魔王誕生
魔力を帯びた土壌を持ち、魔法具の原料が採掘されるエドナス山脈。
その中腹から山頂にかけて山砦が築かれている。
ツェイロン家の集落があるのだ。
ツェイロンの血統は、多くが山に引きこもっている。他の魔族との交流は薄く、その禍々しい外見や、能力に反して、比較的、穏やかな性格の者が多い。
セリス以下幻名騎士団たちは、<幻影擬態>と<秘匿魔力>の魔法を駆使し、張り巡らされた結界や魔眼から身を潜めながら、山頂にある女王の集落へと山を駆け上がっていく。
その途中、見張りの兵が数人、警戒の目を光らせていた。
人間だ。
勇者グラハムの言った通り、この山脈はすでに人間たちに占領されてしまっているのだろう。
<幻影擬態>と<秘匿魔力>で身を潜めながらも、油断はせず、幻名騎士団たちは物影に隠れつつ、兵たちに接近していく。
セリスが指先で合図を送ると、音もなく人間たちの背後をとった一番、二番、三番が、手にした剣で、その喉もとをかっきった。
根源殺しの魔剣で不意をつかれ、なす術もなく、人間の兵は滅んだ。
『二番、完了』
敵を滅ぼした合図か、淡々と二番が<思念通信>にて告げる。
『三番、完了』
『一番、完了』
更に二人が続く。
障害が排除されると、彼らはまた音もなく、山脈を登っていった。
見張りの人間たちは、敵がそこにいることすら気がつかないまま、一人、また一人と滅び、数を減らしていく。
幻名騎士団がエドナス山脈に到着してから、僅か一〇分。
見張りの兵は全滅していた。
設けられた砦を突破し、彼らは女王の集落に近づいていく。
やがて、喧騒が幻名騎士団たちの耳に届いた。
「おらあ、どうしたよっ! なんとか言ってみなっ!!」
集落の広場だった。
多くの兵がそこに集まっている。
兵士に蹴り飛ばされ、地面に転がったのは魔族の女だ。
名はルナ。亜麻色の髪を持ち、お腹が膨らんでいる。
身重の体なのだろう。
蹴られた瞬間も、しかし彼女はそのお腹を庇っていた。
「……お願い……この子が、産まれるまで……それまで、待って」
すがるようにルナは言う。
「……その後は、好きにしてくれて構わないわ……」
彼女の言葉に、人間たちは暗い視線を返してきた。
「なあ、お前は知ってるか?」
ねっとりと耳に張りつくような言葉。
「ダーナっていう小さな人間の村落をよ」
憎悪が彼の口からこぼれ落ちる。
「……なあ?」
彼女は首を振る。
その瞬間、魔力を込めた足で男はお腹を蹴飛ばした。
「お前ら魔族が焼いた人間の村だよっ! 俺の子がいた。娘が二人、息子が一人。産まれるまで待て? だったらよぉっ!!」
男はルナの顔面を殴りつける。
「俺の子を生き返らしてみろっ! 今すぐっ! 今すぐだっ! やるだけやっておいて、都合のいいこと抜かしてんじゃねえぞっ!!」
彼女を取り囲む、いくつもの憎悪の目が、その体を射抜くように睨んでいた。
「不用意ね、魔族の子」
ひどく異質な声だった。
口にしたのは兵たちの後ろにいた、金髪の少女である。
椅子に腰かけたような姿勢のまま<飛行>の魔法で宙に座っている。
全身から発せられる魔力は桁違いで、人間のそれとは明らかに違った。
「ここにいる人間たちは皆、魔族に子を奪われた者ばかり。さっきの言葉は、火に油を注いだだけだわ」
ルナは、その金髪の少女を見た。
険しい表情で、彼女は言う。
「……あなたは、人間じゃないわね……」
「破壊神アベルニユーと呼ばれているわ。どうぞ、お見知りおきを」
ふっとアベルニユーは微笑した。
「そうは言っても、あなたはすぐに滅びてしまうのだけれど」
その神の言葉が合図とばかりに、兵士たちが聖剣を抜いた。
神々しい魔力が発せられたそれは、どれも魔族を殺すための聖なる力を宿している。
「なあ、面白いことを思いついたよ」
人間の兵が、憎悪に染まった顔で言った。
「この聖なる剣で、あんたのお腹の中にいる邪悪な魔族の子を殺してやるよ。あんたを生かしたままな」
逃げ出す隙を窺っていたルナは、勢いよく立ち上がり、走った。
しかし、兵士たちに回り込まれ、囲まれてしまった。
「あんたたち魔族がやったのと同じように、苦しめ、我が子の無念を晴らす。その身に、正義というものをとくと思い知らせてやる」
我が子を守ろうとする母親と、そのお腹を刺し、赤子を殺そうとする彼ら。果たしてどちらが邪悪なのか。それを考えようとする頭がないほどに、彼らは復讐に突き動かされていた。
『団長』
様子を見ていた一番がたまらず、<思念通信>を発した。
『団長、奥方様が……。今なら助けられます』
しかし、セリスは答えなかった。
『このまま黙って見ている気ですかっ!?』
『……妙な話だ。生かしておいたルナをなぜこのタイミングで滅ぼす? 我々がここに潜んでいるのを知っているように思えるが……』
『復讐に駆られた者に道理など通じますまいっ!』
『果たしてそうか? その復讐心を煽った者がいなかったか』
セリスは、ただ冷静にその場の状況を分析する。
破壊神アベルニユーに魔眼を向け、その深淵を覗く。
『あいつは、滅ぼしたはずだがな』
『今そんなことを言っている場合ではないでしょう。助けなければっ。あなたがやらないのならば、私が』
セリスは集落の建物に視線をやった。
『二番、三番、一番を取り押さえておけ。ルナを囮に、敵の出方を窺う。あれも私の妻だ。弁えている』
『な……』
すぐさま、一番は二人の幻名騎士に取り押さえられた。
『師よ。あなたには、血も涙もないのですかっ……』
一番の言葉を気にも留めず、セリスは言った。
『他の者は続け。奴らが気がつかないフリをしているのならば、先に建物の中を探る。ツェイロン家の者が生きているなら、解放し、戦闘に参加させるのがいいだろう』
セリスはその場を素通りし、ツェイロン家の女王が使っていた屋敷を目指した。
魔法の仕掛けを解除し、中に入る。
血の匂いが充満していた。
生き物の気配はない。人間もいなかった。
だが、魔力が溢れる場所がある。
セリスと幻名騎士団たちは慎重に歩を進め、その部屋に辿り着いた。
静かにドアを開ける。
『…………』
これまで顔色一つ変えなかった幻名騎士団たちが、眉をひそめた。
首のない遺体が、ずらりと並んでいるのだ。
すでに根源はなく、滅びて久しい。
ツェイロンの血統には元々首がない。
普段ついている首は人間から奪ったものだ。
遺体に首がないのは、むしろ自然だが、しかし、そこには人間の遺体も含まれていた。
そして、その人間の体からも、やはり首がなくなっているのだ。
「……ツェイロン家の者が、人間の首を刈った……というわけでは、なさそうですね……」
四番が言う。
「だとすれば、ここを占領した人間が、遺体を放ってはおくまい」
セリスはその部屋に視線を向ける。
様々な魔法具と、壁や床、天井に描かれた魔法陣があった。
ツェイロン家の魔族の遺体は、どれも腹が破られている。
「まるで内側から食い破られたようだな……」
その傷痕に手を触れる。
魔法陣の残滓が僅かに残っているのが見えた。
「魔法研究でもしていたか?」
セリスは部屋の奥へ進む。
そこに、ツェイロン家の女王の遺体があった。
魔族のもので彼女の遺体だけは、腹が破れてはいなかった。
「ぐ、ぎゃあああああああああああああああああああぁぁぁぁぁっっっ……!!」
悲鳴が轟いた。人間のものだ。
セリスの合図で、幻名騎士団たちはその屋敷から出て、先程の広場へ魔眼を向ける。
兵士が一人、黒い炎に焼かれていた。
「……おの、れぇ……邪悪な魔族めがぁぁっ……!!」
男は反魔法にて黒き炎を振り払うと、一足飛びでルナに接近し、その聖剣を膨らんだ腹に突き刺した。
ビキビキッと、聖剣にヒビが入った。
「……な……ぎゃああああああああぁぁぁぁっ……!!」
ルナの腹の中から、膨大な魔力が溢れ出し、聖剣をバキンッとへし折る。
漆黒の炎が、人間を焼いた。
「……アノス……」
ルナが呟く。
彼女は散々兵士たちにいたぶられたか、全身から血を流している。
ゆえに、怒ったのかもしれない。
「……馬鹿な……この女のどこにこんな魔力が……」
「……赤ん坊だ……」
まるで恐ろしいものを見たかのように、兵士の一人が言った。
「今、炎が見える前に、胎動が聞こえた、魔力が見えた……腹の中にいる魔族が、魔法を使っているんだ……」
「馬鹿なっ!! 赤子どころか、まだ生まれてさえおらぬっ! その状態ですでに聖剣を折り、我らを焼くほどの力だというのか……!?」
ディルヘイドに送り込まれた兵士は、選りすぐりの精鋭。
人間の中でも、トップクラスの者たちばかりだ。
それだけに、彼らの驚愕は計り知れない。
「……もし、本当にそうなら、成長すれば、どれほどの……」
ごくりと唾を飲む音が聞こえる。
そこにいた戦士たちの目が据わった。
「決して産ませてはならない。あの女の腹にいるのは、世界を戦火に飲み込む、邪悪の化身……」
「世界の平和のため、命に代えてもここで滅ぼす」
「行くぞぉぉぉっ!! 殺せぇぇっ!! 世界のためにっ!! 正義のためにっ!!」
一斉に襲いかかる人間たち。
手にした聖なる刃を、目映く煌めかせた。
次の瞬間――
どくん、と胎動が響く。
そうして、彼らは一斉に漆黒の炎に飲まれた。
「なんだ、この炎は、消せぬっ……馬鹿なっ、魔族の力を封じる結界がまるで役に立たないというのかっ……!?」
「ありえない、なんだ、このっ……この禍々しい力は、なんなのだぁぁっ!?」
「「「ぐああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁ……っっっ!!!」」」
瞬く間に、その場にいた人間たちは皆、灰へと変わった。
「ふうん。ヴォルディゴードの血統、だったかしら?」
死んだ人間にはさして関心もなさそうに、破壊神アベルニユーは言う。
「滅びが近くなったことで、魔力が増したのね」
その真紅の神眼がルナへと向けられる。
すると、彼女の前に漆黒の炎が現れ、壁のように立ち塞がる。
まるで母を守るかのように。
けれども、その神眼は炎を容易く滅ぼす。
次から次へと炎が出現するが、そのすべてが瞬く間に消えていった。
「……アノス……」
ルナが呟く。
「いいのよ……いいの……あなたは産まれることだけに力を使って……お母さんが必ず、産んであげるから……」
「ねえ」
アベルニユーは言った。
「あなたは滅ぶわ。その子も。破壊神の眼前ではすべてが等しく滅びるの」
漆黒の炎がすべて消えた瞬間、ルナは破壊神へ向かって駆けた。
彼女はアノスのために供給する魔力を維持しつつも、自らの根源を削って、魔力をかき集める。
その周囲に暗闇が広がり始めた。
「<真闇墓地>」
光の一切届かない暗黒がそこに訪れる。
匂いも、音も、魔眼さえも届かぬ、完全なる暗闇だった。
「残念ね」
暗闇の中、確かにアベルニユーはその視線をルナに向けた。
「すべてが等しく滅びると言ったはずだわ」
その神眼が真紅に煌めいた瞬間、ルナの腹が視線に斬り裂かれた。
「……ぁ…………」
がっくり、と膝をつき、彼女は倒れる。
それでもお腹を守るように手をやって。
「あなた……後は……」
アベルニユーの神眼によって、<真闇墓地>の闇が晴れていく。
だが、彼女の背後にだけ、真っ暗な暗黒が残されていた。
その暗雲から雷が落ちるが如く、紫電が疾走し、ガウドゲィモンがアベルニユーの心臓に突き刺さった。
「<波身蓋然顕現>」
一つの球体魔法陣、そして可能性の球体魔法陣を九つ、セリスはアベルニユーの体内に描いた。
「<波身蓋然顕現>」
ジジジ、と激しい紫電が破壊神の体内で荒れ狂う。
その根源めがけて、セリスはありったけの滅びの魔法をぶつけた。
「<滅尽十紫電界雷剣>」
膨大な紫電が破壊神の体を、その根源を消滅させていく。
「破壊を司る神は滅びないわ。わたしはすでに滅びているの」
膨張し、星のように瞬く紫電がその少女の体から幾本も放たれたかと思うと、次の瞬間、その姿が跡形もなく滅尽した。
世界の色が紫から元に戻り、静寂がそこに訪れる。
アベルニユーが蘇る気配はない。
少なくとも、今、この場においては。
それを冷静に確認した後、セリスは倒れているルナのもとへゆるりと歩いていった。
「あなた……」
彼女は息も絶え絶えに言葉をこぼす。
破壊神の神眼にやられた根源は、癒やせないだろう。
その姿を、セリスはただ無言で見つめた。
「……なにか、言うことはないのですかっ?」
一番が、彼のもとへ歩いてくる。
「最後に、なにか言ってあげてくださいっ! 師よっ! 滅びゆく者にぐらい、せめて情けをっ!」
セリスは言った。
「亡霊の妻に、それは望んでなったのだ」
一番は、落胆と怒りがいり混ざったような表情で、セリスを睨んだ。
「いいのよ、一番。わたしは幸せだった」
「……しかし、奥方様……それではあまりに……」
ゆっくりとルナは首を振る。
「滅びの根源がね、ヴォルディゴードの血統……産まれるのは、それに反しているの……だからね、なにかが代わりに、死ななきゃならないの……ヴォルディゴードの妻となった者の宿命なのよ……」
一番は、かける言葉も見つからず、ただルナを見ていた。
彼女はもう長くはない。その深淵を覗けば、一目でわかった。
「……滅びる母胎が……アノスには一番……。これでいいの」
涙を流しながら、ルナはそれでも嬉しそうに笑った。
「……ありがとう……」
それは、誰に対する感謝だったのか。
ゆっくりとその根源は滅びていき、そうして彼女は目を閉じる。
「……アノス。生きて、誰よりも強い子になって……お父さんを、助けてあげてね……」
斬り裂かれたお腹に手をやりながら、ルナは息絶えた。
名もなき騎士たちがその姿を看取る中、産声を上げるように、黒き炎が轟々と立ち上る。
母の手を、赤子の手が力強くつかむ。
滅びとともに、この世に産み落とされた。
大きな母の愛を受けて。
それが、魔王アノス・ヴォルディゴード誕生の瞬間だった。
彼は生まれた。母の死と引き換えに。