そして、想いは集い始める
黒き柱が地底を支える。
この身から放出される膨大な魔力が、秩序に従い落下する天蓋を、持ち上げていた。
「はっ……!」
ぐんっと右腕で更に押せば、ドゴォォッと音を立てて、天蓋が更に上昇した。
空の高さは、通常時の約半分だ。
「……そ、そんなことできるなら、初めからやりなさいよっ……!」
サーシャが言う。
彼女は呆れたような目で、俺と天を支える柱を見た。
「力尽くで持ち上げただけだ。天柱支剣と違って、天蓋に優しくはないのでな」
天蓋を持ち上げた震動は、地上にも伝わっていることだろう。
なるべく被害を少なくしたかったのだが、やむを得まい。
「……お前さんと来たら、本当にデタラメなことをするものだ……」
ディードリッヒが言う。
奴が見た数多の未来の内にも、この光景があっただろうが、それでもなお信じられぬといった顔をしている。
「だが、いくら暴虐の魔王とはいえ、そのまま永久に持ち上げ続けるといったわけにもいくまいて……このまま支え続けても、一時凌ぎにすぎぬのは、お前さんとてよくわかっているはずであろう」
ナフタに支えられながら、ディードリッヒがボロボロの体をなんとか起こす。
「今のうちに柱を用意せねばなるまいて。だが、お前さん方の創造した擬似的な天柱支剣は折れた」
「なに、先程のあれはものの試しだ。創造魔法の力で天柱支剣が創れることがわかった」
「あれ以上の手があるというのか、魔王や?」
ディードリッヒの表情には覚悟が溢れている。
「なければ、自分が柱になると言いたげだな」
ディードリッヒは答えず、まっすぐ俺を見つめた。
「無論、手はある。この地底に、山ほどな」
ディードリッヒは訝しげな表情を浮かべた。
「この地底に生きるすべての民たちが、支えるのだ。あの空を、一人一人の手で、その想いでな」
立ち上る黒き柱に、巨大な魔法陣を描く。
するとそこから漆黒の光が溢れ出し、地底中に広がっていく。
<思念通信>の出力を全開にしたのだ。
今なら、ここでの会話が地底世界中に轟くだろう。
「つまり、この地底の民全員で心を合わせ、愛魔法を使う。それこそが、災厄の日を回避し、預言を覆す方法。ナフタの盲点に辿り着く希望の道だ」
息を吐き、考え込むディードリッヒに俺は言う。
「アガハで見せたな。ミサとレイは、限局世界において、仮想的な預言者の預言を覆した。愛魔法によってだ。その規模を単に拡大すればいい。お前はあのときナフタにはすべての未来が見えていると否定したが、その神眼に盲点があることは先程証明した」
ナフタが存在していてなお、その神眼には映らぬ未来が今だ。
これと似た未来はあっても、これと同じ未来を、彼女は見たことがなかった。
「ディードリッヒ。未来を知っているお前の心を震わしたのはなんだった?」
「……歌、か」
「ああ。魔王聖歌隊の歌、溢れんばかりの愛が、お前の心と未来を揺らした。神は秩序であり、愛と優しさをよく知らぬ。だからこそ、未来神の神眼はそれをはっきりとは映さなかった」
福音神にも魔王聖歌隊の<狂愛域>が有効だった。
「神族にとって愛と優しさは弱点と言える。ならば、この世に定められたあらゆる秩序は愛と優しさによってこそ覆せる」
天を見つめ、俺は言った。
「あの天蓋とて同じだ。秩序に従い、滅びをもたらさんと落ちてくるあの空を、この地底を愛するお前たちの想いで持ち上げてみせよ」
「……地底の民の力を、合わせる…………」
ディードリッヒは、ゴルロアナとヴィアフレアに視線を向けた。
争い続けてきた彼らだ。
力を合わせたことなど、なかっただろう。
「できぬと思うのならば、その身を犠牲にし、天柱支剣になるがよい。お前が心から信じられぬのなら、最早止めぬ。迷いがあれば、どの道、支えられはせぬ」
立ちつくすアガハの剣帝に、俺は言う。
お膳立てはした。
だが、最後は地底の民自ら、未来を選ばねばならぬ。
「確実な未来、最善の方法を選ぶのが正しいと思うのならば、その騎士の誇りに殉じることだ。だが――」
それでも、俺は預言と戦い続けてきたこの男が、最後に選ぶのがなんなのか、わかっているような気がする。
未来など見えなくとも、確かなことがある。
「もしも、預言に振り回され、希望を閉ざされ続けてきたお前の目に、今なお、その光が見えるのならば、あの空に手を伸ばせ」
ディードリッヒは、一瞬ナフタに視線をやる。
彼女の手をぎゅっと握り、再び彼は俺の方を向いた。
覚悟を決めたような顔つきで。
「問おう、アガハの剣帝よ。諦めぬと誓うか?」
「おうともっ! 預言を覆し、伝えたい言葉があるのだっ!」
決意を込めて、アガハの剣帝はその想いを地底に轟かせた。
「ならば、希望をくれてやる。想いを一つにし、この地底への愛を持って、あの天蓋を支えたいと願え。それらすべてをこの身で束ね、魔王アノス・ヴォルディゴードが、この世界の新たな柱に変えてやろう」
ディードリッヒがナフタとつないだ手にぐっと力を入れると、彼女はその意思に応えるように握り返した。
二人は空を支えようと、俺と同じように手を伸ばす。
その体に、<聖愛域>の光が溢れる。
愛魔法は本来二人で使うものだが、それを地底の民全員で行う。
容易いはずだ。世界を愛すればいい。
「聞こえるか? アガハの民。そして、地底の民よ」
ディードリッヒが、言葉を発す。
それは俺の<思念通信>を経由して、地底中に響いていた。
「我が名はアガハの剣帝にして、未来神に選定されし預言者ディードリッヒ・クレイツェン・アガハ。見ての通り、地底は今、未曾有の危機にある。あの波打つ天蓋はこのまま落ち、地底は滅ぶであろう。それがアガハの預言により、伝えられてきた災厄の日なのだ」
低い声で、ディードリッヒは民に訴えかける。
「だが、希望はある。地上の英雄、魔王アノス・ヴォルディゴードが、我らの想いを力へ変えてくれる。アガハ、ジオルダル、ガデイシオラ、そしてそれらに属するこの地底の国々。我らは、ともにいがみあってきた。争い、血を流し、傷つけあってきた。今更、許せとは言うまいて」
アガハの民へ、地底の民へ、ディードリッヒは心からの言葉を送る。
「それでも、今だけは、伏して頼もう。どうか力を貸してくれぬか? 敵を助けるためではなく、友を、恋人を、家族を、愛する者を、守るために。その手を空に、ともに、この地底を支えよう!!」
ありったけの想い込め、ディードリッヒは言った。
「そして願わくば、これが、終戦の始まりとならんことをっ!!」
響き渡る声に呼応するように、<聖愛域>の光が地底中に溢れかえった。
真っ先に輝いたのは、ガデイシオラの覇王城、その正門前である。
「ディードリッヒ王に、栄光あれ!」
ネイトが言った。
「我らの誇りを!」
シルヴィアが言った。
「我らの想いを」
「この地底を支える手とならん」
ゴルドーが、リカルドが言った。
彼らは地面に倒れ込みながら、満足に動かぬ手を上げて、その想いを輝かせる。
「レイさん、あたしも……」
満身創痍のミサを支えながら、レイはうなずく。
「きっと、持ち上げられる」
二人は手を重ね、天蓋を支えるように高く伸ばす。
<聖愛域>の光は天に昇り、そうして、今、地底を持ち上げている、黒き魔力の柱へと導かれていく。
そこから、遠く離れた、ガデイシオラの荒野には、五千人の竜人たちがいた。
ジオルダル教団である。
エールドメードの合図がなくなったからか、それとも天蓋が落ちてきてそれどころではなくなったか、彼らは、唱炎を放つための音韻魔法陣を構築していない。
落ちようとしている天蓋と、それを支える黒き柱の奇跡に、ただ祈りを捧げている。
「おお、神よ……<全能なる煌輝>エクエスよ……どうか我らを、敬虔なるあなた様のしもべをお救いくださいますよう……」
「ジオルダルの民よ」
<思念通信>から俺の声が響くと、司教ミラノが顔を上げた。
「祈るな。どれだけ祈ろうと、神はお前たちを救いはしない。天蓋は落ちるだろう。それは神の力によって。滅びこそが秩序だと、奴らは言う。滅びこそが運命だと、神々は宣う。ならば、潔く滅びるか? 神の意志に従って、信仰に殉じるか?」
跪き、祈り続ける教団の信徒たちへ、俺は言う。
「地底を守りたくはないか? 同志を守りたくはないか? 愛する者を守りたくはないのか?」
その想いは、きっと一つのはずだ。
「お前たちが救うのだ。祈りをやめ、あの空を支えよ。天に手を伸ばせ。その想いを、その愛を、お前たちの心からの祈りを、俺が奇跡に変えてやる」
意を決したように、一人の司教が立ち上がった。
「……ミラノ司教……?」
「立って、天蓋を支えなさい」
ミラノは天に手を伸ばす。
その瞬間、彼の体は<聖愛域>の光に包まれた。
「お、おお……」
「これは…………?」
「あの御方は、あの天の向こうから、教えにやってきたのかもしれません。我々がこれまで信じていた神が間違っていたことを。<全能なる煌輝>エクエスの化身となって」
「しかし、これまでの教えが間違っていたなどと……」
困惑する信徒たちに、毅然とミラノは声を発した。
「世界が終わろうというのに、未だなにもお応えにならない<全能なる煌輝>を信じたい人はそうなさるといいでしょう」
司教ミラノは、覇王城の中心から立ち上る黒き柱を、まっすぐ見つめた。
「まつろわぬ神を崇拝するガデイシオラの城の中心で、アガハの剣帝さえも従え、彼は天を支えているのですよ。目の前で奇跡が起きようとしているのに、まだ偶像にすがりたい人はそうなさるといいでしょうっ!」
ミラノの体から更に光に溢れる。
「彼に違いありません。私たちはこれまで、彼を待っていたのです。これまでの信仰はすべて、彼に会うためにあった試練だったのですっ! ならば、この教えが、間違っていたことさえも教えの内に他なりませんっ! さあ、立ち上がりなさい、信徒たち。我らの信仰の道は、今日この日に続いておりましたっ!! 教典にはない、この気づきこそが、最後の教えであり、祈りなのですっ!」
その言葉に応えるように、立ち上がったのは八歌賢人たちである。
彼らが天に向かって手を上げると、また一人、また一人と信徒たちが立ち上がっていく。
そうして、膨大な<聖愛域>の塊は、俺のいる覇王城へと向かっていく。
その城から僅かに離れた場所、首都ガラデナグアの広場では、ガデイシオラの民たちが、呆然と空を見つめていた。
「ディアスさんっ!」
ようやく見つけたといったように駆けよってきたのは、エレンたち魔王聖歌隊である。
「あ、ああ……どうした……?」
「さっきの、聞こえましたよね? 避難した人も呼び戻して、天蓋を地底の民全員で支えなきゃっ。協力してくれますか?」
「……だけど……さっきのは、アガハの剣帝だ……。アガハの言うことは、神の言うことだから……俺たちには……」
「このままじゃ潰れちゃうのに、そんなこと言ってる場合じゃないよっ!」
ディアスは俯き、それから言った。
「……それは、わかるけど、でも、ここはガデイシオラなんだ。俺がなにか言ったところで、そう簡単には……」
「じゃ、歌いましょうっ!」
引き下がろうとはせず、エレンは言った。
「震雨を消したときみたいに歌って、あの天蓋を支えるんだって。それなら、さっきやったことでしょっ? 拳の代わりに、空を支える振り付けに変えてっ!」
俯くディアスを、エレンたちは真剣な眼差しで見つめている。
「不思議だ……」
ディアスは僅かに表情を綻ばせた。
「君たちに歌おうって言われたら、なんだかできる気がするよ」
ぱっとエレンたちは表情を明るくした。
「すぐ歌の準備をしますっ!」
「途中からどんどん来てもいいから、ディアスさんはとにかく沢山の人に伝えてっ!」
「絶対、持ち上げようっ!」
「そうじゃきゃ、間接潰されだよっ!」
「それは、あんまり悪くないかもだけどねっ!」
「なに言ってるのっ、アノス様に失敗の二文字はないよっ。建てた柱が途中で折れるなんて、そんなのありえると思うのっ!?」
ファンユニオンの少女たちは顔を見合わせ、これから地底崩壊に挑むに相応しく、鬼気迫る表情を浮かべた。
「「「絶対にありえないっっ!!」」」
魔王聖歌隊は広場に陣取り、魔法陣を展開する。
<音楽演奏>の魔法が、<魔王軍>の魔法線を通して、覇王城の支柱の間へ届けられる。
そこから、地底中に音楽が広がった――
愛を束ねよ、聖なる歌で――