魔王学院の秘策
エティルトヘーヴェの縦穴――
そこは石の台座や、石版がぎっしりと並べられた場所だった。
端の方には大量の瓦礫が積み上がり、山ができている。
台座の上にあるのは、石造りの剣や竪琴、帽子、靴など様々だ。その殆どが破損しており、中には原形を留めていないものもあった。
もの悲しさを感じるその石の彫刻は、墓標だろう。
縦穴の中に設けられたここは、二千年よりも更に昔の人々が眠る、古代の墓地なのだ。
ファンユニオンの少女たちは、それらを一望しながら、ぐっと身構える。
辺りは広い。
縦穴の中で一番広い場所を捜して、彼女たちはここへやってきた。
「焦げ臭いね」
ジェシカが言った。
なにかが燃える匂いが、遠くから漂ってくる。
「ナーヤちゃんの<知識の杖>が言ってた通り、魔導王が火を放ったんじゃない」
「だよね……」
王宮地下の遺跡は、複数の縦穴がそれぞれ隣合っており、それらが、細い横穴でつながっている。
全体としてみれば、かなりの広さだ。
隠れる場所も十分にある。
人数の多い魔王学院の生徒たちと追いかけっこをするのは面倒とボミラスは判断し、<獄炎殲滅砲>にて、縦穴を丸ごと焼き尽くすつもりなのだろう。
黒い煙は時間を追うごとに増えていく。
地上へ続く道はとっくに火の海と化しているはずだ。
ここから生きて戻るには、魔導王ボミラスを倒すほかない。
ファンユニオンの少女たちは互いに背中合わせになり、全方位を警戒する。
縦穴の上部の方から、紅い炎がちらついた。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオォォとけたたましい音を立てながら、真紅の太陽が遙か頭上を燃やしていく。
ヒヒヒヒ、と火の粉を撒き散らし、笑い声を上げる炎体が姿を現す。
「ここに隠れておったか。墓地とはのう。うぬらの死に場所にはちょうどよかろう」
ゆらゆらと体の炎を揺らめかせながら、魔導王ボミラスは地面に降り立った。
奴は、槍を手に身構える少女たちにその魔眼を光らせる。
「他の者どもはどこへ逃げた? ん?」
その場には、ファンユニオンの少女八人しかいない。
広大な墓地のどこを見ても、他の生徒たちの姿はなかった。
「どこだと思うっ?」
「今頃、地上に脱出してたりしてっ?」
「すぐに助けを呼んでくるかも?」
「捜しにいかなくていいのかなっ?」
少女たちが口々に言う。
しかし、ボミラスは泰然と構えたままだ。
「うぬらが余から逃げるなど天地がひっくり返ってもありえぬことよのう。二千年前の魔族ならば、誰もが知っていたものだ。余のテリトリーに土足で踏み込んだが最後、滅びるか忠誠を誓うか、二つに一つだということを」
ボミラスが炎の指先を少女たちへ向ける。
「他の者どもの居場所を吐くがいい。一〇秒待とう。先に吐いた者一人だけ、命を助けてやる」
ボミラスがエレンに視線を向ける。
二千年前、大戦をくぐり抜けてきたボミラスはまさに百戦錬磨。
心胆を凍えさせるほどの殺気が、その魔眼に込められている。
「どうだ?」
「おことわりっ」
ボミラスの殺気をいとも容易くはね除け、エレンは即答した。
「ほう。仲間が裏切らぬと思っておるのか。だが、信頼というのは脆く崩れやすい。特にこの魔導王の前ではのう」
ボミラスがジェシカに視線を向ける。
その問いは、死を孕んでいる。
緊迫した空気が、奴の炎体を中心に広がり、この場をどんよりと飲み込んでいく。
「おことわり二っ」
即答だった。
死の気配だろうとなんだろうと、彼女たちは空気を読まぬ。
「その強がり、どこまで続くものやら」
魔導王は今度、ノノに視線をやった。
「うぬはどうだ?」
上から押さえつけるような問いであった。
生きるも死ぬもボミラス次第、そのことを奴はよく理解しているのだろう。
この場の支配者は紛れもなく自分である、と。
二千年前、ミッドヘイズを支配し、多くの魔族たちを恐れさせた魔導王は、そのときと同じように覇者としての姿を、彼女たちへ示す。
「じゃ、おことわり四」
「飛ばさないでよっ、三でしょ、三っ」
「ていうか、どうせおことわりなんだから、全員で言えばよくない?」
「だって、わざわざ一人ずつ聞いてくれるんだし」
「そうそう、それなら時間稼いだ方がいいじゃん」
「あたし、おことわり八とっぴ」
「なによ、とっぴって」
ボミラスがため息をつき、呆れたような表情を浮かべた。
その瞳には、自らを軽視する者たちへの怒りが滲む。
「まったく呆れかえる。うぬらが立っているのは死地ぞ。命のかかったこの場において、緊張感もなければ、そのありよう。まさに油断の極地というもの」
ボミラスは目を閉じ、困ったものだというように首を左右に振った。
「二千年前ならば、うぬらの命などとうにな――」
「「「おことわりベブズドォォォっ!!!」」」
ファンユニオンの少女たちが一転して素早く突っ込み、槍を突き出した。
「ぐぼぅぅっ……!!」
ボミラスの口に八本の槍が突き刺さる。
「二千年前だったら、死んでたよね?」
「そうそう。今のが本物の<根源死殺>だったら、完全にアノス様されちゃってるから」
「二千年前の魔族って、ふざけるとすぐ油断するよね。現代のノリに慣れてないんじゃない?」
瞬間、ゴォォォォォォッとボミラスの体から八本の手が生え、槍の柄をわしづかみした。
そうして、ぐしゃり、と八本の槍をへし折ってみせた。
「「「きゃああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」」
同時に、その炎が少女たちに襲い、体を燃やす。
勢いよく弾け飛んだ彼女たちは、バタバタとその場に崩れ落ちた。
「余はこれでも温厚な方だ。ゆえに、もう一度だけ問おう。他の者をどこへやった? 吐かぬなら、生きながら焼かれ続ける苦痛を味わわせ、惨たらしく殺してやろうぞ。ん?」
ボミラスの前に倒れた八人の少女たち。
「……甘く……見ないでよね……」
その一人が、よろよろと立ち上がる。
エレンだ。
「あたしたちだって、そう簡単にやられないからっ……!」
エレンが強い視線を放つ。
七人の少女たちも、体こそ起こせないものの、顔を上げ、戦う意志を瞳に浮かべた。
「行くよっ、みんなっ!」
「「「うんっ!」」」
少女たちが魔法陣を描き、その中心に手を入れた。
次なる武器が、姿を現す。
二千年前の魔族らしく、ボミラスはすぐさま魔眼を向け、その得物の深淵を覗く。
だが、二度は油断せぬと思ったであろうボミラスが、さすがに侮りを隠せなかった。
なにせ、それはただの棒だ。
ディルヘイドのとある街で売られている、なんの変哲もない木の棒――アノッス棒である。
「ひ、ヒヒヒ、ヒハハハハハ……!」
侮りは、すぐさま怒りへと変わり、暗い笑みがボミラスからこぼれ落ちる。
「うぬらは、つくづく人を食った者どもよのう。なんのつもりかしらぬが、この魔導王、これほどの屈辱を受けたのは初めてだ」
魔剣でも、魔法具でもなければ、刃物ですらない。
そんな武器で挑まれたことは、奴の生涯において、初めてのことだっただろう。
それを侮辱と受け取るのは、至極当然だ。
「もうよい。全員を捕らえてからにしようと思ったが、うぬらは魔王聖歌隊。暴虐の魔王の寵愛を受けし者たちだ。一人ずつ滅ぼしてやれば、魔王と良い交渉ができるであろう」
炎体から炎を撒き散らし、ボミラスの体が倍に膨れあがった。
「五人も滅ぼす頃には、あの男とて、余の話に応じる気になっているというもの」
奴の視線が、唯一立っていたエレンを捉える。
「まずはうぬからだ」
ボミラスの炎の手が勢いよく燃え盛り、三倍に膨れあがった。
手にした木の棒など意にも介さず、奴は諸共焼き尽くす勢いで、その炎腕を振るった。
「……アノス様の足を引っぱるもんか……!」
エレンがアノッス棒を、その炎の手の中心に突き出す。
途端に激しく炎の柱が立ち上った。
「真紅の炎に焼かれながら、この魔導王を侮辱したことを後悔するが――」
勝ち誇った魔導王が、しかし途中で絶句した。
立ち上る真紅の炎に黒い染みができ、ボロリと腐り落ちる。
「…………な、に……?」
炎の柱が完全に腐食したかと思えば、そこにアノッス棒を構えたエレンが立っていた。
彼女は火傷一つ負わず、粘つく黒い光をその棒に纏わせている。
「なぜだ? こんな棒如き、へし折って――」
ボミラスの炎の手が、アノッス棒をわしづかみにし、ぐっと力を入れる。
「へし折る? そんなの、絶対にあり得ないよっ!」
「「「絶対にありえないっ!!」」
少女たちが想いを一つにして叫ぶ。
凄まじいまでの膂力でそれをへし折ろうとしたボミラスだったが、しかし、黒き光に侵され、反対にその手がボロボロと腐り落ちる。
「……なん……だとっ……!? 馬鹿なっ!! こやつら如きの魔力で、余の炎体に傷をつけるなど……」
咄嗟の判断でボミラスはアノッス棒から手を放し、退いた。
そうして、その魔眼にて、彼女たちを見据える。
「……これは、勇者どもの……<聖域>……?」
「魔族だからといって、愛魔法が使えぬと思ったか」
エレンがアノッス棒に粘つく黒い光を纏わせ、突っ込んでいく。
「なんちゃってベブズドォォォッ!!」
「ぬうぅっ……!!」
さすがに直撃は受けられぬと思ったか、ボミラスは炎の体に空洞を作ってそれを躱し、炎の右手を振るう。
しかし、エレンはアノッス棒で受け止め、炎を腐食させた。
「おのれ……雑魚の分際で、小賢しい真似をしおって……」
ボミラスは<飛行>にて飛び上がり、アノッス棒の間合いの外へ逃れた。
「だが、これまでだ」
魔導王の目の前に巨大な魔法陣が描かれる。
その照準はエレンと、ひれ伏すファンユニオンの少女たちだ。
「滅びよ、<獄炎殲滅砲>」
巨大な紅い太陽が勢いよく射出される。
それは炎の尾を引いて、まっすぐエレンに突っ込んでくる。
「みんなっ……まだ想いが足りないよっ! アノッス棒をアノス様だと思って……もっとっ!」
<理創像>の特訓は、ファンユニオンの少女たちに、独力での<狂愛域>を身につける契機となった。
その魔法を、地底から戻った後も研鑽してきたのだ。
彼女たちの想いの源泉は、狂おしいほどの忠義。
魔王アノスを対象に<狂愛域>を使ったときは、忠義の対象と魔法の対象が同じなため、その効果が最大限発揮できる。
しかし、エレンに<狂愛域>を集中するとなると、勝手が違う。
忠義の対象が魔王アノス、魔法の対象がエレンでは、ひどく効率が悪いのだ。
本来ならば、まともな威力にならないはずが、しかし、彼女たちは驚くべき発想でそれを乗り越えた。
それが、あのアノッス棒だ。
魔王アノスと名前の似ているあの棒をエレンが手にし、さながら偶像崇拝の如く、エレンと棒、そして、その先にいる主へ忠義を届ける。エレンを経由してだ。
間接的な想いは弱い。その常識を彼女たちは塗り替えた。
それはまさに、離れ業と言えよう。
なにより驚くべきは、ただ名前が似ている、それだけで、あの棒を魔王アノスと見立てることができる、類い希な想像力であろう。
二千年前の魔族にはない、なにかが、彼女たちにはあるのかもしれぬ。
「間接<狂愛域>で――」
エレンがアノッス棒を掲げると、同じようにして七人の少女がアノッス棒を掲げる。
迫りくる<獄炎殲滅砲>に少女たちはその先端を向けた。
「「「なんちゃって、ジオグレェェェッ!!!」」」
粘つく黒き光は、太陽を模して、紅い<獄炎殲滅砲>と衝突する。
激しく炎が撒き散らされ、腐食した錆が周囲に飛び散る。
<獄炎殲滅砲>と<狂愛域>の衝突はほぼ互角、いや、僅かにファンユニオンが押している。
「……いけるっ、いけるよっ……! あたしたちでも、魔導王と戦えるっ……!」
「……この……まま……」
「……あと、一息っ……」
彼女たちの想いが増すと、ボロボロと紅い<獄炎殲滅砲>が腐食していく。
「……おのれ……うぬら如きに……」
縦穴の遙か上方から、紅い熱線がボミラスに集中する。
退路を断つように炎を広げていた大小無数の<獄炎殲滅砲>。
それが魔法陣を構築し、ボミラスに魔力の熱を降り注がせた。
<狂愛域>の太陽は、<獄炎殲滅砲>を完全に腐食させ、そのままボミラスへと押し迫る。
瞬間――
「<焦死焼滅燦火焚炎>」
魔導王が輝く真紅の体に染まる。
放たれた<狂愛域>の粘つく光も、それに触れた途端、瞬く間に焼き滅んだ。
「これで、お仕舞いよのう。どうやら、うぬらを侮っていたようだ。その詫びといってはなんだが――」
魔導王の炎体が太陽の如く球体と化していく。
「苦しむ暇がないほど一瞬で灰にしてやろう」
ドッゴォォォォォォォンッと積み重なった瓦礫が飛び散った。
ボミラスが球体から普通の体へと戻り、その方向へ視線をやる。
山のように積まれた瓦礫の下から、巨大な石の手が現れていた。
ゴ、ゴゴ、ドゴゴゴゴゴゴゴォォと瓦礫が崩れ落ち、更に飛び散る。
中から姿を現したのは、<創造建築>で作られた魔王城である。
それが手足を生やし、立ち上がっていた。
ガゴンッと魔王城は巨体を揺らし、一歩を刻む。
「いきますよ、ボミラス――」
エミリアの声が響く。
それは<魔王軍>の魔法を使い、魔王学院の生徒全員で作った巨人兵だった。
反撃開始――