彷徨い歩く亡霊
ジオルダル首都ジオルヘイゼ。
その大聖堂の前に、俺たちは空から降下してきた。
地底へは直接、転移することができないため、ミッドヘイズより東にあるレデノル平原に転移した後、地底を掘り進めて、ジオルダルまで飛んできたのだ。
出迎えてくれたのは、司教ミラノだ。
彼には事前に、<思念通信>にて用件を伝えてあった。
彼に案内され向かった先は、聖歌祭殿である。
その厳かな大正門にミラノは手を触れた。
「ゴルロアナ様、魔王アノス様をお通しいたしました」
ミラノがそう言うと、ゆっくりと大正門が開いた。
中から現れたのは、中性的な顔立ちの男、教皇ゴルロアナである。
「祈祷の最中にすまぬな」
「いいえ。ヴィアフレアに訊きたいことがあるということでしたね」
「それと、痕跡の書の力を借りたい」
ゴルロアナはうなずいた。
「まずは、牢獄へ参りましょうか」
ゴルロアナの後に続き、俺たちは大聖堂を歩いていく。
やがて、地下へと続く階段が見えてきて、竜鳴が響き出す。
ゴルロアナはその階段を下りた。
「奴の様子はどうだ?」
「……正気を手放してしまったのでしょう。セリスの首を抱えて、一日中、譫言のように何事かを呟いていました。私も何度か話しかけてはみたのですが、まるで返事をしようといたしません」
「うーん、それじゃ、セリスの話なんて聞けそうにないわね」
サーシャが困ったように言う。
「なに、正気を取り戻してやればいいのだろう。簡単なことだ」
「……セリスの首を奪うとか? 話に応じれば、返してやるって言うとか?」
すると、ミラノが言った。
「それも試しましたが、狂ったように返せと叫ぶばかりでまるで話になりませんでした。天蓋を落とそうとした罪を償っていただこうにも、あの様子ではなんとも。彼女はただそのセリスという男に良いように操られていただけなのかもしれませんな」
「ふむ。哀れなものだ」
ゴルロアナが一際頑丈そうな扉の前で足を止める。
「この奥です」
彼が魔法陣を描けば、ゆっくりとその扉が開いていく。
先導するゴルロアナの後ろに続き、俺たちは部屋の中へ入った。
「え……?」
サーシャが驚いたように声を漏らす。
ミーシャは、ぱちぱちと瞬きをした。
室内の半分は檻となっており、その中には一塊の灰だけが残されている。
ヴィアフレアの姿も、セリスの首もない。
「これはいったい……? そんなはずは……」
司教ミラノが狼狽したように、牢獄へ魔眼を向ける。
「今朝、確認させたときにはいつも通りだったという報告を受けております……。それに、覇竜の力を失ったヴィアフレアには、ここから抜け出す手段はないはず」
ジオルダル大聖堂には、神父や聖騎士たちが常駐している。
牢屋を破ったとしても外に出るのは至難だろう。
「……確認させた信徒は怪しくないのだろうか?」
アルカナが問う。もっともな考えだ。
「皆生粋のジオルダル教徒ばかりですし、この牢獄の鍵は私とゴルロアナ様以外は持っておりませぬ。力尽くで開けられるような者がいるとは……?」
檻には魔法陣がいくつも描かれている。
それが結界を構築し、牢屋の中と外を遮断しているのだ。
「牢を破るのは不可能とは言えぬ。誰かが助けに来たのだろう」
俺が言うと、ミーシャが小首をかしげた。
「誰……?」
「そう、よね。禁兵たちには体に覇竜が巣くっていたのを教えたし、正直、ヴィアフレアの味方をしそうな人なんていないと思うわ……」
檻の中に俺は魔眼を向けた。
「ゴルロアナ、ここでなにが起きたか。過去の痕跡を調べられるか?」
「痕跡神なき今、痕跡の書の力は限定されています。調べたい過去の痕跡とのつながりが特定できれば、それを辿り、過去の事象を再現できると思います」
「ふむ。ならば容易い」
俺は鉄格子と鉄格子の間の空間を指す。
「この一点に、空間が一度歪み、戻った跡がある。ヴィアフレアを助け出すために、何らかの魔力が働いた、と考えられよう」
「承知しました」
ゴルロアナは魔法陣から痕跡の書を取り出すと、俺が指した一点を睨み、それを厳かに開く。
「過去は痕跡となり、我が神の遺した書物に刻まれる。おお、これこそは偉大なる痕跡神の奇跡。この書に刻まれし過去を遡らん。痕跡の書、第二楽章<痕跡遡航>」
檻の中にうっすらとヴィアフレアの姿が浮かぶ。彼女はその胸にセリスの首を抱えたまま、ぶつぶつと呟いている。
痕跡の書が映す、この牢獄の過去だ。
隅には、首のないセリスの遺体が現れる。
魔法で鮮度を保っているのだろう。
「……迎えにくる……彼は、必ず……迎えに来る……」
彼女の目は平常のものとは言い難く、ただ一つの考えに囚われていた。
はたから見れば、まるで狂ってしまったかのようだ。
「そうまでなっても、まだ愛を欲するか。相も変わらず、哀れな女よ」
ヴィアフレアがはっとこちらを振り向く。
檻を挟んで反対側に黒い靄が現れていた。
徐々に靄は人型を象っていき、そこに六本の角を生やした魔族と、大きな眼帯をつけた魔族が現れた。
詛王カイヒラムと冥王イージェスである。
イージェスは紅血魔槍ディヒッドアテムを無造作に檻へと突きだした。
穂先は消え、それはヴィアフレアに突き刺さる。
「……う、ぁっ……!」
傷はない。異空間に彼女がセリスの首ごと飲み込まれれば、次の瞬間、ヴィアフレアは檻の外に姿を現していた。
「……迎えに……来たの……?」
恐る恐るといった風に、ヴィアフレアが尋ねる。
「ボルディノスが呼んでいるのね? そうでしょっ?」
「ボルディノスは、もうおりはせん」
冥王ははっきりと断言した。
「そんなことないわ。彼は必ず帰ってくる、そう約束したもの」
「世には果たせぬ約束もある。帰らぬ者を待ち続けるなど愚かなことよ。死した者など早々に忘れ、新しい生を生きるがよい」
ヴィアフレアは首を左右に振った。
「また会おうって言ったんだもの。ボルディノスはね、わたしにだけは嘘はつかないのよ」
冥王はため息を一つつく。
鋭いその隻眼が僅かに和らいだように思えた。
「今を生きられぬ亡霊が、彷徨い歩くこの世はままならん」
カイヒラムがヴィアフレアを黒い靄で包み込むと、その姿をすっと消した。
同時にその靄は、詛王と冥王、二人の足元を覆い始めた。
「カイヒラム。そなたはここまででよい」
イージェスは、真紅の槍で再び檻の中を貫く。
そこに横たわっていたセリスの体に穂先が刺さると、<魔炎>がそれを燃やし、灰に変えていく。
「亡霊は亡霊とともに、過去に消えるものよ」
冥王の言葉に、しかし、カイヒラムは傲慢な顔を返した。
「黙れ。俺様は貴様に借りを返していないぞ」
イージェスの間近まで接近すると、その顔を指さし、カイヒラムは押しつけるような口調で言う。
「地獄の果てまででも追いかけ、返済すると言ったはずだ」
冥王は一瞬閉口する。
そうして、ぼやくように言ったのだ。
「どいつもこいつも、余の周りは自分勝手な馬鹿共ばかりよ」
黒い靄が二人を包み込んでいく。
そうかと思えば、二人の姿が、ノイズが混じったかのようにブレ、忽然と消えた。
痕跡の書の効力が途絶えたのだ。
「痕跡を遡れるのは、ここまでのようです」
ゴルロアナが言う。
すぐさま、司教ミラノが俺と教皇に頭を下げた。
「ま、誠に申し訳ございません。警備は万全の体勢を敷いていたはずだったのですが、まるで侵入者に気がつくことができませんでした」
「咎めはしません。元々、ヴィアフレアを助けようとする者がいるとは思っておりませんでしたし」
ゴルロアナが言う。
ヴィアフレアを逃がしたところで、大した痛手にはならぬだろうしな。
「魔王には申し訳が立ちませんが……」
「なに、詛王と冥王が相手では、気がついていようと死人が増えただけだ」
すると、恐縮したようにミラノが再び頭を下げた。
「でも、なんで冥王がヴィアフレアを助けたのかしら?」
サーシャが不思議そうな顔で考え込む。
「さて。奴には奴の目的があるようだがな」
俺は檻に手をかざし、そこに張られた結界を解除した。
鉄格子の扉を<解錠>で開けて中へ入る。
「ゴルロアナ、ついでにもう一つ痕跡を遡ってもらえるか?」
俺は足元にある灰を見つめる。
「これは、セリスの痕跡だ。奴の二千年前が見たい」
「今から遠ざかれば遠ざかるほど、痕跡の対象がぼやけることになるでしょう。セリス以外の者に焦点が合うかもしれませんし、正確にいつの時点と定めて遡ることもできません」
「構わぬ」
ゴルロアナはうなずき、再び痕跡の書を開いた。
「過去は痕跡となり、我が神の遺した書物に刻まれる。おお、これこそは偉大なる痕跡神の奇跡。この書に刻まれし過去を遡らん。痕跡の書、第二楽章<痕跡遡航>」
痕跡の書が光り輝いたかと思うと、目の前の牢獄に覆い被さるように、別の景色が流れていく。
俺たちの前に、過去が姿を現していた――
果たして、なにが見えるのか――