調整者の正義
<治癒>で傷を癒しながら、カシムは言った。
「次はない? かすり傷一つつけただけで、私より上手だと言いたいか?」
「そう聞こえなかったかい?」
即答したレイを、カシムは睨む。
「自惚れるな。そなたが私に勝ったことは一度もない。剣でも、魔法でも。これまでも、これからもだ」
カシムは右手の甲を見せる。
その人差し指に輝いたのは、見覚えのある指輪――
選定の盟珠だった。
「……本物かい?」
レイがそう問うたのも無理はない。
八神選定者は、すでに八人全員出揃っている。
いるはずがないのだ。
「知りたいか?」
「できればね」
「ならば、見ろ」
選定の盟珠に魔力が込められ、その内部に立体魔法陣が積層されていく。
「<神座天門選定召喚>」
神々しい光とともに、遺跡神殿が激しく震撼する。
そこに姿を現したのは、厳かな門である。
その門からは手足が生え、不気味な顔が浮かんでいた。
僅かに開いたその扉の奥から、神の魔力が溢れ出す。
「私は選定の神、天門神カテナアミラに選ばれし、八神選定者が一人。調整者カシムだ」
選定の盟珠は本物。
<神座天門選定召喚>も、神も本物だ。
それだけに、腑に落ちぬ。
八神選定者が、九人いる。
いや、あるいはセリスもその一人で、一〇人いるのか?
「行くぞ。過ぎた勇者の正義を、私は正しく調整する」
天門神の力に自信があるのか、丸腰のまま、カシムは走った。
ぎぃ、と音を立てて、彼の前にいる天門神カテナアミラが、その扉を開く。
神々しい光が奥からぱっと溢れ出し、魔眼を眩ませる。
カテナアミラの門の向こう側に、ちらりと街並みが覗いた。
ガイラディーテだ。
そのままの勢いでカシムがカテナアミラの門の中へ飛び込む。
「残念だ、カノン。そなたは間に合わなかった。インズエルは<封域結界聖>に覆われ、<転移>が使えない。私の目的はそなたをここに誘き寄せること」
勝利を宣言するが如く、門の中からカシムは言った。
「狙いは最初から勇者学院アルクランイスカだ」
カテナアミラの門が閉ざされていく。
「急いで追って来い。そなたが勇者として与えた偽りの救済の分だけ、そこに絶望を横たわらせておく。ガイラディーテの正しい姿を見ることだ。そして、思い知れ」
バタンッとその門は閉ざされた。
「霊神人剣がそなたを選んだのは間違いだったと」
そんな言葉を言い残し――
数秒後、再びカテナアミラの門は開き、中からカシムが姿を現す。
「さあ、これでようやく――な、に……?」
目の前にいるレイに、カシムは驚きの表情を浮かべる。
「手を出さないとは言いましたけれど、逃げるのを黙って見過ごすとは言ってませんわ」
二人から離れた位置で見守っていたミサが、そう言葉を放つ。
彼女は魔法陣を展開しており、発動した魔法がこの場をドーム状に包み込む、闇の結界を構築していた。
「<封域結界聖>の中でもそのカテナアミラの門を使えば、転移できるのかもしれませんけど、わたくしの<闇域>の中では不可能ですわ」
アヴォス・ディルヘヴィアがかつてミッドヘイズ一帯に張り巡らしていた結界魔法だ。
その範囲を狭め、対象を天門神に限定することにより、神の転移を防いだ。
門を開けば、ガイラディーテに現れるはずのカシムは、魔法が働かず、そのままここへ戻ってきたというわけだ。
「逃げられはしないよ、カシム」
隙のない歩法でレイはカシムへ向かい、歩いていく。
「君を完膚無きまで打ち負かし、つまらない勇者の呪縛から解き放つ」
「逃げる? 私が? そなたからか?」
「いいや」
真剣な表情でレイは言った。
「現実からだよ。君はずっと逃げ続けている。耳を塞ぎ、目を背けて。そんなことをしたって、どうにもならないことはもうとっくに知っているはずだ」
剣の間合いの一歩外で、レイは立ち止まった。
「逃げたことなど一度もない。私は今も戦っている。そなたたち勇者の行き過ぎた正義を正すために」
「なら、僕と直接戦えばいい。アルクランイスカなど狙わずにね。それとも、認めるのが恐いのかい?」
レイは一意剣シグシェスタの切っ先をまっすぐカシムへ向けた。
「君はもう僕に勝てないということを」
「己の力ではなく、聖剣と七つの根源に助けられただけの男が、そこまで自惚れたか。そなたを見ていると、勇者が虚飾にまみれていることがよくわかる」
カシムは手を伸ばし、そこに魔力を込めた。
目映い光が手の平に集い、朧気に剣の形が見えてきた。
「来い、聖想重剣エクスネイシス」
その声に応じ、呼び寄せられたのは、普通の剣の二倍の長さはあろうかという聖剣だった。
カシムはエクスネイシスを天に掲げ、今度は選定の盟珠に魔力を込めた。
「<神座天門選定召喚>」
神々しい光が、聖剣の切っ先に宿る。
途方もない魔力を発しながら、新たな神がそこに顕現しようとしていた。
「<神具召喚>・<選定神>」
聖想重剣エクスネイシスから神々しい光が発せられる。
アウスラビアという神が、その聖剣に宿り、強化されたのだ。
「これで終わりと思うな」
更にカシムの体に、魔力が迸る。
「<憑依召喚>・<選定神>」
天門神カテナアミラの門が完全に開け放たれ、カシムの体へと迫っていく。
そのまま、彼をくぐらせれば、すぅっとカテナアミラの姿は消えた。
カシムの体に、天門神が憑依したのだ。
「そなたに教えよう」
エクスネイシスの長い剣身をひゅんひゅんと音を立てながら自在に操り、カシムはそれを担ぐように構えた。
「敗北の味を」
レイは悲しげに微笑んだ。
「もう嫌と言うほど知っているよ。僕は何度も負け続けたからね」
レイは一意剣を構え、カシムの動きに視線を配る。
「本当の敗北は死だ。負けて生きているのは卑怯というものだろう。そなたは潔く滅びるべきだった。弱いそなたは、霊神人剣を次の所有者に譲るべきだった」
「それで人々が救えたなら、潔さで誰かを助けられたなら、そうしたよ」
一歩、レイは自らの剣の間合いに足を踏み込む。
それを見越したようにカシムは一歩退いた。
同時に聖想重剣エクスネイシスを横薙ぎに振るう。
レイの剣は届かずとも、その長い剣は難なく届く。
「ふっ……!」
一意剣シグシェスタを一閃し、長い刃を打ち払う。
なおも前進するレイに対して、やはりカシムは後退した。
そうして、左手を突き出し、魔法陣を描く。
「<聖域熾光砲>」
光の砲弾が撃ち出され、レイは咄嗟に伏せて躱した。
それは背後にあった柱を撃ち抜き、壁をいとも容易く貫通する。
どこまで抉ったのか、奥が見えないほどの威力であった。
「エクスネイシスは、想いを重ねる聖剣。<聖域>の効果を高めるけれど、それ自体が生み出す想いは一つだけ」
つまり、エクスネイシスだけでは想いが足りず、<聖域熾光砲>はおろか、<聖域>も使えない。
にもかかわらず、再びカシムは<聖域熾光砲>を撃ち出した。
レイは一意剣でその光の砲弾を受け流す。
ドゴォォンッと壁を破壊する音を耳にしながら、彼は素早く前進した。
「それは、アウスラビアという神を聖剣に降ろした効果かい?」
後退を続けながらも、カシムはエクスネイシスを横薙ぎに振るう。
それをシグシェスタで受け止め、力を逃がさず、レイはぐっと鍔迫り合いに持ちこんだ。
「複製神アウスラビアは、聖剣の想いを複製し、複製された想いを聖剣が重ねる」
レイの力に力で対抗しながら、カシムは言った。
「他者に頼らなければ使えぬそなたの不完全な<聖域>とは違い――」
想いが複製神アウスラビアの秩序によって増していき、カシムは目映い光をその身に纏う。
<聖域>に膂力を強化され、彼はレイのシグシェスタを押し込んだ。
「――私の<聖域>に隙はないっ!」
<聖域>のないレイに対して、神の力にて<聖域>の恩恵を受けるカシム。
力での激突では少々分が悪かったか、レイの足が地面にめり込み、僅かに膝が折れた。
「……ふっ……!!」
真っ向から押し合うのはやめ、レイは力を受け流しながらも、カシムの長剣を辿るように前に踏み込む。
技でもって容易くその長剣を封じ込め、彼は自らの剣の間合いにカシムを捉えた。
「それも誘いだ」
カシムは更に間合いを詰めて、レイの剣さえも振れないほどの至近距離に接近する。
不自由な体勢ながら、しかしそれでも一意剣の刃が走った。
その初動を見切ってはレイの腕を押さえ、カシムは難なく剣を封じる。
「何度やろうと、そなたは私には勝てない。剣でも、魔法でも」
二人の体が前進する勢いのまま交錯する。
レイを自らの後ろをはね飛ばすように肘で背中を押しやり、カシムはそのままの勢いで彼とすれ違った。
互いに背中を向ける格好で二人の距離が離れていき、再びカシムの剣の間合いとなる。
「隙だらけだ」
くるりと反転し、奴は遠心力を利用してエクスネイシスで斬りつける。
レイは体勢を崩され、後ろを向いたままだ。
「……はっ……!」
ガギィィッ、と金属音が鳴った。
振り返りもせず、レイが背後から迫る長剣をシグシェスタで受け止めたのだ。
「……な……に…………?」
押される力を利用し、回転しながら、レイは懐に飛び込み、カシムの心臓を一突きにした。
「……がふぅっ…………!!」
シグシェスタを伝い、血がどばどばと地面に滴り落ちる。
「君は確かに、昔の僕よりも剣の腕が立つけどね」
<蘇生>の魔法を使うカシムに、レイは冷たく微笑んだ。
「魔王の右腕に比べれば、まるで子供のお遊びのようだよ」
お義父上へのご挨拶に比べれば――