ピクニックときどき親孝行
その日は、休みだった。
天蓋の落下に伴う被害の後始末や、地底の国々との交渉もようやく一段落がつき、久しぶりに俺は自室でのんびり過ごしていた。
コンコン、とドアをノックする音が響く。
「お兄ちゃん?」
ドアを開け、アルカナが入ってくる。
「父と母が出かけると言っている」
「ふむ。聞いてないが」
そう口にしながら、俺はアルカナとともに自室を後にし、一階へ下りた。
そこに、大きなバスケットを抱えた母さんと、背中に大きな籠を背負った父さんが待っていた。籠には大量の剣が入っている。新品だ。
「おっ、来たな、アノス。じゃ、行くか!」
事情を説明しようとすらせず、父さんはいきなり出発しようとする。
「父さん。どこに行くんだ?」
「そりゃお前、見ろよ。この天気」
父さんが窓の外を指す。
雲一つない快晴であった。
「絶好のピクニック日和ってやつだろ。アノスもせっかくの休日だからな。店は休みにして、一家団欒、みんなで自然と戯れようってもんだ」
「自然と戯れるのはいいが」
父さんの背負っている大量の剣に、視線を向ける。
出来映えからして、すべて父さんが作ったものに違いない。
「なぜ剣を?」
ふっと父さんは笑い、待ってましたとばかりに言った。
「父さんが、なぜ剣を背負ってピクニックに行くのか。気になるか、アノス」
「ああ」
「それはな」
父さんはくるりと横顔を見せると、熟年の鍛治師の如く、渋さを前面に押し出した表情を作った。
「お前にも、そろそろ父さんの背中ってやつを見せておこうと思ってな」
さりげなく父さんは背中をこちらへ向けてくる。
大した理由はないだろう。
「ごめんね、アノスちゃん。いきなりピクニックなんて言い出して。お仕事ばっかりだったから、ゆっくり休みたいかなぁ?」
母さんが不安そうに尋ねてくる。
そんな顔をされては、断るわけにもいくまい。
「なに、たまにはピクニックもいいものだ」
「よかったぁっ! じゃ、今日はみんなでピクニックね。お母さん、美味しいお弁当作ったから、楽しみにしててね」
戸締まりをして、俺たちは自宅を後にした。
「どこへ行くのだろう?」
しばらく歩いた後、アルカナが尋ねる。
得意気に答えたのは、父さんだ。
「こないだピクニックにばっちりの場所を見つけてな。知ってるか、あそこ。ミッドヘイズを出て南西へちょっと行ったところに、丘があるだろ。見晴らしが良くて、街並みを一望できるんだぞ」
二千年前の配下たちが眠っていた場所か。
もっとも、今は墓標もなくなっているため、ただの丘にすぎぬ。
「なら、<転移>で転移できるが?」
「ちっちっち」
と、父さんは指を立て、左右に振った。
「いいか、アノス。ピクニックと言えば、こう太陽を全身に浴びて、こう歩いて、こう弾むようにだな」
父さんは無駄に両足でジャンプを始めた。
弾んでいるようだ。
「それに、待ち合わせしてるのよ。あ、いたいた」
ミッドヘイズの門の方へ母さんは手を振った。
待っていたのは二人の少女である。
「ミーシャちゃーん、サーシャちゃーん」
母さんの声にサーシャは優雅にお辞儀をし、ミーシャが小さく手を振り返す。
二人とも私服だった。
「アノスちゃんが寝ているときに、お母さん、お買い物に行ってきてね。そのときに、ミーシャちゃんとサーシャちゃんに会ったから、よかったら一緒に行こうって誘ったのよ。ね」
ミーシャがこくりとうなずく。
「今日はピクニック日和」
「それはいいんだけど、ところで、あれ、なに?」
サーシャが目を向けたのは、両足でぴょんぴょんと跳ね続ける剣をかついだ怪しい男。すなわち、父さんだ。
「忘れたか、サーシャ」
「……なにが?」
「あれが、この時代のピクニックの作法だそうだ」
「知らないわよっ!」
サーシャは大声で言い放つ。
「大体、こんなお天気なんだから、もし、そんな作法があったら、そこら中で怪しい男がぴょんぴょんしてるでしょーがっ!」
思わず想像してしまった。
「くはは。面白いことをいう奴だ」
「あなたが言ったのよ、あなたがっ!」
サーシャがムキになって、声を荒らげる。
「ほんの冗談だ。父さんが独自に開発した作法だということは想像がつく」
ミーシャが首をかしげる。
「オリジナル作法?」
「聞こえをよくすればいいってもんじゃないわ……」
呆れたように父さんを見ながらも、サーシャは特にそれ以上は追及しなかった。
ミッドヘイスを出ると、俺たちは徒歩で目的の丘に登った。
風が心地良く吹いており、日差しも良い。確かに今日は絶好のピクニック日和だろう。
こんな日は、ここでのんびりと佇んでいるだけで、温かな気分になれるものだ。
「うーん、気持ちいいわ……」
ぐっとサーシャが伸びをする。
アルカナはしばらく歩き回った後、座り込み、そこに生えていた花を間近で眺め始めた。
「珍しい?」
ミーシャがアルカナの後ろからひょっこりと顔を出す。
「地底にはない花。元々地底は植物が育ちにくく、花の種類が少ない」
アルカナがぼんやりと花を眺める様子を、しばらくミーシャは見守っていた。
「花かんむり、作る?」
やがて、ミーシャがそう提案した。
「……どうすればいいのだろう?」
ミーシャはアルカナの手を取った。
「おいで」
彼女は花が沢山生えている場所にアルカナを連れていき、一緒に花かんむりを作り始めた。
創造魔法を使えば一瞬だろうが、わざわざ手作業だ。
アルカナの手つきはぎこちないのだが、ミーシャがうまく教えていて、次第に花かんむりは完成に近づいていく。
嬉しそうなアルカナの表情が、なんとも微笑ましく平和を感じさせた。
「なんか……アルカナってミーシャには優しいわ」
二人を見た、サーシャがそう感想をこぼす。
「お前がよく噛みつくから、相応の反応が返ってくるだけだろう」
「別に噛みついてなんか……ないと思うけど……」
語尾は弱々しく消える。
心当たりがあったのだろう。
「……これでいいのだろうか?」
「ん。上手」
温かな風が吹く、見晴らしの良い丘。
そこで花かんむりを作る二人の少女。
穏やかで、心地良く、美しい光景であった。
だが、そんな時間は長くは続かないと、このとき俺はすでに、知っていたのかもしれぬ。
「ふんっ!!」
これ見よがしな野太い声が、その丘に響き渡る。
「てりゃっ!!」
剣が風を切る音が鳴る。
誰あろう、父さんがいよいよデモンストレーションを始めたのだ。
「う・お・お・おおおぉぉぉっ!!」
雄叫びを上げ、思いきり剣を振る父さん。
話しかけてもらいたくて仕方がないと言った風だった。
まあ、触れずにおけば、いくら父さんでも、その内に疲れてやめるだろう。
「これはだな、アノス」
なにも訊いておらぬのに話し出すとはな。
「確かめているんだ。一本、一本、作った剣の振り具合を、魂を、研ぎ澄ませてなっ! 父さんは昔からずっとこうして剣の出来を確かめてきたんだっ!」
仕方のない。
たまには、つき合ってやるのが親孝行というものだろう。
「剣を振ると振らぬとで、どう違うんだ?」
「そりゃお前――」
父さんはじっと考え込み、「あれだ、あれ」と言いだし、「ま、あれだな」と困ったように言い、「剣を振る意味、か」と哲学的な呟きを漏らす。
「それを今、父さんも探している途中なんだが」
まだ途中であったか。
「確実に言えることが一つある」
「なんだ?」
「これをやるとな。一仕事終えたって気分になるんだ」
父さんは親指を立てて、拳を突き出す。
自己満足の世界であった。
「アノス。父さんはな、息子が生まれたら、どうしてもやりたいことがあったんだ」
剣を丘に突き刺し、柄に体重をかけ、気取ったポーズで、父さんは俺に背中を向ける。
「なんだ?」
「父さんが作った剣で、一緒に試し振りをするんだ。二人で剣の魂を研ぎ澄ませてな。そんで父さんはこう言うんだ」
父さんは自分の世界に浸りきったかのように調子で言う。
「お前も一人前になったな、息子よ」
くるりとポーズを変え、父さんは言った。
「親父……」
どうやら息子役のようである。
「お前に教えることはもうなにもない。これからはお前の道を行け」
目まぐるしくポーズを変え、父さんは一人二役を演じる。
「ああ、本当に、良い人生だった」
バタッと父さんは倒れた。
「お、親父、親父ーっ」
なぜ死んだのか。
「ま、息子が鍛冶屋を継ぐって言い出したらの話なんだけどな」
寸劇は終わり、ははっ、と父さんは笑う。
「お前は父さんの息子とは思えないぐらい、立派な魔王になったからな」
しみじみと言い、剣を抜く父さん。
「最初から教えることなんてなにもなかったし、父さんがこんな息子だったらなって思った夢よりも、ずっと誇らしいよ」
散々おどけた後に、父さんは真面目な顔でそう口にした。
本当はそれだけ伝えたかったと言わんばかりに。
「父さん」
俺は指先を向け、魔力を飛ばす。
籠に入っていた剣が一本、俺のもとへ飛んでくる。
父さんは頭に疑問を浮かべ、こっちを見た。
「やろうか。鍛冶の業は魔王には不要だが、魂を研ぎ澄ます業なら、なにかの役に立つかもしれぬ」
父さんは一瞬目を丸くし、それから嬉しそうに顔を綻ばせた。
若干涙ぐんでもいる。
「お前、あれだぞっ。売り物だからな。振るだけっ、本当に振るだけだぞっ」
「わかっている」
俺は鞘から剣を抜き放つ。
「……ま、しかし、なんだな……」
父さんは俺との間合いを詰め、向かい合う。
「いざとなると、こう、父さん、照れくさいっていうか……でも、やっぱり息子が生まれたら、やりたかったからさ……」
はにかみながら、父さんは剣を構える。
「今こそ、この異名を解き放つときが来た!」
「ノリノリすぎないっ!?」
俺たちのやりとりを見守っていたサーシャが、たまらず突っ込んだ。
花かんむりを頭に乗せたアルカナとミーシャが、何事かとこちらを振り返った。
「貴様に恨みはないが、平和のために死んでもらうぞ」
「設定変わってるわっ!」
確かに、息子に魂の研ぎ澄ませ方を教える父のはずだったのだがな……。
「俺が何者か気になるか。滅殺する剣の王である俺の名が」
父さんは露骨に何者か聞いてほしそうにアピールする。
しかも半分答えをバラしている。
滅殺する剣の王と言えば、父さんが厨二病を発症していたときの二つ名。
滅殺剣王ガーデラヒプトだろう。
まあ、しかし、これも親孝行だ。
つき合ってやるのが、子としての務めだろう。
「ああ。お前は何者だ?」
「フッ」
父さんは笑う。
ここぞとばかりに、その名を解き放つのだろう。
「名乗るほどのものじゃないさっ!」
読めぬ。
「さあ、矢でも魔法でも放ってこい」
父さんが剣を振り上げる。
俺は言った。
「<獄炎殲滅砲>」
手を父さんへ向ける。
無論魔力の粒子を派手に飛ばしただけで、魔法は発動していない。
「ずばぁっ」
父さんがそんな声とともに、<獄炎殲滅砲>を斬ったフリをした。
「強い……」
と、ミーシャが言う。
サーシャが呆れた視線を送ってくる。
「<極獄界滅灰燼魔砲>」
「さくぅっ」
父さんは世界を滅ぼす<極獄界滅灰燼魔砲>も難なく斬ってのけた。
「……それ、無理だわっ。どれだけ強いのよ……」
いくらフリとはいえ、看過できなかったか、サーシャが咄嗟に突っ込んでいた。
「<涅槃七歩征服>」
「うりゃあぁぁぁっ、滅殺剣王ガーデラヒプト、ここにありっ!!」
結局、名乗るのか――
父さんは、七歩歩く俺と剣を振りかぶったまますれ違う。
「……がはぁ……」
やられたフリをして、がっくりと膝をつく父さん。
「つ、強くなったな、アノス。お前に教えることは、もう、なにもない……」
前のめりに、父さんは丘に倒れた。
シーンと辺りは静まり返っている。
「ねえ……」
サーシャが恐る恐るといった風に訊いてきた。
「これで、終わりなの? 息子が生まれたらやりたかったこととか言って、ただの厨二病ごっこで、終わらないわよね……?」
その言葉は空しく、生温かい風がさらっていったのだった。
親孝行も、楽じゃないのです……。