>サージエルドナーヴェを復活させ、空に輝かせた。だが、その滅びの光――黒陽は俺の配下や、ディルヘイドの民を傷つけることはなかった。その確信が俺にはあった」
金髪の少女の顔を、その根源の深淵を、俺は覗く。
心当たりはない。
だが、二千年前にすでに出会っていたのかもしれぬ。
「お前だったからだとすれば、納得がいく」
今現在、破壊神アベルニユーは二つに分かれているというわけだ。
その秩序は魔王城デルゾゲードに、その心はサーシャという魔族に。
「……全然、実感はないんだけど」
「記憶がなければそんなものだ」
うーん、とサーシャは考え込むような表情を浮かべる。
「破壊神アベルニユーだったわたしは、ミリティアみたいにアノスの味方だったってことよね……?」
「恐らくな。しかし、それが創星が見せた過去ならば、少々腑に落ちぬこともある」
「なに?」
「なぜミリティアは、俺からその記憶を奪った?」
「あ……」
と、理解したようにサーシャが言葉をこぼす。
ミリティアは俺から破壊神アベルニユーの記憶を奪い、それを創星に残した。
父のときとは違い、記憶を奪う必要はなかったように思える。
では、なぜ奪ったのか?
「……どうしてかしら?」
「他になにか見た?」
ミーシャが問うと、サーシャが頭を捻る。
「うーん、夢だったからか、ちょっとぼんやりしてるんだけど……確か、問題の先送りにしかならないって言ってたような気がするわ……」
「なにについてだ?」
「それが思い出せないんだけど……」
自分の言葉を聞き、サーシャがはっとする。
「……思い、出せない……?」
彼女は顔を上げた。
「……ミリティアが、言ってたわ。思い出すって。わたしが、アベルニユーだったことを」
「どうやってだ?」
「……えっと……確か、わたしが、こ――」
何事かを思い出し、彼女は口を開いたまま固まった。
徐々に、その頬が朱に染まっていく。
「こ?」
ミーシャが不思議そうに呟く。
「な、なんでもないわっ。そう、想いっ、想いだわ。記憶を忘れても、想いは忘れないからって。想いを辿って、記憶を思い出すって言ってた気がするわ」
想いを辿り、記憶を思い出す、か。
「さて。そう都合良くいくものか?」
「無理?」
ミーシャが尋ねる。
「なんとも言えぬ。神族の転生は、他と違うようだからな。しかし、言葉通りの意味ではなく、なにかの比喩ということも考えられよう」
「実際に記憶が残されている?」
「ああ。創星のような形で、アベルニユーが自分の記憶をどこかに残したといったことも考えられよう。忘れたくない記憶を、その想いを手がかりに、見つけられる場所にな」
サーシャに視線をやれば、逃げるように彼女は視線を逸らした。
「なぜ視線を逸らす?」
「な、なんでもないわっ」
なんでもないなら、視線を逸らす必要はないだろうに。
「二千年前、アベルニユーだったときの想いは、なにか残っているか?」
「……残っていると言えば、残っているのかしら……?」
「なんだ?」
「残ってなかったわっ!」
ふむ。少し記憶に混乱が見られるか?
「まあいい。なら、お前の想いを呼び覚ましてやろう」
サーシャが自分の体を抱くようにして身構える。
「……そ、そんな魔法があるのっ?」
「いや。転生の際に失われた記憶は、<追憶>を使っても取り戻せぬ。想いは記憶よりも曖昧なものだからな。魔法ではうまくいくまい」
「でも、じゃ、どうするのよ?」
不思議そうに、サーシャは尋ねる。
「地底の民たちをディルヘイドに招き、酒宴を催したときのことを覚えているか?」
「え? あー……あのときのことは、全然記憶がないのよね……」
自らの醜態を恥じるようにサーシャは言う。
「あのとき、お前はわからぬことばかりを口にしていたが、今思えば、二千年前の出来事を語っていたのかもしれぬ」
「え……?」
サーシャが驚いたように声をこぼす。
「そうかもしれない」
ミーシャが同意した。
「だけど、そう言われたって、全然思い出せないわよ? そのときのことを、<追憶>で引っぱり出してみるってこと?」
「悪くはないが、それだけ思い出しても役に立つまい。だが、どうすれば、二千年前の想いを引っ張り出せるか、その手がかりは得た」
俺はその場に魔法陣を描く。
「ねえ……それって……?」
「酒だ」
<食料生成>の魔法により、上等なぶどう酒がそこに現れる。
創造したグラスを宙に浮かせ、俺はとくとくと酒を注いでやる。
「飲め。そして、思い出せ」
「馬鹿なのっ!?」
「二千年前の出来事を見た今なら、その想いを辿りやすいかもしれぬ。あのときも、ナフタとディードリッヒが交わした神姻の盟約を見て、引っかかるものがあったようだからな」
グラスを押しつけてやると、サーシャは両手でそれを手にした。
「……やるだけ、やってみるけど……」
サーシャはグラスの中の赤い液体を見つめる。
「一杯ぐらいで、ちゃんと酔えるかしら?」
こくこく、と喉を鳴らしながら、彼女は一気にぶどう酒を飲み干した。
「<転移>ッ!」
唐突にサーシャは、ミーシャに魔法陣を描き、彼女をどこかへ飛ばそうとする。
ぱちぱちとミーシャは瞬きをした。
「……行ってみた方がいい?」
ミーシャが問う。
「そうだな。なにかの手がかりになるかもしれぬ」
<転移>の魔法が完成し、ミーシャはなされるがまま転移していった。
彼女が消えた空間に、サーシャは視線を向けた。
「あれ? ミーシャはどこ行ったの?」
自分で飛ばしたというのにな。
「ここにいる」
ガチャ、とドアが開き、ミーシャが部屋に入ってきた。
ずいぶんと至近距離に飛ばされたものだ。
まったくの徒労である。
「よかった。じゃ、早く行きましょ」
サーシャがミーシャの手をつかむ。
「どこへ?」
「デルゾゲード。わたしがお城になってるところを、三人で見たいわ」
ミーシャが俺に視線を送ってくる。
「しばらくつき合ってみるか。数を撃てば、当たるやもしれぬ」
「ん」
サーシャが俺に手を伸ばしてくる。
はにかみながら、彼女は言った。
「送ってあげるわ」
「それはありがたい」
三人で手をつなぎ、俺たちは転移する。
やってきたのは、魔王城デルゾゲードの敷地内、ちょうど闘技場の入り口付近だった。
「こっちよ」
サーシャが歩き出し、俺たちはその後を追う。
しばらく彼女は周囲に忙しなく視線を巡らせながら、歩いていたのだが、唐突に立ち止まった。
「うー……」
サーシャがくるりと反転し、恨めしそうに俺を睨んできた。
「どうした?」
「これがわたしっ」
サーシャが魔王城を指さす。
「これがわたしなのっ?」
「まあ、そうだな」
「まるで城だわ」
城だ。
「もっと綺麗で可愛いのがよかったわ……ピンク色とか……なんか、禍々しいもの……」
「なに、これほど立派な城は二つとないぞ」
「ほんとっ?」
サーシャが嬉しそうに表情を綻ばせる。
「ああ、決して陥落せぬ、最強の城だ」
ふふっとサーシャは笑った。
「わたしの魔王さま以外にはね」
「そうとも言うな」
すると、サーシャは上機嫌な様子でまた歩き出した。
そうかと思えば、くるりと回転し、後ろ向きに進みながら、俺に言う。
「ねえ。あそこに行ってもいい?」
「好きなところへ行けばよい」
「じゃ、行くわ」
サーシャが再び前を向き、近くにあった塔へと突っ込んでいく。
そこは扉ですらなく、ただの壁だ。
「サーシャ、危ない」
「大丈夫よ。ここ、通れるんだから。わたしにしかわからない、秘密の入り口だわ」
ミーシャの心配をよそに、サーシャはまっすぐ壁へと向かう。
魔王城デルゾゲードは、破壊神アベルニユーが形を変えた姿。
だとすれば、本人以外には通れぬ入り口が隠されていたとしても、不思議はない。
俺とミーシャはサーシャの動きを視線で追い、魔眼に魔力を込めた。
彼女は歩調を強めて、迷いなく、塔の壁へ飛び込んだ。
「あうっ……!」
ガゴンッと思いきり頭を打ち、サーシャがその場に崩れ落ちる。
「うー……アノス…………秘密の入り口が逆らったわ……」
ただの酔っぱらいなのか、破壊神アベルニユーの想いを辿っているのか、非常に想像がつきにくい。
「よしよし」
ミーシャがしゃがみ込み、サーシャの頭を優しく撫でる。
嬉しそうに彼女は微笑んだ。
「ありがとう、ミリティア」
ぱちぱちとミーシャが瞬きをして、俺を上目遣いで見た。
「ミリティア?」
「……ふむ。まあ、そういうこともあるかもしれぬ」
サーシャがアベルニユーなのだからな。
しかし、ミーシャはこの時代では、<分離融合転生>の魔法により、生まれた疑似人格だ。
そこへ神が転生することがあるのか?
「そろそろ、あの人が来る気がするわ」
サーシャが言う。
「あの人?」
「うん、あの人。名前なんだっけ?」
ミーシャは小首をかしげる。
勢いよくサーシャが立ち上がると、また歩き出した。
「秘密の入り口は、こっちだったわ」
そう言って、塔の扉を普通に開けた。
室内にあるのは、書物ばかりだ。
ところ狭しと設けられた書棚に、大量の本が詰め込まれている。
サーシャは迷いなく階段を上っていき、俺たちはその後を追う。
最上階の六階に差し掛かった。
「誰がいる?」
「うーん。それが思い出せないんだけど、たぶん行けばわかるわ」
階段を上り終え、俺たちは最上階に辿り着いた。
そこには――
「あれ……いないわ……」
どこをどう見ても、人の姿はない。
まあ、想いを辿っているにせよ、今現在のことを言っているとは限らぬしな。
「……うーん、おかしいわね……来てくれると思ったのに……」
「なにかわかった?」
ミーシャが訊いてくる。
「さてな。これだけではまだなんとも――」
言葉を切ると、不思議そうにミーシャが俺を見た。
人差し指を立て、静かにするように促す。
コツン、と階段を上る足音が聞こえた。
それはこちらへ近づいてくる。
足音の数から予想するに、人数は二人か。
段々と歩調は速くなっていく。
そうして、とうとう、その二人は塔を駆け上がり始めた。
まもなくこの最上階に到着するだろう。
ミーシャとサーシャが、階段の方向を注視する。
勢いよく、二つの人影が飛び込んできた。
「お待たせだぞっ!」
「……呼ばれて……きました……!」
二人の視線が、俺たちと会う。
「わおっ! アノス君たちだぞっ?」
「……ゼシアたちを……呼びましたか……?」
やってきたのは、エレオノールとゼシアだった。
ただの偶然なのか、それとも――?
書籍発売から一ヶ月あまり、おかげさまで、
二度目の重版が決定しまして、3刷目となります。
皆様の応援が追い風になってのことと思います。
ありがとうございます。