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星を飲む魔女


 ザー……ザー……

 と、ノイズが混ざったような耳鳴りがした。


 日の光が、まぶたにさす。


 鈍い痛みが、頭の奥を揺さぶり、微睡んでいた意識が、徐々に輪郭を取り戻してきた。


「――アノスちゃーん、そろそろ朝ご飯食べるー?」


 遠くから、母さんの声が聞こえ、俺は目を開いた。


 ぱちぱちと、眼前で瞬きをしている少女がいた。


 ふわふわの縦ロールを風にたなびかせながら、ベッドの横に置いた椅子にちょこんと腰かけている。

 膝には、開かれた本が置いてあった。


 彼女は薄く微笑む。


「おはよう」


 淡々と告げ、ミーシャは本を閉じた。


「寝坊したか?」


「少し」


 ザー……と、再び、耳鳴りがした。

 俺としたことが、少々疲れがたまっていたようだな。

 

 ゆるりと身を起こすと、ミーシャが魔法陣を描く。

 その中心に手を入れ、中から水差しとコップを取り出す。


 冷たい水をとくとくとコップに注ぎ、彼女は俺に差し出した。


「いらない?」


「ちょうど欲しいと思っていたところだ」


 嬉しそうにミーシャは微笑む。


 水で喉を潤し、俺は起き上がった。

 描いた魔法陣を自らの体にくぐらせ、寝衣から平服に着替える。


「ミーシャちゃーん。アノスちゃんってもう起きてるー?」


 再び母さんの声が聞こえてきた。


「今起きた。朝食のついでに、昼食の用意も頼む」


 一階にいる母さんのところまで、魔力で声を飛ばす。


「はーいっ! アノスちゃんは育ち盛りだもんねっ!」


 と、元気な声が返ってきた。


「ミーシャはいつ来た?」


 そう尋ねると、僅かに彼女は小首をかしげる。


「二時間前ぐらい?」


 どうやら相当待たせたようだ。


「すまぬ。起こしてくれても構わなかったぞ」


 ふるふるとミーシャは首を左右に振った。


「気持ちよさそうだったから」


 気を使わせたか。


「アルカナとサーシャは?」


「アルカナはガデイシオラに行った」


 そういえば、様子を見に行くと言っていたか。

 

「サーシャはまだ寝てる」


 ふむ。朝は弱いが、さすがに昼まで寝ているのは珍しい。


「起こしに行くか」


 <転移ガトム>の魔法陣を描く。


「アノスー、ちょっと来てくれっ! 緊急事態だっ!」


 騒がしい声が、また一階から聞こえてきた。

 父さんだ。


 ミーシャに視線を向けると、彼女は首を横に振った。

 まあ、知らぬだろうな。いったい、なにが緊急事態だというのか?


「少し待ってくれ」


「ん」


 部屋を出て、ミーシャとともに一階へ下りる。


 鍛冶・鑑定屋の店舗部分へやってくると、父さんが椅子に片足を乗せ、鍛冶用の大槌を肩に担ぐようにして、気取ったポーズをつけていた。


 まるで緊急事態には見えぬ。


「父さん。どうしたんだ?」


「ポーズが」


 父さんは、この世の絶望をかき集めてきたかのような顔で言った。


「ポーズが決まらないんだっ!!」


 これが二千年前、歴史に名を残すことのなく戦った英雄の現在の姿だ。


「いつもと同じに見えるが?」


 すると、父さんは、人差し指を左右に振りながら、ちっちっちと言った。


「いいか、アノス。男なら、いつもと同じじゃ、だめだ。常に限界を超えていかなきゃな。限界を超え続けた果てに、今の父さんがあるんだ」


 わからぬことを言う。

 ミーシャに視線を向ければ、彼女は小首をかしげた。


「灯滅せんとして光を増し、その光を持ちて灯滅を克す?」


 ふむ。父さんのポージングさえも、その理に通ずるとはな。


 すなわち、父さんの恥が社会的に滅びに近づくとき、恥はより輝きを増し、社会的な滅びを克服してきたということか?


 ならば――


「思いきりが足りないんじゃないか?」


 すると、父さんははっとした表情を浮かべた。


「……思い……きり……!?」


 これでもかというほど目をかっぴらき、父さんは驚愕をあらわにした。


「……そう、か……そうだったのか……」


 なにかを悟ったように、父さんが言う。


「……わかった。ようやく気がついたよ、アノス。父さんに、なにが足りなかったのか。父さん、これまで思いきりが足りないなんて言われたことがなかった。むしろ、思いきりが良いことだけが取り柄、思いきりがよすぎると褒められてた方なんだ」


 最後のは褒められていない気がするがな。


「だけど、父さん。子供ができて、責任が増えて、知らない内に守りに入っていたんだ……」


 まさか、これまで攻めていなかったとはな。

 

「それを、アノス。お前に教えられるとは。息子に教わるとは、まさにこのことだっ」


 フッと笑いながら父さんは言う。

 いつもの言いたいだけというやつだ。


「ようしっ! やってみようっ。あと一歩、いやさ、三歩っ! 父さん、あの日の自分を思い出して、そしてその先の領域に、足を踏み込んでみるぞぉぉっ!」


 父さんは大槌を垂直に立て、その細い持ち手の部分だけを支えに、うつぶせになるように体を乗せて、両手足を伸ばす。


 その姿は、さながら大道芸人――


「感謝するぞ、息子よっ!」


 見事なバランスであった。


「ところで、どうしてポーズを決めてたんだ?」


 父さんは宙を泳ぐようにバランスを保ちながら、気取った風に言った。


「聞いて驚け、アノス。父さん、弟子ができるんだ。今日、工房へ来るんだ。最初に格好いいところを、ガツンと見せておこうと思ってさ」


 ガツンと見せられた弟子が、その足で帰らぬことを祈るしかあるまい。


「アノスちゃん、おはようっ!」


 エプロン姿の母さんが満面の笑みで顔を出した。


「ミーシャちゃんもご飯食べるわよね?」


 ミーシャが俺の方を見た。

 言わんとすることは大体わかる。


「サーシャの分もいいか? これから連れてくる」


「サーシャちゃんもね。任せて。アノスちゃんが疲れてるから、お母さん、はりきっちゃうっ! 沢山食べて、元気をつけようねっ!」


 にっこりと笑いながら言って、母さんはまたキッチンへ戻っていった。


「じゃ、父さん、食事の支度ができるまでには戻る」


「おう。行ってこいっ。父さんは、ここで新たな世――」


 ミーシャとともに<転移ガトム>で転移する直前、垂直に立てた大槌がバランスを失い、そのまま父さんは床にダイブしていく。


 しかし、父さんは俺に向かってニカッと笑い、親指を立てている。

 受け身を取ろうとしない父さんの末路は、推して知るべしといったところだ。


 バダンッと倒れ込んだ音が遠く消えていき、目の前に天蓋付きベッドが現れた。

 ネクロン家のサーシャの自室だ。


「大丈夫?」


 父さんのことだろう。


「なに、いつものことだ」


 ベッドの上に視線を向けるが、しかし、そこにサーシャはいない。


 ベッド横の小さなテーブルに、飲みかけのグラスが置いてあった。

 起きた後にサーシャが飲んだのだろう。


「行き違いか……いや」


 グラスから漂う、独得の香りが鼻をつく。

 魔力を送れば、グラスが宙を飛んできて、俺の手元に収まった。


「どうかした?」


「酒だ」


 ミーシャが僅かに目を丸くする。


「水と間違えた?」


「大方、寝ぼけて飲んだのだろうな。今頃はどこかで酔っぱらいながら徘徊でも――」


 ネクロン家一帯を魔眼で見てみれば、存外近くにサーシャはいた。


「そこだ」


 俺が指さすと、ミーシャがとことことベッドの反対側に回り込む。


 サーシャが床で寝ていた。

 なぜかベッドの下に顔を潜り込ませており、足だけが僅かに出ている。


「起きよ、サーシャ」


 サーシャの足をつかみ、ズズズとベッドから引きずり出す。

 酒瓶に抱きついた金髪の少女が姿を表した。


「空っぽ」


 ミーシャが淡々と言う。

 すべて飲み干したか、酒瓶の中には一滴も酒が残っていない。


「起きぬわけだな」


 そう口にしながら、サーシャの体に<解毒イース>の魔法陣を描く。


 アルコールが取り除かれる寸前で、彼女はぱちっと目を開き、<破滅の魔眼>で魔法陣を破壊した。


「……なにをしている?」


「ねえ、魔王さま」


 ハキハキと彼女が喋った。


「お酒が強すぎるのもつまらないわ。もっと酔えたらよかったのに」


「そうだな」


 適当に返事をして、<解毒イース>の魔法を使う。

 すかさず、サーシャは<破滅の魔眼>で、それを滅ぼした。


「ねえ、今日も勝負しましょう」


 サーシャは起き上がると、優雅に微笑した。


「唐突になんの話だ?」


「あなたが勝ったら、今日は髪を一房あげるわ」


「髪?」


「そ。わたしの体が欲しいんでしょ? いいわよ。でも、勝ったら。あげるのは魔王さまが勝ってからだからね」


 ミーシャが小首をかしげ、不思議そうに呟いた。


「珍しい酔い方」


 相当飲んだようだな。


「わたしが勝ったら」


 サーシャが俺の唇にそっと人差し指を触れる。


「あなたの唇をもらうわ。恋の魔法をかけてあげる。わたしに絶対服従、どんな些細な口答えも許さないわよ」


 初めて会ったときも、似たようなことを言っていた気がするな。


「あなたはわたしの魔王さまになるの。いい?」


「仕方のない」


 サーシャの肩に手をやり、こちらへ抱きよせる。


「きゃっ……」


 サーシャが顔を赤らめながら、<破滅の魔眼>でこちらを見てくる。

 並の者ならば、軽く反魔法を突破し、昏倒させているだろう。


「う……うー……き、気安く触らないでよっ……滅ぼすんだからっ……滅ぼすんだからねっ……」


「それぐらいで滅ぼされてはかなわぬな」


 額と額が当たるほどの至近距離で、俺も<破滅の魔眼>を使い、サーシャの<破滅の魔眼>を相殺する。


「勝負は睨めっこだ。視線を逸らせば負けだぞ」


「得意だわ。だって、わたしが見ただけで、世界中のすべてが滅ぶ。魔族も人間も精霊も、神だって滅びるもの。誰もわたしと目を合わさない」


「くはは。大きく出たものだ。では、いくぞ」


 ギロリ、と<破滅の魔眼>でサーシャを睨めつける。

 サーシャはふっと微笑し、俺を睨み返す。


 じっと睨み合うこと数秒、サーシャは俺の頬にそっと手を当てた。


「なんだ、この手は?」


「な……なんでもない……」


 言いながら、サーシャは無理矢理、俺の首をどかし、視線を逸らそうとしている。


 更に<破滅の魔眼>に力を込め、サーシャの瞳を覗き込むようにした。

 このまま魔眼の力で押し切り、視線を逸らさせる。


「わ、わかったからっ……」


「なにがだ?」


「うー……だから……」


 彼女は顔を真っ赤にして、観念したように俺から視線を逸らした。


「……そ、そんなに、見ないでよ……馬鹿……」


「俺の勝ちだな」


 言うと同時、彼女に<解毒イース>を使った。

 アルコールを抜き、酔いから醒ましてやる。

 

「あれ?」


 気がついたように、サーシャは俺を見て、それからミーシャに視線を移した。


「…………」


 しかし、心ここにあらずといった様子だ。


「サーシャ?」


 ミーシャの呼びかけにも応じず、サーシャは呆然と俺たち二人を見ている。


 彼女の瞳から、涙の雫がはらりとこぼれ落ちた。


「よかった。ミリティア、アノス」


 酔いが醒めたはずの彼女は、けれども、そんなことを言った。


「約束通り、また三人で会えたわ」


「約束?」


 ミーシャが隣で不思議そうに呟いた。


「ふむ。なるほど」


 俺はサーシャの顔にじっと魔眼を凝らす。


「サーシャ、口を開けろ」


「え……? 口って、口っ? 会ったそばから、なによ……? 魔王さまは横暴だわっ」


「いいから、開けろ。お前の体は俺のものなのだろう?」


「……きょ、今日は、髪だって言ったのに……」


 恥ずかしげにサーシャは俺の方を見て、控えめに口を開く。

 すると喉の奥に、蒼白く輝く魔力が見えた。


「まったく。酔っているからといって、なにを飲み込んでいる」


 開いたサーシャの口に、唇を近づけ、すうっと息を吸った。


「……ぁ……ぅ…………」


 と、言葉にならぬ呻き声を上げるサーシャの唇から蒼白い光が溢れ出す。


「ふむ」


 蒼白い光はやがて小石ぐらいの大きさになり、星のように瞬き始めた。


「エリアル?」


「ああ」


 目の前でエリアルが大きく瞬いたかと思うと、徐々に光を失い、やがて消えた。


「寝ぼけ、酔っぱらい、酒と一緒に誤飲し、エリアルが見せた過去を夢に見ていたといったところか」


 呆然としていたサーシャの瞳が、段々と焦点があってくる。


「……エリアルの……夢…………?」


 自問するように言い、サーシャが俺を見た。


「目が覚めたか?」


 しばらくぼーっとした後、サーシャはこくりとうなずく。


「えっと、うん……寝坊しちゃったわ……ごめんね……」


「構わぬ」


「……なんだか、変な夢を見てて……エリアルを飲み込んで、二千年前の過去が、わたしに流れてきた気がしたんだけど……」


「飲み込んだのは夢ではないぞ。なにを見たか知らぬが、おかげで綺麗にエリアルは消え去った」


「え……?」


 驚いたようにサーシャが俺を見返す。


「……夢じゃないの……?」


「十中八九な」


「今のが……エリアルが見せた過去……なの……?」


 サーシャが、今見た夢を思い出しているかのように呟く。

 ひどく複雑そうな表情で。


「アノス……」


 信じられないといった表情で、サーシャは言った。


「わたし、破壊神アベルニユーだわ」



なんてものを誤飲してしまったのか……。

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― 新着の感想 ―
星を呑む(物理) サーシャさんは、大変なものを盗んでいきました…。 魔王(あなた)の記憶です…。
[一言] 冒頭の耳鳴りって伏線だったりして? まさかね。
[気になる点] えええ、サーシャがアベルニユーだとしたらもしかしてミーシャがミリティアだったりする!??また3人で会えたってことはそうってことですか!?!? 気になる ( ‘ᾥ’ )
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