潜入準備
目を覚ましたラオスが、ぎこちなく体を起こす。
俺は<思念通信>にて、エミリアに話しかけた。
『見張りが来る前にそこを出ろ。<解錠>の魔法陣を描け』
エミリアはドアに<解錠>の魔法陣を描く。それを補助し、魔力を送れば、カチャと施錠が解かれた。
「ラオス君、行きますよ。わたしたちがいなくなったことに気がつけば、すぐに追っ手が来るでしょうから、なるべく離れます」
「ああ」
ドアを開き、エミリアとラオスは牢屋の外に出た。
兵士たちに出くわさないように、慎重に進んで行く。
「……といっても、やっぱり、見張りが多いですね……」
物影から様子を窺いながら、エミリアが言う。
『まずは倉庫に戻るとよい』
「わかりました」
エミリアとラオスは、彼女が元来た道を引き返していく。
カシムの案内がないため、途中、何人かの見張りを昏倒せざるを得なかったが、どうにか倉庫まで戻ることができた。
『その場所の地図は出せるか?』
「先程、勇者カシムに見せてもらったものですけど」
エミリアが、エティルトヘーヴェの魔導要塞の地図を出す。
俺はその一点を赤く光らせた。
『インズエルに張られた<封域結界聖>だが、範囲が広大な分、結界にはムラがある。今示した場所は、付近で一番結界が弱い。本来なら、<転移>ができるほどではないが』
「<思念の鐘>で魔法線がつながっているなら、可能ってことですか?」
『ぎりぎりな』
エミリアとラオスが、地図をじっと睨む。
どうその場所へ行くかを考えているのだろう。
『辿り着きさえすれば、救援を送れる。すでに魔王には伝えてあるからな』
まあ、俺だが。
「この場所なら、たぶん、そんなに警備は厳重じゃないはずです……」
「なら、とっとと行こうぜ。ディルヘイドから救援が来たら、レドリアーノやハイネたちと合流して、事情を説明すりゃそれで済む。さっきは、魔法か魔法具で操られてたんだよな?」
「ええ……」
エミリアが不可解そうな表情を浮かべる。
「ですが、いったいいつ強制の魔法を受けたのか……まったく心当たりがありません」
『ふむ。それはこちらで調べておく』
「お願いします」
そう口にすると、エミリアとラオスは倉庫を出て、結界の弱い場所を目指した。
エミリアがこちらへの意識を切ったことで、<思念通信>は途切れた。
「――見ていたのは途中からなんだけど」
<遠隔透視>から視線を外し、振り向けば、そこにレイがいた。
シンとエールドメード、ミサ、エレオノール、ゼシアも集まっている。
「エミリア先生は、カシムと<契約>を交わさなかったかい?」
「なるほど。<契約強制>か」
レイがうなずき、その場にいる者に説明した。
「<契約>と違い、調印したものに強制力を働かせ、契約通りの行為を実行させる魔法だよ」
「<契約>の魔法陣に見せかけていた?」
ミーシャが言うと、サーシャが続いた。
「契約内容もってことよね……? 勇議会を助けるまでは、協力するって内容だったんだし。でも、そもそも<契約>を使ったのはエミリア先生だったわ」
「改竄した?」
「他人の魔法を気がつかれずに改竄なんて、そんなこと……」
サーシャがはっとしたような表情を浮かべる。
「……狂乱神アガンゾンがってこと?」
「ふむ。可能性はあるだろうな。あの男が八神選定者の最後の一人かもしれぬ」
現状では、<思念の鐘>を経由し、エミリアの魔眼を通してしか見られぬからな。狂乱神の秩序も、<契約>に擬装した魔法陣も、その深淵を覗くことはできなかった。
レイとて同じだろう。彼は<契約>の瞬間さえ見ていない。
にもかかわらず、カシムに当たりをつけた。
「なぜカシムの仕業だと思った?」
レイに問うと、彼は答えた。
「そういう人なんだ。カシムは勇者というものを貶めたくて仕方がない」
「どうして? だって、そもそもカシムも勇者なんでしょ?」
不思議そうにサーシャが訊く。
「彼は勇者にはなれなかった。肩書きはあったけれど、彼が望んだものではなかったんだよ。本当は、カシムが霊神人剣に選ばれ、ガイラディーテ魔王討伐軍を率いて、暴虐の魔王と戦うはずだった」
「選ばれずに、嫉妬に狂ったか」
レイがうなずく。
「剣の腕も、勇者の魔法も、当時の僕よりもカシムが上だったよ。彼はそれだけ努力をしていたからね。魔王を討ち、大戦を終わらせる。人々のために、我を捨て、欲を捨て、真の勇者になると彼はよく語っていたよ。誰もがカシムこそ勇者に相応しいと信じていた」
彼は悲しげな表情で言った。
「だけど、霊神人剣は僕を選んだ。その日から段々カシムは変わっていってしまった」
重たい口調で、レイは説明を続ける。
「勇者の評判を貶めることばかりをするようになった。力ない者が勇者をやるなど、ありえないと陰でよく口にしていたらしい。大戦の最中、僕が指揮するガイラディーテ魔王討伐軍でも内紛の種を撒いていたんだ」
「魔族を相手にしておきながら、頭のおかしなことをするものだ」
苦い表情でレイはうなずく。
「結局、ジェルガ先生がそれに気がついた。カシムは白状したよ。勇者など引きずり下ろしてやると言い残し、逃げた。僕と先生は行方を追った。行く先々で彼は、今回のような手口で勇者の悪評を広めていたよ。最後には先生が滅ぼした、はずだったけれどね」
滅ぼしきれなかったか。
「ちょっと待って。じゃ、さっきのエミリア先生のことがカシムの仕業なら、暴虐の魔王を敵だと思わせて、勇議会をバラバラにしようとしたってことよね?」
サーシャが頭に手をやりながら、そう言った。
「恐らく、勇者が人間に友好的な魔族を殺してしまった、というのを見せつけたいんだろうね」
「そんなことして、どうするのよ……? そもそも、もう勇者なんていてもいなくても、同じようなものじゃない。大戦は終わって、わたしたちは敵じゃないんだし」
一瞬、レイは返事に困り、それから言った。
「……そうだね。たぶん、時代が変わっても、カシムは変われなかったんだろう。僕が、彼を狂わせてしまったのかもしれない」
「レイさんのせいじゃ、ないと思いますけど」
ミサが言う。
「少なくとも僕がカシムより強ければ、彼は理不尽を感じることはなかった」
「ふむ。ならば、話は早い」
レイがこちらを向く。
彼と視線を合わせ、俺は言った。
「他の者に手出しはさせぬ。文句が言えぬほど正々堂々打ち負かすがよい。他人の足を引っぱることしかできぬ愚かな男の体に、誰が本当の勇者かを教えてやれ」
レイは、はっきりとうなずく。
「ありがとう」
すると、エレオノールが人差し指をぴっと立てた。
彼女はいつも通りののほほんとした顔で言う。
「んー、途中から来たから全然わからないんだけど、今からなにするんだ?」
「お仕事……ですか……!」
きりっとした表情でゼシアが意気込みを見せる。
「これより、アゼシオン大陸にあるインズエル帝国へ向かう。遺跡都市エティルトヘーヴェ、恐らく、そこにミリティアが残した創星エリアルという魔法具が五つある。俺が失った記憶が封じられているものだ」
「わおっ。知らない間に、急展開だぞっ」
エレオノールがおどけて言う。
「ただし、それを邪魔しようとしている者たちがいるようだ。勇者カシムや魔導王ボミラス、幻名騎士団もそうかもしれぬ。どの者が明確に敵なのか、何人いるかも、今のところ詳しくはわからぬ」
「とにかくインズエルに行って、邪魔する奴らはぶっ飛ばしちゃって、創星エリアルっていうのを手に入れればいいのかな?」
エレオノールがざっくりとした認識で訊いてくる。
「勇議会の人たちを助ける」
ミーシャが淡々と説明した。
「それともう一つ。インズエル直下、地底にあるガングランドの絶壁に、幻名騎士団の潜伏先を発見した。今回の件に関わっている可能性が高い」
「二手に分かれますか?」
シンがそう言った。
「ああ。シン、お前はエールドメードとともに、今すぐガングランドの絶壁に向かえ。そこで幻名騎士団がなにを企んでいたかを突き止めよ」
「御意」
「これまでに得た情報を伝えておく。後ほど確認しておくがよい」
俺はシンとエールドメード、また他の者にも、痕跡の書で見た過去や、ミリティアのメッセージなどを<思念通信>で伝えておいた。
「カカカッ、そういえば生徒たちも呼び出していたようだな」
<転移>の魔法陣を描きながら、エールドメードは言う。
「また面白そうなことが起きそうではないかっ!」
エールドメードが、この場から転移すると、シンもそれを追うように<転移>を使った。
「ねえ……学院の子たちを呼んでどうするのよ……?」
嫌な予感がするといったようにサーシャは訊いた。
「ふむ。教練場に全員集まったようだ。続きはそこで話そう」
そう口にして、<転移>の魔法陣を描く。
俺たちが、デルゾゲードの第二教練場に転移してくると、すでに生徒たちは着席して待っていた。
魔王の呼び出しだ。
遅れてはなるまいと急ぎ駆けつけたのだろう。
「休みのところすまぬな。少々、厄介なことが起きた」
そう口にすると、教室中に緊張が走る。
張りつめた空気の中、生徒の一人が口を開いた。
「……なあ、無性に、嫌な予感がするんだが……」
「……俺もだ、胸騒ぎが止まらないっていうか……」
「……あれだよな……」
「……十中八九あれだろ……」
こそこそと生徒たちは呟く。
「ふむ。察しがついている者もいるようだな。なに、そこまで大事ではない。少々アゼシオン大陸にあるインズエル帝国で面倒事が起きてな。勇議会が、インズエル軍に拘束された。首謀者は二千年前の魔族、魔導王ボミラスと思われる。またガイラディーテ魔王討伐軍の勇者カシムも敵だ」
カシムが勇議会を欺こうとしていること、敵の全容がまだ不明であること、創星エリアルのことなど、簡単に彼らに現況を伝え、俺は言った。
「まずは我々が勇議会を助ける」
生徒たちの顔が曇る。
「そして、この騒動の首謀者を見つけ、捕らえるか、滅ぼす」
生徒たちの顔がますます曇った。
「それと平行して創造神ミリティアが残した創星エリアルを見つける」
彼らに<魔王軍>の魔法線をつなぎ、<思念通信>にてミリティアの魔力の波長を伝えた。
「その魔力の波長と似た魔法具を見つけたならば、回収せよ」
生徒たちは、皆険しい表情で、説明に耳を傾けている。
「ああ、それと俺は行かぬ。現地ではエミリアの指示に従え。朗報を期待しているぞ」
生徒たちの顔がこれ以上ないというほど曇った。
「……来ないって、マジかよ。レイや、サーシャ様がいるにしたってよ……」
「……てか、なんだよ、魔導王ボミラスって……二千年前の魔族で王ってことは、エールドメード先生級ってことだろ……」
「勇者カシムも面倒臭そうだし……勇議会は俺たちのこと敵だって思ってんじゃないのか……?」
「ようやく地底から戻ってきて、平和な生活が戻ってきたと思ったら、今度はアゼシオンの内乱かよ……」
生徒たちが口々にぼやく。
「自信がない者は辞退して構わぬ」
そう言ったが、誰も手を挙げる者はいない。
むしろ、いっそう身が引き締まった。
「……手を挙げた瞬間、人生から辞退させてやろうって奴だろ……」
「わからないぞ。俺が自信つけさせてやる、かもよ?」
「魔王が来られないってことは、もっと面倒なことが起きてるんだろ? シン先生とエールドメード先生もいないし。ってことはだ。辞退した者には特別に更に過酷な実戦に臨んでもらおう、じゃねえか?」
彼らは恐怖に立ち向かう、腹の据わった表情を覗かせた。
「……どんな敵が相手でも……暴虐の魔王よりはマシだっていう話だよな……」
「は、ははっ。大丈夫、大丈夫……俺、こんなこともあろうかと、この一ヶ月死ぬ気で魔法の練習してたんだからよ」
「俺もだ。間違いなくまたあるってわかったからな。予習だよ、予習。死なないための……ははっ……」
生徒たちの半数以上は、やるしかないといった表情を浮かべていた。
なかなかわかってきた者もいるようだ。
「では、エミリアが<転移>の使える場所に行くまでしばし待つ。後は、アノシュが<思念の鐘>を経由してやってくれるだろう。各自、潜入に備えておけ」
俺は<幻影擬態>と<秘匿魔力>の魔法を使い、その場から姿を消した。
「アノシュって、あいつ来てたか――」
「ここにいるぞ」
声をかければ、驚いたように生徒が振り向く。
<逆成長>にて六歳相当の体となり、俺は姿を現していた。
「ま、また隠れてたのかよ……びっくりさせんな……」
「すまぬな」
自分の席に座る。
「アノシュで行くのかい?」
レイが小声で聞いてきた。
「エミリアの手前もあることだ。敵も油断するかもしれぬ」
すると、彼は俺に<根源擬装>の魔法をかけ、その根源が魔王のものとわからぬように変えた。
生徒たちは各自、魔剣や魔法具などを取り出し、戦闘準備を行っている。
エミリアがその場所に到着するまで、もうまもなくだった。
生徒たちの受難は続く……




