空を持ち上げる歌
魔王賛美歌第六番『隣人』の前奏が、地底の空に響き渡る。
「あの練習が、ここで役に立つとは思わなかったわ」
支柱の間にて、サーシャは天蓋を支えるように手を頭上に掲げる。
「みんなで歌って持ち上げる」
ミーシャは疲労困憊といった様子で、それでも瞳に強いを意志を込め、手を空にやった。
「うんうん、今日は喉が枯れるまで歌うぞっ!」
「……ゼシアも……本気を出すときがきました……!」
エレオノールとゼシアが空に手を上げる。
「……本当にお前さんと来たら、つくづく信じられぬことばかりを提案してくる……地底の終わりが迫っているというのに、ここで、あの歌を歌おうとはなぁ……」
「ナフタは歌唱します。このなにも見えぬ神眼に、きっと希望が見えると信じて」
「ああ、見えるだろうよ。なにせ、こいつは、アガハ、ジオルダル、ガデイシオラ、すべての民が歌った歌だ」
ディードリッヒとナフタが、更に力強く天蓋に手を伸ばした。
そうして、最高潮まで高まった『隣人』の前奏が終わりに近づく。
一瞬、音楽が途切れ、静寂が世界を覆う。
今、地底の行く末を左右する、歌が始まる――
「あー、神様♪ こ・ん・な、世界があるなんて、知・ら・な・かったよ~~~っ♪♪♪」
「「「ク・イック、ク・イック、ク・イックウッウー♪」」」
まさに、地底を揺るがすほどの大合唱。
その歌声が、愛魔法へと変換され、地底中からこの支柱の間に向け、目映い光が集い始めた。
「「「開けないでっ♪」」」
想いを一つに、空へと束ね、
『『『せっ!!!!』』』
地底の民たちの手が、かけ声とともに大きく突き上げられる。その愛と想いに呼応するが如く、天蓋がドガゴォォンッと上昇した。
「「「開けないでっ♪」」」
『『『せっ!!!!』』』
ドガゴォォンッ、と再び天蓋が持ち上げられ、空が元の位置を目指して遠ざかる。
その歌で、その愛で、一人一人が自らの世界を支えている――
「「「「開けないでっ、それは禁断の門っ♪」」」
覇王城の正門前では、レイとミサ、そしてアガハの騎士たちが。
『『『せっ、せっ、せっーっ!!!』』』
懸命に歌い上げ、天蓋を持ち上げる。
せっと呼吸を合わせる度に、ドガゴォォン、ドガゴォォン、と空が響く。
「「「教えて、神様っ♪」」」
ガデイシオラの荒野では、信徒五千人の歌と振り付けを指揮するが如く、八歌賢人がなだらかな丘の上に立っていた。
『『『せっ!』』』
唱炎を放つ音韻魔法陣を構築できるほど歌に精通したガデイシオラ教団。
「「「これはナニ♪ それはナニ♪」」」
他の追随を許さない見事な歌唱力と、両の手で天を持ち上げようという八歌賢人の優しくも激しい振り付け。
『『『せっ、せっ!』』』
その想いが、ぐんぐんと、ぐんぐんと――
「「「まずはノックから♪」」」
ドガゴォォン、ドガゴォォン、と――
「「「優しく叩いて、なーんてダメダメッ♪」」」
空をどこまでも――
『『『ぜあぜあぜあぜあ!』』』
――しっかりと支えては、激しく突き上げる。
『『『ク・イック、ク・イック、ク・イックウッウー♪』』』
そうして彼らが、<思念通信>で伝えた想いは、そこから遠く離れたジオルダルの空まで響き渡る。
あの日、来聖捧歌にて、ジオルヘイゼで『隣人』を聴いていた信徒たちは今自らの街に戻っている。
彼らも手を上げ、空を支えるように、歌声を国中に響かせていた。
奇跡を信じ――
「「「ぼ・くは隣人♪ た・だの隣人♪」」」
それは、誇り高き騎士たちを擁するアガハの国でも同じだった。
「「「一人ぼっちで♪ 平和だった――は・ず・なのにー♪」」」
ディードリッヒが竜の歌姫と呼んだ魔王聖歌隊。
それだけではなく、彼らの王は今、預言を覆すべく、この歌に熱き想いを込めている。
「「「いつの・まーにか、伸びてる、それはナニナニ♪」」」
「「「それは魔の手でっ♪」」」
ならば、命剣一願。
騎士の誇りにかけて、喉が枯れるまで歌い尽くすのみ。
『『『せっ!!!』』』
無論、客人として剣帝王宮にいた魔王学院の生徒一同も――
「「「君はナニナニっ♪」」」
「「「彼は魔王でっ♪」」」
『『『せっ!!!』』』
魔王の声が響いた瞬間から、なにかに取り憑かれたかのように一心不乱となり、手を突き上げ、がむしゃらに歌っている。
「「「あー♪ か・みさまが言ったよーっ♪」」」
「「「なーんじの隣人をあーいせよ、愛せよっ♪」」」
「「「心開いて♪ 禁断の門っ♪」」」
『『『せっ!』』』
アガハでも――
「「「あー♪ そこは不浄のっ♪」」」
『『『せっ!』』』
「「「誰も知らないっ♪」」」
『『『せっ!』』』
ジオルダルでも――
「「「そこは不浄でっ♪」」」
『『『せっ!』』』
「「「入らないでよっ♪」」」
「「「入らないはず、なーんて、ダメダメっ♪」」」
『『『せっ!』』』
ガデイシオラでも――
「「「教っえて、あっげるぅっ♪ 教典になーいことぜんぶ、ぜんぶぅっっっ♪」」」
『『『ぜあぜあぜあぜあ! ぜあぜあぜあぜあ!』』』
教えを違えた竜人たちが、今『隣人』という同じ歌を歌い、想いを一つに重ねていく。
「「「ク・イック、ク・イック、ク・イックウッウー♪」」」
地底を守れ、と。
あの天を支えよう、と。
「「「あー、神様♪ こ・ん・な、世界があるなんて、知・ら・な・かったよ~~~っ♪♪♪」」」
地底の三大国が、同じ目的のために力を合わせる。
それはさながら『隣人』の歌詞の如く。
こんな世界があるなんて、知らなかったと言わんばかりに。
『『『せっ、せあっ! きええええええええええええぇぇぇっ!!』』』
彼らは一人一人、その手を大きく掲げていた――
更に膨大に、そして次々と、地底の民たちの想いは魔力に変換され、地底の空を支えながらも、覇王城にいる俺のもとへ寄せられる。
この全身から放たれた黒き魔力の柱を覆うよう、届いた想いは真っ白な魔力の光と化して立ち上っている。
それは黒白の柱となりて、落下する天蓋を元の高さまで持ち上げた。
だが――
「ねえっ、アノス、これどうするのっ? ここまで持ち上げたけど、ずっと歌い続けてるわけにもいかないでしょ?」
そうサーシャが問う。
「焦るな。手は考えてある――が、まだ想いが足りぬな」
「まだって、これ以上どうすれば……?」
「ジオルダルの信徒?」
ミーシャの言葉に、俺はうなずく。
「あの空を自分の手で支えようとはせず、未だ祈り続けている者が多くいる」
俺は支柱の間の隅に跪く教皇ゴルロアナを見た。
「その男のようにな」
教皇が声を上げれば、アガハ同様ジオルダルの残りの信徒たちも、天を支えようとするだろう。
「ゴルロアナ」
俺がそう呼んだときだった。
「――美しいね。人々の結束というのは。まさか、あれほどいがみ合っていた地底の三大国が、ここまで心を一つにするとは夢にも思わなかったよ」
視界の隅でヴィアフレアが嬉しそうに笑う。
声とともに、ゆっくりと空から降りてきたのは、セリスだ。
思っていたよりも早い。
熾死王がそう簡単にやられるとは思えぬが。
「彼なら死んだよ。蘇生はできないだろうね」
「つくのならもっとマシな嘘をつくことだ。大方、<覇炎封喰>で熾死王の魔力がここから感知できぬようにしているといったところか」
特に動じず、セリスは応えた。
「よくわかったね。本当は幻名騎士団と禁兵が相手をしているよ。天蓋を支えるのに忙しくて、唱炎の援護がなくなったからね」
適当に言っただけだったのだろう。
奴は何食わぬ顔をしている。
「それにしても、素晴らしいね」
セリスが支柱の間に着地すると、天蓋を支える俺たちを見て笑顔を浮かべた。
「この地底に襲いかかった未曾有の危機が、敵対していた者たちの心を一つにしたんだ。追い詰められれば追い詰められるほど、人々はわだかまりを捨て、結束を深めるのかもしれない。終わりが近づくほどに、心はより綺麗に輝く」
ゆっくりとセリスはその二本の指先を、祈り続ける教皇ゴルロアナへ向けた。
「だとしたら、もっと美しい世界を見たければどうすればいい?」
紫電が奴の指先に走る。
球体魔法陣はすでにその傍らに構築されている。
「もっともっと壊してみればいいんだ。そうすれば、誰もが望む世界に近づく」
容赦なく、<紫電雷光>が撃ち出された。
その瞬間、ゴルロアナは覚悟を決めたような表情を浮かべる。
激しい紫電が、神を失った教皇のもとへまっすぐ迫り、そして弾けた。
「……ぬ、ぐぅぅっ……!」
僅かに教皇は顔を上げる。
その敬虔な瞳に、小さな驚きが混ざった。
守るように立ちはだかったのは、ディードリッヒである。
彼は<竜ノ逆燐>で、紫電を食らいながら、ゴルロアナを庇っている。
「君の体はもう限界だよ、ディードリッヒ。アノスに相当やられたみたいだね。そんなボロボロの根源で<紫電雷光>を食らえば、どうなるかわかるかい?」
「……さあて、そんなことは知るまいて……」
途端に、紫電が膨れあがり、<竜ノ逆燐>を貫通して、ディードリッヒの体を穿つ。
「……ぐおぉ、ぉぉぉぉっっっ……!!!」
<紫電雷光>に焼かれ、ディードリッヒは前のめりに倒れた。
「頼みの魔王は動くわけにはいかない。今彼が動けば、あの天蓋が落ちてきて、僕たちはみんな押し潰されてしまうからね。彼は助かるだろう。僕も死にはしない。ひょっとしたら、配下たちを何人かは守れるかもしれない」
胡散臭い笑顔で俺たちを見ながら、セリスは言った。
「だけど、地底の人々はみんな死ぬ。そんな悲しい結末は見たくない」
再びセリスはゴルロアナとディードリッヒの方へ視線を向けた。
「ふむ。遊んでいる場合か? 俺を殺す気ならば、今が千載一遇のチャンスだぞ」
「わかっていないね。どんなに聞き分けがなくても、君は僕の息子だ。子供の悪戯ぐらいで本気になって怒る親はいないだろう? 僕だってそうだよ」
さらりとセリスは言ってのける。
どこまで本気か怪しいものだ。
「それに、君を過小評価はしないよ。天蓋を持ち上げたままでも、そこから動けなくても、君は戦えるかもしれない」
万雷剣を手にし、セリスは歩き出す。
「だけど、その力は、なにかを守ることには向いていないよ」
ゆっくりとセリスはゴルロアナたちの方へと向かう。
「天蓋を支えながら、彼らを救うことはできない」
「そう思うか?」
セリスの目の前にひらり、と雪月花が舞い降りる。
それは、アルカナの姿に変わった。
彼女が神雪剣ロコロノトをその手に創り出すと、セリスはふっと笑った。
「やあ、背理神」
彼は万雷剣を手から放す。
それが紫電に包まれたと思った途端、雷鳴が響き、アルカナの足元に落雷した。
彼女の目の前に、万雷剣が突き刺さっていた。
アルカナは疑問の目をセリスへ向けた。
「これで、すべては君の思惑通りだろう? 最後に君は、僕と、そして魔王を裏切る。そのために、これまでずっと周囲を欺き続けてきた」
表情を変えないアルカナに、続けてセリスは言う。
「八神選定者は全員地底にいる。今、天蓋を落とせば、魔王と僕以外は生き残らない。僕は愚者の称号を与えられた八神選定者の一人。殺せば、選定審判の勝者が決まる」
彼は人の良さそうな笑みを浮かべた。
「君の本当の目的を果たすといい、アルカナ」
思い出した過去が明かされる――




