天地の柱
「……もう……時間は、あるまいて……」
重症を負い、精根尽き果てた体で、ディードリッヒが言う。
ナフタが傍らに座り込み、彼の体を支えようとしていた。
「……魔王や……なにをするつもりか知らんが、この命を持っていけ。俺が天柱支剣となれば、まだ幾分か時間を稼げる……」
「断る。敗者ならば敗者らしく言うことを聞け」
レイの魔眼に視線を向ければ、そこには竜騎士団たちが伏している。
「お前の配下も全員、生きて戻らせる。たかだか天が落ちるだけのことで、命が散るのを見るのは忍びない」
「……お前さんの勝ちだが……時間をかけすぎた……。俺の命一つで間に合うのならば、安いものだ。こいつは、妥協点というものであろうっ……!」
「妥協などせぬ」
「あの天蓋は落ちる宿命に他なるまいてっ! 支えられるのは、秩序の柱のみ。いくらお前さんでも、この短い時間でそれを創ることはできまい」
「確かに」
天柱支剣ヴェレヴィムの折れた剣身から、その深淵を覗く。
「これは、ミリティアの秩序のようだからな」
世界を創造する創造神の秩序が、この地底の柱、天柱支剣ヴェレヴィムが生まれる理を成り立たせている。
選定審判によって滅びに向かう地底世界。
それに相反するように創造の力が、この世界を保ち続けた。
恐らくミリティアの魔力だけでは支えきれず、子竜を生贄とする必要があったのだろう。
それだけ天蓋を支えるのは困難であり、地底の滅びは宿命づけられている。
「壊すのなら容易いが、俺に創造神ほどの創造魔法は使えぬ」
ゴ、ゴ、ゴゴゴ、と天は不気味な音を立てる。
見上げれば、空はもう間近まで迫っていた。
「アルカナ」
彼女が振り向く。
ヴィアフレアの周囲には雪が積もり、それが彼女を結界の中に完全に閉じ込めていた。
「ヴィアフレアの体内にいた覇竜はすべて雪に変えた」
覇王はアルカナと俺を睨みつける。
「無駄よ」
最早、戦うこともできぬ体で、彼女はなお笑った。
「あはっ! わたしを封じたって、なんにもならないわっ。この国の子供たちとボルディノスが、絶対に助けにくるのだからっ……!」
「夢は寝てから見るがよい」
そうヴィアフレアを一蹴し、こちらへ移動してきたアルカナに言う。
「お前は代行者として、創造神の秩序を補った。天柱支剣ヴェレヴィムを創ることはできるか?」
彼女は首を左右に振った。
「ミリティアが創ったのは秩序だけ。創造神でもヴェレヴィム自体を創り出すことはできない。わたしの力はそのミリティアよりも弱い」
「ならば、同じぐらいの創造魔法の使い手と力を合わせればどうだ?」
一瞬、アルカナは考える。
「疑似的な天柱支剣なら、創れるかもしれない」
「アイシャを呼んでいる。まもなくここへ来るはずだ」
空に唱炎の光が輝いて見えた。
セリスとの戦闘中なのだろう。
奴が来てはまた厄介なことになりかねない。
手を打つならば、今だ。
『アノス』
ミーシャの<思念通信>が頭に響く。
『もうすぐ支柱の間。冥王と詛王が、わたしたちの前に立ちはだかっている』
ミーシャの視界に視線を移す。
場所は、覇王城の上。ちょうど支柱の間の吹き抜けに続く場所である。
シン、アイシャ、エレオノール、ゼシアの前に、冥王イージェスと詛王カイヒラムがいた。
二人は行く手を阻むかのように、彼女たちを睨んでいる。
「なんで邪魔するのよっ。あなたたちも魔族でしょっ。あれが落ちたら、ディルヘイドだってどうなるかわからないわっ!」
サーシャが声を荒らげる。
それに取り合うことなく、二人は無言で魔槍と魔弓を構えた。
「……聞く気はないみたいね…………」
「力尽くで通る?」
アイシャの前にすっとシンが出た。
彼は小声でそっと告げる。
「無駄な魔力を使わぬように。私が隙を作ります。その間に行きなさい」
エレオノール、アイシャ、ゼシアがうなずく。
シンは魔法陣を描き、略奪剣ギリオノジェスと断絶剣デルトロズを抜いた。
そうして、城の屋根の上を、まっすぐ歩いていく。
視線を鋭くする四邪王族の二人に、彼は言った。
「変わった構えですね。二人とも。隙だらけに見えますが?」
「ならば、試してみるがよい、魔王の右腕。これが正しい構えよ」
イージェスが言葉を放つと、紅血魔槍ディヒッドアテムの穂先が消え、シンの眼前に現れる。同時に、魔弓ネテロアウヴスの矢が放たれていた。
矢と槍がシンを貫いた――かに見えた直後、残像を残し、彼の体はイージェスとカイヒラムの目前に現れた。
「単調な攻撃です」
振り下ろされた略奪剣をカイヒラムは魔弓で防ぎ、断絶剣を持った手をイージェスは踏み込んで受け止めた。
「行くわよっ」
「飛んで」
シンが二人を押さえている間に、アイシャたちは<飛行>で飛び上がり、彼らの横を通り抜けては、吹き抜けの天井を一気に降下していく。
俺の肉眼にも、その姿が映った。
「アノスッ!」
「きた」
サーシャとミーシャが言い、エレオノールとゼシアがVサインをしている。
「ぎりぎり間に合ったぞっ!」
「……がんばり……ました……」
彼女たちは、折れたヴェレヴィムのそばに着地した。
「どうすればいいのっ?」
サーシャが訊いてくる。
「<背理の魔眼>は、神の秩序さえ創り替えたと言われている」
以前にアルカナが言っていたことだ。
「<創造の月>を三日月から半月に作り替えたのと同じだ。この折れた天柱支剣を、アイシャの<創滅の魔眼>とアルカナの<背理の魔眼>で可能な限り元に戻す」
「……できるだろうか?」
アルカナが疑問を浮かべると、サーシャが言った。
「やるしかないわっ! だって、もうそうしないと落ちてくるものっ!」
アイシャが天を見上げれば、それはもうすぐそこまで迫っている。
「エレオノールは、疑似根源を生みだし、ヴェレヴィムの材料とする。子竜には及ばぬだろうが、代替にはなるだろう」
「わかったぞっ!」
「ゼシアは<勇者部隊>に参加し、エレオノールに魔力を融通する」
「……わかり……ました……!」
俺は<魔王軍>の魔法陣を描き、配下たちを創造魔法に恩恵を受けられる築城主に設定、全員に魔力を供給した。
「いっくぞぉっ!」
エレオノールが魔法陣を描くと、彼女の周囲を魔法文字が漂い、そこから聖水が溢れ出して、球状になった。
彼女は<聖域>によって魔力を増幅させ、<根源母胎>の魔法を、天柱支剣ヴェレヴィムに放つ。
疑似根源の球が、淡い光を放ちながら、天柱支剣の折れた剣身にいくつも浮かんだ。
「アイシャ、あなたに呼吸を合わせる」
アルカナがアイシャを見る。
二人はこくりとうなずいた。
「いくわよ――」
「――<創滅の魔眼>」
アイシャの瞳に魔法陣が浮かび、それが天柱支剣ヴェレヴィムと疑似根源を光に変えた。その魔眼が瞬くと、両者が混ぜ合わされていく。
「秩序は滅びて、創造に転ず。我は天に弓引くまつろわぬ神」
アルカナの瞳に<背理の魔眼>が浮かぶ。
それは、アイシャの魔法を後押しするように光を巨大に膨張させる。
少しずつ、少しずつ、その輝きは、竜の意匠を施した巨大な大剣を象っていく。
僅かに天蓋の落下が減速したように思えた。
「ふむ。本物には劣るが、当面のつっかえ棒にはなるだろう」
擬似的な天柱支剣がその場に構築されていき、まもなく完成といった頃、ミシィッと不吉が音がした。
その剣身に、一部亀裂が入ったのだ。
「アイシャ」
アルカナが心配そうに声をかけた。
<創滅の魔眼>の制御がうまくいっていないのだ。
「……大丈夫だわ……」
「ごめんなさい……」
魔力は俺が供給しているため、十分に足りている。
制御がうまくいかぬのは、まだ<創滅の魔眼>に慣れていないということもあるが、一番は、ミーシャが俺を癒すために根源を見過ぎたためだ。
俺の疲労を肩代わりしたため、その根源は健常とは言い難い。
今の状態でこのまま<創滅の魔眼>を使えば、制御しきれぬ力が根源にまで漏れ出し、自壊するかもしれぬ。
「あはっ! あははははっ、あははははははははっ!!」
ここぞとばかりに、ヴィアフレアが狂ったように笑い声を上げた。
「助けを待つまでもなかったわ。ねえ、ほら、無理でしょ。だって、これはボルディノスの計画なんですもの。あなたたちは絶対に敵わない。わたしの愛する彼は誰よりも強くて、聡明なの。あの天蓋は、ここに必ず落ちるわ」
「天蓋が落ちたら、君たちだって死んじゃうんだぞっ!」
エレオノールが言うも、ヴィアフレアはふっと微笑する。
「死なないわ。わたしは死なないし、わたしの家族たちは死なないの。だって、ボルディノスが助けてくれるんだもの。あれに滅ぼされるのは、あなたたちだけ。なにもかも、わたしたちの家族以外は、滅びてしまえばいいんだわっ!」
アイシャが苦痛に表情を染めながら、その魔眼をまっすぐ、天柱支剣へ向ける。
「……滅びるわけ、ないでしょうが……」
「わたしたちは負けない」
サーシャとミーシャが言う。
「あんなちっぽけな蓋一つ、魔王の配下に支えられないと思ったのっ!?」
「故郷を守りたいから」
「あら、そう? 強がるのね。だったら――」
紫の炎が支柱の間に走った。
それは俺たちと、創っている途中の天柱支剣ヴェレヴィムを覆うように、魔法陣を描いた。
神の力を封じる<覇炎封喰>の魔法だ。
空から次々と飛び込んできたのは槍を手にした禁兵たちである。
「おいでっ! おいでっ、わたしの愛しい子供たちっ! やってしまいなさいっ! そいつらを殺し、あの天蓋を落として、神々を殺すのよっ!!」
「愚かな女だ」
<魔黒雷帝>を放ち、禁兵たちを撃ち抜く。
同時に、その黒雷にて、魔法陣を描いた。
落下する禁兵たちの体から、にゅるにゅると溢れ出した覇竜に、<殲黒雷滅牙>を食らいつかせた。
「あはっ! でも、一瞬効果はあったでしょ? あなたの配下は弱っているみたいだけど、戦いながら、ヴェレヴィムを創れるのかしら? わたしの子供たちは、まだ沢山いるのよ。だって、ここはわたしの国なのだから」
次々とまた禁兵たちが支柱の間へ飛び込んでくるが、同じように<魔黒雷帝>と<殲黒雷滅牙>で迎撃してやる。
しかし一瞬、構築される<覇炎封喰>に、アルカナの力は削がれ、なにより、創ろうとしているヴェレヴィムの秩序が乱れる。
ガガガガガッと天蓋から地響きが轟くと、天柱支剣に大きく亀裂が走った。
「ほら、もうおしまいだわっ!」
「だ、から――」
アイシャが歯を食いしばり、その魔眼に全魔力を振り絞った。
「アイシャちゃんっ」
エレオノールがありったけの疑似根源を、亀裂の入った剣身に飛ばした。
「……そんな程度のことで、わたしたちの国が、滅ぼせるわけないでしょうがっ……!!」
「絶対、守る」
天柱支剣が光に包まれる。
<創滅の魔眼>と<背理の魔眼>の力で、亀裂の入った剣身はみるみる再生していく。
ぱっと一際大きく光が弾け、それは支柱の間を真白に染め上げる。
徐々に、徐々に、その光は弱まっていき、やがて消えた。
目の前にあるのは竜の意匠が施された巨大な大剣の姿。
そこに秩序の支柱、ヴェレヴィムが再生されていた。
ガタンッと大きな音が響いた。
見上げれば、天蓋の落下が止まっていた。
そうして、空が持ち上げる。
アイシャは満足げな表情を浮かべ、エレオノールとゼシアがにっこりと笑った。
そのとき、バキンッと剣が折れる音が聞こえた。
「あはっ……!」
ヴィアフレアの声が耳につく。
完成したばかりの天柱支剣は、天蓋の勢いと重みに耐えきれず、脆くも折れた。
その半分がぐらりとずれると、ドゴォォンッと大きな音を響かせ、床に落ちる。
「アイシャちゃんっ……!?」
エレオノールが叫ぶ。
がっくりと膝をついたアイシャは光に包まれると同時に、ミーシャとサーシャに分かれた。
彼女たちは力を使い果たしたかのように、床に手をつき、荒い呼吸を繰り返している。
特にミーシャが疲弊していた。
「あはははっ! やっぱり、だめだわ。あれだけ勢いのついた天蓋は、もう絶対に止められないっ。本物の天柱支剣でも止められないのに、偽物じゃせいぜい一瞬の時間稼ぎにしかならなかったわねっ!!」
ゴ、ゴゴ、ドゴゴゴゴゴ、ガガ、ガガガガァァァンッとこれまでで一番大きく天が轟いた。
弾みをつけたかのように、天蓋が勢いよく落ちてくる。
それは、このガデイシオラの一番高い覇王城の天井に差し掛かり、押し潰す。
終わりの瞬間だ。
「さようなら、神様。さようなら、馬鹿な信徒たち。みんな、みんな、潰れてしまえばいいわっ!! わたしたち以外はっ!」
時間がひどくゆっくりと流れていた。
その支柱の間にて、ゴルロアナは祈りを捧げ、ディードリッヒは悔しそうに俯き、拳を強く握った。
ヴィアフレアは歓喜に満ちた表情で目を閉じ、自らの勝利に浸っている。
その場を、静寂が包み込んでいた。
そう、ひどく静かだったのだ。
落ちた天蓋が地底を崩壊させる音さえも、響いてはいなかった。
ゆっくりとヴィアフレアは目を開ける。
「…………………………………………え…………?」
彼女は、なにが起きたのか一瞬わからないといった風に呆然とし、それから、驚愕をあらわにした。
「………………そん……な…………こ…………と…………が………………」
ゴルロアナが、目の前の光景に祈ることすら忘れていた。
「…………う………………ぉ、ぉ…………」
ディードリッヒさえも、ただ唸るような声を発することしかできない。
天蓋は、まだ落ちていない。
先程よりも、高い位置でぴたりと止まっている。
支えているのは天にかかる黒い魔力の柱。
それは覇王城へと続いており、その一番下に、俺がいた。
頭上に手を伸ばし、天蓋をただ一人、膨大な魔力を放出し続けることによって持ち上げているのだ。
「なにを驚いている? つっかえ棒が折れたのだから、手を使うしかあるまい」
驚愕を示し、未だ言葉さえ発することのできない彼らに、当たり前の事実を告げてやる。
「地底を滅ぼす天蓋だからといって、俺に支えられぬと思ったか」
その力、すべてを覆す――