錬魔の剣聖
翌日――
デルゾゲード魔王学院、第二教練場。
授業開始の鐘の音が鳴ると、教室にエミリアが入ってくる。
その後ろに黒服の男子生徒が続いた。
「おはようございます。今日は始めに転入生を紹介します」
エミリアは黒板に、レイ・グランズドリィと名前を書く。
黒服の生徒が一歩前へ出た。
「初めまして。僕はレイ・グランズドリィ。本当は初日から授業を受けるはずだったんだけど、事情があってこんな中途半端な時期に転入することになってね。わからないことも多いから、色々と聞くかもしれないけど、教えてくれると助かるよ。よろしく」
透き通るような声だった。
白髪で薄い青の瞳。麗しく中性的な顔立ちと、それから薄く微笑んだ表情が、涼しげな印象を漂わせる。
「……おい、あいつ、七芒星だぞ……」
「馬鹿。なに言ってんだ、当たり前だろ。レイ・グランズドリィだぞ。混沌の世代の一人。錬魔の剣聖。魔剣どころか、魔族には使えないはずの霊剣や神剣まで扱えるっていう規格外の化け物だ」
「入学するって話だったのに見ないと思ったら、まだ学院に来てなかったのか……」
混沌の世代か。サーシャと同じく、なかなか有名どころのようだな。
「レイ君は<魔王軍>の魔法が使えますので、班リーダーに立候補することができますが、どうしますか?」
「そうだね。どうしようかな?」
爽やかな口調でレイが言う。
あまり好戦的なタイプではなさそうだな。
「すでに班は決まっていますが、明日の班別対抗試験までは班員を揃える猶予はあります。もちろん、今回はどこかの班に入って、次の班別対抗試験で班リーダーとして参加するということでも構いませんが、あなたの実力で他の班にというのも……」
どうもエミリアはレイを班リーダーにしたいようだな。
「まだみんなと仲良くなってもいないし、今回はどこかの班に入れてもらおうかな」
「え……?」
混沌の世代と呼ばれる人物の発言としては予想外だったのか、エミリアは戸惑ったように声を上げる。
「わ、わかりました。そうすぐには班員にしたい生徒も見つからないでしょうから、暫定的にどこかの班に入るということで。たぶん、すぐレイ君の班員になりたいという生徒が増えるでしょうから、そうしたら班リーダーになるということで」
「あまりリーダーは柄じゃないんだけどね」
率直にレイは言う。
「そんなこと言っても、きっと入った班のリーダーも、あなたの方がリーダーに相応しいって言い出すと思いますよ」
ふむ。エミリアの奴、ずいぶんとレイに肩入れしているようだが、なにかあるのか?
「それじゃ、班を選んでもらいますから。班リーダーは起立してください」
「いいや。それには及ばないかな」
エミリアはレイを不思議そうに見た。
「もう班リーダーの顔と名前を知っていますか?」
「いいや、まったく」
ますますエミリアは訝しげな表情を浮かべた。
「でも、一人だけわかるよ」
そう言って、レイは歩き出す。
教室中の視線が彼に集中し、ひそひそと囁く声が漏れた。
「……誰の班に入るつもりだ……?」
「錬魔の剣聖だろ? あんな奴、御しきれる班リーダーがうちのクラスにいたか?」
「あ。もしかして、サーシャ様が班リーダーだと思ってるんじゃ……?」
「そっか。そうだよな。まさか、破滅の魔女が、白服の班員になってるなんて思いもしないだろうからな」
レイはサーシャの席へまっすぐ歩いていき、そして、そのままサーシャを通りすぎた。
立ち止まったのは俺の席の前である。
「やあ。初めまして。僕はレイ・グランズドリィ」
レイは爽やかな笑みを浮かべながら、俺に訊いた。
「君の名前は?」
「アノス・ヴォルディゴードだ」
「じゃ、アノス君、君の班に入れてくれないか? こう見えて、剣の扱いはそこそこ得意な方なんだ。きっと、力になれると思う」
ふむ。これは意外な申し出だ。
「なぜ俺が班リーダーだとわかった?」
すると、レイは即答した。
「君の魔力がこのクラスで一番強いから」
俺の魔力を畏怖せず感じとれる、か。
つまり、こいつ自身が相当の魔力を持つということだ。
「白服でもか?」
そう言われ、レイは今初めて気がついたというような表情を浮かべた。
「ああ、言われてみれば。魔力しか見ていなかった」
フッとレイは自分の失敗を笑い飛ばす。
「だけど、アノス君はすごいね。普通、白服は班リーダーになれないのに」
「なに、決まりがあるなら破ればいい」
くすっ、とレイは笑う。
「やっぱり、君の班に入りたいな。面白そうだ」
レイは俺に握手を申し出る。
なんとも爽やかな男だな。
「れ、レイ君っ。その、どの班に入っても構いませんが、アノス君は烙印が烙印なので……」
「烙印……?」
レイは俺の制服についている不適合者の烙印に視線を向けた。
「ああ、じゃ、君が噂の? 魔王学院始まって以来の不適合者?」
「そうらしいな」
「へえ。そんなに強い魔力でも、不適合者になるんだったら、なんのための適性検査なんだろうね?」
素朴な疑問といったレイの発言に、驚いたのはエミリアだった。
「れ、レイ君っ。その発言は皇族批判に当たりますよっ?」
「ああ、ごめんね。じゃ、聞かなかったことにしてくれるかな」
「聞かなかったことって……」
皇族など歯牙にもかけていないようなレイの態度に、俺は思わず笑い声をこぼす。
「なかなか面白い奴だ」
「そう? 大丈夫かな? よく空気が読めてないと言われるんだけど」
「そこが面白い」
レイは爽やかな笑みを覗かせる。
「そんなところを褒められたのは初めてだな」
レイはエミリアの方を向く。
「別に不適合者の班に入れないってことはないんだよね?」
「それは、規則上はそうですが……。皇族として、魔王の始祖の生まれ変わりと目される混沌の世代の一人として、相応しい判断をしていただければと考えています」
エミリアが暗黙の了解を押しつけるように言った。
「わかった。相応しい判断だね」
レイはそう返事をした後、表情を引き締めて、再び俺に顔を向けた。
「じゃ、そういうことで、改めてアノス君の班に入れてくれないかい?」
ふむ。こいつ、皇族に相応しい顔つきにさえなれば、それでいいとでも思ったのか。
完全に空気の読めぬ男だな。
エミリアなど驚きのあまり、目を見開き、顎が外れそうなぐらいに口をあんぐりと開けてしまっているというのに、まるで気がつく気配がない。
いや、傑作だ。
「……ど、どういうことだよ? なんであの錬魔の剣聖が、いきなり不適合者の軍門に下ろうとするんだ……?」
「……ああ、いくら暫定だからって、それはないだろ……」
「レイ・グランズドリィが来たんなら、ようやくあの不適合者にでかい顔されずに済むと思ったってのに……」
皇族らしき生徒の情けない呟きが漏れ、
「さすが、アノス様っ! 戦わずして、どちらが格上か見せつけるなんて超格好いいっ!!」
「うんうんっ! アノス様の魅力で錬魔の剣聖もイチコロだよね!」
「待って! あたし大変なことに気づいちゃった」
「なによ?」
「魅力でイチコロッてことは、一目惚れってことじゃない!?」
「ええぇー、じゃ、レイ君、あたしたちのライバルってこと!?」
「で、でも、ほら男だから……!!」
「そんなの愛の前には無力だよっ!!」
頭のおかしなアノス・ファンユニオンの声が響く。
「いいのか? がっかりしている連中がいるようだぞ」
皇族の連中のことをほのめかす。
うーん、とレイは頭を捻った。
「僕も正直、だめな班リーダーしかいなかったら、どうしようかとは思ってたんだけどね。でも、アノス君って、僕より絶対強いだろ?」
飾らぬ口調でレイが言う。俺が不適合者であることなど気にもとめないといった様子だ。
どこまで本音かわからないが、不思議と嘘をついているようにも聞こえぬな。
「まあな」
「それなら、願ったりかな。有能なリーダーのもとで、命令通りにやるのが僕の性にも合っている」
皇族に縛られないこの自由さは、二千年前の魔族に通じるものがあるな。
「そういうわけだから、いいかな?」
「ふむ。そうだな。断る」
「……ん?」
レイはきょとんとした表情になった。
「ただ命令通り気楽にやりたいなら、そこらの班に入ればいい。どうしても俺の配下に加わりたいというのなら、相応の力を示すんだな」
「アノス君」
唐突に迫真の表情を浮かべ、レイは芝居がかった口調で言った。
「命令通りやりたいとは言ったけど、決して気楽なわけじゃない。僕にはどうしてもやらなければならないことがあるんだ。そう、使命が。そのためには君の手となり足となり、この魔王学院を上り詰めなければいけない。是非、君の班に入れて欲しい!」
「そうか。なら、相応の力を示せ」
レイはまた爽やかな笑顔に戻った。
「……おかしいな。演技は得意な方なんだけど……」
つかめぬ男だな。空気のように飄々としている。
「……れ、錬魔の剣聖が、班に入りたいって言うのに断っちゃったよっ!?」
「さすが、アノス様っ! お高いっ! お高いでしょっ!」
「待って! あたし大変なことに気づいちゃった」
「今度はなによ?」
「……レイ君、今、入れて欲しいって言った……」
「受けってこと!?」
わけのわからぬ会話をしているアノス・ファンユニオンの連中に俺は言った。
「ちょうどいい。ミサ、お前たちはレイの班に入れ」
「え? あの……はい。アノス様がそうおっしゃるのでしたら、そうしますが……」
戸惑いつつも、ミサが言う。
「力を合わせ、班別対抗試験で俺に挑め。うまくやれば、配下に加えてやる」
「……わかりました」
続いて、俺はレイを見た。
「それで構わないな?」
「あまりリーダーは柄じゃないんだけどね……」
ふむ。さっきも同じこと言っていたが、謙遜してるようにも見えないな。
班リーダーは魔皇になるためには必須だろうに、力はあっても権力や政には興味がないということか。
「お前はなかなか面白い。ちょっと遊んでみたくなっただけだが、まあ、やる気がないのなら無理強いはしないぞ」
「ま、いいか。僕も君に興味が出てきた」
拍子抜けするほどあっさりとレイは意見を翻す。
そうして、清々しく彼は微笑んだ。
「お手柔らかに」
「おう。全力で潰してやる」
レイは不思議そうな顔をしながら、言い直した。
「実は帰りを待っている一歳の娘が」
「それはそれは、なんとしてでも生きて帰るために、全力で戦ってくれるというわけだな」
くすっ、とレイが噴き出すように笑った。
これも嘘だったのだろう。適当な男だな。
「なんでかな?」
「なにがだ?」
「いや、なんだかアノス君とはうまくやっていけそうな気がしたんだ」
「ふむ。奇遇だな。俺もちょうどそう思っていた」
気まぐれでそう口にしたのだが、不思議とその言葉が自分自身で腑に落ちた気がした。