葬送
万雷剣はグラハムの手から遠く離れ、床に転がっている。
丸腰になったグラハムは、それでも動じず微笑みを見せた。
「さあ、どうだろうね? たとえ、そこにあったとしても、君たちの刃は、とうの昔に折れているかもしれないよ?」
「折れた刃で斬り裂くまでよ」
イージェスの手元がブレたかと思うと、目にも止まらぬ速度で、魔槍の突きが繰り出される。
ガギィィィッと金属音が鳴り響き、その槍が受け止められていた。
魔眼に魔力を集中すれば、幽かにそこに人影が浮かぶ。
冥王イージェスにして、凝視しなければ姿を見失うほどの<幻影擬態>と<秘匿魔力>。
根源殺しの魔剣にて、紅血魔槍を阻んだのは外套を纏った亡霊。
イージェスがよく知る、名もなき騎士であった。
「……二番……」
刹那、剣閃が走り、イージェスは咄嗟に身を引いた。
しかし、隠蔽魔法にて隠された魔剣の間合いを計り損ない、彼の胴と肩口が斬り裂かれる。
更に二人、幽かな亡霊の姿を冥王の隻眼が捉えた。
「……四番、三番……」
<幻影擬態>と<秘匿魔力>にて、うっすらとしか見えぬものの、グラハムを守るように立ちはだかったのは、かつての幻名騎士である。
「ほら、折れているだろう、君たちの刃は。彼らはもう、なんのために剣を振るっていたのかさえ、覚えていない」
「首を奪い、姿形を似せようと詮無き事よ」
同時に襲いかかる、四番、三番、二番の剣を、イージェスはその変幻自在の血流の槍にて、捌き、はね除ける。
「<母胎転生>によって、貴様は自らと同じくツェイロンの血を引く魔族を生み出しただけのこと。二番らの首を奪い、その力を奪い、消えたはずの幻名騎士団を再び作り直した」
二番が正面から、四番が背後から、三番が横から、イージェスに猛攻を仕掛ける。
「彼らはとうに滅び、その刃を継いだのは余のみよ」
ガッ、ギィ、ガギィンッと三本の魔剣が弾き飛ばされる。
「我らは名もなき騎士であった。信念なき亡霊の刃が、この身に届くと思うな」
イージェスの足元から血の噴水が上がり、彼の姿を完全に覆う。
二番たちが魔眼を懲らすも、その姿は完全に水葬神アフラシアータの秩序に覆われており、見通すことができない。
「紅血魔槍、裏秘奥が壱――」
赤い槍閃が、円を描く。
「<水葬斬首>」
血の噴水の中から走った刃は、幻名騎士団三人の首を刎ねた。
立ち上った血はそのまま上方で三本の紅血魔槍ディヒッドアテムへと変化しており、勢いよく降り注いでは、彼らの体を地面に縫い止めた。
「去ねい」
魔槍に貫かれた幻名騎士の体から溢れ出る紅い液体が、足元に血溜まりを作り、そこに彼らは沈んでいく。
もがき、足掻こうとも、紅血魔槍に縫い止められた体は動かず、水葬神アフラシアータの秩序が宿る血の中に溺れ、滅びていった。
宙を舞い、落ちてきた三人の首に、イージェスが隻眼を向ける。
魔法が発動し、血の球が三人を覆った。
それはイージェスの顔の高さに、ふわりと浮いている。
「二番、三番、四番」
イージェスはそっと告げる。
「待たせた」
三度、魔槍が閃いた。
貫かれた彼らの首は、血の球に溶けるかのように消滅した。
「二千年前に学ばなかったかい? その感傷が、君に敗北をもたらすんだよ、一番」
イージェスの視線が、声の方向を貫く。
グラハムが、ゆるりと手を掲げていた。
その右手に宿るのは、圧倒的なまでの破壊の力だ。
凝縮された紫電が集い、その場に雷光を撒き散らす。
イージェスが幻名騎士を屠っている間に、描かれた魔法陣は一〇。
紫電にてつながれたそれらは、一つの巨大な魔法陣と化している。
「亡霊の首を葬るのを後回しにしていれば、これは防げたかもしれない」
グラハムの指先が、冥王に向けられる。
「<灰燼紫滅雷火電界>」
連なった紫電の魔法陣が、雷鳴を轟かせ、イージェスを撃ち抜いては、取り囲む。
<灰燼紫滅雷火電界>の内側は稲妻の結界だ。
転移もできなければ、紫電を躱す隙間さえない。イージェスの次元を越える魔槍ですら、その空間を斬り裂くのは至難だろう。
瞬時に避けられぬと悟ったイージェスが、ディヒッドアテムを盾にした瞬間、膨大な紫電が溢れ、獰猛に牙を剥いた。
聖座の間のすべてが紫に染まり、途方もなく明るい光がその場を照らす。
雷鳴が、不気味な音を立て、激しく轟いていた。
それは滅びの稲妻。
世界の終わりを彷彿させるほどの落雷が、彼の身へと一気に降り注ぐ。
ギギギギギギギギッと反魔法が引き裂かれていく轟音が鳴り響く。
イージェスの体から、神の秩序がみるみる内に薄れていった。
そのとき、イージェスの四方に水の壁が現れた。
中には、人影が見える。
イージェスが憑依させていたはずの水葬神アフラシアータだ。
「水葬の盾」
人影が、くるりと反転し、水の壁の中で逆さになった。
その障壁は、滅びの紫電を遮ったが、しかし、刻一刻と水葬神の魔力が消えていく。
自らを水葬することで、強固な盾を作っているのだ。
盟約を交わした主を護ろうというのだろう。
だが、それさえも、長くはもつまい。
「……ぬあぁぁっ……!!」
水の壁の中から更に水が溢れ、<灰燼紫滅雷火電界>の内側を完全に水で覆った。
イージェスは水中を駆け抜けていく。
迸る紫電は、水葬の盾に穴を穿ち、滅ぼし始めた。
イージェスが三歩目を刻んだ頃には、膨大な紫電が溢れかえり、殆どの水が消滅していた。
なおも、滅びの稲妻の勢いは収まらず、盾を失った冥王に直撃する。
だが、彼は前進をやめなかった。
紫電を浴び、その身を焼かれ、夥しいほどの血を噴出させる。
それは冥王の根源から、こぼれ落ちる血。
奴の魔力の源泉だ。
「知っているかい? その行為を、人は徒労と呼ぶんだ」
一際大きく雷鳴が轟き、莫大な紫電がイージェスへ向かって、四方八方から落下した。
床が弾け飛び、爆風が巻き起こり、更に大量の血が流れる。
エーベラストアンゼッタが震撼し、今にも崩壊させそうなほどの大魔法に、イージェスはひたすら撃たれ続けた。
「……グラハム……貴様を……!」
紫電の隙間を縫い、イージェスのディヒッドアテムが突き出される。
「へえ」
槍の穂先は、グラハムの首もとまであと僅かというところで止まった。
「惜しかったね」
雷鳴が止み、<灰燼紫滅雷火電界>が終わった。
グラハムまであと一歩というところまで接近したイージェスは、大量の血を流し、その体からは、最早、水葬神の秩序も感じない。
「君を護るために、水葬神は逝った。けれども、その槍は届かない。今も昔も、君たち幻名騎士団の刃は、僕を止めることはできなかった」
「抜かせ……否が応でも、貴様を連れていくのが、余の役目よ……」
イージェスはボロボロの体で、その隻眼を光らせた。
「<血界門>」
流れ落ちた血からせり上がるように、巨大な<血界門>が四つ、イージェスとグラハムを囲むように出現する。
「紅血魔槍、秘奥が漆――」
四つの<血界門>が同時に閉められる。
気がつけば、二人は血の池に腰まで浸かっていた。
「――<血地葬送>」
がぐん、とグラハムの体が血の池に沈む。
「見ていないと思ったかい? 君とアノスの戦いを」
グラハムが魔法陣を四つ描き、<次元門番>の魔法を使った。
出現した四つの門は、彼に次元を超越させる効果を発揮する。
刹那、イージェスは一歩を踏み込み、ディヒッドアテムを突きだした。
「……か、は……っ……!」
魔槍はグラハムの胸を貫き、血を付着させ、その根源を縫い止める。
「これが、真の<血地葬送>ぞ」
この場に根源を縫い止める紅血魔槍の力とは反対に、<血界門>が作りだした血の池は、グラハムを遙か次元の彼方へ飛ばしていく。
相反する二つの力が、グラハムの根源を散り散りに引き裂き、消滅させる。
俺がやったように、<次元門番>にて、一周回って元の場所に戻って来ようとも、最早根源が引き裂かれた後だ。無事には済まぬだろう。
あのとき、イージェスは俺を滅ぼす気がなかった。
グラハムが、そこを見ていることも知っていた。
ゆえに、全力を出さなかったのだろう。
暴虐の魔王と呼ばれた俺を相手にしながら、なお、力を温存していた。
すべては、この瞬間のために。
「この時代に我らは不要」
槍に穿たれたグラハムの体が、血の池に飲まれていく。
「亡霊が彷徨う狂った平和は、これで仕舞いよ」
奴の首に――
セリス・ヴォルディゴードの顔に、イージェスは送り出すような視線を向けた。
「師よ……。長く……」
紫電にてボロボロに傷ついた冥王の隻眼から、血の雫がこぼれ、頬を伝う。
「長く、お待たせしました」
こぼれ落ちた赤い雫が、水面に波紋を立てた。
それを合図にして、グラハムの体は完全に血の池に沈んだ。
「どうか、安らかに」
葬送――




