奪われた創星
イージェスのいた三〇番目の縦穴から出た後、俺は遺跡都市エティルトヘーヴェに建てられた物見櫓の上に立ち、街を一望していた。
『アノス』
ミーシャから<思念通信>が響く。
『縦穴の最下層についた』
『たぶん、ここが最古の遺跡バージ―ナだわ』
サーシャが言う。
「エリアルはあったか?」
『壁画はあるんだけど……』
ミーシャの魔眼に視界を移せば、辺りは古い魔石で作られた神殿だった。
目の前には夜空を描いた壁画があるが、魔力の伴わないただの絵だ。
すでに創星エリアルが持ち出された後なのだろう。
「兵士が沢山ここに入っていったのを見たって第一皇女が言ってたから、ここのエリアルは先に掘り出したのかしら?」
サーシャが考えながらもそう口にする。
『ふむ。王宮の壁画のエリアルも持ち出されていた。少なくとも、これで二つはすでに何者かの手に落ちているということか』
「うーん。アノスに知られたくないんだったら、もうとっくに壊してるわよね?」
『まだわからぬ』
俺に記憶を取り戻させたくなかったのはセリスだ。
しかし、奴が単純にエリアルを壊すだけで満足するとは思えぬ。
セリスの手に落ちたとも限らぬしな。
たとえば、魔導王ならば、俺との交渉に使うといったことも考えられる。
『エリアルを掘り出したなら、どこに隠しておくよりも、強者の手元に置いておくのが最も安全だ。持っているとすれば、勇者カシムか、魔導王ボミラスの可能性が高い』
「カシムはレイがなんとかするだろうから、ボミラスを見つければいいのかしら?」
『創星エリアルが映した過去にあった通り、奴は分体の他に、本体を持っている。普段は根源を転写した分体を活動させ、本体は安全な場所に隠してあるはずだ。魔力をゼロにしてな』
いくら分体を滅ぼそうとも、本体を見つけ出さぬ限りはどうにもならぬ。
『この街のどこかにいるはずだ』
「うーん。でも、魔力を消してるんじゃ捜すのも一苦労よね」
サーシャは唸った後に、くるりと踵を返した。
「とりあえず、ここにいても仕方ないし、行こっか。ボミラスの本体を探す方法を考えましょ」
最古の遺跡を後にしようとして、サーシャはふと立ち止まった。
ミーシャがじっと壁画を見たままだった。
「どうしたの、ミーシャ?」
「なにかある」
ミーシャは壁画のそばまで歩いていき、そこに顔を近づける。
その魔眼で壁と描かれた絵を睨んだ。
「この後ろ」
「本当に? 全然魔力なんて感じないけど?」
サーシャは首を捻りながらも、ミーシャ同様壁に魔眼を向ける。
確かに魔力は見えぬ。
『ふむ。ならば、余計に可能性はあろう。わざわざ本体の魔力を消しているのだからな。あからさまに怪しい場所には、隠れていまい』
ミーシャは振り返り、すっと両手を差し出す。
こくりとうなずき、サーシャはその手を取った。
互いに半円を描く魔法陣をつなぎ合わせ、その上からもう一つの魔法陣を描く。
同時に、彼女たちは言った。
「「<分離融合転生>」」
光とともに二人の体が一つになり、銀髪の少女アイシャに変わった。
「いくわよっ!」
「透明な氷」
サーシャとミーシャが言う。
アイシャの瞳に浮かんだ<創滅の魔眼>は、その広大な神殿をみるみる氷に変えていく。
壁画だけではなく、天井も、壁も、柱も、地面や地中、そこに埋まっている石ですら冷たい氷に変わった。
それらは完全に透き通っており、内部まではっきりと見通せる。
壁画の方向、かなり下に沈んだ位置に、一つだけ氷に変わっていない物体があった。
火のついたロウソクだ。
「あれって……?」
「魔導王の本体」
過去で見たものと同じく、そのロウソクは古めかしい。
また形や装飾なども同じだった。
アイシャはその方角を一睨みして、氷を一部水に変えた。
「おいで」
ミーシャの声とともに、水が壁画から溢れ出し、その水流に乗ってロウソクが流れてくる。
水の中に浸されているというのに、ロウソクの火が消える気配はない。
やがて、壁画から飛び出したロウソクをアイシャが手にする。
「なんか、あっけないわね……魔導王って、目覚める前は抵抗できないんでしょ?」
「どうする?」
『二千年前、ボミラスは本体の在処を幻名騎士団に突き止められ、実力を出す前にあわや滅ぼされそうになった。同じ轍を踏むとは思えぬ』
「あ……言われてみれば、そうよね」
気がついたといった風にサーシャが呟く。
「ってことは、滅ぼしたら、なにか起こるのかしら?」
『魔導王が馬鹿でなければな』
「氷の結晶に変える?」
あのロウソクは、分体の炎を移すことにより、本体の根源が目覚める仕組みだ。
<創滅の魔眼>でロウソクを完全に別物に変え、根源を封じてしまえば、なにもできなくなるだろう。
滅ぼされる対策をしていようと無駄だ。
『ふむ。それでいくか。やってみよ』
アイシャはこくりとうなずき、その魔眼を手にしたロウソクへ向けた。
「できれば、これで終わってよね……」
「氷の結晶」
ロウソクは抵抗することもなく、あっさりと氷の結晶に変化した。
「……いなくなった……」
ミーシャの声が響く。
ロウソクの中にあった根源が消えている。
氷の結晶に変化した瞬間に、どこかへ転移したのだ。
『なるほど。本体に僅かでも異常が起きた際の転移先を設けたか』
滅ぼそうとも、結界で封じようとも、今のように<創滅の魔眼>で姿形を変化させようとも、結果は同じだろう。
「でも、一瞬見えたわよね……」
「あっち」
アイシャが振り向き、指をさす。
頭の中で地図と照合させてみれば、そこにあるのは四一番の縦穴。
勇者カシムを追い、ミサとレイが入っていった場所だ。
「俺が向かおう」
視界を元に戻し、物見櫓の上から四一番の縦穴を睨む。
障害物はない。ここからは一直線だ。
ぐっと足場に力を入れ、両足を蹴った。
ドガァァッと物見櫓の上部がへこみ、俺の体は彗星の如く縦穴に突っ込んでいく。
「お前たちは同じロウソクが他にないか探せ。奴の転移場所をすべて潰せば、逃げ場はあるまい」
『任せてっ』
『一度見たから、見つけやすい』
魔導王のロウソクを、奴が転移可能な場所と仮定する。
つまり、本体がいるロウソクになにかあった場合、別のロウソクに根源の火が移るというわけだ。
それは十中八九、奴のテリトリーの範囲にあると見て間違いあるまい。
根源が滅びる直前に転移できるように仕掛けを作ったならば、見知らぬ場所にそれを置くにはリスクがある。
過去でセリスは、魔導王は、本体のロウソクを残していくのが不安だったため、ミッドヘイズから一度も出たことがないと言っていた。
臆病で慎重な性格が、そうそう変わるとも思えぬ。
あのロウソク自体には、殆どなんの魔力もないことだしな。
このエティルトヘーヴェの遺跡から溢れる魔力を利用して、ロウソクから別の場所へ転移する術式を組んでいるのだろう。
縦穴をぐんぐん降下しながらも、俺はその先にいるミサの魔眼に視界を移した。
すると――
「もう逃げる場所はないよ、カシム」
二人の男が対峙していた。
一方はレイ、もう一方はカシム。
辺りは他の縦穴とよく似た神殿――だったのだろう。
なにかがそこで暴れたのか、遺跡がボロボロに破壊され、殆ど原形を留めていない。
カシムはレイとミサに追い詰められ、逃げ場をなくしていた。
「決着をつけよう」
まっすぐカシムを見据え、レイは言う。
「あの頃は、僕の方が弱かった。だから、君も僕が魔王と戦う勇者に相応しいとは認められなかったんだろう。それが、虚飾に思えたのかもしれない。理不尽に感じたのかもしれない」
レイは強い視線をカシムへ向け、はっきりと断言する。
「だけど、今は違うよ」
「……なにが違うというのだ?」
「僕は君よりも強い。霊神人剣は今ではなく、僕の未来を見ていた。そのことを証明しよう」
レイの顔を見返し、カシムは言った。
「面白いことを言うものだ。そなたらは二人、私は一人。しかも、その女は紛い物とはいえ、魔王の力を持っている。それで私よりも強いことを証明するというのか?」
カシムは吐き気がすると言わんばかりの表情を浮かべた。
「そのような卑劣な手口を、重ねてきたのがそなたたち勇者だっ!」
「わたくしは手を出しませんわ」
ふっとミサは微笑する。
「ただ見届けるだけですの」
彼女は<飛行>で二人から離れた。
「僕は君に勝つ。ただ倒すだけじゃない。君の剣と、君の心を折る。一対一じゃなきゃ意味がない」
レイは霊神人剣を呼び寄せ、それを地面に突き刺した。
次に彼は自らの胸に手をかざす。
淡く光る球が六つ取り出され、それらは霊神人剣のそばに浮かんだ。
七つの根源の内、六つを体から分離したのだ。
「エヴァンスマナは使わない。根源も一つだけだ。僕は魔族だけど、君も竜人になった。条件は同じはずだよ」
「いいだろう」
ようやく逃げるのをやめ、カシムは油断のない視線を飛ばした。
「本気ならば、来るがいい。そなたの未熟な剣が、私の身に触れることはない」
「どうだろうね」
微笑みを携えたまま、レイがカシムのもとへ歩いていく。
二人の距離が縮まり、残り数歩で剣の間合いに入る――その寸前だった。
地面が割れ、紅蓮の炎が噴水のように立ち上る。
ゴオオオオオオオオオオオオオォォォォッと激しい炎に巻かれ、レイは纏った反魔法ごとその身を焼かれていく。
「卑劣な勇者は、卑劣な罠の報いを受けた。霊神人剣の加護がなければ、死んでいたそなたに対する、これは調整だっ!」
すかさず追撃を仕掛けようとカシムは剣を抜き、地面を蹴った。
レイが一意剣を抜こうと収納魔法陣を開く。
しかし、その紅蓮の炎は意志を持ったかの如く、収納魔法陣の術式を燃やし尽くした。
レイが視線を険しくし、その紅蓮の炎の深淵を覗く。
魔導王ボミラスだった。
分体よりも、魔力が強い。
「ヒヒヒヒヒッ! 一対一と思うて、油断したかのう、勇者カノン? 余の体内で自由にはさせん。紅蓮の炎に焼かれながら、同胞の剣にてこのまま滅びるが――がぼおおおおおおおおおおおおおぉぉぉっっ!!!」
立ち上った紅蓮の炎が、黒き<根源死殺>の手に貫かれ、わしづかみにされては、レイから引き剥がされていた。
ミサは動いていない。
彼方から勢いよく飛んできた俺が、魔導王の炎体をかっさらったのだ。
「ちょうどこいつを捜していてな。もらっていくぞ。存分にやれ、レイ」
遠ざかっていく俺を一瞥し、カシムが忌々しそうな表情を浮かべる。
「……一対一と言いながら、魔王を忍ばせておくとは、そなたは大した勇者だ、カノンッ!」
丸腰のレイに向かって、まっすぐ突き出されたカシムの剣が、しかし、次の瞬間には、くるくると宙を舞っていた。
「なにっ……!?」
刹那の間に引き抜かれた一意剣が、それを打ち払った後、ぴたりとカシムの喉もとに突きつけられた。
「負けを認めるかい?」
一拍おき、カシムは項垂れる。
「……ああ、わかった……そなたには、勝てそうもない」
カシムが無造作に一意剣を握る。
聖なる布がそこに現れ、シグシェスタの剣身をぐるぐる巻きにした。
「――などと言うはずがないだろう。誘いだ。手加減にも気づかぬ力量か」
<布縛結界封>にて、シグシェスタを縛りつけ、カシムはそのままレイに蹴りを繰り出した。
シグシェスタから手を放し、勢いよく迫ったカシムの足をレイは身を低くして避けた。
「剣から簡単に手を放すな」
<布縛結界封>を引き、カシムはシグシェスタに手を伸ばす。
武器を奪う目算だったのだろう。
しかし、その聖なる布はバラバラになり、宙に舞った。
すでに、シグシェスタによって切れ込みが入れてあったのだ。
「なっ……」
ちょうど落ちてきた一意剣をつかみ、レイはカシムの胴を斬り裂いた。
「ぐぅっ……!」
後退し、距離を取ったカシムを追撃することなく、レイはただ言った。
「まだ手加減してるのかい?」
レイの言葉に、カシムはピクリと眉を動かした。
「誘ってばかりいないで、そろそろ本気を出した方がいいよ。僕を昔のままだと思ってるなら、次はない」
圧倒――