亡霊の正体
創星エリアルの輝きが失われていく。
とうに過ぎ去った日々が目の前から幻影のように消え、俺の視界はまた元の縦穴を映した。
「終わったこと、か」
ミリティアが、エーベラストアンゼッタの壁面に刻んだメッセージが、ふと口からこぼれ落ちる。
なにが終わったのか。本当に終わったのか。
それを確かめようと思っていた。
あの丘で、俺の父、セリス・ヴォルディゴードは滅びた。
だが、あのときの父の根源は意識だけを残し、他はグラハムに奪われていた。
ならば、奴が奪った首には、セリス・ヴォルディゴードの根源が残っている可能性があるか?
いや――それはない。
もしそうなら、グラハムの首が刎ねられたとき、顔と体に、二つの根源が分かれているはずだ。
だが、そうではなかった。
ツェイロンの血族は、恐らく、奪った首を体とつなげることで、首に残った根源を、自ら自在に操れる形で複製しているのだろう。
首はその力を発揮するため、術式に必要な触媒にすぎぬ。
そもそも、二つに分かれた根源は、そのままでは長くもたぬ。
だからこそ、あの丘で、父の意識を持った根源は滅びていった。
本当に滅びたのか?
希薄な根源が、どこかへ飛んでいっただけではないのか?
「いや――」
自らの頭をぐっとつかみ、<根源死殺>の爪を立てる。
血が流れ、鋭い痛みが俺を襲う。
どこかへ飛んでいったところで、そんな希薄な根源はどのみちすぐ消えるだろう。
なにを感傷に浸っている。
終わったことだとミリティアのメッセージに書いてあったではないか。
ただそれが、事実だっただけだ。
考えるべきは、過去ではなく、現在。
それを忘れてはならぬ。
俺が地底で会ったあの男――
俺の父、セリス・ヴォルディゴードを騙る人間、グラハム。
それすら、奪った名であろうが、正体はどうでもよい。
グラハムは、ツェイロンの血を奪い、父の首を奪い、幻名騎士団のセリス・ヴォルディゴードに、俺の父親に成りすましていた。
俺は、奴を滅ぼした。
<斬首刎滅極刑執行>にて、首を刎ね――
『アノス』
レイの声が<思念通信>にて響く。
務めて平静な声を心がけ、俺は訊いた。
「……どうした?」
『カシムが、しばらく一人になりたいと言っててね』
一人になりたい、か。
まあ、あれだけの醜態を曝せば、無理もない話だが……さて、どうだろうな?
『泳がせてみようと思う。なにか裏があるのかもしれないしね』
確かにな。だが――
「カノン」
そう呼ぶと、驚いたようにレイの魔力が揺れた。
「そこから先は、俺にやらせてもらえるか? 訊かねばならぬことがある。時間も惜しい」
『……任せるよ』
<飛行>で浮かび上がり、俺は縦穴を上っていく。
カシムはレイのもとから離れた。
奴が移動するルートを予測し、俺はそこへ先回りをした。
遺跡神殿からは遠く離れた、なにもない洞窟の横道だ。
<幻影擬態>と<秘匿魔力>にて身を隠していると、そこへカシムがやってくる。
彼は後ろを振り返り、レイたちがついてきていないのを確認する。
そうして、魔法陣を描き、中から一本の聖剣を取り出した。
「……カノン……私は……」
覚悟を決めたような表情で、カシムはその聖剣を自らの胸に突き刺した。
聖痕が浮かび、刃は根源を貫く。
彼の体内に描かれたのは、<転生>の魔法陣だ。
「見下げた男だ。霊神人剣に選ばれぬわけだな」
「…………な…………に…………?」
<破滅の魔眼>にて、<転生>の魔法を破壊され、カシムは驚愕の表情を浮かべた。
魔法を解除し、姿を現す。
カシムの胸に突き刺さった聖剣を抜いてやり、地面に放り投げる。
「……暴虐の……魔王…………」
<総魔完全治癒>の魔法でカシムの傷を癒してやる。
後ずさり、聖剣を拾って、カシムはごくりと息を飲む。
脅えた奴に、俺は言った。
「目の前で<転生>を使わなければ、転生したかどうかもわからぬ。レイに完膚無きまでやられたお前は、非業の死を遂げた。と見せかけ、あの男の心にしこりを残そうというわけか」
「……違う……私はただ……やり直そうと……。記憶を捨て、カシムであったことを忘れ、今度は真っ当な勇者の道を歩めるように」
「ふむ。睨んだ通りだな」
奴を指さし、俺は言った。
「隠しごとがあるというわけか。俺に捕まれば、生きたままではそれを隠し通せぬ。ゆえに転生して、記憶を完全に捨て去ろうとした」
自然と表情が嗜虐的な笑みに染まり、僅かにカシムは体を震わせた。
「よく考えることだ。お前が隠そうとしているものがなんなのか、つまらぬ嫉妬なんぞで触れていい領域なのか。よおくな」
冷たい視線をカシムに向ける。
「話せ」
「……ほ、本当だ。私はただ、やり直したい。それだけで」
呆れた返答に、俺は表情なく言葉をこぼした。
「ほう」
奴を見据えたまま、俺は魔法陣を描く。
「なら、その願いを叶えてやる」
魔力が黒き糸へと変化し、奴の首に結ばれた。
「二度と戻れぬ地獄へ沈め」
途端に、カシムの目の前の風景が変わっていく。
目まぐるしく違う景色が、いくつもいくつも通り過ぎ、そうして俺たちは戦火の真っ直中に辿り着いた。
「……ガイラ……ディーテ…………?」
カシムが目を丸くして、周囲に視線をやる。
辺りは、二千年前のガイラディーテだった。
激しい剣戟が耳朶を叩く。
魔法による爆音が幾度となく木霊し、人々の悲鳴や怒号が飛び交っている。
そこは、戦場だった。
「……カシムッ……! 背中は任せるがいい。お前は魔王をっ……」
カシムが振り向き、再び驚愕をあらわにする。
そこにいたのは、彼の師、ジェルガだった。
彼は、襲いくる魔族たちへ聖剣を振るい、魔法砲撃を放っている。
「ジェルガ先生……」
「……任せたぞ、カシム。お前ならばやれる。お前は、霊神人剣に選ばれた、魔王を討つ勇者なのだ……」
「……勇者……私が……?」
カシムが、その手に持った聖剣を見つめる。
それは、霊神人剣エヴァンスマナだった。
「これは……な、にが…………?」
「過去を遡るのは初めてか」
その言葉に、カシムが驚愕をあらわにした。
「過去を……馬鹿な……。ここは、本当に二千年前のガイラディーテだというのか……? そんなことが……」
「俺に不可能があるとでも思っていたか。愚かな男だ」
視線で威圧してやれば、カシムは後ずさった。
「過去を変え、お前が霊神人剣に選ばれたことにしてやった」
奴は俺に疑惑の視線を向けた。
「……そんなことをして、いったいなにが目的だ、魔王っ!?」
「お前が望んだことを叶えてやったにすぎぬ。勇者カシムが正しければ、俺にとっても都合がよい」
険しい表情で、カシムは睨みつけてくる。
「もしも、お前がカノンと同じか、それ以上のことができるのならば、この過去は現実となる。カノンには助けられなかった多くの命を救え。お前の名は平和をもたらした勇者として、魔法の時代に轟くだろう」
呆然としていたカシムの表情が、徐々に変わっていく。
強い意志を瞳に秘め、ぐっとカシムは聖剣を握り締めた。
「さあ、来るがいい。今こそ、お前の大望は叶った。聖剣に選ばれたのだ。この身を退ければ、真の勇者となれるだろう」
「……真の勇者に……私が……真の勇者に……」
カシムの目がかつてない輝きを発し、彼は勢いよく地面を蹴った。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉっっっっ!!」
突き出された霊神人剣。
それを四方八方から漂った闇が覆い、鞘を作った。
「な……に……!?」
「<黒鞘>」
黒き鞘に納められ、霊神人剣の力が消え失せる。
<黒鞘>は、対霊神人剣用に開発された魔法だ。
霊神人剣の進化によって無効化されたが、一度目は十分な効果があった。
「このガイラディーテでの一戦にて、勇者カノンは<黒鞘>にて霊神人剣の力を失った。六つの根源を使い果たしたが、人間に残された最後の砦、ガイラディーテでは退くわけにいかぬ」
俺は両手を、<根源死殺>に染める。
「……ぜっ、ぜああぁっ……!」
カシムは、<黒鞘>ごと霊神人剣を俺に叩きつけるが、無論、この体はびくともしない。
「平和に慣れたはずが、どういうわけか、今は二千年前の暴虐さを演じるのに、抵抗を感じなくてな」
<根源死殺>の指先を、その腹部にねじ込んだ。
「が……はぁ……」
「気をつけろ。このまま滅ぼしてしまうかもしれぬ」
更に奥へ黒き指先をねじ込み、心臓を潰す。
「ぐふぅっ……!!」
カシムは<蘇生>を使う。
「さあ。見せてみよ、勇者カシム。勇気を持ち、この窮地を乗り越えろ」
「……や、やめ…………」
カシムの根源をつかみ、ぐっと握り締める。
「ごぶふぅっ……!!」
「剣もなく、盾も失い、それでも、この魔王アノス・ヴォルディゴードを退けた、あのカノンのように」
カシムの体内に、その根源に俺は直接魔法陣を描いた。
「勇気を示せ。俺に人間の素晴らしさを見せてみよ」
「……くっ……!」
<転生>の魔法を使い、滅びる寸前にカシムは転生していった。
消えていく奴の根源に、俺は落胆した視線を向けた。
「<羈束首輪夢現>」
ガイラディーテの風景が消え、俺とカシムはまた元の場所に戻ってきた。
時間は殆ど進んでおらず、変わったことはなにもない。
奴の首に、禍々しい首輪がついていること以外には。
はっと気がついたように、カシムは周囲を呆然と見回す。
「……過去から、戻ってきたのか…………?」
「今のは、その首輪が見せたただの夢だ」
<羈束首輪夢現>の首輪を指さし、俺は言う。
「過去の再現ではあるがな。カノンもお前と同じ状況に陥った」
奴のそばまで、俺はゆるりと歩を進ませていく。
「あの男は、あそこでどうしたと思う?」
言葉に気圧され、カシムは、がくがくと震え、脅えた。
彼は考え込んでいる。
しかし、どれだけ考えても、なにも思いつかないようだった。
「得意とする根源魔法にて、<根源死殺>につかまれた根源を、自ら思いきり貫かせた」
「……そ、んなことを……すれば……?」
「滅ぶ。それがカノンの狙いだった。滅びに近づく根源は、よりいっそう輝きを増す。消え去る直前、その強大なまでに膨れあがった魔力にて、あの男は<根源光滅爆>を使ったのだ」
わなわな、と体を震わせながら、カシムは信じられないといった顔になった。
「勇者カノンの捨て身の<根源光滅爆>は、さすがに俺とて、ただではすまぬ。なにより配下の犠牲は甚大なものとなろう。無理矢理押さえ込み、魔法の発動を止めるのに苦労してな。あの場は退くしかなかった」
言葉もなく、呆然とカシムは俺に視線を向ける。
「わかったか」
至近距離で、奴を睨み、俺は断言した。
「これが勇者だ。あの男の心の強さは、互いに死闘を演じた俺が誰よりも一番よく知っている。人間の素晴らしさを、俺に教えてくれたのがカノンだ。彼がいなければ、この平和は実現しなかった」
どうしようもなく湧き上がる怒りが視線にこもる。
愚かな者は数知れぬ。
それでも、愚かな者ばかりではない、と俺は知っている。
「お前如きが、嫉妬するだと? 身の程知らずが」
俺の全身から黒き魔力の粒子が溢れ出し、殺気に気圧されたように、カシムはその場に尻餅をついた。
奴の顔を覗き込むようにして、俺は告げる。
「これが最後だ。俺は今少々気が立っていてな。手っとり早く真実を知るためならば、なにをしでかすか自分でも予想がつかぬ」
溢れる魔力がそれだけで、縦穴を、いやこのエティルトヘーヴェを揺るがしていた。
「話せ」
震える唇を開き、カシムは言った。
「……わ、私が奪い去ったエリアルは、王宮の壁画にあったものではない……」
ふむ。思った通りか。
エリアルは五つ星。
ミリティアが残したメッセージには、そう記されてあった。
しかし、それは誤りだったのだ。
確かに大凡のことはわかった。
グラハムの存在は、ディルヘイドにとって害になるであろうことも。
しかし、創星には破壊神アベルニユーの過去がなかった。
俺はそのことを今も思い出せないでいる。
ミリティアが、父セリスに頼まれ、俺の記憶を奪い、創造したのだとしよう。
恐らくは、世界を分ける壁を作るとき、魔力を注ぎ込んだ瞬間だろう。
そのときに、彼女は俺から破壊神アベルニユーの記憶まで奪った。
いったい、なんのために?
わからぬが、その過去も創星に封じられていた可能性は高い。
ならば、創星はまだ他にも存在すると考えるのが妥当だ。
二千年前から、奴は狂乱神アガンゾンの権能を手にしていた。
アルカナの中に、ミリティアは自らの秩序、<創造の月>アーティエルトノアを使い、あのメッセージを残した。
だが、グラハムは、代行者となったアルカナに接触する機会があった。
そのときに、ミリティアが残そうとしたメッセージを、改竄できたかもしれぬ。
数字を一つ、たとえば、六を五に変えるぐらいならば。
「お前がレイと戦ったあの場所。ひどく荒れていたが、壁画があったのを隠したか。お前が持っていたのは、そこにあった創星エリアルだな?」
カシムがうなずく。
「最後の一つは、誰が持っている?」
「……冥王……イージェスだ……」
「お前の<契約強制>は、狂乱神アガンゾンが改竄し、内容を別物に見せかけていたな」
カシムはうなずいた。
「今はいない。レイとの戦闘でも使わなかった。つまり、お前の選定神ではあるまい。誰の神だ?」
「……せ、セリス・ヴォルディゴード……だ……」
「ふむ。よくわかった」
俺は踵を返す。
「レイ。そいつの処遇は任す」
顔を見せたレイにそう伝え、俺は縦穴を降下していく。
一番下まで辿り着けば、<魔震>にて地面を割り、更に地中深くへ潜った。
創星を持って、イージェスはどこへ行ったのか?
<斬首刎滅極刑執行>にて首を刎ねたが、グラハムは生きているはずだ。
奴の体は、ツェイロンの血族と同じ、首なしだ。
元々首がない魔族に、斬首の魔法効果は発揮されない。
奴はあのとき、滅んだと見せかけ、転生していた。
<母胎転生>によって。
根源が滅ぶのも、死んだ後に蘇生が不可能になりいずこかへ消え去るのも、そして転生するのも、事象としては、すべて根源が消えたにすぎぬ。
その前に起きた事柄にて、滅んだのか、転生したのかを判断するしかないが、魔法陣を俺に見せさえしなければ、騙し切ることは不可能ではない。
そして奴には、改竄の秩序をもつ狂乱神がついていた。
ならば、冥王の狙いは、師の仇であるグラハムに違いない。
グラハムは今どこでなにをしている?
八神選定者が八人から今の人数に増えたのは、恐らく奴の仕業だ。
天蓋が落ちた日までは確かに、八神選定者は八人だった。
それ以降、数を増やしたと考えるのが妥当だろう。
方法は一つ。
つまり、狂乱神アガンゾンの権能により、整合神エルロラリエロムの秩序を乱し、別物に変えたのだ。
俺がそばにいたため、整合神の代行者であるアルカナには手の出しようがなかった。
ならば、残り半分のエルロラリエロムの秩序に働きかけたと考えるのが妥当だ。
選定審判の勝者の前にしか現れないという整合神だが、どうやら今では少々事情が違っているようだ。
選定審判を終わらせようとしたミリティアの行動が関係しているのか?
わからぬが、もしも、常に整合神が地底のどこかに存在したのだとすれば、その場所はあそこ以外に考えられぬ。
大地を掘り進めると、視界がぱっと開け、俺の眼下に神々しいその城が姿を現した。
神代の学府エーベラストアンゼッタ。
八神選定者の名が記された聖座の間こそ、整合神の秩序が働くところ。
すなわち、整合神のなれの果てだ。
あの場に、奴が。
父の首を奪った、グラハムがいる――
許せぬ男がそこに――




