名もなき騎士たちの戦い
グラハムの左右に描かれた魔法陣から、槍の柄のようなものが現れる。
「乱竄神鎌ベフェヌグズドグマ」
左右から柄と柄を合わさり、それが一本の棒となる。
回転させ、魔法陣を斬り裂くように、膨大な魔力を発する大鎌が、グラハムの手に現れていた。
「気をつけろ」
万雷剣を構えながら、セリスが一番たちに言う。
「神の権能だ」
グラハムは親切そうな表情を顔に貼りつけ、軽々しく言葉を発す。
「彼の言う通り、気をつけた方がいい――」
大鎌を真横に構え、グラハムは幻名騎士団たちに視線を向けた。
「――でないと、一秒で終わってしまうよ」
一番に向かって、乱竄神鎌ベフェヌグズドグマが振るわれる。
それは、まさに死の一閃。
静寂が押し迫るように、音もなく、光もなく、ただ切断の刃が疾走した。
四邪王族が一人、冥王とまで呼ばれた一番にして、反応すらできぬほどの一撃を、しかし、セリスは万雷剣でもって受け止めていた。
「さすがだね。乱竄神鎌の初撃を受け止めたのは、君が初めてだよ。だけど――」
血飛沫が、セリスに浴びせられる。
大鎌が振るわれた方向とは、まるで違う場所にいた三番の首が飛び、床を転がった。
「この神鎌は、狂乱神アガンゾンの権能だよ。狂い、乱される秩序は、因果さえも暴走させる。これは無秩序の大鎌だ。ベフェヌグズドグマが振るわれたが最後、どんな結果になるか誰にもわからな――」
言葉の途中で、グラハムが血を吐き、口元を濡らす。
存在を完全に消すほどの<幻影擬態>と<秘匿魔力>で、二番と四番が迫り、正面と背後から挟み打ちにした。
グラハムの腹部と胸が、根源殺しの魔剣で貫かれていた。
「お喋りが過ぎたな」
「滅べ」
二人が魔剣にてグラハムの根源を抉る。
反撃とばかりに、奴がベフェヌグズドグマを振り下ろすが、二番はそれを難なく躱した。
瞬間、グラハムの首が刎ねられたかのように飛んだ。
怪訝な視線を二番と四番がその首へと向けた。
「因果が暴走すると言ったはずだよ。振り下ろした乱竄神鎌が、外れた。だから、僕の首が刎ねられたんだ」
グラハムの首がそう喋り、地面を転がった。
すると、再び血飛沫が上がり、今度は四番の首が刎ねられていた。
ベフェヌグズドグマの力なのだろう。
因果が完全に狂っており、予測がまるで成り立たない。
まさに無秩序の大鎌であった。
奴が口にした通り、神鎌を振るうグラハムにさえ結果が読めていないだろう。
幻名騎士団に、それがわかるはずもなかった。
「さあ」
首のないグラハムの体が動き、自らに突き刺さった二番の魔剣を無造作につかむ。
ぐっと力を入れ、それを素手でへし折った。
乱竄神鎌を振り下ろせば、二番の全身が斬り裂かれ、血が溢れ出す。
その傷にさえ無秩序が働くのか、回復魔法が効かず、彼はその場に膝を折った。
「ぬんっ!!」
神鎌を振り下ろした直後の隙をつき、一番が魔槍を突きだす。
その穂先が伸び、一〇本に分かれて、グラハムの体を貫いた。
「……か、はっ……!」
「ぬああぁっ……!!」
一番は魔槍を更にぐんと伸ばし、そのまま、グラハムを洞窟の壁にはりつけにした。
左右の腕を縫い止め、乱竄神鎌を封じたのだ。
「やれやれ」
貫かれた腕を、それでもグラハムは動かした。
血が溢れ、肉が裂かれるが、構わず、そのまま腕を削ぐようにして、グラハムは大鎌を持ち上げていく。
「よくやった、一番」
血まみれの二番が折れた魔剣を手に、グラハムの目の前に立っていた。
その剣身に、膨大な魔力が集う。
彼の来世さえもかき集めた、命の輝きだ。
一瞬、その視線を、二番はセリスへ向けた。
「団長、私は亡霊でありましたか?」
淡々と二番は言った。
「二番ッ!!」
叫んだのは、一番だ。
彼を制止する声は、しかし、その耳には届かない。
「先に逝け。地獄で語り明かそうぞ、二番」
満足そうに二番は笑う。
そうして、折れた魔剣をグラハムに突き刺した。
「<根源光滅爆>」
爆発する光が目の前を真っ白に染め上げた。
それは、洞窟の中にあるすべてをあっという間に吹き飛ばし、結界そのものである雷雲火山の半分を抉った。
根源の持つ魔力を爆発させたその威力は、並の魔法では遠く及ばない。
ましてや、爆心地では滅びぬものなどないだろう。
だが――
「命を犠牲にして、敵を討つ。亡霊らしい戦い方だね」
光が収まり、そこに首のない人影が現れた。
生きていた。
グラハムは、その手に二番の首を持っている。
<根源光滅爆>が発動する寸前で、首を落とし、その威力を軽減させたのだろう。
だが、それにしても<根源光滅爆>の爆心地にいたことには変わりない。
その直撃を食らいながらも、奴は悠々と立っている。
「だけど、彼は守ろうとしたんだろうね。小を殺して、大を生かす。いつだって君たち幻名騎士団がやってきたのは、それだった」
「滅びるがいい、化け物」
二番が<根源光滅爆>で作った隙をつき、セリスは可能性の球体魔法陣を、目の前に構築していた。
彼の自爆魔法は、グラハムの反魔法をはぎ取り、なにより乱竄神鎌ベフェヌグズドグマを彼の手元から弾き飛ばしている。
<根源光滅爆>でグラハムのとどめをさせるとまでは、二番とて思っていなかった。
それは布石だ。
彼は命懸けで、セリスの勝機を作ったのだ。
「<波身蓋然顕現>」
万雷剣を、セリスは球体魔法陣に突き刺した。
同時に、九つの可能性の刃が、九つの球体魔法陣を貫く。
雷鳴が耳を劈き――
辺りが紫電で溢れかえる――
天は轟き、地は震撼し、雷雲火山の残った結界さえも瞬く間に飲み込んでは、紫電に染めた。
「そう、君は、君たちは一瞬たりとも、弱味を見せるわけにはいかなかったんだ」
セリスの大魔法を見てなお、グラハムが世間話のようにそんな言葉を口にする。
「生き馬の目を抜くようなこのディルヘイドでは、非情に徹しなければ、たちまち食いものにされる」
ジジジ、と地面に走った紫の雷撃が、<根源光滅爆>によって抉られた火口に巨大な魔法陣を描く。
「正しき剣を振るうことなど、できやしないよ。あらゆる魔眼が、あらゆる耳が、強き魔族を監視している。どこで誰が見ているか、聞いているかわかりやしない。悪しき者を一人粛正しようとすれば、多くの悪しき者たちに滅ぼされる。血に飢えた狂った亡霊であり続けなければ、君たちは自らの血族を危険に曝しただろう」
自身の魔法の威力にて、国を滅ぼさぬための結界を構築し、セリスは万雷剣をゆるりと構える。
「結果、君たちは自らの大切な者さえ守ることはなかった。君たちがもし一人でも助けていたなら、それが弱点だとわかってしまう。すぐに他の血族が狙われただろうからね。そうして、幻名騎士団は仲間とさえ言葉で直接確かめ合うことなく、亡霊を演じ続け、悪しき魔族、悪しき人間を討つ、正義の剣を振るってきた」
グラハムが、一歩を刻む。
「だけど、セリス・ヴォルディゴード――」
彼の姿は消え、そして、一番の目の前に姿を現した。
「はぁっ……!!」
一番が槍を振るうより先に、グラハムは彼の左胸を指先で貫いていた。
その根源をぐっと握り締めれば、一番の体がびくんっと震える。
「――君は一度だけ、人の心を見せてしまったね」
「が……ぁ……」
一番が暴れるが、グラハムはいとも容易く、彼を押さえつける。
「君は、亡霊でなくなった彼を、滅ぼすことができなかった」
「それがどうした?」
セリスは冷たい魔眼を、グラハムに向ける。
一番の命などまるで頓着しないとばかりに、彼はその剣を敵にねじ込むことだけを考えているように見える。
「君には彼を、見捨てることができないということだよ。最後まで、君の真意に気がつくことのなかった愚かな弟子を」
グラハムは、セリスに憐れみの表情を返した。
「違うかい? 自らを亡霊と呼びながら、君たちは名もなき騎士を自称した。なぜ騎士なんだろうね? そこには正しき剣を振るうという意味が込められていたんだ。君たちの行動と、言外に込められた言葉の意味、すべてを照らし合わせれば君たちの目的にも気がつくだろう」
魔法の準備はすでに調った。
しかし、セリスはその紫電の魔剣を振るわない。
一番を盾にするように構えるグラハムを、じっと睨んでいるだけだ。
「気がついた者だけを、君は名もなき騎士に迎え入れ、亡霊とした。すべてを救えなくとも、僅かなりともこの国が正しき方向へ進むようにと。滅ぼして、滅ぼして、滅ぼし続けてきた」
胡散臭い笑みを浮かべ、グラハムが言う。
「君たちは自分を捨てたんだね。間違っていることをしていると知りつつも、いつか、誰も間違えないでいられる時代を作るために、その亡霊の剣を振るってきたんだ。今を捨てても、未来のために」
一番を持ち上げながら、グラハムが歩を進める。
「幻名騎士団の中で、唯一の例外が、拾った子供であるこの一番だった。彼はなにも知らず、君たちと行動を共にしていた。君は亡霊を演じ続けるばかり、彼に真相を話すことができなかった。悟ってくれることを願った。その負い目が、彼を滅ぼせないという過ちを犯した」
屈託のない顔で、奴は言う。
「当たらずとも遠からずというところかな?」
「一番」
グラハムに取り合わず、セリスは言った。
「その心を変えぬのならば、亡霊らしく滅ぼしてやると言ったな」
根源をわしづかみにされ、苦しみながら、一番は、声を絞り出す。
「……や、やってください……団長……」
悟ったように、ようやく気がついたとばかりに、彼は言った。
「……今……たった今、私は亡霊になった……!」
すべての事柄が、師のこれまでの狂気に満ちた行動が、ようやく彼の中で、腑に落ちたのだろう。
「……謝罪は、また……地獄で会ったときに……」
「よく言った」
セリスが一歩を踏み込み、万雷剣を突き出した。
紫電が迸り、ぐんと剣身が伸びる。
それはまっすぐ一番の右目を貫通した。
彼の根源からどくどくと血が溢れ出す。
魔力が弾け、禍々しく渦を巻いた。
その根源が、真価を発揮しようとしていた。
次元を支配する、その魔法を。
「……な、にを…………?」
「ほら、君は彼を見捨てることができない」
セリスの一撃は、その滅びの魔法、<滅尽十紫電界雷剣>ではなかった。
グラハムが手をかざせば、そこに乱竄神鎌ベフェヌグズドグマが飛んで、戻ってくる。
「さあ、なにが斬れるかな?」
彼は思いきり神鎌を振るった。
すると、セリスの左腕が切断され、ぼとりと落ちた。
「団長ッ!!」
叫ぶ一番に、セリスは初めて、穏やかな表情を向けた。
「一番。時代は変わるぞ。平和な世に、我々亡霊はいらぬ。だが、お前には王として生きる道がある」
万雷剣の魔力に呼応するように、滅びに近づく一番の根源が、その力を目覚めさせる。
夥しい血が溢れ出し、それが球体となりて、彼を包み込んだ。
「時代は変わるかもしれないね。だけど、なにも変わらない」
グラハムが、ベフェヌグズドグマを振るえば、今度は彼自身の左手が落ちた。
「ハズレか」
更にもう一度、乱竄神鎌を振るうと、今度はセリスの右足が切断された。
「亡霊一番は滅びた。さらばだ、イージェス。聞き分けのない、我が愛しき弟子よ」
「団――」
言葉は時空に飲まれ、暴走する血の球体とともに、一番は消え去った。
「お前は生きろ」
「美しい師弟愛だね」
右足を失い、膝を折ったセリスの前に、ベフェヌグズドグマを掲げたグラハムが立っていた。
乱竄神鎌が振るわれると同時、万雷剣から細い紫電が天に走る。
セリスは、そのまま万雷剣をグラハムの腹に突き刺した。
「……一手誤ったね、セリス・ヴォルディゴード……」
「亡霊に名は不要。滅びゆく貴様は、この名を頭に刻め。俺は幻名騎士団、団長――」
言葉と同時に行使された大魔法は、<滅尽十紫電界雷剣>。
膨大な紫電が、万雷剣めがけて落ちてくる。
狙いは根源ではない。
グラハムの体が焼け焦げ、みるみる灰燼と化し、崩れていく。
「先に乱竄神鎌を使えなくしたいのかい?」
次の瞬間、轟く雷鳴を打ち消すように、静寂の刃が落ちてくる紫電を斬り裂いた。
乱竄神鎌が、可能性の万雷剣を断ち切ったのである。
「運が良かったよ。直接、根源を狙うべきだったね」
万雷剣ガウドゲィモンを握り締め、ありったけの魔力を込めて、セリスは言った。
「<波身蓋然顕現>」
「それでも、僕の勝ちは揺るがなかったけどね」
ベフェヌグズドグマの刃がセリスの首に直接触れ、そして刎ねていた。
「君が一番を見捨てない限り」
宙を舞ったその首は、<蘇生>を使おうとするが、しかし、魔法行使ができなかった。
殆ど灰と化したそのボロボロの手で、グラハムは首をわしづかみにした。
「ああ、ようやく手に入った。君は手強いからね。滅ぼさずに首だけにするのは、骨が折れたよ」
グラハムは、そのセリスの首を、自らの首なしの体にぐっとくっつける。
魔力の粒子が首を覆い、そして、完全につながった。
「これで僕が、セリス・ヴォルディゴードだ」
体に魔力が満ち、紫電が走る。
灰と化していたグラハムの体が、少しずつ癒されていった。
奴は首を左右に捻り、それが思う通りに動くのを確認する。
手をかざし、紫電にて球体魔法陣を描く。
僅かに、制御が不安定だった。
「馴染むまでに、少し時間がかかるかな? これじゃ、彼に悟られそうだ」
転がっていた万雷剣と、幻名騎士の三つの首を回収し、グラハムは<転移>の魔法陣を描いた。
「それまで、なにをして遊ぼうか?」
グラハムは何処かへ転移していった。
後に残ったのは、セリス・ヴォルディゴードの遺体だけだ。
気がつけば、辺りは夜になっていた。
ついさっきまでは、太陽が空にあったにもかかわらず。
夜空には、平常の月の他に、もう一つ、幻想的な月、アーティエルトノアが浮かんでいる。
白銀の月光が降り注ぎ、キラキラと雪月花が火口へ舞い降りる。
それは、少女の姿に変わった。
髪は足のくるぶしまで長く伸び、瞳には銀の輝きを宿し、体には純白の礼装を纏っている。
創造神ミリティアであった。
彼女が、セリスの遺体に手をかざせば、雪月花がひらりと舞う。
白銀の光を纏いながら、切断された首が、創造の力にて、復元された。
うっすらとセリスは目を開く。
「……創造神……か……何用だ……?」
体を横たえたままセリスは訊いた。
たとえ首が戻ろうとも、彼にはすでに立ち上がる力も残っていない。
「あなたはまもなく滅ぶ」
静謐な声で、ミリティアは言った。
「その体に残された根源は、あなたの意識だけ。他はすべて、彼が持っていってしまった。そして意識が滅べば、あなたという人は消える」
セリスは無言だった。
「この世界のために。平和のために戦い続けたあなたの願いを、最期に叶えたい」
そう、ミリティアは申し出た。
「なにを望む?」
「亡霊として滅ぶ。俺の存在を消してくれ」
セリスは即答した。
「この世界から、アノスの頭の中から」
まっすぐ、ミリティアがセリスの顔を覗き込む。
「どうして?」
「あいつは、賢しい。俺が誰なのか、もう半ば勘づいているだろう。泰然と構えてはいるが、俺が滅んだことを知れば、必ずやその正体と原因を突き止める」
「あなたの終わりを、彼は知りたいと思うだろう」
ゆっくりとセリスは首を左右に振った。
「時代は変わる。終わりのない戦いを、あいつは終わらせる決意をした。憎しみの連鎖を断ちきり、魔族を統一し、人間と手を取り合おうとしている。だが、母のみならず、俺を滅ぼしたのも、その人間だ」
自嘲するように、セリスは声を上げた。
「あいつは、俺に似ても似つかぬ。強く、そして優しい」
重たい口調で、セリスは語った。
「平和を望んだあいつに、憎しみを与えるか。自らが愚かと断ずる、復讐の道を歩ませるか」
一旦口を噤み、再び彼は言った。
「そんなことは到底できぬ。まっすぐ、前だけを向いておればよい。憎悪に足を引っぱられることなく、ただ平和の道を邁進すればよい」
セリスを包み込む白銀の光が弱まり、彼の体が消えようとしている。
その根源が、終わりを迎えようとしているのだ。
「魔王には一点の曇りもいらぬ。なにも知らぬままでよい。父親などいなかったのだ。名もなき亡霊は最後まで名を持たぬまま、消え去るのみだ」
「彼はどうする?」
「アノスの敵ではない。なにも知らずとも、必ず滅ぼすだろう」
うなずき、ミリティアは言った。
「叶えよう」
<創造の月>の光が降り注ぎ、破壊された雷雲火山が元に戻っていく。
彼女は自身とセリスに<転移>の魔法陣を描いた。
風景が変わり、二人が現れたのは、ミッドヘイズを一望できる丘である。
「ここからなら、彼の城が見える」
「……それはいい……」
今にも消えそうな乏しい魔力で、セリスは声を絞り出した。
穏やかな風が吹く。
創造神の銀髪がふわりと揺れた。
「言い残すことはある?」
優しくミリティアは訊いた。
じっとセリスは黙り込んでいる。
「誰も聞いていない。最期ぐらいは、亡霊ではない、あなたの言葉を」
ぐっとセリスは歯を食いしばり、それから、言葉を発した。
「……不甲斐ない父であった……」
こみ上げるものを押さえるようにして、セリスは言う。
「次代のために剣を振るった。守るために、非情に徹し、多くの者を見殺しにした。血にまみれたこの手は、あの子を抱く資格などなかった」
彼はその瞳で、亡霊であり続けた自らの生涯を振り返る。
「この戦乱の時代では、致し方なしと、俺は諦めたのだ。あの子のような強さがあれば、なにもかもをねじ伏せ、平和を築こうという強い想いがあれば、違う結末を迎えられたのかもしれぬ。俺は、道を間違えた」
セリスは丘の砂をぐっとつかむ。
それは、薄れかけた彼の体をすり抜け、こぼれ落ちた。
「滅ぼした数だけ、本当に平和に近づいたか? 見殺しにした数だけ、本当にマシな世界になったのか。やむを得ないと諦めたことは数知れぬ。俺は、亡霊を演じ続ける内に、血に狂った本物の亡霊になっていたのやもしれぬ」
拳を握ったセリスの目に、涙が滲む。
「あの子の母を見殺しにした。俺が、奪った。殺したのだ。これほど愚かな男はいまい」
強く、強く握った拳には、爪が食い込み、血が滴る。
「親と明かすことすらできず、名を呼んでやることすらできず、厳しいばかりの、愛情のない、愚かな……」
彼はその体を震わせる。
光が立ち上り、魂は、ゆっくりと天に昇っていく。
「父親らしいことを、なに一つできず……それでも……」
セリスは悲しみを、その願いを吐露した。
「あいつの望む、平和な時代を、せめて見せてやりたかったのだ……」
悔しさが、言葉に滲む。
「叶わなかった」
握り締めた拳を、セリスは地面に叩きつける。
叶わなかった、ともう一度、弱々しく彼は言った。
「……だが、それでよいのだ……俺が間違っているということは、あいつが正しいということだ。俺と似ても似つかぬあいつは、決して失敗などしまい……」
ミリティアは首を左右に振った。
「彼は、大切な者を守るために、暴虐の魔王と呼ばれた。亡霊を演じてきた、あなたと同じ」
セリスが僅かに目を丸くする。
「親子だから、よく似ている」
「……俺に似ては……」
「あなたは失敗していない。あなたの意志は、彼が継いでいる。世界は平和になる。あなたが戦った日々は、きっとそこにつながっている」
一旦、言葉を切り、彼女は言った。
「彼が、つなげてくれる」
小さく、セリスは息を吐く。
「願わくば、平和な時代で……」
彼を包み込む白銀の光が一瞬弾け、その体が魔力の粒子へと変わっていく。
「あいつを抱いてやりたかった」
セリスの根源は完全に滅び去り、後にはなに一つ残らなかった。
名もなき騎士たちは天へと帰る――
更新、遅くなりまして、
申し訳ございません。