魔王の顔
どくん、と心臓が鼓動を刻む。
滅びの根源が拍動していた。
それに突き動かされるように、心臓が激しく震え出す。
虚無を取り込んだ根源が身中にて暴れ、強く、強く、その真価を発揮していた。
滅びぬものは、たとえ無でも許さぬとばかりに。
この身の深奥が、グラハムの虚無を遙かに上回る破滅に満ちる。
だが、奴の根源は少なくとも<極獄界滅灰燼魔砲>に耐えるだけの力がある。
それを終焉に導くため、世界を滅ぼす以上の滅びが、根源の奥で荒れ狂っているのだ。
外に漏らしてしまえば、世界に致命的な傷を与えることになろう。
自分との戦いというのは、まさにこのことか。
俺が奴よりも少し強いぐらいならば、もっと楽をできたのだがな。
あるいは、滅ぼさなければ。
滅ぼす必要はなかったのかもしれぬ。
奴のように<母胎転生>の魔法で、その根源を無に帰さず、害のない物に変えてやればよかったのかもしれぬ。
そうすれば、こんな風に世界を危機に曝すことはなかった。
もっと容易い勝利をつかめたはずだ。
「…………」
だが、それでも――
俺の心が、それを拒否した。
奴には、なにも与えぬ、と。
似ているどころか、俺の足元にさえ及ばなかったという絶望を抱き、心さえ虚無に染め、孤独なまま一人で滅びていけばよい、と。
そう、思ったのだ。
「アノスッ」
俺の背中に、声がかけられた。
聖座の間へ姿を現したのは、二人の少女。
ミーシャとサーシャだ。
彼女たちは、こちらへ駆けよってくる。
「そこで止まれ」
振り向かず、声を発すると、二人は不思議そうに立ち止まった。
「……まだ、終わってないの……?」
辺りを警戒するように、サーシャが問う。
「いいや。方はついた」
「じゃあ、どうして……?」
サーシャが心配そうに声を発する。
ミーシャも同じように俺に視線を向けていた。
「少々、頭に血が上ってな」
背中越しに、俺は言った。
「平和だの、なんだのと偉そうに宣いながら、この体たらくではな。お前たちに合わせる顔がない」
一瞬、サーシャは返事に困る。
「……えと……じゃ、落ちつくまで、ここで待ってるわ」
俺を気遣ってか、くるりとサーシャは背中を向ける。
しかし、ミーシャは気にせず、俺の方へ歩いてきた。
「ミーシャ? ねえ、行かない方がいいわよ?」
慌ててサーシャがミーシャの手をつかむ。
「大丈夫」
淡々とミーシャは言った。
「アノスはいつもと同じ」
するりとサーシャの手をすり抜けて、ミーシャは俺のもとまで辿り着いた。
「優しい顔をしてる」
「……見てはいまい」
「ん」
優しく彼女はうなずく。
見なくても、わかるということか。
それは、良い魔眼をしているどころの話ではないな。
「嘘ならば、責任をとれ」
俺が振り向くと、近くにいたミーシャが微笑んだ。
「ほら」
彼女は言う。
「いつもの顔。優しい」
「そうか?」
こくりとミーシャはうなずく。
「もう、大魔王みたいな顔をしてるのかと思ったわ。脅さないでよね」
小言を口にしながらも、サーシャはどこか安心した様子だ。
「心配をかけたな」
サーシャの頭に手をやると、彼女は動転したように言う。
「……しっ、心配じゃなくて……脅さないでって言ったのっ……」
「それはすまぬ」
すると、俯き、サーシャはまごまごと言った。
「……別に、心配してないわけじゃないけど……」
振り返り、グラハムが消えていったその場所に、魔法陣を描く。
奴の収納魔法陣とつなげ、こじ開けて、そこから蒼く光る星を取り出した。
創星エリアルだ。
「……これにも、二千年前のことが残ってるのよね?」
「恐らくな」
「アノスのお父様のことは、五つ目までのエリアルに残ってたんだし、なにがあるのかしら?」
「さてな。希望かもしれぬし、絶望かもしれぬ」
終わったこととミリティアが残したからには、良い記憶ではあるまい。
「とりあえず、見ないと始まらないわよね。気になるし……」
ぱちぱちとミーシャは瞬きを二回して、俺を見上げる。
彼女は、じっと心を見透かすような魔眼を向けてきた。
「後にする?」
ミーシャがそう言った。
「あ……」
と、サーシャが呟き、しまったといったような表情を浮かべている。
「エティルトヘーヴェにいるみんなが気になる」
「ふむ。では、先にそちらを見てくるか。後始末も残っている」
入り口の方へ視線を向けると、そこにいたはずの冥王の姿はすでにない。
俺の勝利を見届けた後、立ち去ったのだろう。
<飛行>にて浮かび上がり、エーベラストアンゼッタを後にする。
天蓋を目指して飛んでいけば、その城が仄かに輝き、ゆっくりと修復されていくのが見えた。
来たときに空けた天蓋の穴から入り、俺たちはエティルトヘーヴェの縦穴へ戻っていく。
「ミーシャ」
声をかけると、彼女は無表情で振り向いた。
「気を使わずとも、俺なら問題ないぞ」
じっと考えた後に、ミーシャは言う。
「整理がついてからがいい」
父のことについて言っているのだろうな。
「そんなものを待っていては、なにが起こるかわからぬ」
ふるふるとミーシャは首を左右に振る。
「今は平和だから」
その言葉に、俺は口を噤んだ。
確かに、ミーシャの言う通りかもしれぬ。
「……そうだったな」
「ん」
「では、平和らしく悠長に構えているとしよう」
そう口にして、サーシャの方を見る。
なぜか、浮かない表情をしていた。
「な、なによ……?」
「なにがだ?」
「ど、どうせミーシャと違って気が利かないわっ。アノスのことなんて……全然……」
気落ちした風に彼女は言う。
「わからないし……」
ふむ。そんなことで落ち込んでいたのか。
仕方のない奴だな。
「サーシャ」
俺は創星エリアルを彼女に見せる。
「預かっていろ」
放り投げた蒼く輝く星を、サーシャはびっくりしたように受け取った。
不思議そうに、彼女は視線で問いかけてくる。
「整理がついてからと言われても、よくわからぬ。お前が良いと思ったら、また渡せ」
「わたしが? えと……アノスが落ちついたと思ったらってこと?」
「任せたぞ」
すると、サーシャは嬉しそうに笑った。
「わかったわっ」
そのまましばらく地上を目指して飛んでいくと、縦穴の途中でエレオノールとゼシアがこちらに手を振っているのが見えた。
「今回もボクたち魔王軍の大勝利だぞっ!」
エレオノールが胸を張れば、同じようにしてゼシアが胸を張った。
「……ゼシアの活躍によって……敵国は滅びました……!」
呆れた表情で、サーシャは二人を見た。
「どうしようもないぐらい能天気だわ……」
「特にアノス君はよく頑張ったかな」
なぜか、エレオノールが俺の後ろにはりつき、頭をぎゅっと抱きしめる。
「偉いぞ」
しかし、配下とはいえ、俺がこうも後ろをいいようにさせるときが来るとはな。
これは大きな、とても大きな平和だ。
「……ゼシアは……何番目にがんばりましたか……?」
期待に満ちた目でゼシアが訴える。
彼女はびしっと指を一本立てている。
「無論、お前が一番よくがんばった」
すると、ゼシアはキラキラと目を輝かせ、人差し指を頭上にかかげた。
「……一番……ですっ……!」
そこへ雪月花がひらり、と舞い降りてきた。
白銀の光が発せられたかと思うと、アルカナの姿に変わる。
「お兄ちゃん」
俺のそばに彼女は飛んでくる。
「選定審判が終わったかもしれない」
「整合神が滅びたか?」
「恐らく、そうだろう」
整合神エルロラリエロムの根源は、ヴィアフレアの胎内で転生途中だった。
イージェスの槍に貫かれ、母胎と切り離されて遙か次元の彼方に飛ばされたのだ。
整合神が滅び、その秩序である選定審判が終わったとして不思議はない。
「終わったのはいいが、このまま、なにも起きないとも限らぬ」
<母胎転生>と狂乱神のおかげで、元々の選定審判とはかなり様変わりしていた。
「しばらく状況を観察していよう」
「任せた」
そのとき、ずっとエティルトヘーヴェを覆っていた魔力がなくなるのを感じた。
ミーシャが言う。
「<封域結界聖>が消えた」
そのようだな。
地底を抜けたため、竜鳴も聞こえぬ。
「エミリアたちと合流する」
そう口にした後、<転移>を使った。
視界が真っ白に染まり、次の瞬間、縦穴に設けられた古代の墓地が目の前に現れた。
ボミラスの分体を倒した魔王学院の生徒たちは、さすがに疲労困憊といった様子で、この場で体を休めていた。
ボミラスの本体も敗れ、エティルトヘーヴェの戦いに決着がついたのをレイたちが伝えたか、皆、どこか安堵した表情だ。
視線を巡らせれば、少し離れた場所にエミリアがいる。
彼女は、ファンユニオンの少女たちをチラチラと見ては、口を開こうとし、しかし、怖じ気づいたようになにも言えずに辺りをウロウロしている。
だが、とうとう覚悟を決めたか、彼女はエレンたちへ向かって歩いていった。
「あっ! そうだ、エミリア先生っ!」
「は、はいっ……!」
エレンに急に振り返られ、エミリアはびっくりしている。
「あれ? どうかしましたか?」
「い、いえ……なんでしょう?」
出鼻を挫かれ、エミリアは先にエレンの言葉を促した。
「えっとですね、実は今度あたしたち、ガイラディーテに行くんですよ」
「公務でっ」
ノノが続いた。
「……公務? ああ、魔王聖歌隊の?」
「はい。それで、エミリア先生の家に遊びに行きたいなって。ね」
「うんうんっ。それで、できたら、泊まりたくて」
「でも、八人は無理じゃない?」
「詰めれば、なんとかなるなるっ」
「学院長だから、家も大きい気がするし」
きゃぴきゃぴとはしゃぎながら、ファンユニオンの少女たちはエミリアの周りを囲う。
エミリアは笑顔で応じながらも、一瞬罰が悪そうな表情で、僅かに俯いた。
「……あのっ、皆さん」
真剣な表情でエミリアは切り出した。
「はい」
と、少し驚いたようにエレンが応じる。
「ごめんなさい」
エミリアは深く頭を下げた。
「……以前にあなたたちにしたことは、決して許されることではありません。先生は、酷い差別をしていました。ごめんなさい……」
空気が変わり、その場に緊張が漂う。
エレンたちは、なにも言わない。
エミリアはきゅっと唇を引き結び、頭を下げ続けることしかできなかった。
「先生」
その声を聞き、エミリアは顔を上げた。
他のメンバーに促され、エレンが一歩前へ出る。
彼女は真剣な表情でこう言った。
「なんの話でしたっけ?」
「……………………え?」
「ば、馬鹿。エレンッ、あれだよ、あれ。あれのことっ!」
「……あ、そ、そっか。授業中にアノス様の魔法写真集を内職してたら、没収されたことっ!?」
「それは完っ全にエレンが悪いからっ! 魔王城の廊下にアノス様語録を張り出したことでしょっ! 破られてたやつっ」
「それはジェシカが悪いからっ! ユニオン塔内のアノス様像を勝手に撤去したことじゃないっ!?」
「似てなかったから仕方ないよっ! それより、歴史の授業のときにアノス様のこと書いたら、ぜんぶバツにしたことじゃないのっ?」
少女たちが顔を見合わせる。
「「「あ、そ、それだよぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」」」
全員がぱっとエミリアの方向を振り返った。
彼女はまったく違うといった表情を浮かべている。
「え、ええと……じゃ、なんの話でしたっけ?」
「その……魔剣大会のときに、わたしがあなたたちを殺そうとして……」
エミリアが言うと、少女たちははっとした。
「あー、アノス様に名前を覚えてもらったときのっ!」
「エミリア先生のおかげだよねっ!」
「うんうんっ。先生はアノス様されちゃってまで、あたしたちの背中を押してくれて」
「憎まれ役を買って出てくれた感じだったよねっ」
エミリアは呆然とするばかりだった。
「……ちょっと認識が違うような……」
ちょっとというか、かなり違っている。
「違うっけ?」
「その、恨んでないんですか……?」
「恨むっていうか、感謝してるっ!」
「だって、あれがなかったら、アノス様の歌をこんなに歌えなかったし」
「ほんとほんとっ。ほんとっ、エミリア先生のおかげっ。ありがとうございます」
少女たちがぺこりと頭を下げる。
「い、いえ……」
思いも寄らない回答に、エミリアは動転する一方だ。
「それで、ガイラディーテに行ったときは、泊めてもらえます?」
「……皆さんがよければ、別にいいですけど……」
やったぁぁ、と少女たちは声を上げ、喜んでいる。
エミリアは困ったような表情を浮かべていた。
「……本当に、なんとも思ってないんですか……?」
エレンに、エミリアは改めて訊いた。
「うーん」
と、エレンが考え込む。
「あのときは、色々ありましたけど。でも、とっくに昔の話かなーって思うんです。あたしたちは混血で苦労しましたけど、エミリア先生は皇族だから、大変なこともあって、誰が悪いってことはないです」
「……やっぱり、わたしが、悪かったと思いますよ」
「じゃ、許します」
「そんなに簡単に? 殺されそうになったのに?」
「だって、エミリア先生が本当に悪かったら、今先生はこんな風に一生懸命謝ろうとしませんから」
エミリアが目を丸くする。
そんな彼女に、エレンは笑いかけた。
「殺そうとしたからといって、簡単に許さぬと思ったか」
「「「きゃあああああぁぁぁ、エレンずるいーっ、抜けがけ、抜けがけっ!」」」
ファンユニオンの少女たちが代わる代わるやってきては、「殺そうとしたからといって、簡単に許さぬと思ったか」とエミリアに伝えていく。
飽き飽きするほど許されていく彼女は、苦笑し、それから嬉しそうに笑った。
「もう……なんですか、それは……」
「知らないんですか、先生。憎しみよりも、愛の方が強いんですよっ」
そんなことをエレンが言った。
「元気だね」
後ろからレイがそう言葉をかけてきて、俺の隣に立つ。
「そうだな」
無言で俺たちは、じゃれ合う少女たちとエミリアの姿を見守った。
長く沈黙を続けた後、ふと俺は口を開いた。
「お前の親は?」
いつの時代のと言わずとも、彼には通じた。
「……死んだよ」
殺されたとも、誰にとも、レイは言わない。
「すまぬ」
ほんの僅かに、レイは首を振る。
「ただ戦って、死んだんだ」
短く、彼は言った。
「君の父親と同じだった」
そこにどれだけの意味が込められているか、よくわかっている。
「ありがとう」
なぜかエミリアが、ファンユニオンの少女たちに、魔王の物真似を伝授され始めた。
強引なエレンたちに手を引かれ、渋々演技を行う彼女は、辱められたといった表情をしている。
だが、存外に嬉しそうでもある。
俺とレイは、ただ平和な光景をぼんやりと見続けた。
なにも言わずとも、なにも聞かずとも、彼の想いが伝わってくるような気がした。
守った平和を見つめながら、魔王は亡き父を悼む。
【休載・更新ペースにつきまして】
活動報告にも書いたのですが、現在連載中の八章が
明日で終わる予定でして、その後、10日ほど休載します。
再開は4月13日(金)を予定しております。
またその後の更新ペースは、隔日(一日おき)で考えております。
毎日、楽しみにしてくださっている皆様には、
誠に申し訳ございません。
完結を目指して、しっかりがんばりますので、
よろしくお願いいたします。