ガングランドの絶壁
シンの魔眼に俺は視界を移した。
地底世界だ。
天蓋より連なる絶壁が大地まで続いており、一望に収まらぬほど巨大な岩の塊がそこにあった。
ガングランドの絶壁である。
その地に舞い降りたシンとエールドメードが、そびえ立つような絶壁を見上げていた。
「カッカッカッ、まったく不思議極まりないではないか。あの災厄の日に、不滅の神体と化した天蓋が落ちてきたというのに、こんな壁が残っているというのはっ!」
あわや地底が押し潰される寸前まで天蓋は落ちた。
仮にガデイシオラが地底の一番高い場所にあったとしても、ガングランドの絶壁は半分以上が破壊されているのが自然だろう。
「この直上だけ、天蓋がないということでしょうか」
シンが言う。
「なるほどなるほど。つまり、こういうことか? このガングランドの絶壁は、すでに落ちた天蓋なのだ、と」
天蓋の一部が、震雨として落下し、積み重なり、そうして、ここにガングランドの絶壁を築き上げた。
その上が空洞であるならば、災厄の日に天蓋が落下しようと、潰されることはなかったというわけだ。
「遺跡都市エティルトヘーヴェの一部が、ここにあるのかもしれませんね。我が君の探し物と一緒に」
シンの視線が、絶壁の中腹に設けられた穴に向けられる。
ディードリッヒが未来に見た洞窟の入り口だろう。
「鬼が出るか、邪が出るか。カカカカッ、胸が躍るではないかっ! 創造神ミリティアが残した魔王の記憶。いやいや、そこにいったいなにが隠されているのか? そもそもだ」
くるくると杖を回転させ、エールドメードはそれを地面に突く。
「あの魔王アノスが、あの暴虐の限りを尽くし、なにもかもを思うがままに蹂躙したあの男がだっ! 記憶を失ったのだぞっ。 いったい、誰がっ? いや、いかにして、魔王の記憶を奪ったのかっ!?」
熾死王の言葉には取り合わず、シンは<飛行>にて洞窟の入り口へ飛んでいく。
「カカカカカッ、あの男の前に立ちはだかる、そう、それは敵、敵ではないかねっ? きな臭い、きな臭いぞ、きな臭いではないか。危険な香りがぷんぷんするぞ」
シンを追いかけるように飛んでいきながらも、エールドメードは愉快でたまらないといった風に声を上げた。
「魔王の敵の匂いがする」
洞窟の入り口に二人は着地した。
魔眼を向ければ、その先はどこまでも深く続いている。
「新しい足跡がありますね」
シンが洞窟の地面に視線をやった。
肉眼で見ても、なにもわからぬが、魔眼を通せばそこに魔力の足跡が残っている。
「大方、幻名騎士団ではないか」
迷わずエールドメードとシンはその洞窟の中を進んでいく。
中は暗く、明かりはない。
幻名騎士たちがどこかに潜んでいる可能性があるが、気にせず二人は周囲を探索するように歩いていった。
「熾死王。あなたは幻名騎士団のことを知っていますか?」
「二千年前にいた幻名騎士団のことかね?」
「ええ」
エールドメードはなにかを調べるように杖で地面を叩きながら、歩いていく。
「幻名騎士団という名は知らなかったが、名もなき騎士たちがいるという噂は聞いたことがあった。魔族の実力者たちの何人かは、ソイツらにやられたともな。しかし、証拠を残さない連中だ。魔王の配下にも、名を明かさぬ魔族たちがいたことまでは、わかっていたのだが」
「同一の者どもだと?」
「あくまで可能性と噂だ。しかし、よく考えてみたまえ。知っていたとしても、セリスとの<契約>があるために、洗いざらい喋るというわけにもいかないではないか」
たとえ術者が滅びても、<契約>の効力は続く。
エールドメードの言うことは、話半分に聞いておくしかあるまい。
しばらく二人は洞窟の中を進み、やがて、別れ道に辿り着いた。
「ところで、魔王の右腕。静かにコツコツ探るか、派手に探るか、オマエはどちらが好みだ?」
「ここが敵の拠点なら、今更大人しくしても仕方ないでしょう。すでにあちらには、私たちが潜入したことがわかっているはず」
ニヤリ、とエールドメードは笑い、くるくると杖を回転させた。
そこから紙吹雪のような魔力の粒子が溢れると、洞窟内をキラキラと照らし始めた。
すでに彼は手を放しているが、杖は一人でにくるくると回転している。
シャカシャカシャカシャカ、と派手で賑やかな音が鳴っていた。
そこに熾死王が両手をかざし、引き延ばすように左右にぐっと広げれば、回転する杖が五本に増えていた。
「<杖探査悪目立知>」
エールドメードが手を叩く。
すると、光を放ちながら回転する杖が一〇本に増えた。
「魔法生物ですか。二千年前に見かけた記憶もありますが」
シンが、熾死王のものだったのか、といった視線を彼に送った。
「この<杖探査悪目立知>は、探査に優れている。悪目立ちする分だけ、情報収集力は抜群だ。その代わりといってはなんだか、手元に戻ってくるまではコイツらが得た情報は得られない」
探査目的には、非常に使い勝手の悪そうな魔法だ。
堂々と探ろうというのだからな。
「しかしだ。手を叩けば、倍に増える」
エールドメードが手を叩く。
すると、回転する杖が倍の二〇本に増え、キラキラと輝く紙吹雪を撒き散らす。
「行きたまえ」
シャカシャカシャカシャカ、と音を立てながら、<杖探査悪目立知>は半分ずつ、左右の別れ道へ分かれて飛んでいった。
エールドメードは適当に右を選び、パンパンと定期的に手を叩きながら、進んでいく。シンはその隣を歩いた。
辺りは、回転する杖の派手な明かりと、シャカシャカシャカシャカという音で、騒々しいことこの上なかった。
「カカカ、もう五〇本やられた。幻名騎士団は、優秀ではないか」
手元に戻ってきた一本の<杖探査悪目立知>をつかみ、エールドメードはそこに地図を描く。
ガングランドの絶壁の内部構造が、僅かに判明していた。
そこには赤い点がいくつか浮かんでいる。
「この光点が、杖がやられた場所。敵が潜んでいたところだ。まあ、もう移動しているだろう」
「こちらへ向かってくる気配はありませんね」
魔力の気配を肌で感じながら、シンが呟く。
「罠を仕掛けているのではないか。魔王の右腕と、この熾死王を、まんまとハメて滅ぼそうと企んでいるに違いない」
奴らが真っ向勝負で勝てぬと踏んでいるのならば、冥王と詛王はここにはいないのかもしれぬ。
「カッカッカ、朗報だぞ」
また一本、戻ってきた<杖探査悪目立知>をつかみ、熾死王が言った。
「妙な部屋を見つけた。<杖探査悪目立知>でも調べられぬほどの結界が張られている。強い魔力の匂いだ。そこに創星エリアルがあるかもしれないが、無論、罠といったことも考えられる」
「構いません。罠であれば、早々に斬って捨てれば、それで方がつくでしょう」
さらりとシンは言った。
「いい、いいぞ、実に素晴らしい。それでこそ魔王の右腕だ、シン・レグリア。そうこなくては、面白くない」
シンを褒め称えるように拍手するエールドメード。
どこかで、<杖探査悪目立知>が増える音がした。
「ついてきたまえ」
<飛行>の魔法でエールドメードは浮かび上がり、その洞窟を低空飛行で飛んでいく。
シンはその横にぴたりと並んで、風の如く駆けていた。
やがて、大きな縦穴が彼らの前に現れた。
見上げても、終わりがないほどそれは続いている。
あるいは、地上につながっているのかもしれぬ。
迷いなくエールドメードが縦穴を上昇していくと、壁を蹴り、跳ね返るようにシンは上っていく。
いくつも空いた横穴から、熾死王は一つを選び、中へ入っていった。
やがて、狭い通路の先が広がっている場所に辿り着く。
「これだ」
入り口に結界が張られており、中が見通せない。
様々な隠蔽、防護魔法がかけられていた。
エールドメードがくるくると回転していた<杖探査悪目立知>をつかみ、それで突くと、瞬く間にその杖は焼き切れた。
「危ないですよ」
言葉をかけた頃にはすでにシンは断絶剣を抜いていた。
一歩、彼は踏み込み、底冷えするほど冷たい輝きを発するその剣身にて、結界を斬り裂いた。
バシュンッと音を立てて、その障壁は脆くも砕け散る。
「行きましょう」
彼らはその先へ足を踏み出す。
シャカシャカシャカ、と音を立てながら、<杖探査悪目立知>が何本も入ってきて、辺りを照らす。
浮かび上がったのは、大量の柱。
そしてそこに磔にされた、無数の遺体だった。
「どれも神族ですね」
神が標本のように、そこにくくりつけられていた。
「番神クラスが殆どのようだが?」
エールドメードはその中の一体に歩み寄り、魔眼を向ける。
杖でかけられた布をはだければ、その腹には妙な傷痕が残っていた。
魔法陣を描いた傷痕だ。
「なんでしょうか?」
「カカカカ、頭の狂ったものの所業だ。神の腹を切り開き、改造するとはな。なんの術式かわからぬが、ひょっとしてここにつながるのではないか。二千年前、ツェイロンの集落で、セリス・ヴォルディゴードが発見したあの遺体と」
ツェイロンの集落に並べられていた首なしの遺体。
それらも腹を斬り裂かれた跡があった。
「その日から、魔法研究を続けてきた者がいたというわけだ。あそこにいたのは人間と魔族だったか。そして、今日においては、とうとう神すらも実験材料だ。カカカカッ、いったい、どんな恐ろしい力を持った者が、いかなる禁忌の研究をしていたのか、考えるだけでも、胸が躍るっ!!」
愉快痛快とばかりに、エールドメードは唇を吊り上げ、そして杖の先端を奥へ向けた。
「出てきたまえ」
鋭く、エールドメードが言う。
シンもすでに、そちらに視線を向けていた。
「そこにいるのはわかっている。魔王の敵となる資格があるか、この熾死王が確かめてやろうではないか」
ピカッと杖の先端が輝き、明かりが照射される。
その奥にうっすらと人影が映った。
フフフ……と声が響く。
熾死王は、まだ見ぬ強敵を前に、魔王の敵となる者の存在を想像したか、歓喜に満ちた表情を浮かべる。
「これはこれは」
二人の前に姿を現したのは、派手な法衣と大きな帽子を被った魔族である。
そいつの体はジェル状になっており、顔も殆どのっぺらぼうであった。
足のつま先から、頭の天辺まで、ひどく見覚えがある。
かつて大精霊の森アハルトヘルンにて、魔法の浅瀬に沈んだ男。
四邪王族が一人、緋碑王ギリシリス・デッロである。
「魔王の配下が来るとは思っていたが、汝らとはねぇ」
ジェル状の顔をぐにゅぐにゅと歪ませながら、ギリシリスは得意気に言う。
その全身からは自信が溢れていた。
「今の吾輩にとっては、誰であろうと同じことだがねぇ。たとえ、魔王が相手だとしても」
ひどく冷めた魔眼でエールドメードは、その男を見た。
「……がっかりだ……」
かつてないほど落胆した顔を、熾死王は見せたのだった。
浅瀬の男、再び――