二千年前の魔族と現代の魔族
エミリアとラオスは、エティルトヘーヴェの魔導要塞の中を慎重に進んでいた。
とはいえ、警備の薄い区画である。
見張りの兵をやりすごしつつ、彼らは目的の部屋まであと一歩のところまで辿り着く。
「……あそこか……確かに、幾分か結界が弱いような気がするよな……」
物影に潜みながらも、ラオスは目的の部屋に視線をやる。
外には見張りの兵が二人いた。
彼らは油断なく周囲を警戒している。
「ち……。やっぱ、もう俺らが脱走したのは伝わってるよなぁ。不意はつけそうにねえが、聖剣は奪われちまってるからな……」
見張りの兵がいるところまでは、身を隠すところもない一本道だ。
兵を倒すまでに<思念通信>にて彼らの居場所が全軍に伝えられてしまう危険性が高い。
「時間が経つほど状況が不利になります。正面から行きましょう」
「マジかよ?」
「竜に比べれば可愛いものですよ」
は、とラオスは笑った。
「違いねえっ!」
ラオスが素早く物影から飛び出し、両腕に炎を纏わせた。
「<大覇聖炎>」
燃え盛る聖なる炎を、寸前で回避すると、兵士は慌てて声を上げた。
「てっ、敵襲っ! 牢屋から逃走した勇議会が――」
<思念通信>にて増援を呼ばれるより先に、駆けよったエミリアはナイフでその喉を斬り裂いた。
「させません」
「お、おのれぇぇっ!!」
反撃とばかりに剣を抜いた兵を、彼女は<灼熱炎黒>で焼き尽くす。
二名の兵は瞬く間に沈黙した。
ラオスが周囲を警戒しながらも、エミリアはそのドアに張りつく。
彼女は内部に魔眼を向け、耳をすました。
彼女には中を透視することはできぬが、魔力はわかるだろう。
「……誰かいますね。たぶん、人間です……」
「インズエルの兵士か?」
「それにしては、魔力が弱い気がします」
「数は?」
「一人です」
二人は視線を合わせる。
「なら、行くっきゃねえよな。とりあえず、中にいる奴を取り押さえて、ディルヘイドの救援を呼べりゃ、こっちのもんだ」
「ええ、それで行きましょう」
エミリアはドアノブを握る。鍵がかかっているようだ。彼女は<解錠>の魔法陣を描き、言った。
「アノシュ君、お願いします……」
魔法を補助してやると、カチャ、と施錠が外れる。
エミリアはラオスに目配せをして、ドアを開けた。
彼はすぐさま部屋に飛び込む。
「<聖炎鎧>ッッッ!!!」
炎の鎧を身に纏い、室内にいた人影にラオスは一も二もなく飛びかかる。
それは相手を組み伏せることで発動する結界だ。
「うおらぁぁ――って……?」
寸前で、ラオスは手を止めた。
室内に座り込んでいたのは、猿ぐつわをされ、両腕を魔法の手錠で拘束された長い髪の少女だった。
「んー、んーっ」
少女は涙目になり、ラオスに脅えた表情を見せる。
「……こりゃ……。どうするよ、エミリア?」
「外に見張りがいましたし、勇議会と同じくインズエル軍が捕らえた人でしょう。外してあげなさい」
ラオスがしゃがみ込むと、少女はびくっと身を引いた。
「安心しろって。敵じゃねえよ。俺たちは勇者学院だ」
そう言って、ラオスは彼女の猿ぐつわを外した。
「……あ、ありがとうございます……。私はインズエル帝国第一皇女、コロナ・インズエルと申します」
「第一皇女……?」
エミリアが怪訝そうにコロナに視線をやった。
「言われてみれば見覚えがありますが、なぜ第一皇女であるコロナ様が、軍に拘束されているんですか?」
すると、彼女は重たい表情を浮かべた。
「その……聞いてしまったんです、私……」
「なにをですか?」
「……父が、インズエル皇帝シャプスが、やってくる勇議会の人たちを捕らえようとしているって話を。私はどうにかそのことをガイラディーテの使者に伝えようとして……」
捕まった、というわけか。
「父はきっと騙されているんです。軍の元帥ボミラスに。私は見ました。彼の体が、炎に変わるところを。ボミラスは魔族なんです。きっと、彼が父になにかしたに違いありません」
「……魔族であること以外に、ボミラスが皇帝を騙したという証拠はありますか?」
エミリアが問うと、コロナは困惑した表情を見せた。
「……それは……具体的には……でも、優しかった父が、こんなことするはず……」
思ってもみない災厄が訪れれば、なにかのせいにしたくなるものだ。
たとえ互いに憎しみがなくとも、異物である魔族が原因と思うのは無理もないだろう。
しかし、初めからシャプス皇帝が、野心を持っていなかったとも限らぬ。
「お願いします。私を父のもとへ連れていってくれませんか? きっと、説得しますから」
「とにかく、まずは安全な場所へ行きましょう」
ラオスがコロナにかけられた魔法の手錠をつかむ。
「ちいと火傷するかもしれねえが、我慢してくれよ」
ボォッと炎が巻き起こり、彼は手錠の鎖を焼き切っていく。
彼女は一瞬苦痛に表情を歪めたが、手錠が外れるまで懸命に耐えた。
「……あ……ありがとうございますっ……」
エミリアが差し出した手を取り、コロナは立ち上がる。
「もう一つ、奥みたいですね」
彼女は室内に設けられたもう一つのドアに視線を向ける。
そちらの方がはっきりとわかるほど結界が弱い。
「コロナ様、ここはなんの部屋かわかりますか?」
「いえ、魔道要塞に来ることはありませんので……」
コロナは申し訳なさそうに言った。
「中に人間の魔力は感じられませんから、問題ないと思いますけど」
「これだけ騒いで誰も出てこないんだったら、大丈夫だろ」
エミリアとラオスはそんなやりとりを交わし、奥のドアに近づく。
慎重に彼女はドアを開けた。
中には、誰もいない。
椅子やテーブル、調度品が置いてあるだけの普通の部屋だ。
二人はほっと胸を撫で下ろす。
「……アノシュ君、到着しました。どうですか?」
『ふむ。よくやった。すぐに救援を送る』
俺は<思念の鐘>を通して、その場の魔力環境を解析する。結界が弱まっている分、ぎりぎりいけるだろう。
<転移>の魔法を使えば、室内に魔法陣が描かれる。
目の前が一瞬真っ白に染まる、その瞬間だった。
エミリアの視界から見た部屋の風景が、みるみる内に変化していく。
椅子やテーブル、調度品が姿を消し、床、壁、天井に魔法陣が現れる。
「ちぃっ……!?」
ラオスが引き返そうとした瞬間、目の前のドアも消え、壁に変わった。
「なんだこりゃっ、ドアが消えやがったっ!?」
拳を突き出し、<大覇聖炎>をぶちかますも、魔法によって強化された壁は頑丈でびくともしない。
「エミリアッ、どうす――」
彼女の指示を仰ごうとして、ラオスは絶句した。
目の前にあったのは、俺が描いた<転移>の魔法陣。
ディルヘイドの救援が送られてくる入り口だ。
それを球状に覆う紅い炎が、ゴオォォォと音を立てて燃え盛っている。
「消しますよっ! じゃないと、転移した瞬間――」
エミリアは魔法陣を描き、手の平に氷を作り出す。
「<魔氷>!」
「<聖八炎結界>!」
エミリアが放った氷が炎球を襲い、ラオスの<聖八炎結界>は炎の魔力を鎮める結界を構築する。
だが、まるで効果がない。
「脆弱なものだ。今の魔族も、勇者も、二千年前とは比べものにならぬものよのう」
声が響く。
ラオスとエミリアは周囲に視線を配るも、敵の姿は影も形も見えない。
「どこを見ておるのだ、余ならここにいる」
魔法陣を包み込む球状の炎、そこに不気味な目と口が浮かんだ。
「まったく。飛んで火にいる夏の虫とはこのことか。<封域結界聖>の結界がここだけ手薄なことに、気づいておらぬわけがなかろう」
エミリアが視線を険しくし、その魔族を見た。
「魔導王……ボミラスですか?」
「左様。現代の弱き魔族よ。余が魔導王、魔導を極めし王者である」
いきなりの黒幕の登場に、エミリアは奥歯を噛む。
「弱き者よ。一つ提案があるのだが、聞き入れてはくれぬものか?」
この状況で、ボミラスは思いのほか下手に出た。
警戒しながらも、エミリアは問う。
「……なんですか?」
「余の体内は炎溢れる異空間だ。<転移>で飛び込んだ者どもは、まだかろうじて生かしてある。余の配下となれ。そうすれば、我が領土に土足で踏み込んだこの愚か者どもと、貴様らの命だけは助けてやろう」
狭い室内がボミラスの炎により、凄まじい高温となっていく。
エミリアもラオスも、そうしているだけで消耗を余儀なくさせるほどだ。
「わたしは暴虐の魔王の配下です。あなたはディルヘイドの支配者に弓を引くというのですか?」
「配下風情が、つけあがるな。余と対等に言葉を交わしたくば、主の力ではなく、自らの力で語ってみるがよい。それが魔族というものだ」
荒れ狂う炎、そこに浮かんだ魔眼が、冷たい殺気を発する。
それに気圧され、エミリアが閉口した。
力を示さねば、話も通じそうにない、と悟ったのだろう。
「考えるまでもなかろう。貴様の選択肢は二つ。余の配下となり生き延びるか、ここへ呼んだ仲間もろともこの魔導王ボミラスの炎によって燃え尽くされるかだ」
エミリアは答えず、注意深く勝機を探っている。
それを見て、ボミラスは、ヒヒヒヒ、と火の粉を撒き散らしながら笑う。
「愚かなものよ。このような単純な罠に簡単に引っかかっておきながら、まだ勝機があるとでも思っているのか? 二千年前の魔族ならば、絶対にこの場には転移しなかったであろう」
嘲るように、ボミラスの炎の口が歪む。
「よいか? 退化した魔族よ。力の差も、頭の差もわからぬならば、余が手ずから教えてやろう」
球体の炎から、腕が生える。
ボミラスはその炎の腕を、自ら球体の炎に突っ込んだ。
「真の魔族の力を、その目に刻むがよい。ここに転移してきた魔族を、一人ずつ握り焼いてくれるわ」
ぐしゃりと、ボミラスは炎の手を握った。
「まずは一人だ。ほれ」
ボミラスが炎の手を、球炎から引き抜く。
そうして、ゆっくりとその手を開いた。
そこには、人形があった。
顔はのっぺらぼうで、『馬鹿め』と書かれている。
「な……偽……」
瞬間――
「ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶっ、ぐはばぁぁぁぁぁっっっ!!!」
ボミラスの炎の体が弾け飛び、中から六歳相当の魔族が姿を現す。
「ふむ。二千年前の魔族ならば、絶対にこの場には転移しない、か」
弾け飛んだ炎がまた集まり、人型を象っていく。
「ずいぶんと古くさい定石だな、魔導王。この程度の罠など、ないも同然。転移してくれと言っているようなものだぞ」
炎は完全に人型と化す。
その顔に浮かんだ紅い魔眼が、俺の深淵を覗き込む。
「……ほう。どうやら、少しは骨のある者もいるようだな。どれ、揉んでやるとしようかのう」
ボミラスは両腕にて魔法陣を描く。
「この魔法に耐えたならば、余の前で、名乗ることを許そう。その身で味わえ。ディルヘイドに並ぶ者なしと言われた、我が至高の<獄炎殲滅砲>を」
両腕で描いた魔法陣が一つに合わさる。
中心に構築された砲門から、紅い<獄炎殲滅砲>が俺に向かって撃ち出された。
「なに、名乗るほどの者ではない。お前が知りたいというのならば、教えてやってもいいがな」
不敵に笑い、俺は魔法陣を描く。
そこから漆黒の<獄炎殲滅砲>を撃ち放った。
紅い太陽と漆黒の太陽が、互いに燃え盛る火炎を撒き散らしながら鬩ぎ合う。
ゴオオオォォォッとその紅い球体を焼き尽くすかのように風穴を空け、俺の<獄炎殲滅砲>がまっすぐボミラスに向かう。
「な……!?」
ボミラスの炎の体が、その漆黒に炎に飲まれ、燃えていく。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!」
たまらず、無数の火の粉となって、ボミラスは退く。
「……貴様、いったい、何者…………?」
堂々と俺は名乗る。
「アノシュ・ポルティコーロ。現代の魔族だ」
嘘つけよ……。