魔王学院 対 魔導王
エミリアの魔眼に視界を移せば、そこは巨大な門の前だった。
彼女の後ろにいた第一皇女のコロナが言う。
「ここが父の、シャプス皇帝のいる皇務の間です。普段はここで仕事をしていますし、緊急時には司令室にもなりますから……」
エミリアたちが王宮に侵入したとなれば、そこで指揮をとると考えるのが妥当だろう。
他の場所に比べれば備えは多く、堅牢な作りのはずだ。
シャプス皇帝が健在だったならば、の話だが。
「もしかしたら、もう、ここを放棄しているかもしれませんね」
エミリアが言う。
最初の襲撃以降、兵士たちが襲ってこなかったからだろう。
「……行きましょう」
エミリアが扉に手をやった。
しかし、鍵がかかっているようで、開かなかった。
「たぶん、私なら、開けられると思います」
コロナが扉の魔法陣に手を当てる。
魔力を送れば、それを感知して鍵の外れた音がした。
ゆっくりと大きな扉が開いていく。
「ずいぶん、広いですね」
遺跡の上に作ったからか、皇務の間は妙にだだっ広い。
古い石像や、台座、なにかを象徴するような石の盾や剣などが置かれている。
広い部屋の奥の方には、また扉があった。
「皆さん、警戒してください」
周囲に視線を配りながら、エミリアたちは進んでいく。
彼女たちは古い石像などに魔眼を凝らす。
僅かに魔力を残してはいるが、魔法効果を発揮しそうなものはなにもない。
本当にただの遺跡のようだ。
「シャプス皇帝は、奥ですか?」
「たぶん、そうだと思います……」
短く会話を交わし、彼女たちはまた歩を進めた。
ここまで敵地深くまで来ておきながら、警備の兵が現れる気配はない。
そのことが逆にエミリア以下魔王学院の生徒たちの緊張を更に高めていた。
やがて、その部屋の中央辺りに差し掛かる。
エレンが足を踏み出すと、ガゴンッと音がして、石の床の一部がへこんだ。
「あ……?」
「どうしたの、エレン?」
「ごめんっ! なにか踏んだっ! みんな気をつけ――」
ガガガガガガッ! と、エレンの声を途中でかき消すほどの振動音が鳴り響き、室内が激しく揺れ出した。
見れば、古い石像や、台座、石の剣などが、次々と姿を消している。
いや、落ちているのだ。
ガタガタと音を立てながら、皇務の間の床という床、足場という足場が崩れ、次々と地下へ落下している。
付近に大きく空いた穴を見て、エレンは叫んだ。
「この下、空洞だよっ! アノス様みたいっ!!」
「底が見えないってことっ!?」
「んな、こんなときに紛らわしい言い方してんじゃねえっ……!」
「飛んでくださいっ! <飛行>ッ!」
エミリアが飛び上がろうとする。
しかし、うまく飛行できず、バランスを崩した。
「なんですか、これっ……!?」
魔眼を通して見れば、魔力場が乱気流のように激しく乱されており、<飛行>を妨げているのがわかる。
ここで飛ぶのは、二千年前の魔族とて、至難の業だ。
皆<飛行>で飛ぼうとすれば、あさっての方向へ体が向かい、互いに衝突したり、壁にぶつかったりしている。
「落下の衝撃に備えてくださいっ! 飛ぼうとすれば、陣形が崩され、自滅しますっ!」
ズゴゴゴゴゴゴォォッと床は完全に崩落し、エミリアたちは宙に体を投げ出された。
エレンが言った通り、下は空洞であり、底が見えないほど深い。
元々は遺跡の縦穴だったのかもしれぬ。
エミリアたちは落下の衝撃と、そこに待ち受ける罠に備え、反魔法と魔法障壁を張り巡らせる。
「コロナ様……手を……!」
落下しながらも、なんとか微弱な<飛行>を使って、エミリアはコロナに手を伸ばす。
だが、コロナは虚ろな瞳をしたまま、エミリアの手をつかもうとしない。
「……コロナ様? 大丈夫ですか?」
エミリアが更にコロナに近寄るため、<飛行>にてじりじりと宙を移動していく。
『逃げたまえ』
ドクロの口がカタカタと動き、落下している<知識の杖>が喋る。
『脇目も振らずに逃げたまえ』
その声を聞き、ナーヤがはっとした。
「エミリア先生、だめですっ! トモッ、お願いっ!」
落下する生徒たちの目の前に紅い炎が大きく広がった。
エミリアがそれに飲まれる寸前で、乱れた魔力場をゆうゆうと飛び、トモグイが彼女の服を咥えて引っぱった。
「なっ……あ……」
間一髪、激しい炎に焼かれる前に、エミリアはトモグイに引き戻された。
だが、その表情は驚愕に染まっている。
コロナの体が裏返るように、その姿が炎体に変わっていくのだ。
心構えをしてきた生徒たちも、思わず息を飲む。
「……マジ……かよ……」
「……ただじゃすまねえとは思ってたが、よりによって……」
「魔導王じゃねぇか……!」
ヒヒヒ、と火の粉を撒き散らしながら、その分体――魔導王ボミラスは言った。
「この程度の魔力場の乱れで<飛行>も使えんとは情けない魔族たちよのう」
ボミラスは、自らの体中に大小様々な魔法陣を描いていく。
紅い太陽が、その砲門からちらついた。
<獄炎殲滅砲>だ。
それをまともに食らえば、生徒たちの反魔法では骨も残らず滅び去るだろう。
『カカカ、危機だ、危機だぞ、危機ではないかっ!』
知識の杖が愉快そうに声を上げる。
『さあさあ、命懸けの問題だ、居残り! 乱れた魔力場と、音韻ブレス、いくつもの縦穴と横穴がつながったこの地下遺跡の構造から、回避と逃走を同時に行う手段を導き出したまえ。正解者には、ほんの少し生きながらえる猶予が与えられる』
「このような雑魚どもを甘く見るなとはのう。どうやら力はあれど、魔族を見る魔眼はないようだな、魔王は」
ボミラスの魔眼が光り、奴は言った。
「うぬらにはもったいないぐらいだが、冥土の土産に受けるがよい。我が至高の<獄炎殲滅砲>を」
紅い太陽がぬっと魔法陣の砲塔から出現し、エミリアたちへ向かって一斉に撃ち出された。
「全力で相殺してくださいっ!!」
エミリアが<灼熱炎黒>を放つと、生徒全員も同じ箇所に炎属性の魔法を全力で集中砲火する。
相乗効果により膨れあがったエミリアと生徒たちの炎球は、しかし、ボミラスの<獄炎殲滅砲>にいとも容易く飲み込まれた。
彼女の目に、一瞬、絶望がよぎる。
「トモッ、音韻ブレス、魔力場を思いっきり乱してっ!!」
クゥルルルーっ!! と鳴き声を上げ、トモグイが大きく口を開く。
ギィィィィィィィィィンッと耳を劈くような音が響いたかと思えば、ボミラスの体が一瞬ふらついた。
彼でさえも<飛行>の制御が困難なほどに、更に魔力場が荒れ狂ったのだ。
音韻ブレスと、荒れ狂う魔力場に乱され、まっすぐ迫っていた<獄炎殲滅砲>が途中でぐにゃりと曲がった。
それらは狙いを外し、縦穴の壁に悉く着弾していく。
炎上し、弾け飛んだ壁に、風穴が空いた。
先が見えないほど深い。恐らくは隣合う縦穴に通じている。
「みんな、あそこにっ! トモッ、飛ばしてっ!」
クゥルルルーッと声を発して、再び音韻ブレスにて、トモグイは生徒たちを空いた穴に吹き飛ばしていく。
彼らの体には裂傷ができていくが、気にしている場合ではない。
壁を蹴り、あるいは剣や槍を突き刺して、かろうじて、生徒たちとエミリアは、穴の中に飛び込んだ。
「トモッ、戻っておいで」
ナーヤが言う。
トモグイは魔力場の乱れる宙を、その翼を広げてすいすいと飛ぶ。
だが、その直上に魔導王が迫っていた。
「小癪な竜めが、滅べ」
「……キィィッ……」
放たれた<獄炎殲滅砲>が、トモグイを飲み込み、そのまま縦穴の下へと押し潰していった。
「トモッ!!」
「ナーヤさん、いけませんっ」
魔導王のいる縦穴に戻ろうとしたナーヤの手を、エミリアがつかんだ。
「放してくださいっ! トモを助けにいかないとっ!」
そのとき、遠くから、『クゥル……』と小さな鳴き声が聞こえた。
どこからともなく音韻ブレスがナーヤの目の前で巻き起こり、彼女を奥へ押し飛ばした。
「あっ……!」
主人を守ろうとしたのだろう。
エミリアはナーヤの手を強く握り、厳しい表情で言い聞かせる。
「……行きましょう。今は逃げないと、あの小さな竜の行動も無駄になります」
「………………はい……」
エミリアとナーヤは全速力で逃げていく。
魔力場が乱れた場所を抜けたか、<飛行>が使えるようになったため、できるだけ、ボミラスから離れるように、入り組んだ地下遺跡内を飛んでいく。
<知識の杖>が言った通り、ここは大きく深い縦穴がいくつも隣合っており、それらを小さな横穴がつないでいるようだ。
十数分ほど逃げ、彼女たちは、最初の縦穴から隣へ九つほど移動していた。
「全員いますか?」
エミリアが生徒たちを確認する。
皆、疲労困憊で、少なからず負傷しているが、なんとか全員無事だった。
「どうにか地上に出た方がよさそうですね。ナーヤさん、その<知識の杖>はなにか知りませんか?」
ナーヤは杖を握り、魔力を込める。
「杖先生、お願いします」
『無論、無理だっ! オマエたちが地上へ逃げようと考えるのは、百も承知ではないか。ならば、出口には常に奴の魔眼があると考えるべきだ。外へ出ようとすれば、十中八九見つかるだろう。ここでオマエらを逃がすようならば、奴は魔導王と呼ばれてはいないぞ』
その言葉に、重たい沈黙が訪れる。
「……んじゃ、助けがくるまで待つしかないよな……」
「アノシュかレイかサーシャ様か、誰でもいいから気がつけば助けてくれるんじゃねえか?」
「けどよ、それまで、あいつから逃げられんのか?」
「ああ。いざとなったら、この縦穴中に火をつけられて、終わりだろ」
すると、再び<知識の杖>が口を開く。
『正解、正解だ、百点満点だっ! 最初の罠を回避した以上、炙り出すのが次の奴の手だろう。こうしている間にも、オマエたちの逃げ場はどんどんなくなっている。炎に焼かれて死ぬか、それとも、出口へ逃げようとして魔導王に直接やられるか』
「……こんなに嬉しくねえ百点は初めてだぜ…………」
再び静寂が彼らの間をよぎる。
エミリアも、名案が思い浮かばないといったように、じっと黙り込んでいた。
二千年前の魔族が相手、まさに八方塞がりに感じられたことだろう。
刻一刻と時間が過ぎていき、そうしている間にも縦穴に炎は広がり、魔導王は彼らを滅ぼすための準備を淡々と進めているだろう。
「あの」
思いきったように口を開いたのは、ナーヤだった。
「……勝てませんか……?」
生徒たちは皆、驚きの表情を浮かべた。
「勝つって、ナーヤちゃん、ボミラスに?」
「でも、あの炎の人、二千年前の魔族だよ?」
ジェシカとノノが言った。
「だって、逃げたら、トモを助けられない……」
目に涙を浮かべながら、ナーヤは言う。
「きっと、まだ生きてるからっ。私が助けにくるのを、待ってるはずから」
「……気持ちはわかりますが、こちらから打って出たからといって、どうにかなる相手では……」
エミリアが言う。
涙をごしごしと拭い、ナーヤは覚悟を決めた表情を浮かべ、盟珠の指輪を見せた。
「召喚魔法が使えます。まだうまく使いこなせませんけど……でも、今やらなきゃ……」
それに、と彼女は続けた。
「たぶん、アノス様は私たちに、魔導王を倒せって言ってるんだと思います」
「……それは、どうしてそう思うんですか?」
「だって、そうじゃなかったら、こんな状況に私たちが陥るわけがありません。アノス様のお考えより、ボミラスの計略が一枚上手だったなんて、そんなことありますか?」
誰もがそこではっと気がついたような顔をした。
「……まあ、ねえわな……んなわきゃねえ……」
「だよな。ってことは、なにか? 俺らにやれっていうのか? あの魔導王を?」
「ちきしょうが……。相変わらず無茶ばかり言いやがって……二千年前の魔族だぞ、二千年前の。それも大物じゃねえか……」
「……でも……できるってことだよな。やり方次第で……」
すると、エレンが言った。
「ナーヤちゃんの言う通りだと思う! アノシュ君が言ってたでしょ。古より魔族たちが積み上げてきたものの上に、今この魔法の時代があるって」
訝しげな表情を浮かべる生徒たちに、明るい声で彼女は続けた。
「魔導王然り、暴虐の魔王然り、先祖が築いた数多の死と数多の研鑽の果てに、あたしたちは更に深淵に辿り着くんだって」
「……アノシュはまあ、あいつは天才がすぎるからよ……」
「うぅん。そうじゃないよ。きっと、アノシュ君はアノス様の想いに一番早く気がついたんだよ」
ナーヤが疑問の目を向ける。
「アノス様の想い?」
「いつまでも、二千年前の魔族に負けてちゃいけないってことだと思う。あたしたちは二千年前の魔族を超えなきゃいけないんだよっ。それがアノス様の願いなんだよ」
ジェシカが尋ねる。
「どうして、そんな願いを?」
「知らないけど」
「知らないのっ!?」
「じゃなくて、なにか深いお考えがあってのことだと思うからっ! 深いお考え。あたしたちには知る由もない感じの」
白々とした視線をジェシカはエレンに向けた。
「で、でねっ。それはおいといて、大事なのはアノス様は期待してるってこと。あたしたちに。だから、自ら教鞭をとって、あたしたちを鍛えてくれたんだと思う」
ノノが考えるような表情で俯く。
「それはそうかも」
「だから、期待に応えようよ。大丈夫っ! アノス様がなにも言ってこないんだったら、あたしたちで十分ってことだもんっ。きっと勝てるよっ!」
生徒全員がうーんと考え込む。
「皆さんの言うことも一理ありますが、勝算のない戦いにあなたたちを向かわせるわけにはいきません」
エミリアが言った。
「ですけど、一度考えてみましょう。先生が知っているより、皆さんはずっと成長していました。力を合わせれば、この事態を乗り切る方法がなにか思いつくかもしれません」
エレンの楽観的な考えが、硬直したエミリアの思考を解きほぐしたか、彼女の表情が前向きになっていた。
勝算があるかもしれない。そう思ったのだろう。
「みんなのできることを、先生に教えてください」
生徒たちはうなずき、そうして、自らが習得した魔法や特技をエミリアに話し始めた。
追い詰められた生徒たち。起死回生の策は、思いつくのか――