魔導の神髄
ヒヒヒヒ、と嘲笑するように魔導王ボミラスは声を発した。
「無知とは恐ろしいものよ。この魔導王にそんな大層な口を利く魔族は、二千年前はそうはおらなんだ。まあ、それだけの魔力を持っているならば、天狗にもなろうというものよのう」
ボォッとボミラスの全身が威嚇するかのように燃え盛る。
「だが、うぬはまだ魔力が強いだけの魔族。才能の上にあぐらをかいているにすぎん。余は違う。この魔導王ボミラスこそ、うぬがこれから千年、二千年と長きときを研鑽に費やしようやく辿り着く、未来の姿だ。悠久のときを経て、魔導の神髄に到達した真の魔族の力を知るがいい」
ボミラスの炎体に描かれた大小様々な魔法陣から、真紅の太陽がぬっと出現する。
「下がっていろ。迂闊に動けば死ぬぞ」
エミリアとラオスに反魔法を張り、俺は魔法陣を描いた。
「受けよ、我が至高の<獄炎殲滅砲>を」
魔導王のローブがはためく。
炎の体から出現した大小無数の<獄炎殲滅砲>は、狙いを定めず、四方八方に撃ち出された。
「馬鹿の一つ覚えだぞ、ボミラス。通用しなかったのを忘れたか」
真っ向から<獄炎殲滅砲>を撃ち放ち、こちらへ向かってくる真紅の<獄炎殲滅砲>を黒く炎上させる。
なおも漆黒の太陽は止まらず、まっすぐボミラスの体へと向かった。
「馬鹿の一つ覚えは、うぬだ、アノシュ」
ボミラスの纏ったローブが暗く輝く。
轟々と燃え盛る<獄炎殲滅砲>はそこに着弾すると、まるで暗黒に飲まれるかのように吸い込まれていった。
「<暗黒異界魔行路>」
ボミラスの右手に魔法陣が描かれれば、そこから俺が放った<獄炎殲滅砲>が出現し、こちらへ向かって撃ち出された。
「ふむ。なるほど」
黒き<根源死殺>の右手で、<獄炎殲滅砲>を斬り裂き、反魔法にて消火する。
「そのローブは異界そのものというわけだ」
地面を蹴り、無差別に撃ち出される紅い太陽を避けながら、魔導王に接近する。
「本気を出した余に通じる魔法などない」
炎の右腕が俺めがけて勢いよく振り下ろされる。
その攻撃を迎え打つが如く、<根源死殺>の指先を突き出した。
漆黒の指先が炎の手の平に食い込むその瞬間、奴の手は暗黒と化す。
俺の腕がそこに飲み込まれた。
「<暗黒異界魔行路>」
ボミラスの左腕が魔法陣を描く。
そこから飛び出してきたのは、俺の漆黒の指先だ。
首を捻ってそれを避け、確かめるようにぐっと拳を握ってみる。
<暗黒異界魔行路>の魔法陣から現れた指は拳を作った。
つまり、俺の指自体が操られたわけではない。
「ふむ。聞いたことがあるな。<黒界の外套>か」
奴が纏うあのローブは、俺が睨んだ通り、異界そのものだ。
攻撃しようとも、すべてはその黒き空間に飲まれるのみ。
そうして、<暗黒異界魔行路>にて、その黒界の中を自由自在にねじ曲げ、一本道を作り、出入り口を構築できるのだろう。
まっすぐ突きだした<根源死殺>が、黒界を通り、奴の描いた魔法陣からそのまま出てくるというわけだ。
「知っていようとどうにもならぬ。すべての攻撃は余の体に届かず、黒界を通って、すり抜けてゆくのみよ」
再び体中からボミラスは真紅の<獄炎殲滅砲>を放つ。
威力を弱めた<獄炎殲滅砲>でそれをきっちり相殺し、俺は右手で魔法陣を描く。
「黒界の中はなかなか広いかもしれぬがな、出入り口の方はどうだ?」
<創造建築>の魔法を使う。
瞬間、ドガラガシャァァァンッとけたたましい音を立て、天井と壁がぶち破られた。
「……マジ……かよ…………」
ラオスが思わずそう呟く。
俺が創り、右手で持ち上げているのは、この室内に収まりきらぬほどの巨大な魔王城だ。
「やれやれ、要塞を壊されてはかなわん」
魔導王が魔法陣を描くと、室内は<次元牢獄>に飲まれ、広大な空間と化した。
「くはは、要塞の心配をしている場合か?」
ドガガガガガガッ、と広がった室内を破壊しながら、魔王城を思いきりボミラスに叩きつける。
「ぬるいわ」
<黒界の外套>が大きく広がり、魔王城を覆う。
暗黒は底なしと言わんばかりに、それさえも飲み込んだ。
「現代の魔族が考えそうな浅知恵というものよのう。この魔導王の魔法に、際限などないぞ」
ボミラスは右手の魔法陣を俺に向ける。
「<暗黒異界魔行路>」
巨大な魔王城の先端がそこからぬっと姿を現す。
直後、俺は蒼白き<森羅万掌>の左手でその先端を押さえていた。
「ヒヒヒ、うまく受け止めたな。だが、そこまでであろう。自らの攻撃を自ら受け止めた状態で、余の魔法は防げまい」
勝ち誇ったように魔導王は言い、これまでで一際大きな多重魔法陣を描いた。
「殺すには惜しい小僧だ。余とこれだけ長い時間を戦える魔族は、二千年前でもそうそうおらなんだ。この魔導王ボミラスに忠誠を誓うならば、生かしておいてやってもよい」
「状況がわかっていないようだな、ボミラス。追い詰められているのは、貴様だぞ」
グゥゥンッと魔力が迸ると、魔王城が更に膨張した。
「……ぬっ…………!?」
「どうした? <暗黒異界魔行路>を拡大しなければ、出口に突っかかるぞ」
ボミラスが<暗黒異界魔行路>の魔法陣を二倍に拡大するが、さらにグゥゥンッと魔王城は膨れあがり、三倍の大きさになった。
「それが限界か。どうやら、入り口よりも出口の方が狭いようだな」
<森羅万掌>の手を放すが、魔王城は<暗黒異界魔行路>の魔法陣から出てこない。大きすぎるため、黒界の中でつかえてしまい、それ以上外に出せないのだ。
「だが、俺の魔王城に上限はないぞ」
バシュンッと魔力が砕け散る音がして、<暗黒異界魔行路>の魔法陣が破壊された。
際限なく大きくなる魔王城に出口が耐えきれず、崩壊したのだ。
魔王城の先端はその場から消えた。
黒界の中に戻ったのだろう。
「さて、これで入り口は一つ。こちらは、どこまで広がるか試してやろう」
大きく広がった暗黒、<黒界の外套>には、俺が右手から創り出している巨大な魔王城が半分以上入り込んでいる。
それを、更に拡大する。
グゥゥンッと城が膨れあがった瞬間、<黒界の外套>が更に広がり、俺の体を包み込もうと襲いかかってきた。
地面を蹴って、飛び退けば、その暗黒は魔王城を飲み込んでいった。
「なかなかいいセンいっておったが、残念だったのう。うぬと同じ考えに至った者は二千年前にもおった。確かに、無尽蔵の広さを誇る<黒界の外套>の弱点は、その出入り口となる部分よ。うぬの考えた通り、許容量を超えて入り口を広げようとすれば、それは壊れる」
「ほう。自ら弱点を明かすとは見上げたものだ」
ヒヒヒヒ、と火の粉を撒き散らしながら、ボミラスは笑う。
「深淵を覗けば、容易く知れることよ。弱点も特性も、魔法とは使い方次第。余が黙ってそれをやらせるわけもないであろう」
「そうか。だが、あいにくと、俺の狙いは弱点などではなくてな」
俺が指を三本立てる。
ボミラスが不可解そうに、視線を向ける。
「なんだ、それは? 三秒待ってくれと懇願するのならば、まあ、考えないでもない」
「三倍だ。一秒毎にお前が黒界に飲み込んだ魔王城は三倍に拡大する」
それを想像したのか、ボミラスの表情が無と化した。
「さて、今魔王城の大きさはどのぐらいだ?」
「なにを言うかと思えば。一秒に三倍だと? ものの数十秒でこの世界よりも遙かに大きな魔王城になるというのか。そんなハッタリが通用するわけ……」
言葉と同時、ボミラスが纏った<黒界の外套>が散り散りに引き裂かれた。
「……な……んだと……?」
ふわり、ふわりと、外套の布きれが床に舞い落ちる。
それは最早、本来の異界の力を失っていた。
奴が呆然とした一瞬の隙をつき、護りを失ったその体に、<根源死殺>の指先を突き出す。
「……ぬぐぅっ……」
「どうやら黒界と言えど、俺の魔王城は入りきらなかったようだな」
炎の体を貫かれながら、奴は根源の急所だけはかろうじて避けた。
そうして、距離を取るように宙に舞い上がった。
「俺の質問に洗いざらい答えるならば、滅ぼしはせぬと約束してやってもよいが?」
ヒヒヒヒ、と魔導王は嘲笑した。
「なにを勝ち誇っておる。周りを見てみよ」
俺が魔王城を振り回し、ボロボロとなった<次元牢獄>の室内には、真紅の太陽がいくつも浮かんでいる。最初に奴が撃ち放っていた<獄炎殲滅砲>だ。
「二手、三手先を読む。これが二千年前の戦いだ」
紅い太陽から炎が走り、いくつもの<獄炎殲滅砲>が線で結ばれる。
それはこの場に燃え盛る立体魔法陣を構築していく。
大小いくつもの<獄炎殲滅砲>から照射された熱線が、ボミラスの体に浴びせられた。
その炎体は更に激しく燃え盛り、燦々と輝く太陽そのものと化した。
「恐ろしいか、若き魔族よ。言葉もあるまい? だが、うぬの考えは手に取るようにわかるぞ。<獄炎殲滅砲>は、炎属性最上級魔法。その上を行く魔法があるなど、知らぬとな。なぜ、今にまでそれが伝わっておらぬのか、考えれば自明というもの」
火の粉を撒き散らしながら、ボミラスは両腕を広げる。
「光栄に思うがよい。余がこの魔法を見せた者は皆、残らず滅びた。その内の一人として、選ばれたことをなっ!!」
ゴオオォォォォッと音を立て、ボミラスが球体に変化していき、彼自身がまさしく<獄炎殲滅砲>と化した。
ゆらりゆらりと空間を歪ませるほどの陽炎を発し、太陽となったボミラスが、俺めがけて落ちてくる。
「魔導の神髄を知れ。<焦死焼滅燦火焚炎>」
俺は魔法陣を一〇〇門描き、<獄炎殲滅砲>を乱れ撃つ。
ボミラスに向かっていった漆黒の太陽は、悉く<焦死焼滅燦火焚炎>と化したその炎体に燃やし尽くされ、虚空に消える。
「ヒヒヒヒ、震えて狙いが外れているぞ、アノシュ・ポルティコーロ」
まっすぐ突っ込んできたボミラスに対し、俺は右腕の<根源死殺>を突き刺した。
紅く輝く炎がまとわりつき、黒き指先を焦がしていく。
<根源死殺>の魔法が、燃えていくのだ。
「無駄なことよ。<焦死焼滅燦火焚炎>と化した余は無敵。いかなる魔法でも対抗できはせん」
「ふむ。では、これでどうだ?」
撃ち放った漆黒の太陽が魔法陣を描き、熱線が俺の右手に集う。
「ヒヒヒヒヒッ! なにかと思えば。そこまで術式を構築したのは見事なものだが、もっとよく深淵を見るのだったな。<焦死焼滅燦火焚炎>は、この炎体だからこそ使える魔法。生身の体では、炎を制御できはせんのだ」
「お前こそ、もっとよく深淵を覗くがよい」
ぐっと指先に魔力を込め、漆黒の太陽が右手に宿る。
「<焦死焼滅燦火焚炎>」
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォッとけたたましい炎とともに、ボミラスの炎体が黒く燃え始めた。
「な………………な……こんな……なんだ、これはぁっ……!?」
<焦死焼滅燦火焚炎>の力を凝縮させた右腕が、ボミラスの燃える球体を抉る。
燦々と煌めく漆黒の炎に、奴の体はみるみる焼けていく。
「……ばぁっ、馬鹿な……! なぜ<焦死焼滅燦火焚炎>が……燃える……馬鹿な、燃えていく……なぜだなぜっ……余の魔法よりも……強いだとっ!? 馬鹿な、馬鹿なぁっ……こんなことが、あるはずが、こんなはずがああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
黒き<焦死焼滅燦火焚炎>により炎上し、ボミラスの炎の体がみるみる灰へと変わっていく。
「なかなかどうして、さすがは魔導王ボミラスのとっておきだ。<獄炎殲滅砲>より上というのは、本当のようだ」
腕を引き抜いてやれば、ボミラスの炎体が人型に戻り、がくんと膝をついた。
頭を垂れながら、奴は言った。
「……あり……えぬ……なぜ……なぜ生身の体で……<焦死焼滅燦火焚炎>を……」
不可解でならぬといった風であった。
「なに、少々術式にあった欠点を改良したまでだ。炎の体にせねば使えぬという条件が消え、威力が上がった。その反面、起源魔法となったがな」
ボミラスの体が纏っていた真紅の輝きが消える。
奴の<焦死焼滅燦火焚炎>が、この黒炎の手に燃やし尽くされたのだ。
「……改……良……だと……? 余が、転生を繰り返し、数千年の時を経て、辿り着いた魔導の神髄を……今見たうぬがか……?」
「古より魔族たちが積み上げてきたものの上に、今この魔法の時代がある。魔導王然り、暴虐の魔王然り、先祖が築いた数多の死と数多の研鑽の果てに、俺たちは更に深淵に辿り着く」
なおも炎上は止まらず、ボミラスはその根源ごと燃えていく。
<焦死焼滅燦火焚炎>の火は消えぬ。
その対象を燃やし尽くすまで。
「それが現代の魔族、魔王学院が歩む道だ」
時代の最先端。その名はアノシュ・ポルティコーロ。