至高世界の死闘
レイと竜騎士団が激突した直後――
その決着を待たず、剣帝ディードリッヒもまた地面を蹴った。
「ぬあぁっ!!」
鈍色の燐光が振り上げたディードリッヒの拳に集う。
<竜ノ逆燐>を纏わせたその正拳が、凄まじい風圧を巻き起こしながら、俺の体に振り下ろされる。
黒きオーロラを左手に纏い、それを真正面から受け止めた。
魔力と魔力、拳と掌の衝突で、周囲の床に亀裂が入り、鈍い音を鳴らして割れる。
「ふむ。<四界牆壁>さえ食らう、か」
ディードリッヒの<竜ノ逆燐>が、<四界牆壁>を食らい、その魔法障壁を薄めていく。
継続して<四界牆壁>を使い続けることで、俺はその護りを保った。
「俺の魔力をすべて食い尽くせると思うな」
右手を<根源死殺>に染め、まっすぐディードリッヒに突き出す。
<竜ノ逆燐>を纏わせた奴の左手がそれをつかもうとするが、俺の腕はぐんと加速した。
奴の神眼には、未来が見えているだろうが、速度の差はどうにもならぬ。
ディードリッヒの腹に黒き指先が突き刺さった。
「ナフタは限局します」
右手に強い抵抗を覚えた。
奴の腹に突き刺さったのは、指の第一関節まで。
すり抜けたはずのディードリッヒの左手が、俺の右手をつかんでいた。
ナフタの権能により、未来が限局されたのだ。
「つかまえたぞ、魔王よっ!!」
ディードリッヒの背後に、魔力の粒子が激しく立ち上り、剣を彷彿させる鋭い両翼を持った竜を象る。
<竜闘纏鱗>の魔法だ。それが<竜ノ逆燐>を放ち、剣が如き両翼で俺を包み込んだ。
「ぬおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉっっっ!!!」
後先考えぬほどの全力でディードリッヒは俺の右手首を締めつけ、そして押し返す。
腹から俺の指先が抜けると、同時に奴は右手を思いきり突き出してきた。
足を踏ん張れば、ドゴンッと床にめり込み、その場にクレーターができる。
<竜闘纏鱗>と<竜ノ逆燐>の併用により、<根源死殺>、<四界牆壁>、反魔法や魔眼の力さえも、食らわれ、その力が減衰する。
「ナフタは宣告します。あなたを断首の刑に処す」
未来に先回りするように、いつのまにか俺の背後に現れたナフタが、カンダクイゾルテの剣を、横一文字に閃かせた。
それは俺の首を裂き、同時にボロボロと黒く腐食した。
溢れ出した魔王の血により、カンダクイゾルテの剣が完全に腐り落ちる寸前、ナフタは言った。
「ナフタは限局します」
その剣は完全には腐らず、俺の首を水平に薙ぎ、そして斬り落とした。
一定以上の攻撃でなければ、魔王の血を使えば世界に傷を与えてしまう。それが積み重なれば、世界の治癒力を上回り、遅々として崩壊に向かうだろう。
だが、あまりにも弱すぎる攻撃では、そもそもこの体と根源を損傷させることさえ難しい。
ディードリッヒとナフタは、未来を見るその神眼と、未来を限局させるその権能を使い、俺が魔王の血を流せぬぎりぎりの強さで首を刎ねたのだ。
「――ふむ。見事なものだ」
首だけとなり、宙に舞った俺は、しかし泰然と言う。
「強さでは俺には届かぬ。それを知り、弱さでもってこの首を取ろうとはな。だが――」
<飛行>の魔法で首を宙に浮かばせ、<破滅の魔眼>でナフタを睨む。
「これで二対二だぞ」
俺の体が、組み合っていたディードリッヒをぐっと押し返す。
奴がそれに抵抗しようと、魔力を振り絞って両腕に力を込めた瞬間、その土手っ腹に<根源死殺>の蹴りを突き刺した。
「……ぬぅぅ……!」
苦痛に表情を歪め、首がなくなっても動く俺にディードリッヒは視線を険しくする。
未来で見ていてもなお、馬鹿げた光景と言わんばかりだ。
「まったく、お前さんときたら……でたらめな体を持っているものだ……」
「八つ裂きの刑に処す」
未来へ加速するが如く、ナフタは俺の体へ移動し、カンダクイゾルテの剣を勢いよく振るう。
「お前の相手は俺だ」
未来神を睨みつけ、視線で魔法陣を描く。
彼女を覆う檻のような<四界牆壁>が神の秩序を減衰し、そこに黒き稲妻が走った。
「<魔黒雷帝>」
俺の魔眼から発射された黒雷がナフタを貫く。
「ぬ・お・おおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!!」
渾身の力でディードリッヒは俺の足をつかみ上げ、僅かにぐらついた体を、そのまま宙へ放り投げる。
勢いのまま奴は俺の首めがけ、突進した。
魔眼から発した<魔黒雷帝>を、鈍色の燐光に食らわせ、<竜闘纏鱗>の右拳を思いきり俺の顔面に叩きつける。
「甘い」
延びた俺の髪が、ディードリッヒの拳にまとわりつき、それをいなす。
「<根源死殺>」
黒い髪が更に漆黒の<根源死殺>に染まる。
無数の魔王の髪が生き物のように動いたかと思えば、先端を針のように鋭くし、ディードリッヒの全身を串刺しにした。
「……ぐあぁっ……!!」
「首だけだからといって、殴り合えぬと思ったか」
ディードリッヒが怯んだ一瞬の隙に、投げ飛ばされた俺の体が<飛行>で方向転換し、全能者の剣リヴァインギルマを手に、真上から落ちてきた。
「<波身蓋然顕現>」
可能性の刃がディードリッヒを両断しようと振り下ろされる。
彼の頭から僅かに血が飛び散るも、しかし、その体は健在。
「……こいつは……たまらんぜぇっ……!!」
ディードリッヒが突き出した全力の拳を受け止め、俺の体が勢いに押されては数メートルは後退した。
「ふむ。さすがに<波身蓋然顕現>は相性が悪い」
宙に浮いた俺の首をつかみ、ぐっと体に押しつける。
至高世界で回復魔法の効果は乏しく、完全にはつながらぬが、まあ、問題ないだろう。
伸びた髪がはらりと落ち、元の長さに戻る。
ディードリッヒを守るように、ナフタが立ちはだかった。
彼女は<四界牆壁>の檻をカンダクイゾルテの剣で斬り裂いて脱出した後、<波身蓋然顕現>を限局したのだ。
リヴァインギルマの刃は、未来を司る神の前では、剣を抜く可能性を完全に消されてしまい、満足には振るえぬ。
「お前さんにも、わかっているだろうよ。ナフタが神眼を開けていても、未だ無事な理由が」
ディードリッヒは言葉を放ち、拳を構える。
「万に一つの俺たちの勝機に、近づいているということに他なるまいて」
「さて、俺を相手に、本当に万に一つがあると思うか?」
奴は大きく息を吐き、呼吸を整えながら、体内で魔力を練り上げる。
「お前さんに本気を出された日には、それもなかろうがな。限局世界と違い、至高世界は俺らの世界と地続きだ。<極獄界滅灰燼魔砲>も<涅槃七歩征服>も、お前さんは使うまいよ」
使えば、天蓋の崩壊、落下を待つまでもなく、この世界は終わりだ。
この首を刎ねたのと同じように、俺に本気を出させずに、戦おうというわけだ。
「悪いが、ナフタと俺は、全力を出させてもらおうぞ」
ぐっと拳を握り締め、奴は選定の盟珠に魔力を込める。
「<憑依召喚>・<選定神>」
ナフタがカンダクイゾルテの剣を立て、胸の辺りに持ってきて敬礼する。
その神体が目映く光り輝いたかと思うと、次の瞬間、剣を残してナフタが水晶のように砕け散った。
無数の破片がディードリッヒの周囲にキラキラと輝き、途端に彼の魔力が跳ね上がる。
「見ていていいのか、魔王や」
<憑依召喚>を行使しながら、ディードリッヒが言う。
「こいつは試合ではなく、戦場だ。俺はお前さんの力を封じて戦っている。ならば、お前さんも、俺が全力を出す前に倒すのがよかろうて」
確かに、<憑依召喚>を完了させぬようにすれば、与し易いだろう。
「構わぬ。存分に見せてみよ」
ディードリッヒは、豪胆に笑う。
俺の行動は気まぐれでもなければ、手を抜いているわけでもない。
それは一つの目的のために。
そして奴は、俺のその目的を見通している。
すべての未来を、勝利のために使っているのだ。
「そいつは重畳っ!!」
背後に浮かぶ、剣の如き翼を持った<竜闘纏鱗>の竜が、黄金に染められた。
浮かんでいたカンダクイゾルテの剣が分厚く巨大になっていき、竜を彷彿させる大剣へと姿を変えた。
ディードリッヒは手を伸ばし、その柄を握る。
「万に一つの未来は、これで千に一つとなった」
カンダクイゾルテの大剣を振りかぶるように構え、ディードリッヒは豪放に声を発する。
「預言者ディードリッヒ・クレイツェン・アガハが告げる。魔王アノス・ヴォルディゴードは、一分一一秒後に、この未来世大剣に斬り裂かれ、破れるであろう」
覚悟を滲ませ、ディードリッヒが預言を発す。
その言葉さえ、奴が見る万に一つの未来に近づくための布石であろう。
「ならば教えてやろう、ディードリッヒ」
全能者の剣リヴァインギルマを構え、俺は言った。
「万に一つだろうと、千に一つだろうと同じだ。お前の神眼に見えたただ一つの勝利こそ、お前が探し求めてきたナフタの盲点なのだからな」
その預言すら、蹂躙するか――