行動開始
魔導王ボミラスの炎体がみるみる灰と化し、ボロボロと崩れ落ちていく。
すでに半身は焼け落ち、まともに戦うことはできまい。
刻一刻と<焦死焼滅燦火焚炎>の火は広がっていき、とうとう奴の根源に燃え移った。
「さて、ボミラス。このままならば、貴様は滅ぶ」
奴の目の前に、<契約>の魔法陣を突きつける。
「調印せよ。二千年前、お前が誰に殺されたか。あるいは創星エリアルについて知っていることを吐けば、その火を半分消してやろう」
火をすべて消すには、両方話さねばならぬということだ。
今にも滅ぼうとしているボミラスは、しかし、ヒヒヒヒ、と口から火の粉を撒き散らしながら笑った。
「余を殺した者の名を知りたいか。それは、魔王の命か?」
「さてな」
「転生に失敗し、記憶を失うとは、存外に暴虐の魔王も情けないものよのう」
ボミラスが<契約>に調印したのを見て、「おめぇほどじゃねえだろ……」とラオスが呟く。
「魔王に伝えるがよい。二千年前、余に転生を余儀なくさせたのは、セリス・ヴォルディゴード。それを差し向けたのは、お前だとな」
ふむ。不可解なことを言う。
しかし、<契約>がある以上、嘘ではない。
「幻名騎士団が、魔王の配下だったということか?」
「魔王が聖人君子だとでも思うておったか? 魔王と奴らはその目的が一致していたのだ」
論うようにボミラスは言った。
「名もなき騎士どもは、亡霊の如く、魔王に敵対する者を闇から闇へと葬り去った。その事実を、魔王の腹心にさえ知らせず、悟らせず。短期間に、ディルヘイドの支配者に上り詰めた魔王アノスの暗部であろう」
覚えておらぬな。
「平和を口にするには、奴の手は汚れすぎておる。なあ、現代の魔族よ。そうは思わぬか?」
「ふむ。魔王への疑心の種でも植えつけたいか」
<契約>に従い、<焦死焼滅燦火焚炎>の火を半分消してやる。
「余が言いたいのは、一度味方につけた者さえ、用がなくなれば簡単に葬る男だということだ。果たして王として、信用に足るかどうか」
「なにを今更。暴虐の魔王と呼ばれた男に、ずいぶんと生ぬるいことを言う」
俺の言葉に、ボミラスは炎の顔を歪める。
「平和のために味方につけ、平和のために葬った。なにか問題か?」
ボミラスは言葉を失う。
よもや平和慣れした現代の魔族に、そう言われるとは思っていなかったのだろう。
「情に流され、一度配下につけた者を滅ぼせぬようならば、それこそ平和を口にする資格などあるまい」
「滅びを撒き散らすだけの血族の末裔が、分不相応なものを求めたものだ。ヴォルディゴードの中でも魔王アノスは、忌むべき存在。滅びともに生まれ落ちた、破滅の申し子よ。魔族の枠に収まらぬ、忌むべき災いに他ならぬわ」
弱まった<焦死焼滅燦火焚炎>に、それでも全身を焼かれ、魔導王の顔がボロボロと崩れ落ちていく。
「重々伝えておくがよいわ。この世を滅ぼす力を持った暴虐の魔王。どんな理想を謳おうと、その事実からは逃れられぬ」
もう一つの質問には答えようとせず、ボミラスはそのまま焼けていく。
「奴が真に平和を求めるならば、やがて自らを滅ぼすしかないと気がつくであろう」
その言葉とともに、最後の一片が燃え尽き、灰に変わる。
<次元牢獄>が解除され、俺たちは元の室内に戻ってきた。
「……し、死んだんですか……?」
エミリアが、恐る恐るといった風に尋ねた。
「滅びた。もう動いて構わぬぞ」
反魔法を解除すると、エミリアがこちらへ歩いてきて、ボミラスの灰に視線を向ける。
「……二千年前の魔族をこんなに簡単に滅ぼすなんて……アノシュ君は本当に、天才なんですね……」
「なに、向こうから自らを焼き尽くせる魔法を教えてくれたからな。そうでなければ、あの炎体を滅ぼすのは手こずっただろう」
魔導王と言われるだけのことはある。
俺が暴虐の魔王だとわかっていれば、もう少し慎重にやっただろうがな。
しかし、それを考慮しても、少々あっけないか。
滅びたは滅びたが、こいつが本物とも限らぬ。
敵の力も計らず、いきなり襲ってくるというのも軽率だ。
それも、これまで行動も起こさずに潜んでいたような奴がな。
いずれにせよ、これで終わりとは思わぬ方がいいだろう。
「露払いは済んだ。来い」
そう<思念通信>を飛ばせば、次々とこの場に魔法陣が描かれる。
そうして、魔王学院の生徒たちがここに転移してきた。
レイやミーシャ、アルカナたちの姿もある。
「エミリア先生」
レイが、エミリアとラオスのもとへ歩み寄る。
「アノスから、勇議会に協力するようにと言われています。僕たちの目的は主に三つ。一つは勇議会を救出すること。それから、インズエル軍を制圧し、この事件の首謀者を突き止めること」
「……今アノシュ君が滅ぼした魔導王が、首謀者ではないんですか?」
「首謀者の一人だとは思います。ただ他にいないとは限りません。インズエルの皇帝も、そうでしょう」
神妙な顔でうなずき、エミリアは尋ねた。
「もう一つはなんですか?」
「創造神ミリティアが、この遺跡都市に残したとされる創星エリアルを探すことです。エリアルは五つ。そこにアノスが失った記憶が封じられています。恐らく、インズエル軍もそれを探しているか、すでに見つけているはずです」
エミリアは考え込み、そして言った。
「……インズエル第一皇女のコロナ様が、なにか知っているかもしれません……。あっちの部屋で待っているのですが」
ドアは消え、壁になったままだ。
レイが霊神人剣エヴァンスマナを呼び寄せると、それを一閃した。
ゴゴォ、と音を立て、四角形に斬り裂かれた壁が内側へ倒れる。
視線をやれば、驚いたようにこちらを見つめる少女、コロナがいた。
「安心してください、コロナ様。救援を呼ぶことに成功しました」
エミリアはくり抜かれた壁をくぐった。
そのとき、元の部屋に魔力の粒子が溢れた。
警戒するように、エミリアや魔王学院の生徒たちが魔眼を凝らす。
「<封域結界聖>が強くなった」
ミーシャが呟く。
サーシャは嫌な予感がするといった風に手で頭を押さえた。
「ねえ……それって、もしかして?」
「ふむ。もうこの場所では<転移>が使えぬな」
「帰れないじゃない……」
新しく救援を呼ぶこともできぬ。
転移してきた者たちを孤立無援にする二重の罠というわけか。
「まだ敵には余力がありそうだな」
わかっている限りでは、ボミラス以外の敵は、インズエル軍と勇者カシムだが、その他にも二千年前の魔族がいても不思議はあるまい。
「まあ、俺たちだけで事は済む。創星エリアルについてだが?」
俺がエミリアに視線を向けると、彼女は第一皇女コロナに尋ねた。
「シャプス皇帝は、創星エリアルという魔法具についてなにか話していませんでしたか? あるいは、最近、遺跡で探し物をしているといったようなことは?」
コロナは僅かに俯き、考える。
「最古の遺跡バージーナに、兵士たちが入っていくのを見た覚えがあります。遺跡を調べるにしては大人数だったので、不思議に思ったのですが……」
ふむ。怪しいな。
「最古の遺跡は、どこにある?」
「エティルトヘーヴェの遺跡は、地下へ行けば行くほど古いものが見つかります。城下町に設けられた四七の縦穴から入れるようになっていますが、最古の遺跡とつながっているのは、七番目の縦穴です」
すると、サーシャが言った。
「でも、創星は五つあるんでしょ? その最古の遺跡にぜんぶあるのかしら?」
ミーシャがぱちぱちと瞬きをする。
「五つに分けた意味がない」
「ミーシャの言う通りだ。その他の場所にもあると考えるのが妥当だろう」
コロナに視線をやると、彼女は申し訳なさそうに言った。
「すみません。それ以外は記憶がなくて……」
まあ、一つありそうな場所が見つかったことだ。
「二手に分かれるか」
「僕とミサは、エミリア先生と一緒にカシムを追う。勇議会を救出して、インズエル軍を制圧するよ。シャプス皇帝もね」
レイが言った。
その他の生徒もエミリアと行動を共にするよう伝えてある。
インズエル軍は人間の兵士だ。今の彼らならば、造作もない相手だろう。
「じゃ、わたしたちで残りの創星を探せばいいのね」
サーシャが言った。
創星エリアルの探索を行うのは、彼女の他、ミーシャ、エレオノール、ゼシア、アルカナ、そして俺だ。
「コロナ。七番目の縦穴はどれだ?」
エミリアが隣で「言葉遣いっ」と苦言を呈する。
軽く聞き流し、エティルトヘーヴェの街路図を魔力で描き、コロナに見せる。
街の地図については一般にも公開されているものだが、あいにく縦穴の番号までは載っていない。
「ここです」
魔道要塞から一番遠い縦穴だ。
そこに俺は魔力でマーキングした。
「では、エミリア。魔王学院の生徒たちの指揮権はお前に預けると魔王からは言われている。彼らの力を借り、見事、この窮地を脱してみせよ」
「わかってます。アノシュ君こそ、慢心しないでくださいね。そういうところ、魔王に似てますよ。今に足をすくわれるんですからね。それと礼儀、ちょっと偉そうですよ。アゼシオンじゃ損しますから。わたしはもういいですけど、他の人の前では気をつけてくださいね。いいですか?」
そうエミリアは小言を言う。
彼女には学院に通い始めたときから、ああだこうだとうるさく言われたものだが、不思議と今は悪い気がせぬ。
「頭の片隅に留めておこう」
そう口にすると、思ってもみなかったといった風にエミリアは目を丸くする。
彼女は嬉しそうに、僅かに微笑んだ。
「約束ですよ?」
そんな彼女を横目に、俺は部屋の扉を開いた。
辺りに兵士の姿はない。
<封域結界聖>が自動で強化される術式だったとしても、これだけ騒いだのだから、俺たちがここへ来たことはとうにわかっているはずだ。
生半可な戦力では太刀打出来ぬと思い、どこかで待ち伏せでもしているか?
まあ、それならそれで動きやすくてなによりだ。
「二千年前のやり残しは、これで最後だといいんだけどね」
俺の隣に並び、レイが小声で言った。
「お互いな」
俺たちはその場で分かれ、別々の方角へ向かった。
二千年前の因縁が待ち受ける――