もしも世界が平和なら
痕跡の書の効果が切れ、再び過去は姿を消した。
しかし皆、すぐに口を開くことなく、ただ重たい表情を浮かべていた。
俺の出生が、あまりに凄惨だったからだろう。
「そう暗くなるな。二千年前にはよくあることだ。むしろ、無事に産まれた分だけ、俺は運がよかった」
先程の過去で見た母の顔を思い浮かべる。
「初めて顔を見たが、母に感謝せねばならぬな」
すると、ミーシャが言った。
「アノスは意識があった?」
「母の遺体から産まれた覚えはある。最悪の気分だったからな」
今でも、そのときの不快感は思い出せる。
「しかし、さすがの俺も生まれたてではな。母を守ったのは防衛本能だろう。記憶はない。あそこにセリスがいたかどうかも覚えておらぬ」
「でも、今見た過去って、改竄されてるかもしれないのよね?」
サーシャの問いに、俺はうなずく。
「可能性はいくつかある。たとえば、団長と呼ばれた男が、本当はセリスではない何者かだった。そして、その男に、過去を改竄したセリスが成り代わっていた。口調の違いは、過去に辻褄を合わせるためだったのかもしれぬ」
普段のセリスの口調では、一番が違和感を覚えるだろう。
外見は違うが、まあ、幻名騎士団は正体を隠していたからな。
別人の顔をしていたところで、さほど問題にせぬ可能性もある。
「お兄ちゃんの父親は別にいて、しかし、それを自分だと思わせるために、セリスは団長に成り代わったのだろうか」
アルカナが言った。
「それが一番妥当だが、しかし疑問が残るな」
すると、ミーシャが小首をかしげる。
「わかりやすい?」
「ああ。過去を隠したかったにしては、少々稚拙なやり方だ。それでは自分が父親ではないと言っているようなものだからな」
うーん、とサーシャが考え込む。
「本当の父親を隠したと思わせて、別のものを隠したとかかしら?」
「あり得る。しかし、それがなんなのかは、今のところ見当がつかぬ」
俺の誕生に関わることなのか。
それとも、まったく別のことか。
「二千年前の魔族の存在を消して成り代わるのは相当な力を要する。俺の父親はセリスで、しかし過去を改竄して口調だけを変えているといった可能性もある」
「その場合は、なんのためにだろう?」
アルカナが疑問を浮かべる。
「過去を見た俺が、父親がセリスとは別にいるかもしれぬ、と思うからだ」
「でも、そんなこと思わせてなにか意味があるかしら?」
サーシャが問う。
「さて、仕掛けの一つだろうからな。たとえば、いもしない父親を俺に探させることで、罠にはめようとしたといったことも考えられよう」
「それは、ありそうだわ……」
うんざりした様子で彼女は言った。
「あるいは、セリスについてはあれが真実なのかもしれぬ。かつての奴はああいう性格で、そして代行者となったことで心が失われ、今の奴となった」
「改竄はできなかった?」
ミーシャが言う。
「ああ。奴とて大きく過去を改竄することは不可能だった。だが、改竄したと思わせることはできる。ただ俺たちが疑心暗鬼に駆られることが狙いだった、といったことも考えられよう」
「でも、わたしたちが今の過去を見るとは限らないわよね」
サーシャの言葉に、俺はうなずく。
「まあ、なにも改竄していないという可能性は低いだろうがな」
「セリスについては、改竄されていないとする。しかし、他の部分の改竄は、可能だったとすればどうだろうか?」
アルカナがそう質問する。
「過去はなにかが改竄された。いったい、なにを改竄したのだろう?」
セリスについてなにかを改竄し、隠した。そう考えるのだが妥当だが、確かに他のものを隠したかったといった可能性もあるだろう。
「ふむ。今見た過去で、俺が知っている者は二人だ。一人はアベルニユー。母は人間に殺されたものと思っていた。奴の仕業だというのは記憶にない」
「……彼女は、魔王城の?」
ミーシャが問う。
「ああ。そのアベルニユーだ。今は魔王城となった、な。しかし、金髪の少女で顕現した姿は初めて見たな。俺の記憶にあるのは、<破滅の太陽>と、それが生み出す影のような神の姿だ」
「うーんと、破壊神に聞けば、そのときのことってわかるのかしら?」
「わかるだろうが、復活させるわけにはいかぬ。それこそ、至るところで滅びが増える要因となろう」
「……あ、そっか。そういえば、そうよね……」
サーシャは馬鹿なことを言ってしまったといった顔で俯く。
「もう一人は?」
ミーシャが問う。
「一番だ。あれは冥王イージェスだな」
「えっ……!?」
サーシャが驚いたような声を発する。
「本当に? だって、冥王って悪い人とまでは言わないけど、薄情っていうか。一番は今見た過去じゃ、唯一まともそうな人だったわ。確かに顔はちょっと似てる気はするけど、<幻影擬態>でちゃんと見えなかったし、眼帯もしてなかったわよね?」
よほど信じられないのか、サーシャは怪訝そうな表情を浮かべている。
「改竄された可能性がないわけではないが、まあ、立場が変われば人も変わるものだ。戦いに身を投じれば、考えも変わる。あれがまだ若き日の冥王だったとして、俺には違和感がないがな」
うーん、とサーシャは考え込んでいる。
今の冥王と一番がつながらないのだろう。
「とりあえず、なにが改竄されたかわからないから、もっと過去を見てみる?」
「そうしたいところだが、今日はこれ以上見られまい」
そう口にすると、ゴルロアナはうなずいた。
「申し訳ございません。痕跡神なき今、痕跡の書に残された力も少なく、これだけ遠い過去を遡るのは二回が限度。過去が増える毎に、すなわち時間が経つ毎に痕跡の書の力は回復しますが、次に過去が見られるまでに一週間は必要でしょう」
「……一週間なんて、待ってられないわよね……エウゴ・ラ・ラヴィアズを呼び出して、<時神の大鎌>を奪うとかは?」
サーシャが言う。
「少し前に試したが、一度、俺に奪われたからか、奴らは現れても、<時神の大鎌>を持ってこなくなってな」
時の秩序を守るための番神だからな。
それを乱さぬようにするのは当然と言えば当然だ。
「それじゃ、ヴィアフレアはいなくなっちゃったし、過去は見られないし、ミリティアのことって他に調べようがないってこと?」
「イージェスを捜す?」
サーシャとミーシャが言う。
「ふむ。ヴィアフレアも一緒にいることだしな。少なくとも、今さっき見た過去のどこが改竄されているかは知っているだろうが、しかし奴とて事情があるようだからな。素直に話すかはわからぬ」
とはいえ、他に手がかりもない、か。
いや――
「ゴルロアナ。エーベラストアンゼッタの石碑の間に記された秘匿文字は知っているな?」
ゴルロアナはうなずく。
「あれが、どの神が記したものかわかるか?」
「いえ……。古神文字ということまではわかりましたが、神以外には伝えてはならない文ということで、痕跡神はそれに関することを秘匿されました」
「なら、今から、エーベラストアンゼッタまでともに来てくれるか? 痕跡の書が必要になるかもしれぬ」
「わかりました」
一旦、竜鳴が響く牢獄から出ると、俺たちは<転移>の魔法陣を描く。
それを見送ろうとした司教ミラノが、なにかに気がついたように声を上げた。
「お待ちください。アガハの剣帝ディードリッヒ様より、<思念通信>が届いております」
竜鳴が至るところで響く地底では、<思念通信>をつなげるために、魔法具にて常時専用の魔法線を引いている。アガハとジオルダルで魔法線が引かれたのは、つい最近のことだ。
「つないでください」
ゴルロアナが言うと、<思念通信>がつながった。
「どうしました?」
すると、ディードリッヒの声が響く。
『急な通信ですまぬな、教皇。今しがたちらりと見えた未来に、幻名騎士団の姿があったのだ。奴らの潜伏先らしきものを発見した。魔王にもこれから伝えるところだ』
ナフタの神眼は、すべての未来を映すことはなくなったが、しかし、それでも朧気に見える未来がある。
「俺ならば、ここにいる」
『そいつは、ちょうどいい。地底に、ガングランドの絶壁というものがあるのだが、早い話、天蓋から一続きになっている巨大な壁でな。どうも、そこに洞窟を作り、幻名騎士団の連中が潜んでいるようなのだ』
「イージェスかカイヒラムの姿はあったか?」
『そこまではわからなかった。例の全身甲冑を着ている連中が、ガングランドに空いた穴に入っていくのを見ただけだ』
セリスが滅んだ今、幻名騎士団になんの目的があるのかはわからぬ。
だが、居場所をつかんだ以上は捨ておくわけにもいくまい。
「その場は探る必要があろう。しかし、こちらも先に調べておきたいことがあってな。しばし、待つがよい」
『そうか。そいつは多忙のところ、すまなかったな』
ディードリッヒの会話を打ち切り、俺たちは魔法陣に魔力を込める。
<転移>の魔法を使えば、視界が真っ白に染まった。
次の瞬間、夥しい数の石碑が目に映った。
今日は学府の生徒の姿は見当たらぬようだ。
まっすぐ壁へ歩いていき、そこへ手を触れる。
ぱっと光が放たれれば、壁面に文字が浮かんだ。
「――そこは無限の夜、永遠の無――」
他の者にもわかるよう、俺は改めてその文章を口に出して読んでいく。
――遙か地底に、神の城が生まれた――
――始まりなき夜を、せめて優しく照らせるように――
――地上に日は昇らず、滅びは訪れない――
――生命は生まれず、世界は止まる――
――大切なのは秩序か、人か――
――答えは、あなたが知っている――
「あなただけが、知っている」
皆、その意味を考えるように黙り込む。
「アルカナの話では、ミリティアは俺が地底へ来ることを予想していた。なら、この文字は彼女が俺へ宛てたメッセージとも読める」
大切なのは秩序か、人か。
神のみが読み解くことのできる古神文字にしては、妙な言い回しだ。
一般的な神族ならば、秩序が大切だと口にするだろう。
わざわざ記すまでもないことだ。
「ゴルロアナ。どんな些細な痕跡でも構わぬ。なにか探れぬか?」
「……あまり力は残っておりませんが……できるだけ、やってみましょう……」
ゴルロアナが痕跡の書を開く。
「過去は痕跡となり、我が神の遺した書物に刻まれる。おお、これこそは偉大なる痕跡神の奇跡。この書に刻まれし過去を遡らん。痕跡の書、第二楽章<痕跡遡航>」
すると、最後の文章の下に、新たな文字が刻まれた。
――光を――
と、書いてある。
ミリティアが俺に宛てたものならば、なんの光かは考えるまでもない。
「アルカナ」
彼女はこくりとうなずき、両手を掲げた。
「夜が来たりて、昼は過ぎ去り、月は昇りて、日は沈む」
エーベラストアンゼッタの外に、<創造の月>アーティエルトノアが浮かぶ。
その光は建物を透過して、壁面を照らした。
すると、そこに新たな文字が浮かび上がっていく。
――平和のために、必要となったなら――
――あなたが忘れた過去を、創星エリアルに封じ込めておいた――
――西の帝国インズエル、その遺跡の中に――
――エリアルは五つ星――
――狂乱神アガンゾンによる、改竄に気をつけて――
――だけど、信じてほしい――
――もしも世界が平和なら、その過去を求めることはないように――
――それは、もう、終わったことだから――
ミリティアが残した、記憶の手がかりは五つ。
【書籍化情報】
書籍発売まで残り19日なのですっ。
予約も始まっております。
いよいよ20日を切りまして、豆腐メンタルの私は
不安で夜しか眠れない日々が続いております。
食欲もなく、一日三食しか食べられないのですよ(笑)